第五章 山百合と機械師 その二
ユウの双剣から緋色の炎が勢いよく噴き出し、桜の花びらが舞い散るように広がる。
その炎の花びらは、牛程もある魔物を包み込んで白い灰にしていく。エアは彼の後に続き、風の結界を維持しながら移動を始めた。
「お願い雪柳、敵を縫い止めて!」
雪柳は黒い刀身に光の魔石をあしらっている。刀身を振ると花びらの部分から細かい光が集まって縄状となり魔物の身体に巻き付いた。
「いいぞ! 続けてくれ。確実に数を減らせる!」
ユウは動きを封じられた魔物を次々と散らしていく。
輝く赤い闘気を発している双剣を操っているユウを見ながら、
(これが最後の一匹)
とエアが思った時、赤黒い大きな身体をしている魔物が五匹現れた。それはフラシヤスと呼ばれる火を噴く犬型の魔物であった。
「フラシヤスか。寒緋桜と相性が悪い奴だ。今度は俺が攻撃を防いでやる。その間にアンディを呼び出せ。アンディの水流刃で攻撃するんだ。暴走しない様に落ち着いてやってみろ」
「うん、やってみる」
エアは覚悟を決めて杖を正面に構えた。旅の途中でアンキセスが魔物と戦うのを何度か目撃したが、今度は自分の力で戦うのだ。
(大丈夫、出来ない事をするんじゃない。私に出来る事をするんだ。私は戦える!)
そう自分に言い聞かせるが、杖を持つ手が少し震えているのを感じた。
「結界を張るぞ。寒緋桜、我らを赤き桜花で包め」
ユウの握る双剣が赤く輝くと、周りには赤い透明な壁が現れエア達を取り巻いた。
その結界はフラシヤスを焼く事は出来ないが、中へ侵入させる事も無い。
「アンディ! 私と一緒に戦って!」
アンディは青い身体を輝かせ、エアの前に現れた。
試験の時にアンディを暴走させた光景が、エアの頭の中にチラリと蘇った。
(でも、ためらっている状況じゃないよね)
彼女はじりじりと迫って来る魔物を睨みつけた。魔物達は口元に赤い炎を覗かせている。
「アンディ、思い切って行っけぇー!」
彼女は力の限り、杖をフラシヤスに向けて振った。
ザザザザァァァッ、バキバキッ――
アンディはエアを中心に円を描きながら、外側へと無数の水流刃を放っていく。
グアアアアッ! ウオーッ!
木々を揺らしながら風は渦を巻き、水流刃は五匹の魔物を包み込む。青銀に輝く無数の刃は魔物が動かなくなっても荒れ狂った。
「おい、魔物は動かなくなっているぞ」
ユウが魔物に目を凝らした途端、アンディが放つ渾身の魔法が彼の赤い結界を突き抜けた。
「くっ! 本当に制御出来ないんだな……。おい、小さくなるように集中しろ」
双剣を握りしめて結界を強めて対応するが、
(力が足りない、盾を二重にするか。こんな時にトッドの手袋が役に立つとは思わなかったな)
トッド特製の手袋に意識を集中する。すると光の盾魔法が発動した。
「アンディ! もう大丈夫だよ、戻ってきて!」
ユウの声に我に返ったエアは、魔法を放っているアンディを呼び戻した。
アンディがエアの下に戻ると、一帯に爽やかな風が吹き抜けた。
「術の制御を勉強しような……」
彼の顔に珍しく疲労が滲んでいた。原因は言うまでもなく二属性の盾魔法を同時に発動させた為だ。
「ごめんなさい……」
「いや、謝る必要は無い。まあ、グラッグに頼まれた魔物も退治できたしな」
「思っていたよりも数が多かったね」
エアが辺りを見回した時、一匹の魔物が最後の力を振り絞って起き上り、二人に飛びかかって来た。
ガアアアアアッ
鋭い爪と牙が、吐き出す炎と共に迫って来る。
「危ない!」
思わずユウは、驚いて身動き出来ないエアの身体を抱き寄せた。
その途端、エアの視界はユウの身体に遮られ真っ暗になった。
アンディはエアの危機を察し、飛び掛かって来た魔物に体当たりをした。すると地面に叩き付けられた魔物はピクリとも動かなくなった。
大きく安堵の息を吐いたユウは、エアの両肩に手を掛け尋ねた。
「大丈夫か? すまん、油断した」
彼が声を掛けたが、エアは両目を見開いたまま呆然としている。
「おい、どうした?」
「分かった……。お父さんが駆け寄って来た後、真っ暗になった記憶しか無いのは、誰かが私を庇ってくれたんだ。今、ユウが庇ってくれた様に……」
「父親か?」
「ううん、違う。お父さんも剣で刺されて倒れた。その後、師匠が助けてくれるまで、もう一人の男の人が庇ってくれたんだ」
「顔は思い出せるのか?」
突然の事に、ユウはエアを問い詰めた。
「ぼんやりと……」
呆然としたまま答える彼女を見て、自分まで驚いていては駄目だと気が付いた彼は、
「其処まで思い出せれば上出来だな。そのうち全部思い出せるさ」
そっと彼女の頭を撫でた。
「うん、そうだね」
ユウを見上げて笑顔を見せたのも束の間、エアの顔が再び青くなった。
「しまったぁ! 山百合を採らなきゃいけないのに、飛ばしちゃったかも――」
彼女が周囲を見回すと、少し離れた所に小さな白い星が幾つか見えた。
「心配するな、今度は本物の山百合だぞ」
エアの表情がさらに青くなったのを見て、ユウは吹き出しそうになるのを無理に抑えていた。
エアは駆け寄って山百合の花を眺めてみる。
「こんな山の中で、毅然と咲いている花なんて見た事が無いよ。すごく立派だね」
エアが感心するのも当然かも知れない。山百合の花言葉は『荘厳』である。その言葉に相応しく、誇らしげに山百合は咲いていた。
山を下りると丁度、鉱夫達が鉱山から村へ帰ってくるところに出くわした。もう日暮れ時なのだ。
「結局、一日がかりだったな」
ユウは赤く染まった空を見ながら言った。
「ちょい姫達、無事だったか。夕飯を食っていかねーか」
鉱夫の一人が声を掛けた時、絶妙なタイミングでエアの腹が鳴った。腹を両手で押さえ、エアはユウをチラリと見上げる。
「夕飯を食べたら出発しよう。明日の早朝には街に着く。疲れているとは思うが……」
「うん、エレナさんのところに早く届けないとね」
エアは鉱夫達に向き直り頭を下げた。
「ありがとうございます。ご一緒させて下さい」
三十人超える人数で囲む食卓はなんとも賑やかだった。何せ鉱夫達は酒を飲んで踊ったり、歌ったり。普段は女っ気が全くない為か、背が小さいとはいえ女性に分類されるエアがいるためか陽気であった。
さすがに二人に酒をすすめる者はいなかったが、それでも充分、エアにとっては楽しかった。昨日の夜はユウの顔を見た途端、鉄鉱石と化していた鉱夫達ではあったが、今夜は随分リラックスしている様子であった。
さすがに鉱夫達は大人である。無言でエアを気遣って世話をしているユウの姿を見て、
ブッ飛ばされた時の恐怖心が少し和らいだらしい。
「明後日の豊穣祭には、街に来るよう市長から言われているんだよ」
鉱夫が口をもごもごさせて、
「おうよ、街でゆっくりしてくれと連絡がきてよ。俺達も明日の朝早くに出発するよ」
すかさず別の鉱夫が上機嫌に続けた。
「じゃぁ、エレナさんの所にも来ますよね。今日採った山百合は初日のスペシャルメニューになるんですって」
エアは鉱夫達に目を輝かせて話した。
「おおっ、それなら嬢ちゃんの山百合をご馳走になるか。ユウもどうだい?」
鉱夫はユウに話を向けた。
「ああ、悪くないな」
食べながらユウは穏やかに答える。
「じゃぁ、ヴォルカノンに集まろうぜ」
ユウと鉱夫が話している姿を見てエアは喜んでいた。
打ち解けた、とまではいかないにしても自然に会話をしているのは、何やら彼に対して鉱夫達の印象が変わったのではないかと思われたからだ。
「それじゃ、気を付けろよー。エレナの所で会おうぜ―」
「俺達で手伝えることがあったら手伝うぞー」
鉱夫達に見送られて二人はラヴァル村を出た。
闇に溶けて行く二人の姿を見送りながら、鉱夫達の誰かが呟いた。
「ユウの奴、えらく違うもんだ。なんだか表情も穏やかになってきてるしよ」
夜の空気が冴え冴えとして冷たいが、夜空には無数の星々が輝き、月の光が道を明るく照らしていた。所々で休憩しながら、都市の外側、第二城壁についたのは東の空が明るくなりかかった頃であった。
相変わらず、丘の上にある都市は空に縁どられていた。エアは大きく開かれた南門を見ながら、
(もう少し、ユウと外にいたかったな)
残念に思いつつ潜って行った。
その頃、リゲルは工房でエアの為に杖を仕上げていた。細かい作業を長時間していた為か、少し痛む背中を伸ばして手を止める。
赤く充血した両目に市長から貰った目薬を垂らし、そして濃い珈琲を口にした。結局、昨夜は眠れずに一晩過ごしたのだ。
死んだと思っていたデボスに再会したリゲルは、歓喜の涙を流した。しかし、その再会は新たな苦悩の始まりに過ぎなかったのだ。
リゲルは昨夜、教会でデボスと交わした約束を思い返した。
――昨夜、月明かりに照らされているレイメルの教会にて――
メリルとマッシュが見守る中、デボスはリゲルとの面会を果した。
「リゲル、会いたかった……。監視の目から解放されて話せる日が来るとは……」
ベッドに横たわるデボスは、人目も気にせずに涙を流して喜んだ。
「何を言ってやがる、おめぇはよ。半年も前から居たなら、もっと早く会いに来いよ」
乱暴に言い返すリゲルの目からも涙が溢れていた。
「邪妖精の監視付きじゃ、リゲルが狙われるよ。なんたって国一番の機械師だもの」
デボスは弱々しい笑顔を浮かべ、親しげにリゲルに話し掛けた。
「そんな奴ぁ、俺のハンマーでブッ飛ばしてやるぜ。でも何で、お前はその危険を承知で嬢ちゃんに近付いたんだ?」
リゲルはデボスの赤い眼を見つめた。
「彼女を見かけた時、思わず駆け寄りたいのを我慢するのが大変だった。でも、私のせいでエドラドを死なせてしまった。彼女はエドラドの子供。私は彼女を見守るつもりだった」
リゲルは笑いを堪え、
「おめぇ、もしかして嬢ちゃんの魔法が失敗ばかりで――」
「ええ、思わず声を……ね」
デボスもつられて白い歯を見せた。
「それでワシに頼みとは何だ?」
メリルとマッシュの二人から火精の乱心以後のデボスを襲った悲劇について聞かされ、リゲルは彼の頼みなら何でも叶えてやりたいと思っていた。
「リゲル、モール達はこの街を襲撃すると言っていた。新型の飛行船が到着した後に……。私にも参加するようにと言ってきたんだ」
マッシュはその言葉を聞き、思った通りだと頷いた。
「あの狡猾な男の企みは、そんな単純な襲撃じゃ無い。私には飛行場を襲撃している間に、リゲルの工房で預かる予定の設計図を奪ってくるようにと指示されたよ」
デボスはモールが保養所に訪れた事と、その夜に受けた指示を明かした。
「そのモールって奴は、ワシがハンマーでブッ飛ばしてやる!」
もし、ホシガラスが邪妖精を倒していなければ、デボスと工房で戦わなければならなくなっていたかも知れない。モールに対するリゲルの怒りは頂点に達していた。
「落ち着いて、リゲル。邪妖精は再び現れる。襲撃の混乱に紛れ、私の胸に有るバイオエレメントを奪いに……」
そう語るデボスの表情から笑みが消え去っていた。
思わず言葉を失ったリゲルに、しわがれた声でデボスは話し続けた。
「自分の命が惜しいとは思わない。でも、バイオエレメントを他人の手に渡してはならない。自分が実験体になって分かった事があるんだ。これは人間の為の魔道機じゃ無いとね。これが何の為の魔道機なのか、君にアンヌの研究を引き継いで欲しいんだ」
デボスはリゲルの手を取った。
「僕が死んだら、この胸からバイオエレメントを取り出してくれ。奴らに渡さないと約束してくれ。そうすれば、僕は邪妖精と安心して戦える。初めて、あいつらとまともに戦えるんだ」
リゲルの手を握る彼の手に力が入った。
「おめぇ、何を言ってるんだ。ワシにおめぇの死体を切り裂いて、その魔道機を取り出せっていうのか?」
ぼたぼたとリゲルの瞳から涙が落ちる。
「ごめん、リゲル。君にしか頼めなくって……。近頃、よく思い出すんだ。君が女郎花を持ってきてくれたのを……。沢山の女郎花を夜の間に植えて、アンヌを驚かせようって計画して……。皆で夜通し運んで植えたよな。あれは楽しかったなぁ……。子供が産まれたら、白い花に包まれる王都の大聖堂でエドラド達と過ごすつもりだった。僕は楽しみにしていたんだ……。心から……」
デボスの顔には楽しい夢を見る様に、優しい笑顔が浮かんでいた。
「おめぇ、ベレトスを恨んでないのか?」
リゲルは気になっていたのだ。自分はベレトスの事を少なからず恨んでいる。彼と戦った自分はグラセル大工房を辞める事になったからだ。ところがデボスは一言も恨み事を言わないのだ。
「リゲル、僕もベレトスは愚か者だと思うよ。でも、僕が利用され尽くした様に、彼も利用されたのかも知れない。そんな気もするんだ。それに、やっと人生の終わりが見えて来た今、僕がやらなければいけない事は償いをする事だよ」
リゲルはデボスの言葉に胸を打たれた。
「おめぇが恨んで無いなら、ワシがベレトスにこだわる理由なんて無くなっちまうな」
デボスはやわらかな笑みを浮かべ、
「なあ、リゲル。今日はエアが僕の為に泣いてくれたんだ。誰かが自分の為に泣いてくれるのは幸せな事だね。それだけでも僕は幸せなんだ」
「そうか……。おめぇのバイオエレメントは必ずワシが守る」
リゲルも泣きながら笑顔を返していた。
リゲルは立ち上がり、工房の窓に近寄った。
昨夜の出来事が、未だに夢の様に感じる。
工房の窓からは、白いリコリスの花が風に揺れているのが見えた。マッシュが王都の大聖堂の広場で貰って、メリルに手渡した花を植えたのだ。
そのリコリスの花言葉は『悲しい思い出』である事をリゲルは知っていた。
「馬鹿だなぁ、市長の奴。こんな花を惚れた女に送るもんじゃねぇぜ。デボスの奴も夢に見るような花じゃないぞ」
そう呟いたリゲルの瞳に、白いリコリスの花は涙で滲んで映っていた。
★作者後書き
皆様に読んで頂き、本当に感謝しております。
今回、山百合とリコリスの花言葉を出させて頂きました。山百合はともかく、リコリスは色が豊富な花ですが、花言葉が『悲しい思い出』だと知り、とても驚きました。意外な言葉を持つ花は、まだ他にもたくさん有るのかも知れません。今後も作中に出てきますので、楽しんで頂けると幸いです。
★次回出演者控室
ユウ「驚いたな、杖の行方を聞かされるとは」
エア「私も驚いて、教会を飛び出しちゃった」
メリル「追いつくのが大変でしたわ~」
マッシュ「私も大変な役を任されたものです」
メリル「あらあら~、貴方は当然のお役目だと思いますわ~」