第四章 邪霊師 その三
デボスと名乗った男は、静かに語り出した。
「七年前、妻のアンヌが殺された時、彼女は妊娠していました。妻と子を殺された私は、怒りの余りに我を失いました。ベレトスに追われて船が爆発する寸前、頑丈で小さな脱出船にドルフと共に入り込みました。仲間が私を優先的に押し込んでくれて……。私は仲間を犠牲にして生き残ったのです」
マッシュはシャルルの顔が突然、頭に浮かんだ。
「そして、アノビ村に滞在していたシャルルの父上に出会ったのですね」
「はい、大怪我をした私とドルフは村人に助けられました。シャルル君の父上は、私達の事情を知っても王国の警備兵に通報をしませんでした。そして私にガスパーと名乗る様に勧めてくれました」
「シャルルの父親は、かつてベレトス様の部下だと聞いていますわ。ベレトス様に意見をしたらレイメルの部隊に配属されたと……」
そのメリルの言葉を聞いて、マッシュはシャルルの父が取った行動を推測した。
「貴方達の傷が癒えて動ける様になったら、私の所に連れてきて密かに他国に逃がそうと考えたのでしょう」
デボスは小さく頷くと、再び白い天井を見つめた。
「彼は勇気があり、そして優しい方でした……。ところが、バイオエレメントが作動しても、私が動けるようになるまで時間が掛かりました。ドルフはもっと……。そのうちに村は雪に閉ざされ、そして短い春が過ぎ、ドルフが歩けるようになった頃に帝国が攻めてきました」
デボスは顔を両手で覆い、呻くように話し続けた。
「帝国兵は容赦が無かった。私を受け入れてくれた村を焼き払い、シャルル君の父上を含め警備兵を全て殺し、そして村人も殺そうとした……。私は耐えられなかった、あの墜落する飛行船の中でも仲間は私を守ろうとしてくれた。仲間を犠牲にして生き残った私に出来る事は、自分が魔石師だと身分を明かし、村人の命を守る事だけで……」
頷いたマッシュはベッドの横に膝を着いた。
「我が国と違って、帝国は魔石合成だけでなく機械の分野も発展していない。優秀な職人が欲しかった。貴方は自分が帝国に行く代わりに、村人を解放するように交渉したのですね」
デボスは渇いた笑いを浮かべ、ゆっくりと頷いた。
メリルは冷たい水で洗ったタオルで、デボスの額の汗を拭き取りながら呟いた。
「確かアノビ村の方々は、無事に別の村に辿り着いたと聞きました。国境近くの村が全滅させられた事に比べると、あの村に生存者がいたのはデボスさんのお陰だったのですね。アノビ村の方々は、貴方の事について何も言いませんでしたが……」
メリルの顔を見つめたデボスは必死に懇願をした。
「私が皆さんに黙っている様にお願いしたのです。私を匿っていたことが分かってしまうと、どんな罰を彼らが受けるか……。村人には何の罪も有りません」
マッシュは彼の言葉に応えた。
「心配はいりませんよ。その事は私とアンキセス殿の二人で女王に約束させましょう。元々はベレトス殿の起こした事が原因ですから……」
「くれぐれも村人達の事をお願いします……。それから私とドルフは帝国に連れて行かれ、みすぼらしくて設備が整っていない研究所で働かされました。一年ほど経った時に終戦が近いと知り、帝国から脱出しようと考えました。その頃には、帝国内はかなり混乱をしていましたから……」
咳き込んだデボスの身体を抱き起こし、メリルは水を飲ませた。
「少しでも水分を取らないと……。でも、よく脱出できましたね」
再びベッドに横になったデボスの息は荒くなっていた。
「その当時、王国が開発した新しい飛行船を調査する為に国境近くへ連れて行かれたのです。そしてドルフが協力してくれました。自分は機械師だから殺されない、と言って手助けしてくれたのです。私を逃がして、彼は帝国に残りました……。今、彼はどうしているのか……」
デボスの両目から流れる涙を、メリルはそっとタオルで拭き取った。
「シスター、あ、ありがとうございます……。そして王国へ戻った時には、私の眼は赤くなり、髪の色は薄茶色になっていました。バイオエレメントの影響だと分かっていましたが、逆に正体が隠せるだろうと安心していました。ところが、王都に入って直ぐに私の素性に気が付いた男が現れました」
マッシュとメリルは顔を見合わせた。
「その男は闇商人だと言っていました。名前を『モール・アンタレス』と名乗りましたが、きっと偽名でしょう。『死神の赤い星』なんて……」
デボスの表情はすっかり精気を失っていた。
「彼は私を脅しました。両親の命と引き換えに仕事をしないか、と……。私に目隠しをして馬車に乗せ、遠く離れた街の薄汚れた木造の工房に連れて行きました。そして次々と魔石の合成を命じられました」
マッシュは身を乗り出すと、
「何処の街だったか分かりますか?」
デボスは小さく首を振った。
「はっきりとは分かりませんが、霧が多い港町で大きな河に小島が有り、橋が掛かっていました。私はその小島にある工房に監禁され、話をする人間は数人に限られていました。私に分かるのは、その小島が無法地帯という事でした。魔道機の部品だけではなく、多くの女や子供が連れ込まれ、そして売られていました」
その言葉にメリルは顔をしかめた。
「まだ、そんな事を……。無くならないのですね、力の弱い人を虐げる者達が……」
「メリル、君も気が付いただろう。その無法地帯は港町フォルモントにあるポストル地区でしょう。神霊教会本部の近くに存在しながら、最も精霊王の教えに遠い、人の命でさえ売り買いする背徳の『黒闇の市場』と呼ばれる場所です」
マッシュもメリルと同じ様に顔をしかめていた。
デボスは納得をしたような顔をして、
「黒闇の市場……。あの場所には相応しい言葉かもしれません。しかし、其処から連れ出される時が有りました。一回目は五年前に王都へ、二回目はラヴァル村です」
マッシュは、はっとした顔でデボスを見つめた。
「まさか……、まさか、エドラド殿とケントの殺害に関与を……」
「私はマークと名乗る男と共にエドラドを訪ねました。マークは新しい魔石の事をしつこく尋ねました。そして、エドラドとマリアは殺されてしまった……。エアはその時に部屋に居ました。」
マッシュとメリルは、再び顔を見合わせた。
「彼女はあの時の出来事を思い出せない様ですが、私が必ず思い出させます。それまで彼女には……、彼女には伝えないでください」
沈黙が流れ、マッシュとメリルの頭にはアンキセスの言葉が渦巻いていた。
(いずれ彼女に試練の時が訪れる、とはこの事でしたか……)
マッシュは深い溜め息を吐いた。
「承知しました。彼女にとって教えられた記憶より、自分で思い出した記憶の方が良いに決まっていますからね」
マッシュの言葉にメリルも頷いた。
デボスは目を閉じ、大きく息を吐いた。
「心から感謝します。それとラヴァル村に行った時は、まだレイメルの市民が村にいる時でした。再建中の混乱の中で、私は杖を持った新人の精霊師を鉱山に呼び出し、リゲルが造った杖を奪うように命じられました。私は魔石師ですから、ベレトス以外に戦った事など有りません。しかし、依頼を果さないと両親が殺されてしまう。私は必死に若い精霊師に頼みましたが、所詮は無理な願い。揉み合っているうちに、坑道の中でお互いが放った魔法が原因で落盤が起きました」
「それでケントが亡くなったのですね……」
涙を浮かべたメリルは、ユウが納骨堂で見せた無念を思い出した。
「はい。そして奪った杖はモールが持ち去って行きました。モールは『渡す相手が居る』と言っていました。あの黒髪の青年は、亡くなった少年と一緒に居た精霊師ですね。彼にその事を伝えたかったのです」
マッシュは唸りながら考えた。モールという男は、デボスが略奪行為など性格的に出来ない事を承知で命じたに違いない。罪に苦しんでいる彼を冷ややかに笑い、両親を人質に取りながらも、完全に自分の道具とする為に心が折れるような命令をしたのだろう。
そう察した彼は、モールという男が持つ、陰湿な深い闇を感じていた。
「私は死んでしまいたかった……。しかし、それはアンヌのバイオエレメントをモールに渡す事になってしまう。それだけは出来ない。私はどうしたら閉じ込められた工房から解放されるかを考えていました」
汗に塗れて来たデボスの顔をメリルはタオルで拭った。
「すると三年前に、一人の精霊師が誘拐された子供達を救出する為に潜入してきました。彼の名はレリックと……。私は素性を明かさずに協力し、密かに爆薬を渡しました。そして彼は子供達が閉じ込められた場所を見つけ、私が渡した爆薬を使って騒ぎを起こして救出しました。」
マッシュは驚きを露わにした。
当時、王国中の街や村にも知れ渡った事件であった。
「その事件は私も知っています。そのポストル地区から橋を渡って生き延びた子供の数は、半数にも満たなかった。そしてレリックという精霊師は殉職したと報告が有りました」
デボスは黙って頷いた。
「多くの建物が燃え上がる炎の中、私も必死に橋を目指しました。しかし、其処で見た光景は地獄だった。悲鳴を上げて逃げ回る子供達が捕まり、無残にも殺されたり……。レリックが一人で戦っているのが見えました。そして私は橋を渡る事は出来ませんでした。私も大やけどを負って捕まったのです。そして別の街に連れて行かれ、何処かの屋敷の中で治療を受けました」
マッシュは唇を噛んだ。
何故、この男はこんなにも不運が続くのだろうか。否、不運なんて言葉では言い表せない、過酷であり残酷な運命だ。それ程までに、バイオエレメントは呪われた魔道機だったのか……。
マッシュは、擦り切れそうなほど疲れ切った男の心情に思いを巡らせた。
「このやけどを治す為に、私の身体は限界に近付いた様でした。普通に暮らすのが精一杯になりました。それを見たモールは、このレイメルに滞在をする事を許したのです。時折、グラセルに居るルイスと連絡を取る事。黒妖精を見張りに付ける事。そして、私が死んだらバイオエレメントを貰うと……」
今度はメリルが露骨に嫌な顔をした。
「死んでからも利用しようなんて……。何て惨い事を言うのでしょう。でも何故、直ぐに殺さずにレイメルの滞在を許したのでしょうか?」
「古文書の書き写しをさせる為です。私は神霊石の研究をしていた為、古代王国時代の文字が読めます。モールは何処からか手に入れて来た古文書を使いの者に持たせて、私に解読をさせていました」
モールは力の入らない手を動かし、自分が横たわっているベッドを撫でた。
「このベッドの裏側に、今まで解読した古文書の写本が残してあります。モールの使いに渡した写本には、九割の真実と一割の嘘が混ぜて有ります。しかし、此処に残してある文書は真実です。これを貴方に保管して頂きたいのです。それとリゲルと話をさせて下さい。どうしても彼に話しておきたい事があるのです」
デボスはマッシュの手を取った。彼の体調を心配したメリルは、マッシュに強く訴えた。
「よくぞ話して下さいました。とにかく貴方を教会の病室へ運びましょう。リゲルには教会へ来て貰うように使いを出します。それで良いですよね、マッシュ」
「今は少しでも貴方に長く生きていて欲しい。メリルの言う通りにしましょう。それからデボスさん。貴方に知らせたい事が有ります。先程のアンキセス殿から届いた心話の内容ですが、貴方の親族を王宮内に保護するように、と女王に求めるものでした。ホシガラスが女王の下に辿り着けば、その求めは実現されるでしょう。私もまた、急いで女王へと使いを出しましょう」
マッシュが明かした思いも掛けない朗報に、言葉を失ったデボスであったが、赤い瞳には希望の光が宿っていた。
アンキセスに『アホガラス』と叱られたホシガラスは、その名の由来どおりに星から降る光の如き速さで王都に辿り着いていた。
目的の部屋を見つけると、ガラス窓に向かって急降下をした。
ガチャーン、バリバリーン、
ホシガラスは窓際に置いてあった花瓶も叩き割り、アイリスの花を撒き散らしながら、女王の目の前にゆっくりと舞い降りた。
「そなたは主にそっくりじゃのう」
溜め息を吐く女王の前に、白く輝く珠を吐き出した。
その珠を手に乗せて見つめていた女王は、アンキセスの心話を読み取った途端、
「うるさいんじゃあっ! タヌキじじい!」
思わず立ち上がり、光る珠を床に叩きつけた。
★作者後書き
読んで頂いている皆様方に本当に感謝しております。この小説の副題『悲嘆の魔石師』は、このデボスのことです。彼の人生を通して、エアやユウを始め、様々な人たちの人生を描いていく予定です。
★次回出演者控室
モール「やっと私たちの出番ですね」
マーク「俺たちが悪役なんて、おかしくないか?」
????「素直に生きてだけで、非難されたくないわ」
モール「他人に善悪を判断されたくないですね」