第一章 新たな依頼 その五
その工房の窓際にはスキンヘッドの大男が背を丸め、眉を寄せながら椅子に座っていた。
「ちっ! さっぱり読めねぇ」
職人らしく無骨で大きな手には何枚かの書類が握られていた。
「まるで檻の中で反省しておる熊の様じゃな。のぅ、リゲルよ」
遠慮なく扉を開けて部屋に入ってきたアンキセスは声を掛けた。
「リゲル・カーレッジ。相変わらず研究熱心のようですな」
アイオンはリゲルの傍に近寄り、彼の持つ書類を覗き込んだ。
「よぉ、工房長。分からねぇ事があったら調べるしかねぇだろ?」
「ほぉ? 古王国時代の文字ですか。これは骨が折れますな」
リゲルがこれ見よがしに手に持っていた書類をひらひらとさせた。
「全くだ。骨なんざ何本折れても読めやしねぇ」
その書類を受け取って眺めたアンキセスが、
「デボス・エンデュラが残した物じゃな。後の書類はどうしたのじゃ?」
「どうにも読めねぇのはこれだけさ。後はあらかた読んじまった。読んだ書類はワシの頭の中と地下の金庫の中に入っているさ」
リゲルの瞳はそのスキンヘッドと同じく輝いている。
「さすがじゃのぅ。リゲル、キツネばばぁから許可をもらって来たぞ」
ちなみに『キツネばばあ』とは女王の事であるが、今さらの発言なので誰もそこには驚かず、
「では女王陛下はバイオエレメントの研究許可を出して下さったのですな」
アイオンの顔に笑みが溢れたが、
「否、その先まで考えてバイオエレメントを封印する魔道機の研究許可じゃ」
急に厳しい顔をしたアンキセスにつられたのか沈黙が流れた。
リゲルは急に立ち上がり沈黙を破った。
「バイオエレメントは禁断の魔道機だった。しかし一度この世に生み出された以上、新たにまた生まれる。悪用されればこんなに恐ろしい物は無いだろうからな。そう考えると封印魔道機を開発しておく必要があるということか」
「なるほど。女王陛下も隠しておくより、正面から問題に取り組む事にした訳ですな」
顎を擦りながらアイオンは感心している。
「レイメルでの騒動でデボスの人生が多くの国民に明らかになり『悲嘆の魔石師』と呼ばれる様になったのじゃ。もはやどうにも隠せまい。ならば明らかにして規制をしたほうかよいという事じゃろうて」
そう話すアンキセスの前でアイオンは俯いていたが、
「デボスを守ってやりたかった。それが果たせなかった今は、彼の最後の願いを叶えてやりたいものですな。このグラセルの街は大工房を含めて全力で協力を致しますぞ」
「ワシはやり遂げて見せる。デボスを不幸の運命に引きずり込んだ魔道機の正体を掴んで見せる」
リゲルの決意は窓から見える夕日よりも赤く熱く、鋼鉄よりも硬いものであった。
同じ時刻レイメルでは、カイル司祭宛ての手紙を持ったメリルが飛行船に乗り込んだ。
「あらあら~、忙しくなりそうだわね~」
などと口では言いながら嬉しそうな笑顔をしている彼女は、またオムレツが食べられると楽しみにしながらフォルモントに向かって旅立った。
そして精霊師協会ではレティが移動の為の書類手続きを行っていた。
「あんた達、今回の件で昇格になったから。はい、辞令」
そしてレティから渡されたのは精霊師の位が上がるという通知だった。現在のエアの位は最低の精霊師見習いである。
精霊師には位がある。下から精霊師三級、精霊師二級、精霊師一級、源霊師。ここまでは早く位が上がる。ここから先はなかなか上がらない。そして守護霊師、星霊師とあるがユウは今回の件で守護霊師から星霊師となる。つまり最上位となった。これ以上の位は無いが、アンキセスは特別に女王から国家守護精霊師に任命されている。
「ありがとうございます!」
精霊師三級になったエアは喜びで思わず大声になる。
「エアは喜んでいるのにあんたは喜びが無いの?」
レティは喜んでいるエアと無表情でたたずんでいるユウを見比べた。
「別に嬉しくもないさ。仕事をしていればいつかは昇格する。ただそれだけだ」
「はいはい、つまんない男。で、昇格によってエレスグラムに石を嵌めることが出来るわ。ただ、穴を開けるのはレアンスでやること。石を嵌めるのはどこでも構わないわ」
精霊師の持つエレスグラムは六つの魔石を嵌めることができる。普段蓋がしてあるのは実力を悟られない為だ。
「あんた達はいいね。組み合わせが何通りもあって。大抵の精霊師は三属性と光と闇だけだから」
エアとユウは『セラシス』と呼ばれる全属性の使い手である。他にセラシスとして知られているのはアンキセスだけであった。ちなみにエアとユウがセラシスである事は公表されていない。軍隊・政治家・神霊教会などに利用されることの無いように、また三人もセラシスが所属する精霊師協会が敵視されないためであった。
ユウもセラシスである事を知られたくなかった。他人に都合よく利用されることを嫌っていたからだ。
「そうでもないさ、魔石の配置の仕方を間違えると効果が無かったり暴発したりする。厄介だよ」
ユウは基本エレスグラムを使わない。使えない訳ではないのだが、精霊力を込める加減が効かない時があるのだ。そして、それが万が一の時にどういう結果になるのか想像ができるのだ。
レティは大きな胸に思い切り空気を吸い込んだ。そして溜めこんだ息を吐き出しながら、
「さて、ユウ。ちゃんと荷物は整えたの?明後日は飛行船でレアンスなのよ、ちゃんと書類は書きなさいよ、エアちゃんも荷物を整えなさい、ここ最近は動きが良くなったけどまだ鈍い時があるから気をつけなさいよ、レアンスまで行って忘れ物があっても帰れないからね」
レティのノンブレス攻撃再び。
「トッドの店に装備の点検に行こうか」
二人は肩を落として扉を開けた。
深紅の絨毯と木製の商品ケースの調和が落ち着いた雰囲気を演出している店内に、茶色の巻き毛の少年が店番をしていた。
「トッド! 出張があるから頼みたい事があるの」
エアは勢いよく店に飛び込んだ。
「やぁ、トッド。また仕度を頼めるか」
ユウもエアの後に続いて店に入った。
その店は『ラ・メルヴェイユ』、護身用魔道機の製作・販売の専門店である。エアが身に着けているピアス型の護身用魔道機はこの少年が製作した物であった。
エアにトッドと呼ばれた少年は立ち上がり、満面の笑顔をエアに向けた。
「エアに兄貴、いらしゃい! 出張は何処?」
「レアンス地方のフォルモントへ行く予定。後は精霊教会の本部にも行くの」
久しぶりに遠方に出かけられるとあってエアは嬉しそうに答えている。
「フォルモントかぁ~。僕も半年前に行ったんだよ」
「ピアスの魔石を手に入れた時か?」
ユウはトッドが苦労してエアの為にピアスを造った事を知っていた。
「うん。その魔石はレアンス地方の港町でしか手に入らないからね」
青い真珠。それは『アジーナの吐息』と呼ばれる貴重な魔石。アンキセスがエアの為に依頼した護身用魔道機に必要不可欠な魔石であった。故にトッドは依頼を受けて直ぐに旅立ったのだ。
トッドはフォルモントでの出来事を二人に話し始めた。
「僕は甘かった。お金を出して交渉すれば魔石は手に入ると思っていたんだ。でも、真珠を造っている魔石師達に信じてもらえなくてね。僕は無名の機械師見習いなんだって痛感したよ。彼に助けてもらえなかったら……」
「彼?」
エアは口ごもるトッドに聞き返した。
「うん。フォルモント精霊師協会の受付の人だよ。名前はシリウスと言ってた。彼が魔石師達に話をしてくれて、教会の本部で魔石に祝福を与えてくれることを教えてくれたんだ」
「俺は前の出張で会った事がある。口数は多くないが丁寧な仕事をする人だった。受付をしているが、元々は軍人か精霊師じゃないかと思うんだが……。だが武装用魔道機は持っていなかったな」
ユウはフォルモントで出会った優しげな若者を思い出した。大怪我をした後遺症だと言いながら、少し不自由な足を操りながら歩いていたのが印象的だった。
そして首から下げているネックレスには机の鍵がぶら下げられていたことも覚えている。
「じゃぁ、私のピアスが出来るまでに沢山の人が協力してくれたんだね。会ったらお礼を言わなくちゃ」
エアはまだ出会ったことの無いシリウスに親しみを感じていた。
翌日の夕方、荷物を簡単にまとめた二人は噴水広場に面した『ヴォルカノン』という店で早めの食事をしていた。
「大変ね~、エアちゃん。出張だってね。まだ街は祭りと騒動の余韻が残っているのに」
この居酒屋兼喫茶店の女店主のエレナは忙しそうに働きながら二人に声を掛けた。
「あ、エレナさん。今度、港町に行くんです」
「ユウから聞いたわ。教会の本部に幽霊が出るんですって?」
エレナの言葉を聞いてエアは我に返った。
チュダックの話ばかりを聞いていたので幽霊の事などすっかり忘れていたのである。
「そうだった~。幽霊なんてどうしたら良いのかなぁ~」
「何とかなるだろう。それに解決しなくても幽霊が教会の名物になるかもな」
ユウは意外にも冷静な答えを返して来た。
「そうだね。メリルならそうしちゃうかも」
三人が笑っているところにレティが飛び込んで来た。
「ちょっとエレナ! ワインを樽で持って来て!」
「荒れているわね~。この前、百人を教会送りにしたばかりなのに」
エレナは呆れた顔をしている。
「どうしたの? レティ」
エアは鼻息が荒くなっているレティに尋ねると、
「どうしたもこうしたもないわよ! あんた達の代わりに王都から来る奴、やっぱり問題児が来るのよね」
はぁ、と溜め息を吐くとレティはテーブルに突っ伏した。
「手紙が王都から届いたんだけど、内容が余りにも予想通りでショックだわ」
と嘆くレティにエアは首を傾げながら、
「そう言えば問題児だと聞いたけど、どんな事をしたの?」
「俺は余り知らないが……、出来る事しか手を出さないと聞いたが?」
「そうなのよね~。仕事も無難に、遊びも無難に、服装も無難にまとめている。まぁ、全てを無難にまとめているんだけど失敗と頭を下げるのだけは絶対に嫌だという奴なのよね」
はぁ、と再び溜め息を吐いたレティは椅子からずり落ちそうになっている。
「それってぇ~、とってもプライドが高い人?」
エアもつられて溜め息を吐く。
「ちがうよ。本当に誇り高い人は自分の間違いを認めて頭を下げる時は下げる。間違いをそのままにしておく方が恥ずかしいから。それに仕事に自信を持っている人は仕事を選ばない。その職業に就いている人間として『出来ない』とは言えない。何としてでもその職責を果たそうとする。ただし、本当に出来ない事はその場で告げる。それは相手に対しての誠意であり、そして仕事の見きりが早いからよ」
レティは受付の仕事に誇りを持っている。依頼人の為に、そしてその仕事をする精霊師の為に確実に、でも少々無理でも出来る限り達成出来るようにサポートをする様に心がけている。
「何にせよ、面倒だな」
ユウも溜め息交じりに呟いた。
「そんな奴、潰しちゃえば?」
エレナは沈んでいるレティの前に小さな樽をドン、と音を立てて置き、
「だって口で言っても分からなさそうじゃないの」
と木で造られた大きめのカップもドン、と続けて置いた。
「さぁ、過去最高の売り上げをもたらしたレティ様におごりよ」
エレナは軽くウィンクをして店の奥に戻って行った。
「まあ、それが一番だな。手っ取り早い」
「うわぁ、荒いなぁ~」
ユウとエアが感想を漏らすと、
「どうしてくれようかなぁ~。これはレイメルの街を挙げて歓迎しなくては駄目よね。祭りが終わって皆、きっと暇してるだろうし……。市長とグラッグに協力を求めるとして、メリルは出掛けているから戻ってきてから話をしようかな」
既にレティの頭の中には、とてつもなく物騒な計画が組み立てられていた。
「お祭り騒ぎが好きな住人ばかりだからな。この街は……」
「そうだね、皆親切なんだけど……。悪乗りも好きだから」
レティの様子を見ていた二人は、内心その問題児が少し気の毒に思えた。
翌朝、レイメルの飛行船発着場には、
「お~い。ちょい姫~! 無事に帰って来いよ~!」
「迷惑を掛けるなよ~!」
「魔道機を爆発させんなよ~」
「ユウ~! 気を付けてね~!」
「怖いけど、居ないと不安なのよ~!」
などとレイメルの住人からエアとユウに見送りの声が掛けられる。
「ありがと~!」
と声を上げるエアの横ではユウが黙って寄り添っている。二人が乗っている飛行船は空へと舞い上がって行く。
小さくなっていく街を見ながらエアが頬を膨らませていた。
「ユウには普通の見送りだったよね。だけど何で私の見送りにはいかにも『心配だね』とか『失敗するな』とかの掛け声ばかりだったの?」
と不満げに呟く少女の横で、黒髪の青年は笑い声をかみ殺していた。
★作者後書き
読んで頂いている皆様、お気に入り登録をして下さっている皆様、本当に感謝しております。
二人の物語はフォルモントの街に舞台を変えます。季節外れの幽霊話になりましたが、勿論この幽霊も大事な要素になってきます。
何とか連載を続けていますが、そろそろ年末が近づいているためか多忙になってきました。原稿を毎週仕上げるのが難しいと思われる為、二週間に一度の更新になると思います。『潜竜の精霊師』編の完結まで頑張りますのでお許しください。
★次回出演者控室
エア 「潮のにおいがする」
ユウ 「港町だからな」
???? 「やあ、やっと来たね。待ってたよ」
カイル司祭「お待ちしました。幽霊もお待ちです」
エア 「きゃ~っ!」