第二章 青き人形 その一
霧多き『月の都』フォルモント。
三日月型の港を抱き、『海上の精霊郷』ヴェルヌィユ島へ向かう船が出港する街。
そしてワインを始め多くの貿易品が集まり、離散していく活気ある貿易の港街でもある。
その街の郊外に流れる大河の中州には古びて崩れかけた街並みが見えており、何故か不釣合いな大きな橋が中洲へと延びていた。
その橋を渡り中洲へ向かう善なる者は息をして帰らずと言われていた。
美しき『月の都』の名に合わぬその場所を、川の対岸から眺めた人々はその中州にある街を恐れながらこう呼んでいる。
『黒闇の市場』と――
フォルモントに近い飛行船発着場は川沿いの下流にあるコメンス港という場所にある。そのコメンス港は海外に運び出される荷物で溢れかえっていた。フォルモントで一度、荷を集めて小舟でコメンスに送り、その帰りに人を乗せている。もちろんその逆もあり、人と物の輸送は効率的になっている。
フォルモントは川を挟んで東と西に分かれている。街全体が貿易都市の為に商業が盛んである。
レアンス地方の特産品はワインで、醸造所がたくさん存在する。ここで作られるワインは独特の霧により深みのある味となる。また、栽培から瓶詰めまでを一貫して行う醸造所は「シャトー」と呼ばれ、他のワイン産地にはない特徴となっている。
ここから産出されるワインは全体的に赤が多い。そのワインがフォルモントのオルセン広場に集められ。品評会場で値段をつけられて海外に送りだされる。
この地方のワインはトラミネール産と呼ばれて有名である。そして、そのワインを売る為に商業組合が存在する。
つまり、ワインを売るなら商業組合を通さないと売れない仕組みになっているのである。その商業組合が競りを行うのがオルセン広場であった。
その賑やかなオルセン広場に降り立っていたのはユウとエアだ。
「やっと着いたな」
「少し酔った……」
エアは顔が少し青い。フォルモントへ向かう小舟は乗り心地が悪く、とても揺れたのだ。
「小舟に酔ったか。少し休むか?」
「うん……」
この広場には貿易商や船乗りが集まって来る。その為、休息用の長椅子が設置されおり、二人はその長椅子に並んで座りこんだ。
「なんだか慌ただしい人が多いね」
「ここはワインが集まる場所だからな。買い付ける商人や卸売業者が集まって来るし、勿論シャトー巡りやワイン講座が企画されているからそれなりに観光客が多いんだ」
「そうなんだ。港町だからもうちょっと閑静なのを想像していた」
「ここはレアンス地方の中心地だからな。よく賑わっているよ。確かに閑静な港も有るが、それは小さな漁港だけだ。さて、少し顔色も良くなったな」
二人が顔を見合せた時、若い女性の声が耳に響いてきた。
「このフォルモント市に必要なのは工場ではありません! 十年、二十年先を見据えた政策です。私はこのフォルモントの特産品を一層強く売り込む為に、商業組合の加入条件を緩和して、より良く発展させるつもりです。工場を誘致するのではなく、今ある資源を活用しようではありませんか!」
女性の演説する力強い声が聞こえた。居並ぶ市民のほとんどがその声に耳を傾けていた。
「十年二十年先か……、なかなかその未来を想像出来る人間は少ないな。市民が見ているのは目先の不満を解決する事だけさ」
「目先の不満?」
「あぁ。市民にしてみればその日暮らしの人もいる。でも、もしとんでもない政策の人を選んでしまったら。将来ツケを払うのは自分達なんだ」
「そうだね……」
エアはグラックの言葉を思い出していた。レイメルの市民達は一度選択を間違えた。そして、次の市長選で間違えなかった。だからこそ『今』がある。そして『未来』がある。
「さて、行くか?」
「うん」
ユウが立ち上がったのを見て、エアは慌てて立ち上がった。ちょっとふらついたがユウが肩を支え、
「大丈夫か?」
「うん。大丈夫だよ」
支えてくれるユウの手の感触に、何故か心が落ち着くのを感じていた。
「そうか、無理するなよ。フォルモントの受付はこちらだ」
彼がこの街に詳しいのでエアはついて行くことにした。その途中、二人は坂道で見慣れた光景を目にする。
「どこの街にでもいるんだね。ああいうの……」
エアの目が、またかと呆れている。
「俺は見慣れたよ。ちなみにフォルモントではよく見る光景だ。なにせ、どの酒屋でもワインの試飲が無料で出来るからな」
ユウにとってもかなり見慣れた光景である。
そこに居たのは男の酔っぱらいだった。その様子はまるで身体に重力が倍は掛かっている様だ。膝がくの字に曲がって上半身が今にも仰向けに倒れそうだ。だが倒れそうで倒れない。そして坂を上っているが酔っている為になかなか登れない。少し上っては後ろに戻るのを繰り返している。
「不思議に思うんだけど、なんで酔っぱらいって、歩いていても倒れそうで倒れないんだろう?」
「泥酔者は身体が柔らかいからな。それにぶつけても痛みを感じないんだ。ただし、酔いが醒めるといっぺんに痛みが来るがな」
「そうなんだ。でもなんでユウがそれを知っているの?」
「俺がレティの酔わせた奴を始末しているだろう。そのせいだ」
ユウはエアに酔っぱらいが怪我をしない様に見張らせて、近くを巡回している憲兵を探して知らせた。憲兵はすぐさま酔っぱらいが居る方向に走っていった。
その憲兵が泥酔者を保護するのを見届けた二人は、精霊師協会に向かって歩き出した。
精霊師協会フォルモント支部は市庁舎の近くに存在する。
二人がその建物の扉を開けると、
「その依頼には偽りがありますよね。では、何故偽ったのですか?」
「それは……。いや、その……」
「嘘はいけませんね。では、依頼は取り下げでよろしいですね?」
「はい、すみませんでした……」
相手を反論不可能に追い込んだ三十代半ばの男性は、短い栗色の髪で緑の瞳に眼鏡を掛けていた。泣き顔になった依頼人の男は背を丸めて帰っていった。
受付の男はにっこり笑ってその様子を見送っていた。
「久しぶりだな、シリウス。あいかわらず嘘の匂いを嗅ぎ取ると反論不可能まで追い込んでいる様だな」
ユウに親しげに声を掛けられた受付の男は、
「久しぶり、ユウ。なんだか穏やかになったね。良かったよ。このままだと辞めてしまうか、命を落とすのではないかと心配したんだ。ところで、そちらはレイメルの新人だね」
ユウの隣にいたエアに目を向けた。エアはシリウスと呼ばれたこの青年が見た目通りの温和な青年とは思えなかった。静かな立ち振る舞いの中に、訓練されて研ぎ澄まされた刃の様な物を感じたのだ。レティも戦わせれば体術も相当な腕前だが、この青年からはもっと異質な能力が有る様な気がしたのだ。
「はじめまして。エア・オクルスといいます」
「こちらこそ。シリウス・アルゲニプといいます。このレアンス地方フォルモントの受付をしております。君達は所属がレイメル市だから出張や転属命令がなければ、まず顔を会わせることはないけどね」
「そうだな。だが精霊師は他の地方に必ず出張する。そうなれば顔を合わせる事もあるさ」
「そうだね。ユウはよく出張してくるから顔を覚えているんだ。仕事はきっちりやるから信頼性が高いんだよ」
シリウスはエアに向かって微笑みかけた。
「ところでシリウス。ルネはどうしている? 挨拶をしておきたいのだが」
「ああ、彼女なら深夜に仕事をしたから休んでいるよ。珍しく難航したみたいだからね」
難航している、という一言でユウは眉をひそめた。
「あのルネが……」
エアは二人の会話についていけなかったのでユウのコートの裾をつついた。
「あの~、ルネって誰です? 精霊師なのは分かるんだけど……」
シリウスが頭を掻きながら、
「ああ、ごめんね。このフォルモント市に所属している精霊師は一人で、名前はルテネス・プロプス。彼女は主に地属性を操る精霊師だよ。この広い市内から来る依頼を一人でこなしてもらっているんだ」
「ワインの出荷時期になるとここは人手が足りなくなるんだ。ワインが盗まれたとか、農家に魔物が現れたとか。ここは街の規模からして最低でも二人必要なんだが、精霊師の数が少ないから他の所と調整しながら回している」
シリウスに続いてユウがその説明を補足した。それをシリウスは満足そうに眺めていた。
「どうした?」
「いや、指導者役が身についているな、と思ってね」
「自然とそうなるのではないのか?」
「それは違うよ。相性が悪いと新人が駄目になってしまう。新人にも指導者にも問題がある場合が多いんだ。もちろん受付にもね。だけど以前こちらに来た王都の新人は問題が多すぎて性格矯正に時間が掛かりそうだよ」
シリウスは遠い眼をしてから溜め息を吐いた。
「それって、私達の代わりにレイメルに来る予定の……」
「あぁ、間違いない。レティの苦労が目に浮かぶようだな」
二人は目を合わせる。
「じゃぁ、彼は君たちの代わりにレイメルに……」
エアとユウは黙って頷いた。
「それは……。レイメルは気の毒な事になったね」
しんみりとした空気が部屋に流れ、
「でも、レティが『街を挙げて歓迎する』って言ってたよね」
「ああ、何か企んでいたな」
「あの赤毛の元気な彼女がどうするのか……。かなり気になるところだね」
三人は頭の中で様々な拷問を思い描いていたが、その妄想を振り払うようにシリウスが、
「さて、君達にこなしてもらう依頼は二つ。一つは神霊教会の遺跡の調査。これはすぐに取りかかってもらうよ。二つ目はチュダックの選挙資金に関すること。これは不正に献金されている可能性がある。その為に秘書の素性を探ること。こちらの期限は選挙が終わる一週間前まで。これは大変だよ。それも手掛かりがないと進まない。この依頼に関しては依頼主から資料を貰っているけど、こちらでも協力者達を通じて調べてみるよ」
シリウスは口を動かしながら書類をめくる手を止めない。精霊師も高い能力を求められるが、受付にも高い能力を求められる。
受付に求められる条件、それは。
一つ 事務処理能力
二つ 依頼人の嘘などを見抜く能力
三つ 精霊師の能力を把握し、その精霊師が解決できない依頼を弾いたりする。精霊師管理能力。
この三つを兼ね備えているからこそ受付が務まる。受付が二人いる時は大抵、見習いもしくは二人で一人前とされることがある。
「シリウス、教会の件も少しは調べているだろう?」
ユウはシリウスに確認した。彼の調査能力は王都の精霊師協会支部にも匹敵する。ユウは過去の出張でそれを知っていた。
「う~ん、調べたけど……。さすがに教会と王国の壁は高いね。少ない情報だけど、作業員が啜り泣く女性の声を聞いた、後は夜中に女性と思われる青い影が歩いているのを目撃した。その女性は透けていたとか……」
エアは思わず顔が青くなった。幽霊の存在は信じていないが、怖いものは怖いのだ。昔、旅先の宿でアンキセスに幽霊話をされて眠れなかったことがある。
「確かに古風だな。俺の故郷ではもっと情緒があったが……」
「ヘ~……、それは気になるな。ユウって身の上話をしないから、新鮮だね」
「そうだな、学校には怪談話が付き物で――」
ユウとシリウスが怪談話を始めようとしたのでエアは慌てて話を止めに入った。
「と、とにかく! 依頼人の所にいきましょう!」
「くっ、 ふふっ!」
「ぷっ! そこまで慌てなくても……」
慌てふためくエアを見た二人は思わず吹き出してしまった。
エアの半泣きの声にシリウスは雑談を止めて、形式的な手続きに入った。
「とりあえず。この勤務表に名前を書いてから出かけてね。ボルトートの港に宿は手配してあるよ。明日の朝なら、あそこからなら島へ歩いて渡れる。そう言えばメリルとかいう修道女から伝言を預かっているんだ」
「メリルから?」
「どんな?」
不思議そうな顔をしている二人にシリウスは、
「島へ着いたら、船着き場の近くにあるオムレツの店で食事してから教会に来いってさ」
「はぁ? オムレツ?」
拍子抜けしているユウと違い、
「きゃ~っ! オムレツ大好き~! 絶対に行く~!」
エアは瞳を輝かせていた。
教会の地下遺跡では、青い髪の人形『アジーナ』の前で二人の作業員が話し込んでいた。
「おい、大潮の満潮は明日の夜だ」
「上手くいけば船乗りの仕事から足を洗って陸の上で生活が出来る」
「家族に楽をさせたいからな」
二人の男は『アジーナ』を見つめる。
「しかし、ちぎれた腕と額に石が嵌まっているのを見なければ人間だと思うよな」
「俺は気味が悪いぜ。悪趣味に思えてな」
「偉い学者さんが昔に造られたものだと言っていたそうだが……」
「気が知れん。人間そっくりに作ることに何の意味が有るんだ。まるで魂を封じ込めてあるようだぜ」
片方の男は顔に嫌悪感を現している。
「やっぱり幽霊騒ぎはこの人形が原因なんだろうな」
「この人形に何が有るのか知らんが、とにかく得体の知れないものさ」
二人とも沈黙に包まれていると、
「お~い、二人ともそこで何をやってるんだ~。こっちの通路の整備を手伝ってくれ~」
監督の声が聞こえてきた。
「おい、行こうぜ」
「ああ」
二人は『アジーナ』に背を向けて歩き出した。
★作者後書き
読んで頂いている皆様、第二章が始まりました。そろそろ人形の事に触れたいと思っています。もちろん、幽霊にも……。
評価を付けて下さった方に、お礼の言葉を述べたいと思います。本当にありがとうございました。更に精進致します。
★次回出演者控室
エア「やっぱりオムレツだよね」
ユウ「幽霊に遭遇する前に食べておかないとな」
エア「意地悪だな~」
ユウ「食べられなくなるだろ?」
エア「そうだけどさ」