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紫銀の精霊師  作者: 金指 龍希
悲嘆の魔石師編 
39/87

外伝1 ミモザアカシア(前篇)

 教会の朝は早い。

 メリルは大きな木製の扉の前で黒い修道服を整え、柔らかな春の空気を大きく息を吸い込み背筋を伸ばした。

 彼女はトルネリア王国の東部に位置する、レイメル市にある精霊教会に配属されている修道女だ。年齢は40歳を過ぎているだろうか。ふっくらとした体型は愛嬌を感じさせ、慈愛に満ちた茶色の瞳をしている。

 レイメルの住人達で彼女を知らぬ者はいない。この街で唯一の白魔法による治療を施せる存在であると共に、酒場で深酒をして酩酊をした者達から遠慮なく治療費として金を巻き上げる事で有名だ。酔っぱらい達からは『財布の死神』とまで言われている。

 彼女が疎まれずにこの街に居られるのは、子供の治療費は一切受け取らず、また誰の治療であっても献身的に行っているからだ。集めた金銭も孤児達の学費等を援助する為に精霊教会の養護院へ送金している事を皆が知っていたからである。

「皆様、お早うございます」

 メリルは一礼をして誰も居ない礼拝堂に足を踏み入れた。彼女の挨拶は十二本の大理石の柱に彫られた見事な『始祖十二神霊』の像と、ステンドグラスを通した朝日を浴びた精霊王の像に向けられたものだ。

 春の爽やかな朝の空気に包まれて、メリルは精霊王に朝の祈りを捧げた。

「今日も皆が健やかに暮せますように。王の御加護をお与えください」

(さて、広場の王様にも御挨拶しなくちゃね)

 彼女は街の中心にある噴水広場に行く為に教会を出た。




 そして市公舎の裏には、市長のマッシュ・グランドールが住んでいる公邸がある。元々、城塞都市であったレイメルには古い領主の城があったが、戦争で破壊されてしまった。しかし、新しく復興したレイメルでは再び城が建造される事はなかった。

 それは焼け野原になった街をどの様に再建するかと住民達が話し合っていた時の事である。自己の利益を主張し合い、激しく言い合う住人達の話を黙って聞いていたマッシュは突然立ち上がり、

「新しい街には、支配の象徴である城は造りません。私は住むに困らない程度の屋敷で十分だと思っています。皆さんも自分の意見が有りましょうが、新しい未来を子供達に託すために発想を変えませんか?」

 マッシュは以前の街の図面を破り捨て、住民の代表達に言い放った。それまでお互いの主張を譲らずに言い合っていた住民達は、領主のくせに城はいらぬと言うマッシュの言葉に俯いて沈黙をした。

 そしてマッシュはその言葉通り、貴族らしからぬ小さな屋敷で生活しているのであった。

「今日も良い朝ですね。さて、朝食の時間まで街を散策に行ってきます」

「朝食はいつもの様に公舎に用意させておきます」

 マッシュが早朝から仕事を始める事を知っている若い秘書官は、彼の朝食を市公舎の三階にある市長室に届けておくのだ。

 早朝に行う市長の市内視察。

それはマッシュの日課であったが、若い秘書官は別の目的も有る事を知っていた。それは街の住人の誰もが知っている事であったが……、そう思っていないのは当のマッシュだけであった。

「ああ、ありがとう。王都へ送る書類が未完成だからね」

 若い秘書官に声をかけた後、マッシュは街へふらりと、しかし確かな目的を持って出かけて行った。




 メリルは花の香りが漂う空気を思い切り吸い込んだ。『花の天空都市』と呼ばれるレイメルの街は、住人達の努力により咲き誇った花に包まれていた。

(こんなに穏やかな日々が来るとは思わなかった。)

 空は雲一つ無く青い。澄み切った青さを目にすると、自分の心まで透明に澄んでくるような気がする。それは彼女にとって心地良いものだが、一つだけ困った事があった。

 自分の本心がむき出しになり、嫌でもそれを認めざるを得ない自分が現れてしまう。それは彼女にとって非常に恐れていることであった。

(ミモザアカシア……。今年も綺麗に咲いてくれたわね……)

 別名は『ふさアカシア』と呼ばれ、小さな黄色い花が集まって咲き、房状に垂れ下がる。この木は育つと15メートルほどの高さになる。

(青い空。それに黄色の花と艶やかな緑の葉……。とても鮮やかね)

 レイメルの大通りには、他の街に有りがちな街路樹は全く無い。この大通りには秘密がある。この街を攻めてきた敵を封じ込める様に設計されているのだ。その為、見通しの悪くなる背の高い木を植える事は許されていない。 唯一、教会の入り口に植えられた一本のミモザアカシアを除いては……。

 このミモザアカシアは街の住人達がメリルに感謝の気持ちを込めて贈ったものだ。この街で治癒魔法を施せるのは彼女一人である。昼夜を問わず病人がいると呼ばれれば駆け付ける彼女に対して、街の住人達が礼をしたいと申し出た時、彼女はこの木を植える事を望んだのである。

(この黄色い花は誓いの証。私は忘れていないわ……)

 透明に澄んで無防備になってしまう自分の心を引き締めようと、メリルは黄色の花に包まれた木を見上げた。

 ミモザアカシアに彼女が何を誓ったのか、それは彼女だけの『秘密』であった。




 マッシュは市公舎の一階を通り抜け、朝の陽ざしを受けて輝く石畳の大通りに出た。

「市長、お早うございます」

「お早うございます。今日も良い天気ですね」

 すれ違う住人と交わす挨拶も彼の楽しみの一つだ。住人達も気取らない彼に親しみを持って声を掛けてくる。

「市長、シスター・メリルなら広場の噴水へ行かれましたよ」

「ほら、早く行かないとシスターの朝の祈りが終わってしまいますわ」

「視察なんて何時でも良いじゃないですか。頑張って下さいね、市長」

 にっこりと笑いながら話し掛けてきた中年女性達の冷やかしに、

「は、はぁ……。ありがとうございます」

 マッシュは意味が良く分からないと思いつつ、曖昧な返事を返した。

(何を頑張るのであろうか……)

 などと真剣に考えてしまう彼の真面目さは長所である。そして毎朝、自分がメリルと挨拶を必ず交わしてから市公舎に戻ることを、住民達が気付いているとは思わない鈍感さも彼の良さかも知れない。




 広場の噴水の中央には、長い髭を生やし、ローブを纏った精霊王の像が二枚羽の妖精を従えて立っている。その像の見つめる先には、静かに佇んだメリルが朝の祈りを捧げていた。

「お早う。メリル」

 彼女が祈りを捧げ終わるのを待って、マッシュはおもむろに声をかけた。

「あらあら~。お早う、マッシュ」

(あぁ、今日も一日が始まるのだ)

 と彼女の穏やかな笑顔と声を聞いてマッシュは思った。『良い歳をして』と他人には言われるかも知れない。当然、愛すれば愛されたい。しかし、例え愛されなくても自分は彼女に対して誠実でありたいのだ。

 実際、女王に勧められた結婚話を断った時ですら、彼はその理由を明らかにしなかった。おかげで女王の怒りは頂点に達し、アンキセスのとりなしが無ければ大変な事になっていたかも知れない。彼女に恋をしていると言えば、身分の低い彼女に迷惑が掛かるのを恐れ、彼は口を閉ざしたのだ。

 いつでも触れられるほど近い距離に居るのに、決して触れられない相手。

 このやるせない気持ちは、口には出せない彼だけの『秘密』であった。




 マッシュに心からの笑顔を見せてから、メリルは空を見上げた。

「こんなよく晴れた春の朝は、初めて貴方の屋敷で迎えた朝を思い出しますわ」

 マッシュは空を見上げながら苦笑した。

「君に襲われた時の事だったね。あの衝撃は忘れられませんよ」

 メリルは修道服の裾を器用に操り、噴水のほとりに腰掛けた。

「あらあら~、忘れてくださっても構いませんのに」

 屈託もない笑顔を見せるメリルの横にマッシュは腰掛け、

「君は二十歳ぐらいだったかな。ヤマネコのように戦う女性は初めて見たよ」

 青い空に目を瞬かせる。そして彼女の横で、やるせない気持ちに浸ってみる。

「あらあら~、ヤマネコなんて……。でも、それまでの私は人間では無かったのも事実ですから」

 メリルは透き通った心の底に眠っていた記憶を青い空に映し出した。




――四十数年前。王国の首都・アンボワーズ郊外――

 私は生まれた。

 誰が父親なのか私は知らない。

 母の顔もよく覚えていない。

 父は母の妊娠が分かった途端、何処かへ逃げてしまったらしい。

 最初こそ、母は男が戻ってくるかもと思いながら私を育てていたが、次第に育児が重荷になっていった様だ。

 生活苦のせいなのか、それとも独り身の寂しさのせいなのか、結婚も出来ずに生んだ私を疎ましく思うようになったのだ。

 虐待。

 そんな言葉一つで片付けられるのは今でも納得がいかない。

 自分が望まない状況に身を置いている憤りを言葉や暴力、無視をすることで身近にいる非力な子供に押し付けているだけなのだが、母はそれを認めなかった。

 見かねた近所の人が注意しても「しつけ」と言い張り、聞く耳を持たなかった。

 命があっても息をしているだけで、心は死んでいる。いや、殺されたのと変わらない。

 私は息をしている事すら意識できない状況だった。『息をしている』と実感が出来るという事は、『生きている』と思えたはずだからだ。

 ところが、やがて母も私を置き去りにして姿を消してしまった。

 母が居なくなった時、私の中で「愛されたい」という思いは絶望に変わった。子供であった私にとって、すがる相手は母しか居なかったのに。

 母が私にどんな名前を付けたのか記憶に無い。母は私を名前で呼んだことが無かったからだ。

 私の心に虚無で埋め尽くされている闇の穴が生まれた。




――その数年後――

 スラム街の片隅で、数人の仲間と暮らしていた。

 途方に暮れていた幼い私を、少し年上の男の子が仲間に入れてくれたのだ。

 当然、家なんて無い。

 廃屋や橋の下、細い路地。そこが寝床だった。

 寒い夜には皆で身を寄せ合って過ごした。

 時には野犬に襲われたり、心のすさんだ大人が私達に暴力を振ることもあった。

 食べるものが無くて、あまりの空腹のために眠れない事もよくあった。

 浮浪児狩りの役人に捕まれば施設に入れられる。

 施設と言えば聞こえは良いが、寝床と最低限の食べ物が与えられるだけだ。外出の自由はなく、ろくな教育も仕事も与えられない。工場で働かされ、安い労働力として扱われるだけだ。

 今度は親ではなく、社会から虐待されるのだ。

 厳しい生活だったが、似たような境遇の仲間と励まし合って生きているほうがよほど人間らしいと思えた。

 ところがある日、その生活は突然終わりを迎えた。四、五人の男達に囲まれ、打ちのめされたのだ。

「痩せこけたガキだな」

「使い物になるのか」

 粗野な男達がひそひそ話している。

「どうせ行くところが無いんだ。使えなきゃ死ぬだけだ」

一人の男は足元に蹲っている子供達に目をやった。




 その後、何処へ連れて行かれたのか自分でも分からない。手足を縛られ、目隠しもされて馬車に乗せられたからだ。

 着いた先は陰気くさい、大きな洞窟の中だった。驚いたのは自分と同じ年頃の子供たちが大勢いたことだった。

 皆、孤児ばかりだった。

 ろくに日も差さない洞窟での生活は、暗闇の中でも動けるようにするための様だった。

 格闘技、ナイフの使い方、鍵の開け方、財布を気付かれずにスリ取る技術。

外に出られるのは訓練と実戦の時だけ。

 馬車に乗せられて実戦に連れて行かれた仲間は帰ってこない者もいた。

 使い物にならないと判断された者はどうなったのか。

男は奴隷に、女は売春宿に売られ、訓練で怪我をして障害を負った者は殺されてしまった。

 肩を寄せ合って生き抜いた仲間も一人、二人と減っていく。

 だが、私は生き残った。いや、生き抜いた。そして命じられるままに悪事を重ねた。

 抵抗感は全く無かった。事の善悪を教えられた事が無かったからだろう。路地で生活していた時、生きる為には食べ物などを盗む生活をしていたからかも知れない。

 私の心の『闇の穴』は、自分の感情すらも飲み込んで消し去っていく様に思えた。




 その洞窟内では、私は番号で呼ばれていた。仲間も同様だ。

 同じ場所で捕まった仲間のうち、生き残っていたのは私ともう一人。少捕まる前から優しく私に接してくれていた彼は、今どうしているのだろうか。

 洞窟の中では、いつも寄り添って二人で座っていた。彼が仕事に行けば、無事に帰ってくることを祈った。そう、何の信仰も持っていなかった自分が祈っていたのだ。自分は何を信じていたのだろうか。それは今でも分からない。

 彼は洞窟の中で空が見える小さな穴を見つけた。夜が更けると二人でその穴から星を見た。切り取られた小さな夜空を見る時だけが、二人に与えられた自由な時間だった。

 しかし、二人で過ごす時間も、唐突に終わりを迎えた。

 ある日、馬車で連れて行かれた彼は戻って来なかった。

 私は監視の男達に詰め寄った。

「彼はどうなったのだ!」

 返事をせずに笑っている男達に対して、私は怒りにまかせて飛び掛かった。

 一人対大勢の男達。勝てる筈がなかった。

「そんなにあの男に会いたければ、この仕事を成功させるんだな」

 そして、人を殺してくるように命じられた。

「まぁ、それでも簡単に会えないけどな」

次の仕事が終われば自由にしてやると言われて。

 狙う相手は精霊師協会の会長、アンキセスだと指示された。

 私は血のように赤い夕暮の下、首都に向かう馬車に乗って洞窟を後にした。


★作者後書き

 やっと外伝を書く事が出来ました。最初は五千文字程の構想でしたが、メリルの過去とマッシュの想いを綴っていくうちに三倍ほどになりました。

 三話構成で連載したいと思っております。


★次回出演者控室

メリル 「皆、若かったのよね~」

マッシュ「そう言えばリゲルは昔からスキンヘッドでしたね」

メリル 「若ハゲではなかったのですか~」

マッシュ「違うと思うんですが……」

リゲル 「おめぇら、聞こえてるぞ」

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