第五章 山百合と機械師 その三
ユウはエレナの店に着いた途端、どっかりと椅子に座った。
「おい、エレナ」
「おはようございます。エレナさんは?」
慌ててエアも同じテーブルに座ると、
「おう、お嬢さんは仕入れのために商店街に行ってるぜ。もうすぐ帰ってくるはずだ」
「そうか。このおっさんは料理長のカリウスだ。酒のつまみから他国の料理、あげくの果ては創作料理に甘い物まで何でも作る」
ユウは近づいてきた五十近い無精ひげをしょぼしょぼとはやした男を紹介した。
「この前の娘さんだな。特製四段重ねイチゴのアーレットは気にいってくれたかな?」
「はい、とても幸せになれました」
エアの身体からは再び、幸せ色のオーラを発している。
店の奥から呼び声が聞こえてきた。
「おーい、カリウス。玉ねぎの皮むき終わったぞー」
「おう、トロワ。ギルドの新人さんがお帰りだ。挨拶しておけ」
カリウスは奥に向かって声を掛けた。
「やぁ、おはよう。エレナから話を聞いたよ。急がせて悪かったね。とりあえず簡単な朝食だけど食べてよ」
大きな丸い銀のトレイに二人分のトーストとサラダ、ティーポットなどを載せて運んできた男を見ながら、
「こいつは店が混んでも注文を間違えず、こぼさず運ぶ店員のトロワだ」
ユウは背が高い茶髪の若い男性をエアに紹介した。
「すごい人達ですね……」
エアは思わず呟いた。
トロワはエアに軽くウィンクをして、
「なにせレストラン、カフェ兼酒場だから、何でも出来きなきゃね。あ、お帰りなさーい。お嬢さん」
トロワが声を掛けた方を見ると、エレナが大きな荷物を抱えて帰ってきた。
「少し仕入れたい物があって」
ユウが黙って椅子から立ち上がり、荷物を彼女から受け取って厨房へ運んで行く。
「エレナさん。山百合がありました。十株程、掘ってきました。厨房の方に運んでおきましたので確認して下さい」
エアはエレナに頭を下げた。
「大丈夫。見なくても、この強い香りで山百合だとわかるわ。大変だったでしょ、朝食を一緒に食べましょう。トロワ、私の朝食もお願い」
エレナは店の奥に声を掛けると、
「分かりましたー」
トロワが丸い銀の盆でエレナの朝食を運んできた。そこにユウが奥から戻って席に着いた。
「エレナさん。山百合って大きくて迫力のある花ですね。でも、どうして山百合の料理を作ろうと思ったのですか?」
エアはどんな料理だろうかと思いつつ尋ねた。
エレナは紅茶を飲みながら、少し何かを思い出すかのような表情をした。
「私、子供の頃に軽いぜんそくの持病があったの。おじい様は薬草にも詳しくてね。山百合を使った薬膳料理はおいしかったの。花は煮付けにしたり、根は甘く煮詰めたきんとんにしたり、おかゆもおいしかった」
「おかゆ?」
エアは聞き返した。
「そう、おかゆ。ハスの実とか、ライス、ナツメを入れた薬膳料理。たまにしか食べられないけど大好きだった。レシピを見つけたとき、忘れていたおじい様の思い出がいろいろと浮かんできて。この豊穣祭でおじい様を覚えている人達に食べて貰いたかったの」
エレナは穏やかな笑みを浮かべた。
「料理長のカリウスや店員のトロワも、おじい様とこの店を支えてきたの。私も此処で店を続けて街の一部になっていきたいわ」
彼女は祈るように両手を組んで胸に置き、そっと目を閉じた。
(この街の一部になる……)
エアは自分が戻るべき家や、迎えてくれる家族を失くした事を痛感した。
そんなことを考えていたら、言いようのない寂寥感と絶望が忍び寄ってきた。ふと、隣りに座っているユウと目があった。
彼もこんなにつらい思いをしているのだろうか……。異国から来た彼は、お互いを知る唯一の友人が死んでしまったから……。
この街で独り残されたユウの寂しさや喪失感を、エアは我が身の事として理解したのだ。
「エレナさん。私もこの街の一部になれるのでしょうか」
エアは決意を込めて聞いてみた。
「何を言っているの。貴女はこの街の大事な精霊師さんでしょ。レティも、私も、ユウも、皆が貴女を大切に思っているわ」
言葉に詰まったエアの濡れた瞳にはレイメルの街が映し出されていた。
「寝ちゃったね」
エレナは少し心配そうにエアの顔を覗き込んだ。
「ほぼ徹夜で戻ってきたんだ。気が緩んだのと疲れが出たんだろう」
ユウはエアの身体をそっと抱きあげた。
溜め息交じりで呆れた様にエレナが呟く。
「可愛らしいというか、頼りなげというのか……。お守りする貴方も大変ね」
「……これでも、気丈なところもあるんだ」
「ふーん。随分と他人を信用したものね」
「ん?」
「珍しいと思って、貴方がそれとなく他人を庇って反論するなんて。初めて聞いたわ」
「そうか? とにかく、こいつを宿舎へ送っていくよ」
「店の二階を使ったら?」
「ん? 何でだ?」
エアを抱きかかえたユウの足が止まった。
「貴方が女の子を抱えて歩いていたら騒ぎになるから」
「騒ぎ? 何のだ?」
「前に交際を申し込んできた娘を仏頂面で断ったでしょう」
「そんな気は全く無かったから真面目に断った」
「だからね、そんな不器用な男が女の子を抱えて街の中を歩いていたら、大騒ぎになるって言ってんのよ。本当に、鈍いわねぇ」
「よく分からんが、そうなのか?」
言われた事が飲み込めない顔をしている彼に、エレナが声を急に潜め、
「最近、気になる事が有るの。豊穣祭が近いから人が増えるのは当然だけど、店に来るお客さんの中にちょっと雰囲気が違う人が多いのよね」
「雰囲気が違う?」
ユウの眉が少しつり上がった。
「そう、どう見ても祭りを楽しみに来た客じゃないの。二十代半ばから四十代くらいの単身の男性客ばかり。何しに来たんだろうって思っちゃうの」
エレナはいぶかしげな表情でユウに小声で説明した。
「男性の単身客が多い……か。ちょっと妙だな」
「でしょ。知らせておいた方が良い様な気がして」
エレナは彼女の祖父が店にいる時から働いている。いろいろな客を見ているだけあって、人を見る目は確かだとユウは評価していた。その彼女が変だというのは気になる。
「わかった、市長やレティにも話しておこう」
(何だか口数が増えているわね)
店の二階へ向かって行くユウの後ろ姿を見ながら、エレナは心の中で呟いた。
小さな部屋の窓を開けると秋の爽やかな風と朝日が入って来た。
豊穣祭は明後日。
無事に怪我もなく依頼品の入手を果し、期日も無事に間に合ったようだ。
そんな事を考えながら、穏やかな笑みを浮かべた青年は、ベッドで眠っている少女に向かって囁いた。
「午前中くらい、ゆっくり寝てろ。初仕事、お疲れさん」
部屋の窓から見える噴水に佇む精霊王の像は、盾と杖を持つ二枚羽の妖精を従えて、レイメルを照らす朝日を見つめていた。
昼下がりの教会では、精霊王と十二神霊の像が見守る中、メリルが珍しくうろうろと歩きまわっている。
「あらあら~、昨夜はリゲルがしょんぼりと帰って行きましたね~。心配ですわ~」
「仕方有りませんよ。死んだと思っていた友人に会えたら、とんでもない事を頼まれたのですから」
マッシュもリゲルの流した涙が忘れられなかった。
「デボスが考えている様に、邪妖精が再び現れるのは間違いないと思います。彼は危険を承知の上で、自ら女王の作戦に協力をする事にしたのでしょう」
「彼は充分苦しんでいるのに、これ以上の何の罪を償えばいいのでしょうか。私には分かりませんわ……」
メリルは俯いてしまった。
「ガスパーさんは?」
マッシュとメリルが話す言葉が尽きた時、目が醒めたエアがユウと共に教会を訪れたのである。
「帰って来ましたか……。そのガスパーさんの事で、二人に伝えたい事が有ります」
重苦しい表情でマッシュが二人を迎えた。
「マッシュ!」
メリルは彼を見上げ、心配そうに声を上げた。
「メリル。真実を告げるのは私の仕事ですよ。二人とも、良く聞いて下さい。あれから私達はガスパーさんから話を聞きました。この七年間、邪妖精に見張られていた彼に何があったのかを……」
ざわめく心を押さえながら、マッシュは二人に向き合った。
ガスパーの本名は『デボス』であり、ケントの死に関わった事、エアの両親が殺害された事件にも関わった事など、火精の乱心以後に辿ったデボスの七年間についてマッシュは語った。
冷静に話す彼の横では、対照的にメリルが声も出さずに涙を流していた。
「そんな……、そんな事って。だって、いつも優しくて、お父さんみたいだって思っていたのに……」
エアは慕っていた男が両親の殺害に関わっていたと知り、どんな言葉を発して良いか分からず混乱したまま、泣きながら教会の外へ飛び出した。
「私が行きます!」
エアの後を追ってメリルが駆け出す。
「エアの事はメリルに任せましょう。さて、貴方はどうしますか?」
マッシュは目の前に居る青年の顔を見つめた。その顔は青ざめ、固く握り締められた手は、爪が手のひらに食い込んでいた。
「血が出ますよ。手の力を抜きなさい。心を柔らかく持って、目の前の状況に立ち向かうのです。硬直した思考は、自分の身を危うくしますよ。後は貴方が彼と話をして判断しなさい」
マッシュはデボスの病室の在る二階を指差した。
ユウはマッシュの後に続き、病室に入った。
そこで目にしたのは、青白い顔をして横たわっている男であった。
「お前がケントを殺したのか?」
眉間に深いしわを寄せ、デボスの枕元でユウは問い質した。
「謝って許される事だとは思っていません。しかし、あの杖の事を伝えなければと思ったのです」
デボスの顔は後悔の念で歪んでいた。
「あんたが脅されていた事は聞いた。あんたが罪を償いたいのなら教えてくれ。ケントの杖を欲しがった奴はどんな奴だ?」
「……レイメルに来る前、私の目の前で……、妖精を召喚したのは黒髪の若い女性でした。あの奪った杖を使っていました」
デボスは思い出したくもない監禁中の記憶を手繰った。
「やはり、邪霊師が存在したのか……。あの杖は……、メディニラは俺が必ず取り戻す!」
ユウは唇を噛み締めた。
我を忘れたエアが噴水の横を駆け抜けようとした時、メリルが彼女の手を引っ張った・
「逃げてしまえば済むと思っているの!」
急に引き留められたエアはメリルに胸にすがり、
「だって、もう分からない! どうしてこんな事になったの? 信じていたのに!」
混乱している少女は喚き散らした。
「あらあら~、エアちゃんは以外に癇癪持ちだったのですね~。デボスさんはエアちゃんを信じているからこそ、自分の身に起こった出来事を全て話したと思うのですよ」
「私を信じているって……?」
メリルを見上げる少女の瞳は大きく開かれた。
「そう、彼は信じていますよ。真実を受け止められる心の力をエアちゃんが持っていると……。彼の信頼に対して、貴女はどうするの? 投げ出してしまうの?」
エアの胸は驚きで痛みが走った。アンディを召喚した時に暴走させ、ミリアリアに叱られた事を思い出した。
「そうだよね……。試験の時にミリアリアさんにも言われたっけ。ちゃんと考えないと駄目だよね」
「落ち着いた? デボスさんも怖かった筈ですよ。このレイメルでエアちゃんに声をかけた時、もしも自分の事を覚えて『人殺し』と叫ばれたら……。見張りの妖精の目を通して、彼を脅している者達に不審の念を抱かれたらどうなるのか。彼は全ての不安を乗り越え、貴女に声をかけた筈です。厳しい事を言えば、周囲の人に恵まれているエアちゃんより彼の方が不幸かも知れません」
思わずエアは俯いた。『笑っていたい』と望む心の下で、自分ばかりが不幸だと思っていた。自分の事しか考えていない事に気が付いたのである。そして、自分の周りに居る人の辛さなんて考えてもいなかったのだ。
「エアちゃん、私も孤児だったのよ」
「えっ!」
メリルを見つめるエアは驚きの声を上げた。
噴水の精霊王像は静かに二人を見下ろしている。
「私は親に捨てられた孤児だった。拾われた先は犯罪組織で、教えられた事は悪い事ばかり。挙句の果てには、アンキセス様を殺せと命じられた」
「ええっ! 師匠を!」
アンキセスを盲目的に信奉している筈のメリルが、そんな事を言うなんてエアは信じられなかった。
「命令に従った私は、アンキセス様を暗殺しようとして失敗。マッシュやリゲルに捕えられた。でも、許された私は新しい人生を生き直す機会を与えられた。デボスさんも残りの僅かな人生を生き直したいのだと思いますよ」
いつもにこやかな笑みを浮かべているメリルからは想像できない過去であった。
「メリル……。ごめんなさい」
エアの瞳から、再び涙が落ちる。混乱の涙では無い、別の感情が溢れ出ていたのだ。
「エアちゃん、難しい事よね。許す事は癒しを与える事。でも、それだけでは有りませんよ。他人を許す事は、憎しみに囚われている自分を許す事なんですよ」
「自分を許す……」
思いがけない言葉にエアは呆然とした。
「そうですよ。リゲルも『ベレトスを憎まない』と言ったデボスさんの言葉を聞いたから、あんな約束をしたのでしょうね。私達は彼らの覚悟を見届けなければならないでしょうね。さあ、教会に戻りましょう」
「うん、デボスさんと話がしたい。私はまだ、知らなくちゃいけない事が有るんだよね」
エアは心の中で、逃げ出したい気持ちを押さえ、事実を見つめる覚悟を決めた。
★作者後書き
読んで頂いている皆様に、本当に感謝しております。
山百合の薬草としての効能など、ふれる事が良かったと思っています。薬草について調べれば調べるほど、昔の人はどうやって発見したのだろうと感心しました。
★次回出演者控室
エア 「心配して損しちゃった」
ユウ 「身体も心も頑丈に出来ているんだな。おっさんは……」
リゲル「ん? 何か言ったか?」
エア 「何も言ってないよ(地獄耳だし……)」
リゲル「ところでワシの花畑に悪さをするんじゃないぞ」
エア 「はーい」
ユウ 「わかった」