第一章 新たな依頼 その一
一週間前、レイメルで発生した豊穣祭での市街戦は世間を騒がせていた。普段は送金された寄付金を受け取るだけの神霊教会本部も、今回は寄付金を持参しがてらその報告をする様にとメリルに求めていた。
泥酔者が大量に発生する豊穣祭にかこつけて、メリルは神父達の増援を本部に依頼していた。そして深夜、豊穣祭の最終日に大規模な市街戦が起こった。予想済みの戦闘とはいえ、神父達の活躍が無ければ多数の怪我人が未だに治療を受けていることだろう。
そう思えば王国の東の端から西の端まで報告に行くのも仕方が無いか、とメリルは神霊教会の本部があるヴェルヌイユ島を訪れたのだ。
「ふぅ……。ここまで来るとさすがに遠いですねぇ~」
報告を済ませたメリルは大きな教会の中を司祭と共に歩いていた。回廊から差し込む明るい日差しに照らされて彼女は盛大な溜め息を吐いた。
彼女から報告を受けたのは、隣を歩くカイル司祭であった。
彼は黒い修道服を着たメリルとは対照的に、敬虔な信仰と身の潔白を意味する白い司祭服で正装していた。
「お疲れ様でしたね。お預かりした寄付金も記帳を済ませました。寄付金の一部は建設を予定している孤児達の施設に使う予定です。ああ、それから彼も昨日から教団でお勤めを始めましたよ。」
彼とは『イワン・バカラ』のことであった。レイメルで結婚詐欺師として捕まえられた彼は、メリルの教会の地下で一晩過ごす事になった。かなり怖い思いをしたらしく、彼女の顔を見ると震えて動けなくなるので、今は奥の部屋で他の司祭から講義を受けている。
「あらあら~、そうですか~。しっかり教育してやって下さい。ところでカイル様もお疲れの様ですね~」
メリルは自分より若く、丸眼鏡をかけた司祭が少しやつれ気味なのを見て、いたわりの言葉をかけた。
「ありがとうございます。最近になってこの教会の地下から遺跡が見つかりましてね。発見のきっかけは補修の為に壁を崩したからですが……」
二人は回廊を抜け、礼拝堂に入った。そしてカイルは祭壇の後ろにある、真新しい扉に手をかけた。
その扉を開けると地下深くに続く階段が伸びていた。その地下からは発掘を続けているのだろう。作業員達の声や金属が何かに当たり響く音が聞こえてくる。
「教団と王室で共同発掘をしています。現在は落盤が起こりやすい通路が多いので、天井や側面を補強した通路のみ通れるようにしています。ところが最近になって作業場や教会内で声が聞こえると言い出す者が増えて、怪談話の様に言われていますし、一部の者は精霊の嘆きだと騒ぐ方もいます」
「あらあら~、怪談話ですか~。古い建物に付き物なネタですね~」
「さすがメリルですね。その一言で済ませるとは……。しかし調査を求められても、確かめようも無いのですよ。教会内の調査では原因が分かりませんでした。王室の協力も必要かと思いましたが、王室とは利害が絡む事もあります。そこで学園都市にある大学の方でも調べてくれないか考えたのですが、あの変わり者の教授を呼ぶと発掘期間が長くなる事が決まりますしね」
「変わり者ですか?」
「ええ、気難しい方です。私も古代史が専門ですから話をしてみると奥が深くて楽しかったです。ですが、仕事以外だと話しかけづらいでしょうね。常に本を手にしておられますし。ですが、わかったこともあります。教会に伝わっている王国の歴史を知る私と教授が持っている知識ではかなりのズレがあることがわかりました」
「ズレですか?」
メリルは考え込んだ。どんなズレだろうかと……。
「詳しい事は抜きにして、結論から言いますと意図的に改ざんされている可能性が高いということです。この場合はどっちがとはわかりませんが」
「あらあら~、私にはさっぱりわかりませんわ~」
「申し訳ありません。自分の得意分野だと語りたくなってしまうのが研究者でして」
「うふふ、そうですね。話を戻しましょう。カイル様の言う利害というのは神霊教会の活動の事を差しているのでしょう? 薬の調合や販売もしていますし、学校の無い街や村で開いている巡礼司祭による学校など、確かに純粋な宗教団体とは言われないでしょうね」
メリルの言葉にカイルは頷いた。
「その通りです。それにしても本当に声の主を確かめるすべは無いでしょうか。困っているのですよ」
メリルは穏やかで熱心な学者肌の司祭が気の毒に思えた。
彼女は少し考えてレイメルにいる若い精霊師の二人を思い出した。彼らならカイルの話に付き合ってくれそうだ。
「カイル様、国ではなく教団でもない組織が有りますよ」
「本当ですか!」
「ええ、精霊師協会なら受けてくれると思います」
「それはどんな組織ですか?」
カイルは藁にもすがる思いだった。
「精霊師協会はアンキセス様が会長となって始まった組織で――」
メリルは精霊師協会について説明した。
レイメルでは精霊師協会とは綿密に連携をとっているが、他の都市では仲が悪いこともある。一番多いのはお互いが関わることが無い。
この司祭のように。
「――という組織です」
「分かりました。依頼を出しましょう」
「それなら私の方で依頼を出します。私からなら依頼が通りやすいと思われますから」
「ではお願い致します。それと帰りはどうされますか?」
「フォルモント市を経由して帰る予定ですわ」
「わかりました。飛行船の手配をします」
カイルはそう言って近くに神父を呼んで段取りを始めた。
しばらくしてカイルはヴェルヌイユ島からフォルモントまでの船便の出発時間と、フォルモントからレイメルへの飛行船の出発時間に余裕がある事をメリルに伝えた。
「この島で名物のオムレツを食べてから、フォルモント市内で少しゆっくりされてから帰られたら良いでしょう」
この司祭は妙に細かい処で気が回るのだ。遠方から報告に来た彼女を気遣って、出発時間に余裕のある飛行船の予約をしたのだろう。
それを察したメリルは、いつもの穏やかな笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます。では失礼しますわ~」
教会の大きな扉から外に出て、振り返ったメリルは呟いた。
「いつ見ても荘厳ですね~。さすが、精霊王が舞い降りた海の修道院ですね」
しばらく教会を見つめた後にメリルは大通りと呼ばれてはいるが、細く長い下り坂を船着き場近くまで下って行った。
船便が出る時刻まで、近くのオムレツの店で食事が出来そうだ。
「あらあら~、この店に入るのは久しぶりですね~」
かつてこの島の教会で修道女になる修行をしていたメリルは、一度だけ余りの辛さに教会を抜け出したことがある。その時、呆然と街を歩いていた彼女を店に連れてきた女店主は、ただ黙ってオムレツを食べさせてくれた。
「嬉しいですわ。今なら……、今なら胸を張って入れますわ」
メリルは古い店の扉をそっと、でも迷わずに開けた。
海に面したレアンス地方は港湾都市が多く、貿易で利益を得ている地方だ。もちろんその貿易に関するトラブルも多く、警察だけでは手が回らないため軍も取り締まりに協力をしている。そしてその港湾都市の一つ、霧が多く発生し、三日月形の港を持っている『月の都』と呼ばれるフォルモント市では現在、行政関係者が『祭り』と呼んでいる行事が行われている。
「皆さまの清き一票をよろしくお願いします」
そう、選挙という祭りである。
メリルは声が聞こえる方に目を向けると、二十代前半の若い女性が街頭で有権者と握手をしていた。見ていると子供とも握手している。
この国の被選挙権は二十歳からである。ちなみに投票は十五歳から出来る。
「あらあら、熱心ですね。彼女ならこの街を任せても良いと思えますね。もちろん政策次第ですが……」
人柄と共に政策も重要である。政治家は勢いだけで選んではいけない、とメリルは痛いほど理解していた。
突如この空間を破壊する様な、男のしゃがれただみ声が響き渡った。
「まずは皆さんが納める税金を安くするで~。そうすれば工場を誘致しやすくなぁる。工場が来れば働く場が増える、失業や経済対策には抜群にいいんですよ~。そうなりゃ、我々庶民の財布も潤うはずで~。そしてこの街も結局、潤うことになるんですよ~。皆さんの街の為に、皆さんの清き一位票をよろしくお願いいたしますよ~」
見れば六十代だろうか、特徴的な四角い顔をした男性がワイン樽の上で演説していた。
メリルの目に険呑な光が宿った。
「あらあら~、あの方はまだ懲りてなかったのですね~。もう二度と会うことは無いと思っていたのに……。がっかりだわ~」
彼女は大声で演説しているこの男の顔に、見覚えがあったのだ。
彼の名はチュダック・リュイソー。レイメルでは『ムッシュ・チュダック』と呼ばれていた。大臣の座を狙う事業家にして政治家でもある。彼はレイメル市とは因縁の深い人物である。
彼は過去に解任運動によりレイメルの市長の座を追われた経緯がある。それは隣国ブラスバンド帝国との戦争前の話だ。
メリルは当時、神霊教会本部に在籍していたが、応援でレイメルには一時的に赴任することが多かった。そこでチュダックの政策の実体を知ることになる。
そしてマッシュが市長を務めると同時にレイメルに赴任し、教会と精霊師と国の三者の協力を得て、レイメル市の復興を成し遂げた。
そして今のレイメル市に至る。
チュダックの演説を遠目に見ているメリルはその当時のマッシュの政治手腕を思い出すと同時に、レイメルの復興の苦労も思い出していた。
「あの時は大変でしたね~」
演説はまだ続く……。
「市民の皆さんが自分に出来る事をすればですね~。役人の数を減らして税金は安くなるで~。それと商売の売り上げに対しての税金を減らして給料を上げてもらいましょうよ~。給料が上がれば景気が良くなりますで~」
内容はとても市民受けが良いが落ち着いて考えれば、結果的に市民の負担が増える様な政策だ。そう、市民は過大な自己責任という負担がさらに発生するのだ。
「あらあら~、本当に変わっていませんね~。これはエアちゃん達の仕事が増えそうですね~」
メリルはレイメルに居る精霊師のエアとユウに教会の依頼を紹介するつもりだった。ところがチュダックがこの街に居るとなると、余分な仕事が増えそうだと彼女は察していた。
露骨に嫌そうな顔をしていたメリルだが、ふとチュダックの後ろに立っている男に目が止まった。
「おや、あの方は誰でしょうかね~」
髪は茶色、にこやかな顔をしているが黒い瞳は油断なく周囲を観察している。メリルにはその男が危険な生き物に思えた。
彼女には暗い過去がある。その両手を犯罪に染めた辛い記憶がある。しかしそれ故に、自分と同じ世界に身を置いた人間を嗅ぎわけることが出来た。
「あの方、秘書だと思いますが只者ではなさそうですわね~」
メリルはそう呟いて、飛行場に向かった。
その頃、王国の東に位置するレイメル郊外に有る保養所近くに有る林の湖のほとり。そこにはレイメルの守護精霊師である二人の人影があった。
「デボスさん。レイメルの皆やデボスさんが助けた村の人も来てくれるから寂しくないよね」
紫の瞳を石碑に向けた少女、エア・オクルスは寂しげな表情を浮かべた。 青銀の長い髪が風に揺られている彼女のギルド名は『紫銀の精霊師』である。
「彼は真剣に自分の人生に向き合った。最後に見た彼の顔は幸せそうだった」
黒曜石の様な瞳と黒髪をした青年の名はユウ・スミズ。彼は『桜花の精霊師』とギルド名が付けられた。
エアが見つめる石碑の下には『悲嘆の魔石師』と呼ばれるデボス・エンデュラが眠っている。
彼は一週間前に起きたレイメルでの市街戦で二人と共に戦い、その命を落とした。悲劇の半生を送ったデボスの人生に大きく関わったエアは、父親の様に彼を慕っていたのである。
ユウも又、自分の親友が殺された事件にデボスが関わっており、その真実に衝撃を受けたが彼を憎めずにいた。それどころか彼の人生に深く同情し、最後に黒銀の龍に対して見せた覚悟の死にも共感しており、デボスという人間を認めざるを得なかった。
秋の気配を感じる風は冷たくなり、二人の身体を撫でつけた。
「少し寒くなって来たな。エレナの店で暖かい物でも食べようか」
ユウは彼女の小さな背中に手を当てて促した。デボスが死んでから、エアの食欲は落ちていた。その事をユウは気に留めていたのである。
「そうだね。街の片付けもほとんど終わったから、また仕事の依頼を受けなくちゃ。その為には何でも食べて元気を出さなきゃね」
ユウを見上げたエアはぎこちない笑みを浮かべた。
★作者後書き
読んで頂いている皆様、本当に感謝しております。
やっと『潜竜の精霊師編』を開始する事が出来ました。
気が付けば連載を開始して一年となり、気持ちを新たに新編を連載していきたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
★次回出演者控室
マッシュ 「はぁ。チュダック殿が現れるとは……。頭が痛い」
メリル 「あらあら~。相変わらずバカでしたのよ~」
エア 「前の市長さんって、嫌な人だったのね」
ユウ 「メリル、ちゃっかり新しい仕事を持って帰ってきたな」
メリル 「だってカイル様が気の毒だもの~」
グラッグ 「俺からも二人に頼むぜ」
エア・ユウ「えーっ! 面倒な――」
レティ 「二人とも文句言わないで働け!」