第一章 新たな依頼 その二
翌日の早朝。
レイメルの市長室にこの街の精霊師協会のメンバーが呼ばれていた。
受付のレティアコール・イシディス。愛称はレティ。緩くウェーブした炎のような赤い髪が印象的な女性だ。もちろん、性格も髪の色の如く情熱的な性格だ。
「あら? リゲルはどうしたの?」
レイメルの機械師であるリゲル・カーレッジは大柄な中年男である。
大事な話がある時は、市長であるマッシュ・グランドールやメリルと共に行動を共にしているはずなのに、とレティは部屋の中を見回した。
そこには部屋の主であるマッシュとメリル、そしてこの街の守護精霊師であるエアとユウがテーブルに向かい合って座っており、スキンヘッドの大男の姿は無かった。
「リゲルはアンキセス殿とグラセル大工房へ行っています。リゲルの工房が新しく出来るまで日数が掛かりますしね。それまでの間、バイオエレメントについて調査するつもりの様です」
マッシュの視線は悲しげに見えた。
「デボスさんの命を支えていた魔道機だよね」
エアの表情も曇っていた。
「彼の遺言と共に託された大事な品だ。リゲルのおっさんも手掛かりを求めて必死だろう」
ユウの表情も険しい。
デボスの妻、アンヌが生み出した魔道機によってデボスの命は永らえていたがそれは同時に、彼に悲惨な人生を与えてしまった。そして遺言とはいえ、親友の胸から魔道機を取り出さなければならなかったリゲル。
彼らの皮肉な運命にユウも心を痛めていたのだ。
「あらあら~、貴方達はそんなに悲しまなくても良いのよ~。残された者は彼に託された想いを大事にしてあげればいいのよ。デボスさんはリゲルにあの魔道機の秘密を解き明かす様に託した。だからリゲルも必死に託された想いを叶えようとしている。貴方達にもやることがあるでしょう?」
幸せな時間を奪われたデボスに対して、メリルも同情しつつも羨んでいた。
自分も奪われた経験があるからだ。その喪失感は心に大きな暗闇の穴を開け、未だその穴を埋めたと言い切る自信は彼女には無い。
でも、デボスは最後に幸福感に満たされていたとメリルは確信していた。彼の魂は水晶の様に透き通り、死に対しての揺らぎは全く感じられなかった。そのことが羨ましかったのだ。
「ふふふっ。さて、相談したい事が有って貴方達を呼んだのよ~」
メリルは幸せそうな笑顔をしながら、カイル司祭からの依頼やチュダックの事を話し始めた。
メリルの話を聞き終わったマッシュとユウは渋い表情をしている。レティも同じくへの字に口を曲げていた。エアは三人がどうして深刻な表情をしているのか理解が出来なかった。話をした当の本人はにこにこしながらお茶を飲んでいるのだが。
この人には深刻という言葉は無いのだろうか。
「まぁ、教会の依頼は引き受けても良いけどね……」
レティが左手で額を押さえながら答えた後を引き取り、
「その依頼は市長である私から口を挟むべきではありません。しかし、チュダックとその秘書らしき男をそのまま放置できませんね」
マッシュは厳しい視線をユウに向けた。
「言いたいことは分かる。チュダックの選挙資金について調べろ、ということだろう。だが俺達が調査するのは問題があるぞ」
ユウはマッシュの意図するところを察して言葉を発した。
「ええ、承知していますよ。精霊師は原則として政治に関わらない、という決まりがあります。私が出そうとしている依頼はそれに抵触する恐れがあります」
「ああ、悔しいがな」
そう頷いたユウの隣でポカンと話を聞いていたエアは、
「えっと……、どういうこと?」
話が理解できず疑問を投げかけた。
「あぁ、悪い。俺が説明しないといけないな」
そう答えながらエアを見つめた顔は先程の厳しい表情から優しげなものに変わっていた。
その様子を見たマッシュは、ここ最近ユウの表情が柔らかくなったと市民が話していたのを思い出した。以前の彼は表情がほとんどなく、このまま精霊師が務まるのかという状態だった。エアと組んで仕事を始めたのとデボスに出会った事が彼を変えたのだ。
(良い変化ですね。少し前までは触れれば斬れそうな刃の様でしたが……)
ふとマッシュが隣に座っているメリルを振り向くと、彼女も同じ様に感じているのか心から楽しそうな笑顔を浮かべていた。
そしてマッシュの懸念についてユウがエアに説明し始めた。
「俺達は、原則として政治には関わらない。その理由として俺達は国も無く、教会でも無く、第三の勢力として市民の為に働く存在だからだ。もちろん例外はある。市民の命が関わる場合と犯罪行為が明らかである時だ。これなら介入できる。だが、チュダックの件は怪しいと言うだけで介入は出来ない」
「そうか……。そうなんだ」
エアはすんなりと納得した。確かに何の証拠もない。怪しいだけでは捕まえても追及できない。それどころか逆にチュダックは「濡れ衣を着せられた」と騒ぎ、精霊師協会の立場が危なくなってしまう。
「この国はまだ精霊師に理解がある。国と精霊師が近い関係なのはトルネリアだけだろう。多民族の共和国だと民族単位で争いがあって巻き込まれがちだ。帝国だと隠れているつもりだろうが監視が必ず付いている。一度、帝国の精霊師協会の支部が爆破されたと聞いたことがあるしな。あれも帝国の諜報員がやったと思う」
レティがユウの説明に付け加えた。
「わたしもその話は聞いたわよ。死者が出ない様に爆破されたと報告があったわ。その時は戦争の最中で『精霊師協会が重要な人間を逃がした』という言いが掛かりを付けられていたそうよ。支部を爆破された為に精霊師協会の活動が鈍くなったそうよ。精霊師協会は『助けを求める者なら誰であっても助ける』のが義務であるという活動内容を帝国に承諾させたのよ」
レティの話を聞きながらマッシュは当時のアンキセスの姿を思い出す。
その記憶の中には戦争を止められなかったというアンキセスの深い後悔を滲んだ顔もあった。いつもは飄々とした老人が戦争を止める為、必死に奔走していたのである。
だが彼が創設した『精霊師協会』という中立組織を介して仲裁しても、戦争へと向かう大きな流れを止めることは出来なかったのだ。
マッシュは溜め息を漏らした。
小さな出来事の積み重ねが戦争に至った。神経質かもしれないが、チュダックの件も大きな犯罪に向かう小さな出来事の一つかもしれない。
そう思い至ったマッシュは思い切った提案をした。
「この方法なら介入可能だと思います。やはり着目点はチュダックの選挙資金だと思います。ただしチュダックを直接調べるのではなく、資金源の方から調査するなら問題は無いでしょう。その為には秘書らしき男の素性と行動を極秘に調べる事が近道だと思われます」
その提案にレティとユウは納得した表情を見せた。打開策が見つかったそんな感じだ。
「さすが市長ね。資金源からチュダックに繋がれば結果は同じだもんね」
「資金源と秘書の素性と行動か……、確かにそうだな」
頷く二人の横でエアは難しい話を、
「えっと、つまり選挙にはお金が掛かる。そのお金は本人が出すのが当たり前なのに誰かから違法に貰っている。誰からお金を貰っているのか分かれば捕まえられる、ということね」
紫の瞳をくりくりさせながら整理した。
「そういうことだな。俺とケントは精霊師になりたての時、住民から話を聞いた事がある。奴は鉱山の事業家から金を貰っていたんじゃないかとな。でなきゃ市長の給料だけで中央にいる貴族達と付き合える訳がない。大臣の座を狙って活動をしていたそうだしな」
「そうですか……。私も市長になって直ぐに市の財政を確認しました。市の財政から不法に支出していたら告発してやろうかと思いましたので。ところが不自然な金の動きは見当たりませんでした。むしろ市の財政部職員は困窮していた財政をよく切り盛りしていたと思います。まぁ、この話をしますと市長はいらないと思われますがね」
マッシュはそう言うと少し渇いた笑い声を立てた。
メリルが眉を吊り上げてたしなめた。
「あらあら~、それは言ってはいけませんよ。貴方が市長になったから今のレイメルがあるのですよ。皆それを信じて貴方を選んだのです」
それに続き、ユウやエア、レティまでさりげなく反論した。
滅多にマッシュの言葉に突っ込みを入れることの出来ない四人は、ここぞとばかりに次々と、
「組織の長なんて危機管理が本当の仕事なんだろ。平和な時は職員だけでも出来るだろうけどな」
「そうですよ。私なんて市長にいつも助けてもらってますし……。その……、噴水の魔道機が暴走した時でも掃除までしてもらっちゃったし」
「上司として、市長として適任よね。だてに地龍将軍だった訳じゃないよね」
四人にたしなめられたマッシュは、
「すみませんね。部下達が優秀だと、時々そう思うのですよ」
うかつな発言だったと反省しつつ、
「まぁ、市長がどんな人間であれ、レイメルの職員達は粛々と仕事をしています。チュダックが市長の時は、過労の職員が続出したそうです。原因は賃金の低下による就労意欲の低下と職員の数を減らしたことによる仕事の掛け持ちです。そして、勤続二十年の職員を表彰する時の祝辞は『今のレイメルがあるのは、貴方達の努力ではない』と言い放ったそうです。随分と職員達はがっかりしたそうですよ」
長年勤めてきた職員を表彰する場で、組織の長がねぎらいの言葉をかけないとはどういうことか……。三人は、しばしの間絶句した。少し口に茶を含んだ後、言葉を発したのはユウだった。
「場違いな発言だな。それに住民が多くなる程、請け負う行政組織には厚みが必要だと思うが……。無料のサービスが無くなれば、それこそ市民はゴミ出しまで有料で負担して業者がやることになるだろう。住民がどこまで負担に耐えられるかだな」
エアも少し憂鬱そうに、
「お給料が下がって、仕事はたくさん増えて、そしてその大変さを市長さんに全く分かってもらえないなんて……。何だか悲しいね」
そして今のレイメルからは想像も出来ない、ギスギスとした街の光景が彼女の頭に浮かんでいた。
マッシュは暗い表情をしていた職員達の事を思い出していたが、
「そうですね、話を戻しますよ。問題解決の鍵は彼の活動資金と秘書です。軽く言いましたが、彼に資金を提供しているのは反女王派ではないかと思われます。利用されたとはいえデボスが関わった組織も可能性があるでしょう。そして、伝えていませんでしたが。デボスはフォルモントの一画で強制的に働かされていたと思われます」
マッシュはデボスの言葉を覚えている。
「川の中州に小島が在り、そこはポストル地区と言われています。そこは恐ろしい場所で別名が付いており、『黒闇の市場』と呼ばれています。彼はそこに監禁されていたと思われますが、ポストル地区では何でも取引されます。魔道機や機械の部品、この国では禁止されている人身売買。果ては自分の命ですら商品になるそうです」
「ひどい……」
エアの顔が曇る。
人が売り買いされているなんて彼女には信じられなかった。
「話しには聞いた事がある。フォルモントには出張で行った事があるからな。それにしても嫌な話しだ……」
ユウは露骨に嫌悪感を顔に現している。
「続けます。三年前に一人の精霊師が誘拐された子供達を救う為に潜入しました。その時にデボスは利用されるのに疲れ脱出する為に協力したと言っていました。彼は爆薬を造り、その爆薬を精霊師があちこちに仕掛けたそうです。市場は爆発によって混乱し、精霊師はその隙に子供達を逃がそうとしましたが大半の子供が殺されたそうです……。中にはあと一歩で脱出というところで殺された子もいたそうです。そして、デボスが協力した精霊師も殺されました。その精霊師の名はレリック。そして、デボスも脱出できずに捕まったそうです」
マッシュは淡々と話を続けた。なるべく感情を出さない様にもしているのだろう。
「そんなことが……」
運命に翻弄された悲嘆の魔石師。彼に振りかかった災難は、彼の責任によるものでは無かったろうに……。
優しい笑顔をしていた彼の目の前で、そんな悲惨な光景が繰り広げられていたなんて、エアには思いもよらない事であった。
「あいつは人生に納得して死んでいったんだ。後悔は無かっただろう」
「うん」
ユウに諭されたが、エアは力なく頷いた。
「私はこのポストル地区からもチュダックに金が流れていると思っています。違法な事をしていることは以前から分かっていましたが、今まで何度も警備兵の摘発を免れていますからね。ポストル地区にとってチュダックは都合の良い取引相手だと考えられます。大変な作業ですが、地元の精霊師と協力して調査して下さい」
「そうだね。その死んだレリックという精霊師の弔いにもなるだろうしね」
そう頷いたレティは王都・アンボワ―ヌの精霊師協会に応援を要請する事を考えていた。
「さて、こう言ってはなんだがチュダックについて詳しく説明してくれ。エアは全く知らない相手だろうし、それに俺も詳しく知らないからな」
ユウはエアの気持ちを切り替える為にマッシュに話を促した。
「そうですね。先程の話でも少し分かるとは思いますが、市民生活崩壊寸前まで追い込んだのは彼です。ただ、レイメル市民は泣き寝入りをしなかったそれだけです。チュダックについての依頼は女王からしてもらうように手紙を出すことにしましょう。緊急事態ですからね。ではチュダックについて話す前に少し休憩としましょう」
「私も王都への手紙を出すから、ちょっと席を外すわね」
そう言い残してマッシュとレティは市長室の外へ出て行った。
★作者後書き
昨日更新するつもりでしたが遅れてしまいました。
作者、急病にご迷惑をおかけしました。
さて、改めて読んで頂いている皆様に感謝しております。
お気にいる登録をして頂いた方、本当にありがとうございます。新編が始まり、気持ちも新たに頑張ります。
★次回出演者控室
エア 「起きて下さい。グラッグさん」
ユウ 「すっかり寝込んでいるぞ」
グラッグ「うううんん……。呼んだか?」
メリル 「あらあら~、遅刻ですね~」
グラッグ「ん? 寝込んじまったか」
マッシュ「貴方の出番が回ってきたのですが……」
グラッグ「さぁて良く寝たし、はりきって話そうか」