第六章 詐欺師の悪夢 その一
レイメル行きの飛行船に息を切らせながら乗ったイワン・バカラは、自分の客室に入ると慌てて鍵を掛けた。
荒い息の下でイワンは小さな鞄を放り出し、狭い室内にあるベッドに寝そべった。
(三ヶ月もあれば終わると思ったのに、かなり手間取ったな……)
彼は小さな革袋から手のひらに収まる程の魔石を取り出した。彼の青い瞳には美しい紫色に輝く魔石が映っていた。それは『アメシス・ロジェ』と名付けられ、王室に献上される予定の品物であった。
(誰が欲しいのか知らないけど、約束を守ってくれれば僕には関係ないさ)
イワンは半年前に酒場での会話を思い出した。
「若様。お父上から当面の生活費を預かって来ました。今後はバカラの名前を使わないように、と怒っておられましたよ」
その四十過ぎの男は、イワンに金を届けてくれる人物だった。
「あの女が産んだ子供を跡取りにしたいから、僕を死んだ事にしたんだろうが。勝手な事を言うな、と親父に伝えてくれよ」
イワンは不貞腐れた様に、度の強い酒を飲み乾した。
「仕方ないですね。あれから六年。貴方は二十三歳になられましたし、一人前の男として私と仕事をしてみませんか?」
「嫌だね。僕はバカラ家の跡取りだ。何度言われても庶民の仕事なんてしたくないね」
目の前の男は楽しそうに笑いながら、
「それではゲームでもしましょうか? 魔石商に潜り込んで、魔石を盗んできたら若様が家に戻れるようにして差し上げますよ」
「面白そうだね。約束だぞ、モール」
「ええ、約束しますよ」
「これで僕の悪夢もやっと終わるんだね」
イワンは目の前にいる男を信じ切っていた。
バカラの名を名乗ったままなのは、横暴な父に対しての意地であった。自分からバカラの名を捨てるつもりは無い、必ず跡取りの座を取り戻すと誓っていた。その為には、例え泥棒をしても構わないと思ったのだ。これはゲームなのだと自分に言い聞かせながら……。
(モール、このゲームは僕の勝ちだよ。これで僕はバカラ家の当主になるのさ)
柔らかな金髪を片手で掻き上げ、自分でも何が面白いのか分からずに、イワンは笑っていた。
その頃、レティはエアが新しい妖精を召喚した事を喜んでいた。
「良かったわね。癒しと護りは精霊師の本分かも知れないし、それに治療を受ける度に高い寄付金をメリルに払わなくても済むしね」
レティは爽やかな笑顔を見せたが、急に真顔になり、
「でも、光の妖精はアンディの様に気安く呼べない。アンキセス様でもホシガラスは大事な時しか呼ばないわよ」
「何でかなぁ? 確かに召喚は苦労したけど……」
首を傾げているエアは、その理由の見当が付かなかった。
「ミリアリアから聞いた事が有るな。精霊師や軍隊の魔法部隊の中でも、光の妖精を召喚出来る人物は稀だと言っていた。そんなに難しいのか?」
ユウも怪訝な表情をしている。
「私は精霊師になりたかったから、魔法については勉強したのよ。まぁ、才能は無かったけどね。本に書かれていたのは、召喚に必要な精霊力が他の妖精よりも多量に必要だからと書いてあったわよ」
説明をするレティは少し得意げな表情だ。
「それとデボスさんの事は市長から聞いたわよ。驚いたけど、生きて欲しいもんね。エアが治療できるようになって本当に良かったよ。教会へ行くんでしょ?」
「うん!」
エアは嬉しそうな顔をして頷いた。
「良い笑顔だね。それじゃぁ、教会に居る依頼人にも会って話を聞いてくれる?」
「依頼人?」
ユウとエアは顔を見合わせた。
するとレティはカウンターの引き出しから書類を取り出し、ユウに差し出した。
「あなた達にやってもらいたい急ぎの仕事があるの」
「人探しか?」
ユウは受け取った書類に目を通しながらレティに尋ねた。
「依頼人は女性、名前はフェニエラ・アルムス。今日の朝、この街に着いたばかり。依頼内容は男を探すことよ。似顔絵を描いておくように頼んでおいたわ」
「分かった」
ユウは短く返事を返した。
レティは依頼の内容を詳しく説明をしない。予断を持たずに依頼人から聞いて欲しいと願っているからである。ユウもその事は承知しているため、これ以上は尋ねもしないのだ。
書類を覗き込んでいたエアは、
「依頼人は教会に居るんだよね?」
「そうよ、そこで詳しい話を聞いてね。長い金髪に琥珀の髪留めを着けているわ」
「分かった。ユウ、行こうよ」
「ああ」
「二人とも、頼んだわよ」
(だいぶ馴染んできたわね。エアのおっとりしたところがユウと相性がいいのかなぁ)
レティとしては不愛想なユウと組ませるのは心配だったが、エアは特に気にしている様子は見られなかった。結果が良ければ全て良しか、とレティは胸を撫で下ろした。
エアとユウの二人は急いで教会へ向かった。
豊穣祭を明日に控えているせいか、外に出るとさらに人が増えている。
ところが家族連れの観光客の中に、目つきが落ち着かない人物が混ざっているが目に付いた。
(なんだか変だなぁ。楽しくなさそうな人がいるし……)
祭りの浮ついた雰囲気に似合わない無い男の姿を見たエアが思わず立ち止まると、
「しっかり見るな、相手に気付かれる。それとなく気を付けるだけでいい」
ユウがエアの耳元で囁いた。エアは急に耳元で声がしたので驚いたが、何よりも心臓が躍ったのは彼の顔が近づいたからだ。
「うん」
思わず顔を伏せ、ぎごちない動きをしているエアの頬が、ほんのりと少し赤いのを見たユウは、
「大丈夫か? 風邪でも引いたのか?」
心配したユウはエアの肩に右手をかけ、左手を彼女の額に軽く添えた。
「だ、大丈夫だから、気にしないで。早く教会に行こう!」
慌てたエアは思わず駆けだした。
「おい、慌てると転ぶぞ!」
駆け出したエアの後をユウは追いかけた。
どうしてこんなに胸がドキドキするのか、心臓が口から飛び出しそうだ。嫌な感じはしない。むしろ身体がふわふわとした感じがした。優しくしてくれるユウにどう接したらいいのか分からなくて、とにかく走り出すより仕方のないエアであった。
教会に入るとメリルの姿はなく、手伝いに来ている数名の神父が忙しそうに動き回っていた。
そして中央の祭壇の前に祈りを捧げる長い金髪の女性が居た。その髪は琥珀の髪留めで束ねられていた。
「精霊王よ。どうかあの男に天罰を。具体的には死を願います」
その女性は祭壇前で物騒なことを祈っていたが、あまりの不穏さにエアの胸の高鳴りは何処かへ飛んでいった。
「ユウ、なんだか怖いお願いをしているよね」
「そうだな。でも俺が精霊王なら死を与えるのではなく、別の形で叶えると思う」
「うん、私もそう思う」
「意外とメリルなら恐ろしい天罰を与えるかもな」
「うん、でも身ぐるみ剥ぐ以外に何をするんだろうね」
二人は勝手な事を言っていたが、
「あの……、フェニエラ・アムルスさんですよね」
恐る恐る近づいたエアは、一心不乱に祈っていた女性に話し掛けた。
「はい、そうですが」
「俺達はあなたの依頼を引き受けた精霊師だ。俺はユウ・スミズ」
「同じく、エア・オクルスです」
「早速だが、詳しい話を聞かせてもらえないか?」
ユウの問い掛けに暫く沈黙していたフェニエラが重い口を開いた。
「実は探し人とは、結婚詐欺師なんです。」
「えっ? けっこんさぎーっ!」
『結婚詐欺師』という単語を聞いた瞬間、エアは叫んだ。そう、女性にとって結婚は人生の中で重大な出来事。それをエサに詐欺でもしようものなら天罰でも下れ、死んでしまえというのは本音である。
「だから不穏なお願いをしていたんですね」
「あ、聞かれちゃいましたか。お恥ずかしい」
「それでフェニエラさん。その男は?」
「すみません。その詐欺男の名はイワン・バカラ。金髪碧眼で顔はとても爽やかな感じのするイケメンなんで、すぐわかると思います。問題はその男が盗んだ品です。私は魔石商をしていますが、彼は大切な王室への献上品を盗んだのです」
フェニエラは話している間、視線はずっと下に向けたままだった。
ユウは首を傾げながらエアに真顔で尋ねた。
「おい、『イケメン』って何だ?」
思わぬ問いにエアは驚いた。
「ユウ、ハンサムでかっこいい男の人の事だよ」
「そうか……。その魔石の特徴を教えてくれ。多分、売って金に換えるはずだ」
「その魔石は『紫のバラ』と私達は呼んでいます。大きさは五センチぐらいです。詳しい配合や製造法は解りませんが炎と水の精霊石を合成した物で、形も薔薇の花の形に結晶が固まって、色はラベンダーの花と同じ色です。職人も偶然に出来た物だと言っておりました。その魔石を持った詐欺男がこのレイメルに来るとの情報を掴んだので依頼したんです」
「すまないが、イワン・バカラの人相書きをくれないか」
「分かりました」
頷いたフェニエラは小さな手提げカバンから折り畳んだ紙を取り出した。受け取ったユウが開いた紙を覗き込んだエアが、
「うわぁ、確かにイケメンだ」
「これなら、どこぞの貴族の坊っちゃんでも通用しそうだな」
エアは人相書きに見入っている。ユウも思わず感想を漏らした。
「ええ、本人はそうだと言っていました。父親の事情で追い出されたと……。まさか詐欺師だったなんて……」
「これで探すのが楽になった」
レティより年上で、しっかりしていそうな女性なのに騙されるなんて、と不思議に思ったエアは、
「どうして詐欺師と知り合うことになったのですか」
その質問に、身を固くしながらフェニエラは答えた。
「半年前に路地で倒れていた彼を助けたんです。捨て猫を拾った様な気分になったというか……。高級酒場で給仕をしていたそうですが、同僚と揉めて辞めたそうです。行く所が無いと言うので、他の使用人と供に住み込みで働いてもらうことにしたんです」
下を向いている彼女の表情は見えにくいが、抑揚の無い声は沈んでいる。
「父が支店をだす準備に追われていた為、私が本店の運営を任されていました。不安になっていた私にとって、女性のお客様に評判が良い彼の存在は、とても頼もしく思えたのです。私達は親しく接するようになりました。お互いに愛情を持っていると思っていましが……。すっかり信用してしまった私は、大金庫の開け方を教えてしまったのです……。そして、彼が、『紫のバラ』と供に消えたのが、二日前でした」
「フェニエラさん、その魔石以外に無くなった物は有るの?」
曇った硝子のように無機質な輝きを放っている彼女の瞳がエアに向けられた。
「いいえ、有りません。魔石は他にもあったのに……」
盗まれた物が一つだけという事実は、相手の目的がそれしかなかったという事だ。盗まれた事より、騙された事が彼女に衝撃を与えている事にエアは気が付いた。
彼女が加害者に何を望むのかエアは知りたかった。
「フェニエラさん。もし、その男が見つかって、あなたの目の前に現れたらどうしますか?」
「……その時になってみないとわからないけど、でも今は許せないの」
彼女の瞳に戸惑いが見える。
「そうですか……」
傷ついた心は、いつまでも『涙』と呼ばれる血を流す。その事を充分知っているエアは、どうすれば彼女の心が救われるのだろうかと考えた。しかし、エアは自分の心の傷をフェニエラに重ね合わせている事に気が付かなかった。
「メリルにフェニエラさんのことをお願いしないといけないね。フェニエラさんを見たら詐欺男が逃げちゃうかも知れないしね」
「そうだな、そのうち帰ってくるだろう」
その時、メリルがにこやかな表情で教会の扉を開けて、
「あらあら~、どうしたの? エアちゃん、ユウ」
「突然で悪いが、この人をしばらく教会で匿わせてもらえないか?」
「うふふ、良いわよ~」
メリルは直ぐに承諾したが、ユウはあまりの即答ぶりに驚いた。
「良いのかよ。理由も聞かずに」
「あらあら~、良いのよ。教会はいろんな人を受け入れる場だから」
ユウとしては、金を持っている人間が受け入れられるのだろうと思った。このメリルは聖職者らしからぬ、そう思わせてしまう普段の言動があった。子供相手の治療は無料で行うが、酔っぱらい相手だと遠慮なく金を巻き上げるからである。
(まあ、酔っぱらいの後始末を任せているんだから俺も共犯になるのか……)
ユウの目は自然と穴のあいたステンドガラスへと泳いでいた。
フェニエラがレイメルに来た理由を、必死に説明するエアから聞いて、
「あらあら~、それならフェニエラさんには病人のお世話をお願いしますね。祭りの間は忙しくて人が足りないの。お願いできるかしら?」
メリルの笑顔につられて、フェニエラもほっとした笑顔を浮かべた。
「病人の世話は未経験ですが、大丈夫でしょうか?」
「心配ありませんよ。お話し相手をして頂ければ助かりますわ」
薬の調合など忙しいメリルは、一人で過ごしているデボスの事が気になっていた。今の彼には、誰か話し相手が居た方が良いと思っていたところにフェニエラが来たのだ。
「メリル。私もデボスさんに会いたいの。彼の治療をしたくて光の妖精を召喚したの」
メリルは両目を見開いた。
「エアちゃん。本当に出来たのですか?」
「うん。陽だまりの様な温もりをデボスさんに届けたいの。胸の中にある魔道機の魔石に精霊力を与えたら元気になるかも、ってリゲルが言ったの」
目を輝かせてエアは答えた。
「皆で彼の部屋に行きましょう。早く治療を始めましょうね」
メリルを先頭に四人は二階へ上がって行った。
エアが静かに扉を開けると、窓の外を眺めているデボスの姿が見えた。
まるで空気に溶けていきそうな儚い雰囲気を漂わせている彼に戸惑ったエアは、言葉が出なかった。 その様子を後ろから見ていたユウは、エアの肩に手を置いた。
「大丈夫だ。彼はまだ逝かない。お前が治療するんだろ?」
「そうだよね。その為に苦労したんだもん」
エアはユウの励ましに素直に頷いた。そして、勇気を出して部屋の中に足を踏み出した。
★作者後書き
読んで頂いている皆様に、感謝いたしております。本当にありがとうございます。
イワン・バカラは作者が気に入っているキャラクターであります。彼に悩みは多く、それ故に過ちを犯してしまいます。軽率なところもある彼ですが、完璧な人間はいないと思うので、そんな彼に登場してもらう事にしました。
二人が受けた依頼がどうなるか、楽しんで頂ければと思います。
★次回出演者控室
エア 「デボスさんの治療をしないと……」
ユウ 「慌てたら危ないぞ」
アンキセス「久しぶりに、わしの出番か?」
女王 「我もじゃ」
ビアーネ 「私が召喚したかわいい妖精たち。今どこかしら?」
イワン 「皆、何を言っているのかな。僕が主役に決まっているじゃないか」