第七章 悲嘆の魔石師 その四
「母さん、新しいのを店から持ってきてよ」
トッドは丁度良い機会だと思い付き、店の商品を試すことにした。大通りに面したレイメルの一般住宅は全て二階建ての為、いざという時は住宅の屋上に板を渡して自由に移動出来るようになっている。トッドは第二街区の住宅の上を、魔法を放ちながら転戦していたが広場の近くまで来た時、噴水前を横切る黒い邪妖精達の姿が視界に入った。
「えっ? 今のは妖精?」
トッドは目を凝らした。
すると邪妖精の群れの後をデボスとリゲルが必死に追っているのが見えた。
邪妖精達は鉱夫達を跳ね飛ばしながら商店街へと進む。
「うおっ!」
「いてぇっ!」
突き飛ばされた鉱夫達が思わず叫ぶと、グラッグが叱り飛ばした。
「泣き言を言うな! 今のはよけれたやろ! ボーナスカットだ! くらった奴、酒禁止だ!!」
その言葉を聞いた途端、倒れた鉱夫達はシャキッと立ち上がった。
「急いでエアとユウの兄貴を探さなくっちゃ!」
トッドは二人の姿を探し求めた。
その頃、エアとユウも大通りを転戦していた。意外と数が多く、敵の数は三百人近いと思われた。
「数が多いぞ、どれだけいるんだ!」
トッド製作の手袋をはめ、双剣を握るユウの手が汗ばんでいる。
「ぜ~ったい、市長は敵の数を間違えているって!」
浜菊を持つエアの腕は重たくなってきた。
二人の声に疲れの色が滲んだが、大通りに面した住宅から、
「ちょい姫―っ、頑張れー!」
「だれがちょい姫よーっ!!」
思わずエアが反応した。
「ユウ、頑張れよー!」
「二人とも、応援してるぞーっ!」
住民の声援が飛ぶ。
「またちょい姫って言ったぁ。もういいよ、ちょい姫で」
とエアが愚痴って戦っていると、屋根の上から声が聞こえてきた。
「エア、ユウの兄貴! 大丈夫かい!」
「トッドか? 俺達は無事だ! おまえ、怪我はないか?」
転戦をしているトッドを気遣った。
「さっき、大きな黒い妖精を追ってデボスさんとリゲルが商店街に向かって行ったぞ!」
「えっ!」
その言葉を聞いた二人の表情は硬くなった。覚悟はしていたが邪妖精が現れた、しかしデボスが邪妖精の後を追う展開は予想してはいなかった。嫌な予感に全身から噴き出す汗を感じた。
「兄貴、頼む。行ってくれ!」
商店街の方に指を向けるトッドに、
「トッドも気を付けてね。怪我をしないでね」
「商店街へ行くぞ、エア」
動揺しているエアを連れてユウは商店街に向かって走り出した。
「独りで戦うなよ。独りで戦ったら死ぬぞ。俺は誰も死なせたくない」
「うん、二人で戦うんだよね」
エアは覚悟を決めて頷いた。
「……ねえ、ユウなんか変だよ。飛行船の襲撃は失敗したでしょ。これ以上粘っても成功しないと思うのよ」
「そうだな、数の多さに誤魔化されている気がする。他に狙いがあるのか?」
「飛行船その物じゃなくて?」
「商店街? 工房の入り口か? そう言えば設計図があったはずだ!」
その時、小さな爆発音が商店街に響いた。
工房へ続く民家の鋼鉄戸は無残にも吹き飛ばされていた。兵士も一緒に飛ばされたらしく気絶している。エアは二人の兵士を助け起こすと簡単な治癒魔法を唱えた。
「良かった、殺されなくって。動けるようになったら市長へ連絡して、お願い」
ユウは吹き飛ばされて『くの字』型に、ぐにゃりと曲がった扉に目をやった。
「何て力だ。邪妖精の奴が体当たりをしたのか……。先を急ぐぞ。エア、覚悟はいいか?」
「大丈夫。敵が誰であっても負けない。そして自分にも負けない」
エアはリゲルの造った浜菊を握りしめた。
(そう、浜菊の花言葉は『逆境に負けない』だったよね……)
「行くぞ」
「うん!」
走り出したユウの後を追ってエアは駆け出した。
二人が迷路を抜けると、既に工房には火の手が上がっていた。
其処には炎を背にして立っている男の姿と大きな翼の生えた黒い魔物の姿があった。
「狙うなら私だけを狙いなさい! 他の人間に手を出すな!」
そう叫ぶデボスの足元にはリゲルが呻き声を立てながらしゃがみ込んでいた。
「リゲル! 怪我をしたの!」
エアは急いでリゲルの傍に駆け寄ると、左肩を押さえる右手の指の間から赤い血が流れ落ちる。
「急がなくちゃ」
エアは慌てて治癒魔法を唱え始める。
「エア! 治療を急げ! 邪妖精、お前の相手は俺だ!」
ユウは双剣を抜き放ち、デボスと邪妖精の間に立ち塞がった。
デボスはユウの隣に静かに佇んだ。
「私も戦います。いえ、私の戦いなんです。勝てないまでも、負けたくない。もう逃げたくないんです」
七年前、グラセルの火の海から逃げたことが全ての始まりだった。
(なぁ、エドラド。君の娘を守って死ねるなら、僕が今まで生き延びた意味があると思わないか……。アンヌ、君もそう思わないか)
心の中で亡き親友と妻に呼びかけ、デボスは両腕を突き出した。
炎に照らされた白銀の髪と赤い瞳は妖しく輝いている。突き出した両腕には腕輪型の魔道機が金色に輝いていた。
「やめろ! デボス! 精霊力を使い果たしたら死んじまうぞ!」
エアの治療で止血が終わったリゲルが血相を変えて叫ぶ。
「ええーっ! やめて、デボスさん! 私達が戦うからーっ!」
リゲルの言葉に驚いた青ざめたエアが思わず叫んだ。
しかし、その言葉にデボスは思わず微笑んでいた。
(僕は幸せだよ。アンヌ……)
目の前の邪妖精はとても大きく、禍々しい黒いオーラを発している。でも不思議とデボスは恐怖を感じなかった。
そして想いを込めて呟く。
「今までの人生に決着を……」
デボスの胸に埋め込まれたバイオエレメントが激しく振動する。彼の周囲の空気は歪みだし気流を生み出し、その乱れた気流によってデボスの銀の髪は吹き上げられた。
「あ……、赤い髪……」
驚くエアの瞳には、かつて幼い頃に見た赤い髪がたなびいていた。
「炎の精霊力が多量に取り込まれて、髪が赤く染まるのか……」
最後まで赤い髪の謎が解けなかったが、その変化を目の当たりにしたユウは誰が聞くともなく呟いていた。
燃え上がる工房のから炎の精霊力を奪い、バイオエレメントによって体内でその力を増幅させたデボスの髪は真っ赤に変化していた。
「うおぉぉぉぉぉっ!」
デボスの突き出した両腕から赤い炎が飛び出した。
「生意気な裏切り者め! 心臓を寄こせ!」
ノワールと呼ばれる邪妖精は唸り声を上げ、鋭い爪を輝かせてデボスに飛び掛かった。周囲で様子を窺っていた小さな邪妖精たちも一斉に襲い掛かる。
「危ない! 舞い踊れ! 大鳳!」
ユウが自分の妖精の名を叫ぶと、双剣から炎に包まれた鳥が飛び出した。
大鳳と呼ばれた妖精は赤い防御壁を張り巡らせた。小さな邪妖精達は跳ね返され、中に入ることが出来ない。その隙に、デボスが放った炎が縄のようにノワールの身体に巻き付いた。
「誰も殺させない!」
デボスは渾身の力を振り絞った。
「ぼーっとしている場合じゃない。私も! アンディ!」
エアの呼び声に応え、ピアスから青い魚の妖精が飛び出した。
「アンディ! 雑魚を打ち払っちゃって!」
アンディは身を翻し、水流刃を放ってザコ邪妖精を蹴散らした。
黒曜石の鏡はビリビリと小さく振動している。
「これがバイオエレメントの力なのか!」
ビアーネは鏡と共振している杖を両手で支えながら呻いた。
「あれは未完成なのに、威力は大したものですね」
必死で杖を握り締めているビアーネを見ながらモールは唇を噛んだ。
「ビアーネ。もう少し頑張ってください。彼のバイオエレメントは未完成品。負荷が掛かり続ければ壊れると思います。あと工房の金庫の中に飛行船の図面がある筈、妖精達にそれを探させて下さい」
モールは冷静にビアーネに話しかけた。
(その情報は何処で手に入れたんだ。モール……、俺達に何を隠しているんだ?)
マークは静かに二人の会話に聞き耳を立てていた。
「承知しましたわ。私の妖精達、金庫を奪いなさい。ノワール、私の力を分けてあげるわ。暴れなさい! 私の心のままに!」
ビアーネは強く杖を握り締めた。
ユウが双剣を構え、その隣でエアは杖を両手で構える。
「聞いているんだろう! 邪霊師! お前が使っている杖は……、それは俺の親友の物だ! 温和を意味する杖、メディニラはお前の物じゃない、必ず返してもらうぞ!」
それはエアにとって初めて見聞きする、怒れるユウの顔であり怒声であった。
「ふざけるな、二枚羽! これはモールがくれた私の杖だ! 誰にも渡さない!」
ビアーネが怒りの声を上げると共に、ノワールは大きく身をよじった。鋭い爪を持った腕を振り回し、デボスの炎の縄を振り解こうともがき苦しんでいる。
「ううっ! もっと精霊力を強めなければ……」
デボスの額に汗が浮かぶ。
「うおぉぉぉぉぉぉっ!」
デボスが獣の様に叫ぶと、今まで見た事が無い大きな炎が生み出された。
「熱いっ! あ、ピアスが!」
エアの危険を感知したピアスは、透明な青い水の防御壁を造り出して二人を守った。
「さすがトッド。助かった~」
しかし、エアが安堵したのも束の間、
「うううっ!」
デボスが急に胸を押さえて呻き声を上げた。
バイオエレメントが限界を迎えたのだ。
「あと……、もう少しなのに……」
多量の精霊力を取り込み、増幅し続けた結果であった。デボスにとって承知していたことであったが、思ったより早く埋め込まれた魔石が砕けたのである。
「愚か者め! 死ね!」
デボスが崩れ落ちた隙に、ノワールは炎の鎖を振りほどいて鋭い爪を彼に突き立てようとした。
「危ない! 大鳳、貫け!」
ユウに突き飛ばされたデボスをリゲルが受け止める。そして再び空を舞った炎の鳥はノワールの身体の真ん中を突き破った。
「そこの黒髪の男、邪魔をするなぁっ!」
鏡の向こうでビアーネは叫んだ。その叫びと共にノワールは両腕を突き上げた。
天に延ばされた黒い両腕は周囲に居た小さな邪妖精を捕まえる。そしておもむろに口の中に押し込んだ。次から次へと……。
「ぐうおぉぉぉぉぉっ!」
悲鳴にも似た叫びを上げながら悶え苦しむノワールの姿は、更に急激に大きくなっていく。二本の角は捻じれながら大きくなり、翼は大きく広がり、身体は黒銀の鱗に覆われ、伸びた首の先に真っ赤な口と鋭い牙が輝いていた。
「ドラゴン……なの?」
エアは目を見張った。しかしその頭にはグラッグから聞いた昔話を思い浮かべていた。
(妹姫の黒い龍……みたい……)
まさしくその姿はドラゴンであった。燃え尽きようとしている工房よりも大きく、月の無い夜空よりも漆黒で、鱗の輝きは黒真珠を散りばめた様な輝きを放っていた。
「エア、光の妖精を呼び出せ! お前に俺の精霊力を送ろう」
「うん、とにかく盾魔法を出さなくちゃ」
エアを庇っていたユウは、彼女の肩を抱えて後ろに立った。
エアが両手で高く掲げた杖に、ユウは彼女の肩越しに双剣を重ね合わせる。
「我らは二枚の羽を持つ者、杖を持ちて邪を払い、盾にて民を守る者。光の精霊よ、禍々しき黒き力を打ち砕き、輝けし希望を与えたまえ。出でよ、リュ―ル・フェルー!」
エアの祝詞の後にユウも続いた。
「我らは光を求める者。我らの力を使いて輝かしき心を現し、悪しき力を打ち消せ!」
二人の魔道機、浜菊と寒緋桜から白い光が生み出され始めた。
二人は心から願いながら叫んだ。二人の精霊力が合わされば、かつてアンキセスが精霊を召喚した様に、妖精ですら精霊の様な強い力を持って現れるかもしれない。
エアの杖から放たれた光に重ねたユウの双剣から白い花びらの様な光が混じり合い二人を取り巻き大きくなっていく。二人の前に白金に輝く女性の姿が現れた。エアの召喚した光の妖精、リュ―ル・フェルーである。彼女は両手を大きく広げ、光の珠を生み出し、二人を盾魔法で包み込んだ。
その時、魔石合成の小屋に燃え移った炎が大きな爆発を引き起こした。小屋の中に残されていた精霊石が炸裂する音の中でノワールの雄たけびが響く。
「ぐうおおおぉっ!」
ノワールが放つ真っ黒な煙は二人を包み込み息を止めようと襲い掛かるが、エア達の光魔法はそれに負けまいと膨れ上がって黒煙を弾き飛ばそうとしている。
その精霊力の衝突は大きな音と風を伴い、辺りの大気を揺るがした。嵐の様な強風が吹き荒れ始めた。
「エア、集中を切らすなよ。魔法が途切れちまう。お前は俺が支える!」
エアの後ろで魔法を放ちながら彼女を身体で支えているユウの両脚は、風に押され立ち位置が少しずつ変わろうとしている。そして、支えてくれるユウの温もりを背中に感じながら、
「うん、誰も死なせたくない。だから二人で頑張ろう!」
エアも痺れてきた両手で杖を構え、盾魔法を邪龍にぶつけようと渾身の力を込めていた。
双方が放つ精霊力はさらに膨れ、辺りは黒や白に輝く光に満たされようとしていた。