第四章 邪霊師 その五
四十人程いる鉱夫達が夕食時で、酒を飲みながら騒いでいた。
「おーい、皆。今日は客人が居るぞ」
入口からグラッグが声を掛けると、
「誰だよー、こんなむさ苦しい処に客なんてよぉー」
などと言い返す騒音が突然、ぴたっ、と止まった。
鉱夫達が一斉にこちらを見ている。正確に表現するとユウの顔に視線が集まっているようだ。
「明日の朝早くに、タンホブ山に入りたいんだ。今晩は世話になる」
ユウが無表情で挨拶した後、奥の席にグラッグと座った。
「か、かまいませんよ。どーぞ、どーぞ」
何故か鉱夫達が微動だにせず、口だけを動かしている。
不思議な緊張感が漂っている。まるで悪い事をして見つかった子供のようだ。
「急にすいません、お世話になります」
ユウの後に入って来たエアの顔を見て、
「おやぁ~、お嬢ちゃん。確か見習いの『ちょい姫』さんだよな」
急に息を吹き返した鉱夫達が、わらわらと入り口に寄ってくる。
離れた村にまで『ちょい姫』のあだ名が知られているとは、エアは驚くと共にがっかりした。
「今日から精霊師になりました、エア・オクルスです。だからぁ、ちょい姫って呼ばないで!」
「いやー、ちっちゃいね~。大丈夫かい? そんな細っこい身体で」
一人の鉱夫は大きい掌でエアの頭を撫でまわす。どう考えても完全に子供扱いだった。
周りにいる鉱夫達は、皆揃って背が高い。結果的に、かなり見上げなければならず、エアは背が少しでも高くなりたいと心から強く願った。
「背が小さくても大丈夫ですよ。だってユウさんも一緒だし……」
エアがユウの名前を出した途端に鉱夫達が、ビキッ、と鉄鉱石と化した。
「いや……、あの、そのだな。ちょい姫さんは怖くないのか?」
鉱夫達が真顔で尋ねたので、エアは少し考えこんでしまった。注意してもちょい姫と呼ばれて逆らう気力が無かったのも事実だが……。
「うーん、確かに不愛想だし、あんまり笑わないし、でも気を遣ってくれるし……」
エアはポツポツと考えを言葉にして、
「むしろ優しい人だよね」
と最後に付け加えた。
鉱夫達は互いに顔を見合わせている。
「皆さん?」
今度はエアが首を傾げた。
「そうかぁ。此処にいる大半の野郎は酔って正体を失くした時に、奴に一度はブッ飛ばされているからなぁ」
(失くすって、どんな正体なのさ……)
とエアが心の中で思った時、ユウに放り出された泥酔男二人組の姿が頭に浮かんだ。
「ああっ! じゃあ、まさか皆さんもエレナさんのところで……」
「そう、ブッ飛ばされた!」
鉱夫達は口を揃えて、一斉に答えた。
鉱夫達が夕食を分けてくれたので、手早く済ませることができそうだ。
グラッグは二人に新しいパンとシチューを勧めた。
「お前達に頼みたいのは最近、山に魔物が住む様になったんだ。このままでは、村が襲われるかもしれない。退治をしてほしいんだ」
グラッグは中腹の東斜面にある岩場をこえた林の中で山百合を見た事が有るが、同じ場所で大型の犬の様な魔物の群れも目撃したと教えてくれた。
「犬のような魔物か、たぶんシヤスと呼ばれる奴だな。リーダー格の強い奴も居る筈だ」
ユウは湯気の立ったシチューを頬張りながら答えた。
「リーダー格?」
エアは聞き返した。
「群れで生活している魔物は、同族のさらに強い魔物に支配されていて、結束していることが多いからな。確かに退治するしかない。彼らは肉食だから放置しておくと村を襲うだろう」
ユウは厳しい顔つきになっていた。
夕食後、グラッグの家に移動した三人は暖炉の前で座り込んでいた。
「小さい家だが、ゆっくりしろや。明日の朝は早いんだろ?」
赤々と燃える炎が皆の顔を照らしている。
「ああ、陽が昇る前に山に入りたい。今回は山百合を採取するのが一番の目的だ。魔物退治は、豊穣祭の後になるかもな」
ユウはエレナからの依頼を説明した。
「明後日までに山百合を届けるのか、確かに直ぐにレイメルへ戻らんと間に合わんな」
グレッグは唸った。
「精霊師って忙しいんだね」
エアは思った事を口にすると、
「仕事は待った無しだ」
「その通りだぞ、嬢ちゃん」
グレッグとユウが口を揃えて言い返した。
パチパチと薪の燃える音だけが、静かな部屋の中で響いている。
「なあ、村長。やっぱりケントの杖は見つからないのか」
突然、ユウが口を開いた。
「あれから何度も坑道の中を探したが、あの花の杖は見つからなかった」
グラッグは腕を組みながら呟いた。
「エア、俺の親友はこの山で殺されたんだ。多分、杖を奪う為にだ」
「そんな!」
エアは息が止まる程驚いた。
「精霊師になったばかりだ、と自分は思っていても、相手には関係ないんだ。奪われたケントの杖にはメディニラの花が咲いていた。花言葉は『温和』だとリゲルは言っていたよ」
ユウの瞳は暖炉の炎と共に揺らめいている。
「それじゃ、その杖は誰かが使っているの?」
軽い気持ちでエアは尋ねたのだが、グラッグはエールと呼ばれる発泡酒を口にしながら大真面目な顔つきで答えた。
「もしそうなら大事だぞ。武装魔道機を持つのが許されるのは女王、軍隊の中でも上級士官と魔法部隊、教会の治療師それと精霊師だ。一般人は護身用魔道機だけで充分だからな」
エアはグラッグの言葉の意味を考えた。
「それって悪用されない為なんだよね。あ、つまり許可の出ない人は盗むか奪うしか手に入れられないから……。でも許可の出ない人が使うの? 武装魔道機を? 何で?」
武装魔道機の使用許可の出ない人間とは何者なのか、エアの頭の中では結論が出なかった。
ユウは腰に差した双剣を抜いて、その刀身を炎にかざした。黒鉄の刀身に意匠してある金色の桜が揺らめく炎に照らされ、美しく輝いている。その輝きを見つめながらユウは自分の考えた結論を話した。
「リゲルの造った魔道機は装飾性も高いが、何よりもその性能が優れているからな。それを必要とするのは強力な精霊魔法を使う者しかいない。それも卑怯な手段を使ってでも武装魔道機を必要とする者。つまり邪霊師が存在しているとしか思えんな」
ユウはそう言いつつも、実際に邪霊師に遭遇した事は無かった。
「邪霊師かぁ……。あんまり想像つかないよね、私にとって身近な精霊師って師匠しかいなかったし……」
エアにとっての『精霊師』とは、アンキセスしか思い浮かばない。それ以外の精霊師で顔を知っているのは、ミリアリアとユウの二人だけである。
グラッグは暖炉に薪を放り込みながら、おもむろに口を開いた。
「俺はさ、お偉い学者さん達と違って学もねぇし、ただの鉱夫だ。邪霊師って言葉で思い浮かぶのは、子供の頃に聞いた昔話さ」
「昔話? おとぎ話の事か?」
ユウは思わず聞き返した。
「そうさ、ガキの頃に聞いたおとぎ話さ。俺が子供の頃は、魔道機もこんなに発展していなかった。子供の頃の俺達は魔法使いに憧れ、空を飛ぶ事を夢見ていたよ。そんな頃の本は数が少なくて貴重品でなぁ。それに誰もが簡単に買える様な値段じゃ無かった……」
ユウもエアも黙ってグラッグの顔を見つめていた。
グラッグは子供の頃に過ごした日々を語り始めた。
「俺の親父は鉱夫だった。俺も鉱夫になるもんだ、と思っていたさ。そんな時、村の教会に若い神父がやって来た。その神父は本を読むのが好きで、俺達は神父が読み聞かせてくれる物語を楽しみに教会へ通っていた。動機は不純かもしれねぇが、子供なんてぇのは、そんな程度の楽しみが有れば窮屈な説教の時間も我慢出来るもんさ」
グラッグは友人と連れだって教会へ通っていたのを思い出す。畑の手伝いや、馬の世話をしている途中に抜け出して、皆と神父の所へ遊びに行ったのだ。
「たくさん話をしてくれたが、その中に『暁の姫物語』という話があった。古王国時代の話しだろうと神父は言っていた。うーん、細かい事は思い出せないんだが……」
グラッグは古い記憶の底に沈んだ神父との時間を思い起こしていた。そして、かつての神父の様に、物語を語り出した。
『暁の姫物語』
昔、王国に双子の姫が生まれました。
姉姫と妹姫の二人は仲が良くて、いつも一緒に過していました。
同じ服、同じ食べ物、お互いを鏡で写す様に生活をしていました。
例えば、テーブルに小さなケーキが一つ置いてあると、
「どうしよう。一個しかないよ、姉姫様」
「それなら半分に分けようよ、妹姫」
一つしか無い物は、分け合う様にしていました。
二人はやがて十五歳になりました。
その誕生日を祝う為に宴がお城で開かれ、たくさんのお客がやって来ました。
二人は楽しそうに眺めていましたが、妹姫の瞳は一人の男性に向けられました。
その男性は隣国の皇子でした。
姉姫はダンスを踊るのに夢中でしたが、妹姫は皇子に話し掛けました。
初めて妹姫は、姉姫と違う事をしました。
すると身体に羽が生えた様に、心が軽くなったのです。
ところがその宴で、女王は姉姫が次の女王になると皆に告げました。
驚いた妹姫が姉姫の方を見ると、姉姫の横にあの皇子が歩み寄って行きました。
その日から妹姫は姉姫と同じ事をするのが嫌になりました。
姉姫が勉強をすれば、妹姫は街に遊びに出かけました。
姉姫と妹姫は食卓を同じにするどころか、宮殿に離れを建てて別々に住むようになりました。
妹姫は悔しかった、姉姫が妬ましかった。
女王になれるのは一人だけ、皇子の妻になれるのも一人だけ。
幼い時は、いつも同じ事をしていたのに。
一つしか無い物は半分に分け合っていたのに。
闇の中で妹姫は思い悩みました。
それなら、国を半分貰って私も女王になろう、と妹姫は考えました。
皇子は半分に出来ないから、その身体は姉姫に渡して、心は自分が貰って行こうと決めました。
しかし、そんな事を女王が許すはずがありません。
家臣の貴族たちも大反対です。
諦めきれない妹姫は、女王の杖を盗み出しました。
その杖で黒い竜を呼び出し、皇子の心を宝石に閉じ込めました。
妹姫は皇子の心を閉じ込めた宝石を首に下げ、高らかに笑いながら黒い竜に乗って飛び去りました。
魔女になった妹姫は、エアレーン湖の真ん中に在る島に城を建てました。
自らを『妖魔の女王』と名乗り、多くの魔物を魔法で生み出し、国中に放ちました。
王国は灰色の分厚い雲に覆われ、黒い竜と魔物達が歩きまわる世界になった。
「人間の女王には姉姫がなればいい。私は魔物の女王になる」
妹姫の心はすっかり闇に染まっていました。
困った女王は妹姫を闇から取り戻す為に、姉姫に新しい杖を授けました。
その新しい杖は白銀に輝き、強い魔力を秘めた石が取り付けられていました。
杖を受け取った姉姫は始祖十二神霊を探す旅に出ました。
あの黒い竜を倒す為、皇子の心を取り戻す為、そして闇の染まった妹姫を救う魔法を教えてもらう必要があったからです。
白銀の杖を手に持ち、姉姫はつらい旅に出ました。
グラッグは飲み掛けのエールを喉に流し込んだ。
「この話はまだ続くんだが……。俺はこの妹姫が邪霊師だと思えてな」
物語をどっぷりと聞き入っていたエアは溜め息を吐いた。
「この先、どうなるの? 気になるなぁ~」
「神父が置いていった本がレイメルの教会にある筈さ。暇になったら読むといい。古い物語だが、意外と真実が隠れているかもしれないと思えてな」
グラッグは赤い炎を見つめている。
ユウは考え込んでいたが、おもむろに口を開いた。
「魔道機や魔石を使用している、としか思えん話だ。現在、武装魔道機の所持が許可制になっている事を考えると、多少は大袈裟にされているが物語は真実であって、過去に邪霊師が誕生していた可能性は高いのだろう」
グラッグは腕を組んで思い出しながら、
「物語の最後、黒い竜は深い谷底で永遠の眠りに就き、妹姫は闇に呑まれて死んでしまう。皇子は心を閉じ込められた宝石を飲み込んで元に戻る。そして姉姫は長い戦いで荒れ果てた国を建て直そうと誓うんだ」
エアは頭の中で話を整理しながら話し出した。
「つまり、大昔に魔道機や魔石の文明が在った。当時の女王の座を争って邪霊師が誕生した。そして始祖十二神霊の力を借りた精霊師が、黒い竜を召喚した邪霊師を倒した。だけど魔道機や魔石の文明は廃れてしまい、存在が忘れ去られた。でも、王家は忘れていなかったので、邪霊師を恐れて魔道機の所持を制限した、って事になるの?」
ユウは軽く頷き、エアの質問に答えた。
「そうだな。王家が邪霊師の存在を認めたようなもんだな。まだ何か隠しているのかも知れんが……」
勢いよく燃えている暖炉の炎は、パチパチと音を立てながら部屋の中を赤く照らしていた。
――闇に包まれたポストル地区――
マークが片手で布袋を提げ、粗末な木の扉を開けた。
「急な話だからな。今、集められるのはこれだけだ」
薄暗い部屋の中でビアーネは妖艶な笑みを浮かべながら、小さな布袋を受けとる。
「充分だわ。一度に呼び出せるのは限界があるもの」
床に描いた丸い円は、呪文の様な文字で隙間なく埋められていた。ビアーネはその中心に立ち、袋の中身をばら撒いた。黒くて小さな闇の精霊石が彼女の周囲に広がった。
「理論的には可能なの。デボスが訳した古文書の記載ではね。魔石を核として魔物の様な妖精を召喚するのよ」
ビアーネが楽しそうに話すのに対し、マークは怪訝な顔をした。
「魔物? ただの妖精じゃないのか?」
「魔物が強いのは体内に純度の高い精霊石を宿しているからよ。それなら、もっと精霊力の高い魔石を核にして妖精を作れば強くなるわ。それに召喚する為の精霊力も少なくて済むしね」
「さて、我々は召喚の邪魔をしない様に、部屋の隅に下がりましょうか」
モールに促され、マークは壁にもたれ掛って見物する事にした。
ビアーネはゆっくりと妖精召喚の言葉を唱え出した。その手にはメディニラと銘を与えられた、ユウが探し求める杖が握られていた。
そして、見物を決め込んだマークの目の前で、複数の黒い影がうごめき出した。
「これが『邪霊師』って奴か……」
マークは小さく呟いた。
★作者後書き
読んで頂いている皆様、ありがとうございます。また、お気に入り登録をして下さっている方にもお礼を申し上げます。本当に感謝しております。
第四章が終わり、次の章に作者が苦手とする戦闘シーンがあります。暖かい目で読んでいただけると作者の寿命が延びます。(縮まないだけかもしれませんが)
★次回出演者控室
エア「朝早くから山歩きなんて健康に良さそうだね」
ユウ「魔物が出るかも知れんが……」
エア「それじゃぁ、心臓に悪いじゃないの」
ユウ「お前が山百合と見間違えるのが悪い」
エア「だって、霧の中で良く見えなかったんだもん」