プロローグ 2
グラセル大工房が炎に包まれてから数年の時が流れ、事件の記憶が薄れかかった頃――。
王都・アンボワーズは秋を迎え、各都市の代表が、小麦などの収穫量を報告する為に、王宮の廊下に列をなしていた。
ところが代表達が順番待ちをしているのも気にせず、ゆったりと列の横を通り抜けていく二人の男がいた。
「ところで『精霊の黄昏』を知っておるかの? マッシュ」
白い髪や髭を伸ばし放題の老人は、並んで歩く貴族の男に意地悪っぽく尋ねた。
少し猫背で質素な灰色のローブを纏っている老人は、煌びやかな王宮の中をゆっくりと歩んでいく。
すれ違う人々が目を見開いてしまうのは、この老人が有名な精霊師だからというより、余りにも王宮に不釣合いで薄汚く思える姿の為なのだが、本人は全く気にする様子はない。
「アンキセス殿。いくら私が無骨でも、我がトルネリア王国創世の伝承を知らぬはずはございません。短く要約すると、こんな話でしたか……」
マッシュと呼ばれた温厚で真面目そうな初老の男は、試験を受けている様な緊張した面持ちで語りだした。
まだ大地が一つだった昔、二つの種族が大地に存在していた。
精霊は高度な文明を持つ、世界創世の偉大な種族。
人間は最後に精霊が造りだした種族。
同じ大地に暮らしていても、成り立ちが全く違う種族は交わることがなかった。
ところが、精霊の乙女と人間の男が恋に落ち、共に生きる事を誓った。
数多くの精霊や眷属の妖精を従えていた精霊王は、乙女が人間と婚姻する事に強く反対し、やむなく乙女を世界樹に幽閉した。
乙女の深い悲しみは、落涙が止まらずに大地に大きな湖が出来る程であった。
その湖は、王国にあるエアレーン湖だといわれている。
精霊王は乙女が悲嘆のあまりに死んでしまうのではと苦悩し、ついに人間の男と共に生きることを許した。
乙女は精霊石から魔石や魔道機の技術と、精霊魔法を男に教えた。
ところが、その技術により人間は豊かな生活が出来るようになったのに、さらに豊かな生活を求めて、人間は同族で醜く争うようになり戦争が起こった。
そして人間はより強大な力を求め、精霊や妖精を従えようと考えた。
その愚かな考えの為に、妖精を従えた精霊達とも大きな戦争に発展した。
海は煮えたぎり、森は焼かれ、とうとう大地は裂けて別れてしまい、人や精霊の住処は破壊されてしまった。
精霊王を始め始祖十二神霊と呼ばれる精霊達は、大地や海を守るためには愚かな人間達を滅ぼすより他はないと決意する。
それを知った乙女は悲しみ、深い苦悩の淵に沈み込んだ。
乙女は考え抜いた結果、精霊と人間の争いを避ける為、全ての精霊を眠りにつかせ、精霊が人間に与えた力を奪う事にした。
その対価として、乙女は自分の持つ神霊の力を使い果たし、他の精霊達と共に世界樹の中で深い眠りについた。
その後、男はトルネリア王国を興したが、乙女と精霊達に謝罪と敬意を表し、乙女と自分との間に生まれた娘に王位を与えた。
以降、トルネリア王国では、『王』は精霊王のみで空位とし、乙女の血を引く女性を女王とすることとなった。
「――そして現在、トルネリア王国の女王はサリア五世となります」
「そのとおり、ほぼ満点じゃ。千年以上前に精霊達が眠りに着いた出来事を『精霊の黄昏』というのじゃが……。いくぶんか人間に都合よくなっておる話だと思うがのぅ」
いささか物憂げな口調で答えながら、アンキセスは突き当たりの扉の前で立ち止まり、今度は部屋の中に聞こえるような大声で、
「さてさて、乙女のなれの果て『キツネばばぁ』がお待ちかねじゃ!」
その言葉に青ざめたマッシュは、アンキセスに連れられて女王の私室に足を踏み入れた途端、あからさまに深いシワを眉間に寄せている老女の姿が目に飛び込んできた。
小柄な老女の瞳は青く、上品に結いあげた髪は白髪が随分と混じっているが、若かりし頃は見事な金髪であったと思われた。
「久しぶりじゃなぁ、精霊魔法使いの『タヌキじじぃ』殿。扉越しでも聞こえておったわ!」
むっつりと椅子に座っている老女王を前にして、あわてたマッシュは反射的に頭を下げた。
「申し訳ございません。女王陛下」
女王を『キツネばばぁ』と呼んだアンキセスは知らん顔をしているのだが……。
「マッシュが謝る必要はないぞぇ。悪いのは其処のタヌキだが……。まあ、お前も同罪じゃ。タヌキと立っておれ」
くそジジイ、と腹の中でアンキセスをののしり、マッシュに八つ当たりをした女王は二人を立たせたまま話をすることにした。
「ところで、今日は頼みがあるのだが。聞いてくれるか?」
その言葉に、思わずマッシュは身構えた。
今まで女王の私室に呼ばれた場合、まともな話は一つもなかった。
だいたい王族の『頼み』なんて無理難題ばかりで、おまけに断れるはずが無い。
(嫌な予感がする……)
タヌキの巻き添えになったマッシュは、にんまりと笑みを浮かべた女王の顔を見て額に脂汗が噴き出すのを感じていた。
「さて、グラセル大工房に賊が入り込み、職人が殺された」
急に渋い表情を浮かべた女王が告げた事実に、
「あの厳重な警備をしている都市で?」
マッシュは驚きの声を上げた。
彼が驚くのも無理はない。普段、慌てた姿を人に見せないアンキセスでさえも目を丸くしている。
グラセル大工房で開発された技術はトルネリア王国の生活を支えるだけではなく、近隣諸国の生活に対しても影響を与えている。
火を使わずとも闇夜を照らす『魔石灯』などの生活用魔道機。
装備した人物に危険が迫ると自動的に防御魔法が発動する護身用魔道機。
精霊魔法の威力を強めて魔法が使える武装用魔道機。
怪我などに対して治癒魔法の効果を高める医療用魔道機。
大まかに四種類に大別されているが、数えればきりがない程の魔導機が開発されて人々の生活の中に溶け込んでいた。
小国であるトルネリア王国において、魔道機開発は富をもたらす重要な産業の一つであり、そのために開発や製造を担当する機械師達が集まるグラセル大工房は機密性が高い都市であった。
王国南東部のケルプス山脈にある小高く険しい山の上に頑丈な石壁を積み上げ都市を築いているため、傾斜のきつい山を登って潜入するのは不可能となっている。
都市に入る方法は、魔道飛行船を使って空から入るしかないのだ。
その飛行船の発着場においては、外部の人間に対して厳重に出入りを制限しており、許可証を持たない身元不明の怪しい人物は、都市には入れないはずなのだ。
「賊を手引きした者が内部にいる、ということでしょうか?」
職人の中に賊の仲間が潜んでいる、としか思えないマッシュは思わず声に出した。
「さらに、完成直後の新型魔道飛行船の設計図が盗まれそうになってなぁ……。警備の兵と職人達が総出で犯人を捕えようとしたが逃げらた。『精霊に黄昏を』と言い残して逃げた男は、七年前に死んだはずの魔石師である、と報告を受けた」
言い終えた女王は顔の向きも変えず、じろりと視線だけをアンキセスに向けた。
「七年前? あのデボスが生きていたと?」
眉を寄せて険しい表情をしたアンキセスの横で、マッシュは再び驚きの声をあげた。
マッシュが驚くのも無理はなかった。
七年前、グラセル大工房で大規模な動乱が起こった。
兵を引き連れたベレトスは、機械師のアンヌに対してバイオエレメントを武装用として改造するように命令をした。
当然、アンヌはその命令を頑なに拒否、そのため激怒したベレトスに殺害されてしまい、麻酔から覚めて妻が殺された事を知ったデボスは憎悪に支配されてしまった。
手術後間もない身体であるにもかかわらず、ベレトスに襲い掛かったデボスに大工房の職人達は加勢した。
結果、魔道機研究区画は炎に包まれて焼け落ち、多数の死傷者が確認され、アンヌだけではなくデボスも死亡したとされている。
『火精の生まれ変わり』と呼ばれたベレトスの、思慮の浅さが引き起こした暴動であった。
この事件は『火精の乱心』と呼ばれており、多数の職人と魔道機研究区画を失ったグラセル大工房のみならず、王国にも多大な損害をもたらした。
「ベレトスを離島に幽閉したが、取り返しのつかぬことばかりよ……」
あのバカ息子め、とつぶやきながら女王は青空の広がる窓を眺めた。そこには、艶やかな紫色をしたアイリスの花束を飾った大きな花瓶が置いてあった。
王族を処刑することはできず、かといって野放しにはできない。母親でもあり女王でもある彼女は、小さな離島の古城に息子を幽閉することにしたのである。
その命令を受け、ベレトスを離島へ護送したのは、他でもないマッシュとアンキセスであった。
あの日以来、女王の私室にはアイリスの花が飾られていることをアンキセスは知っていた。
王都の温室で、絶やすこと無く栽培されているのだ。
アイリスの花言葉は『使命』、そして『伝令』――。
『使命』とは、女王としての使命を指しているのか……。そして『伝令』とは、つらい思いをしながら命令をベレトスに伝えたことを指しているのか……。
アンキセスには、彼女の複雑な心中を察することしか出来なかった。女王としては言葉に出せない母親としての想いがあるのだろうと……。
「もし、あのデボスなら復讐を望んでおっても不思議はなかろう。『精霊に黄昏を』とは、精霊の血を引く王家を打倒する、という事なのじゃろうなぁ」
アンキセスは女王の許しを得ずに、勝手に椅子に座り込んで話を続ける。
「ところで、本当にデボスだったかの?」
と、疑うように女王に尋ねた。
「顔を見知っていた者は間違いなくデボスだったと述べておる」
女王はアンキセスをとがめることもせず、ふぅ、と溜め息をつき、
「問題は、魔道機や魔石を持っておらんのに火魔法を使った。それも、かなり威力の高いものだった。人が焼けるほどのな……」
それを聞いたアンキセスは、彼女の不安を言葉に表した。
「バイオエレメントが武装用魔道機として使用されている……ということじゃなぁ」
幻であり、禁断の魔道機とされたバイオエレメントが存在する。それは、直視しなければならない現実と思われた。
「ところで、わしらを呼び付けての『頼み』と、この話と何の関係が有るのかのぉ~」
今度はアンキセスがとぼけたことを言いながら、女王を睨み返す番であった。
(この二人は仲が良いくせに、へそ曲がり同志だから……)
アンキセスと女王は、幼い頃に結婚を誓った仲だったが、何かの事情により引き裂かれたと聞かされたことがあるマッシュは、深い溜め息をついた。
昔、アンキセスについて、父がそのように語っていたのだが……。
今思えば、もっとよく聞いておけば良かったと後悔したが、すでに父は他界しているし、今さら誰かに聞いて回る気も起きなかった。
なぜなら、過去の出来事を聞きまわっていると二人が知ったら、可能な限りのあらゆる嫌がらせをするだろうと簡単に予想が出来るからだ。
とりあえず、女王の私室に武装魔道機を持ったまま入室を許されているのはアンキセスのみと知っているマッシュは、不機嫌を装う二人の老人を黙って眺めていた。
すると、にやりと笑った女王は、タヌキじじぃの文句を聞き流し、
「関係があるに決まっておろう。精霊師ギルドの元会長であるアンキセス・リーズン、城塞都市レイメルの市長であるマッシュ・グランドール。サリア五世の名のもとに、両名に申し付ける。これより指示する作戦をグラセル大工房と協力のうえ実行せよ!」
ここぞとばかり高笑いをしながらキツネばばぁは上機嫌に言い放った。
(嫌な予感というものは、はずれないんですよね)
マッシュは額どころか、全身に脂汗が噴き出るのを感じた。
「それは頼みじゃなくて命令じゃ!」
得意げな顔をしている女王に対し、タヌキじじぃは拳を握り締め、勝ち目のない抗議を始めた。