第二章 青き人形 その二
宿へ向かう二人が歩いていると選挙演説が聞こえた。
「減税して工場を誘致すれば仕事が増えるでぇ~。そうすると住人が増えますでしょ~、そのおかげで店が儲かる! 皆が幸せになる! そりゃぁ良い事じゃないですか!! 皆さん、このチュダックに一票をよろしくお願いしますよ~!」
響き渡る大声は特徴的なだみ声だった。聞く人にとっては耳障りな声質でもある。
「なるほどな……」
ユウの声が低くなる。どうやらこの声の持ち主が件の人物、チュダック・リュイソーのようだ。
「私、どっちかというと投票したくないな。この人に…」
エアにしては珍しくきっぱりとした嫌悪の言葉だ。彼女の頭の中にレイメルで聞いた彼の話が浮かんでいた。
「ああ、俺もだ」
演説はまだ続く。市民生活がどうとか、役所職員がどうとか言っている。
「良い話にはかならず裏がある。皆、都合が悪い処を見ない振りをする。本当は見ない振りをするところが重要なんだ」
「見ない振りをするところ?」
「市民にとっては都合の悪い話だ。政策によって何が変わるのか、悪い処がないのか考えてから投票するのが基本だと思う。ところが都合のいい言葉、景気のいい言葉で選ぶ人が存在する。その人達は政策云々ではなくって、景気のいい言葉に煽られて投票するんだろうな」
「それって、何も考えていなのと同じの様な気がする」
「まぁ、そうだな。ただ流されるのではなく、常に都合のいい言葉には裏があると思わないとな。選ぶのは自分なんだから」
「そうだね」
罵声の様なだみ声を背に二人はその場を後にした。
貿易の盛んなフォルモントには輸入品などを扱う店がたくさん点在する。二人はボルトールへ向かう船着き場に行く途中に大きな花屋を見つけた。
「ねぇ、ユウ。リゲルの工房にあった花畑を全滅させちゃったから、この店で花の種を沢山買って行かない?」
「そうだな。せめてもの迷惑料として買っていくか」
その花屋には様々な花が並んでいる。生花や種、観葉植物。最近になって出始めた造花。生花の方はこの季節に咲く色とりどりの花が売られている。
「この花の種にしようかな~」
エアはサポナリア、ミムラス、コンフリー、サラセニアの種を手に取った。
「紙袋に種の名前を書いてもらおう。ついでにレイメルの精霊師協会宛てに送ってもらおう。まぁ、おっさんならどんな花でも育てるだろう」
彼はリゲルに対して投げやりな感想を言うとユウが種の代金を支払おうとした時、
「あっ! 私も払うよ~。私も妖精を召喚した時、花をなぎ払っちゃったもん」
彼女が光の妖精を初めて召喚に成功した時、制御が出来ずに大暴れさせてしまったのだ。その際にリゲルが育てていた花を全部刈り取ってしまったのだ。
「まぁ、俺も畑を凍らせちまったからな。二人とも共犯だな」
ユウの脳裏にも水魔法を試した時に、花畑を凍らせてしまった時の事が浮かんでいた。
顔を見合わせた二人は思わず笑い出してしまった。
そしてこの街に一軒しかない機械師ギルドに二人は立ち寄った。
「すいません。エレスグラムに魔石を埋め込みたいんですけど~」
エアは工房の奥に声を掛けた。
「その声はルネじゃねぇな。何処の精霊師だ!」
顔中、髭で埋まっている様な職人が現れた。
「レイメルから来た」
ユウがカウンターの上にエレスグラムを置くと、
「そうか、リゲルの所か。それで魔石は何にするんだ?」
「私は地属性の黄色にする。だってレイメルは『大地の祭壇』と呼ばれている所だし、何だか相応しい様な気がする。ユウは何にするの?」
エアが尋ねると、彼は戸惑い気味に答えた。
「俺は……。最後の魔石は風の緑にしよう」
彼にとってエレスグラムに嵌める魔石はこれが最後になる。六属性の魔石を揃える事に躊躇いはあったが、緑の魔法には大切な親友の思い出があった。緑の魔法が得意だった親友はもう彼の傍にはいない。レイメルの教会にある納骨堂で静かに眠っているのだ。暁と黄昏の双子の精霊に見守られて……。
「おう、いいのか? 六属性を揃えても使えんだろう? それにそこの嬢ちゃんも反属性で揃えて大丈夫か?」
世間では六属性を使えるセラシスと呼ばれる精霊師はアンキセスしか知られていない。また、エアのエレスグラムには緑の魔石が既に嵌められている為、黄色の魔石は反属性になるのだ。職人が疑問に思うのも無理はなかった。
「いいの。私はまだ未熟だから、うまく発動できるように練習したいの」
そうエアが答えると、
「俺にとって緑の魔法は憧れだから」
ユウが続いて職人に答えた。
「憧れか……。まあ、いいさ。セラシスは究極の精霊使いだからな。憧れるのも無理ないさ。とにかく嬢ちゃんも爆発させるなよ」
二人の答えをおそらくは正しく理解していないだろう職人は、早速作業に取り掛かった。
工房を出た二人が歩いていると、大きな河のほとりに出た。川の上流を見ると大きな橋が見え、その先の中州には街並が夕暮の空に黒っぽく浮き上がっていた。
「ねえユウ。あれがポストル地区かな?」
「そうだ。近付くだけでも危険だが、この距離なら大丈夫だろう」
ユウは周りを警戒しながら答えた。
エアは中州にある建物を見つめた。遠目にも崩れかかった建物が見える。この活気のあるフォルモントと比べると異様な光景だった。まだ陽が出ているのにその中州だけは漆黒に包まれ、魂を吸い込まれるよう雰囲気を放っていた。
「なんか暗い街だね」
「黒闇の市場か……。黒闇とは死を意味するからな。妥当な表現だな」
「そうなの?」
「ああ、武器商人のことを死の商人という奴もいる。奴隷商人もだ。だとすればあそこはありとあらゆる死が集まっているんだろうな」
ユウはそういって地区に掛かる橋を見つめ、その横顔を見つめながらエアは問い返した。
「死の集まり……」
「死を利用する奴、死を心地よく思っている奴、死を生み出す奴か……。死が死を呼ぶ。数多くの死をまとめ上げている『最悪の死』は誰だろうな……」
「最悪の死……。数多の死を惹きつける核の様な人が存在しているということ?」
「ああ、軍隊で対処しなければならないぐらい膨れ上がった死の集まりを統率している奴がいるはずだ」
そう答えるユウの表情は険しい。
「デボスさん、あそこに閉じ込められていたんだよね。あんな暗い所で……」
エアの顔が暗く曇っている。
「ああ、胸のバイオエレメントを誰にも渡さない為だけに生きていた。彼は絶望の中で、ただ生きる為に生きていたんだ」
黙とうを捧げるが如く、二人は深い沈黙に包まれた。
「さぁ、宿へ行こう。長くここに居て目を付けられたら仕事がやりにくくなる」
「そうだね」
夕日に照らされたポストル地区は、更にその闇が濃くなったように感じられた。
ボルト―ルの宿屋で泊った翌日、二人は歩いてヴェルヌイユ島に向かうことにした。普段は早い潮の流れに隠された島へ向かう信仰の道は、死人も多く出た危険な道程であった。引き潮で道が現れる数時間の間に渡りきらねば、押し寄せて来る潮に呑まれてしまう。巡礼者達は信仰心を証明する為に、危険を承知で危険な道を歩き通すのだ。
「急ぐぞ。長くは持たないだろう。それにしてもシリウスの奴、歩いて渡るルートを用意するとはな。情緒ありすぎだろうが」
「朝から大変だな~」
日の出前から巡礼者達と共に、二人は思ったより硬い、しかし足跡がくっきりと残る砂地を歩き始めた。
「海の匂いがすごいね。山岳地のレイメルとは空気が全く違う」
エアが周りを見回して歩いていると、急に足元の感覚が無くなった。
「嘘っ! きゃわ~!」
潮だまりが在ったのだ。エアが声を上げた瞬間、透き通った青い魚が空中に現れた。
「アンディ!」
エアのピアスに使われている青い真珠に宿っている妖精である。彼は召喚主を守る為に現れたのだ。エアの足元にある深い潮だまりの海水を凍らせ、エアの足元を支えた。
「はぁ~っ、助かった~。朝からびしょ濡れなんて冴えないからね。ありがとう、アンディ」
アンディは潮の匂いを楽しむ様に空中を踊っている。きっとエアの声は聞こえていないだろう。
「えらく嬉しそうだな。待ちきれずに出てきた感じだ」
「アンディは水の妖精だもん。海だって初めてだし、きっと嬉しいよね」
ユウの妖精は呼ぶまで出て来ることはないが、エアの妖精は呼ばなくても飛び出て来ることがある。彼女は自分の制御が未熟だからと思っているが、ユウは召喚者の性格が反映されていると思っていた。
(まぁ、彼女もアンディもはしゃいでいるみたいだしな)
「エア、アンディを魔石に戻して。島まで急ぐぞ」
苦笑したユウは歩き出した。
ヴェルヌイユ島は教会を中心に成り立っている。島に入るには島の陸地側に張られた城壁の入り口から入らないといけない。名前は精霊の門、門の左右にある塔はそれぞれ乙女の塔、王の塔と呼ばれている。
そこから街に入るとグランド・リュと呼ばれる緩い坂道になっている大通り、と言っても狭い石畳の道なのだが、登りきると教会に辿り着く。
ちなみに教会の裏手は高い崖になっており、城壁などは無くても島の安全は守られていた。
「すごく賑わっているね。メリルの言ってたオムレツの店は何処かな」
「あれだろう。あの古い店に看板が掛かっている」
「やった~! オムレツだ~!」
島へと上陸した二人はオムレツの店を探していたが、ユウが軒先に吊るしてあった看板を見つけたのである。エアは勢いよく店に飛び込んだ。
「オムレツ下さい! 二人前!」
「お二人様ですね。こちらの席へどうぞ」
エア達を案内した若い女性の店員が混雑した店の奥へ消え、暫くすると老婆がオムレツの乗った皿を二つ持って来た。
「メリルのお客さんだね。お代は貰っているから沢山お食べなさい」
「メリルが?」
「そうだよ。青い髪と黒い髪の若い二人が来たら食べさせてやってくれ、と言われたんだよ。あの娘が大事にしているお客さんなら、飛びきり美味しいオムレツを食べさせないとね」
老婆は心から嬉しそうな笑顔を二人に向け、
「覚えてくれているのは嬉しい事さ。あの娘は修行中に何度かこの店に来ていたんだ。この前、久しぶりに来てくれて、懐かしい昔話をして時間を過ごした。店を続けていて良かったよ。あんた達もこの店を忘れずに覚えておくれよ」
「ありがとう。御厚意に感謝する」
「うん。私、おばあちゃんの事、ちゃんと覚えておくよ。ありがとう」
二人は素直に頭を下げ、オムレツを食べ始めた。
優しく素朴な味のオムレツを食べ終わった二人は大通りで立ち並ぶ店を眺めながら教会へ向かって歩き出した。
「色んな店があるんだね。レストランにホテル、土産物屋さん。あ、この匂い袋。綺麗な刺繍、それにいい香り~」
エアが土産物屋で手に取ったのはラベンダーの香りがする匂い袋だ。エアの手に収まるくらいの大きさで、布には美しい刺繍がされていた。
「どうしようかな~」
迷いながらも物欲しそうな表情をするエアを見たユウは、
「買ってやるよ」
「え? でもこれくらいだったら自分で買えるし」
値段は千五百ヴィッツである。エアの給料から考えると、少し痛手だ。
「新人の懐具合はよく分かっている。昇進が早くなければ俺も給料が少ないからな。それにあまり金を使うことがないんだ。せめて、これくらいは使わせろ」
そう言われると無下に断ることはエアには出来なかった。
「ありがとう。ユウ」
そして、素直に礼を言うしかなかった。そして、エアはふと考えて
(あれ? これって贈り物かな……?)
そう思うと顔が赤くなってきた。
ユウが品物を手に取り店主と取引をしている。店主に少しからかわれてそれを仏頂面で返している。
(まあ、いっか……。あれ? 二つ買っている? もう一つは誰の?)
ユウの手には匂い袋は二つ握られていた。
「ほら、こちらの刺繍の方が似合っている」
彼は銀糸とコバルトブルーの糸の刺繍で飾られた袋をエアに渡し、そして青色だけで刺繍されたもう一方を乱暴にポケットに追い込んだ。
(エレナさんへのみやげかな……)
彼女がそう思うのも無理はなかった。ユウは精霊師宿舎に住まずに、エレナの店の二階に住み込んでいるのである。
エアの心が何故か少し痛んだ。その痛みの意味に気が付かないまま、エアはユウの後ろを歩き出した。
そろそろ尖った教会の塔が見えてきた時、エアはユウの様子がおかしい事に気が付いた。
どこか懐かしむ様な、遠い眼をしていた。
「どうしたの?」
「前に話しただろう。俺達はこの島近くの浜辺でリゲルに拾われた……」
ユウの表情は暗かった。
「拾われて以来、ここには来たことは無い……。さて、依頼人はここの司祭だったな。行くぞ」
「あ、うん」
エアは坂道でつまずいた。
その頃、教会の厨房で文句を言いながら食器を洗っている一人の若い男が居た。
「かったるいなぁ。なんで僕が皿なんかを洗っているんだ」
彼は金髪を揺らしながら、力を込めて洗う。
「何故、貴方は不満を言っているのですか? 王家へ献上する魔石を盗んだのに、教会で修行をする程度の罰で済んだのは幸運としか言いようがないのですよ。そう思いませんか? 見習い修道士イワン・バカラ」
「すいません、カイル司祭様……。えっ!」
振り向いたイワンは慌てて頭を下げようとした時、カイルの後ろの人影に目が止まった。
「どうしたのですか? イワン」
怪訝そうな顔をしているカイル司祭など目に入らないイワンは震えあがっていた。
「女の子が透けてる……」
青く半透明の少女は、悲しげな横顔をしながら歩いている。
(時が――。助けて……。――が来て……)
言葉も無く、ただ立ちすくむイワンの耳に微かな声が響いていた。
★作者後書き
読んで頂いている皆様、本当にありがとうございます。以外に気に入っていたイワンを予定通り再登場させる事が出来ました。彼の心情の変化をうまく表現できればいいなぁと思っています。
★次回出演者控室
エア 「ユウがあんな魔法が使えるとは思わなかった」
ユウ 「器用な奴に教えてもらってたのさ」
エア 「でも、素敵な魔法だね」
ユウ 「まあな」
カイル「はぁ。和んでないで早く人形を探して下さい」