第四章 邪霊師 その一
ひんやりした妖精の額の感触に、エアは我に返った。
「ありがとう、アンディ。心配しなくても大丈夫だよ……」
大きく息を吐いたエアは、アンディの額に自分の熱っぽくなった額を押し当てた。
その様子を見たユウは、震えている彼女の両肩に手を置いた。
「トッドに悪気は無い。お前も無理をするな」
「ごめんね、トッド。お父さんやお母さんの顔は思い出せるんだけど……」
少し疲れた顔をしながら、彼女はトッドにぎごちない笑顔を返した。
「ごめん、エア。このフレームには文字が刻んであったんだ。特殊な方法でなければ刻めない、読めない、とても小さな文字だよ。それは機械師でなければ刻めない代物だから……」
「つまり、母親は機械師ということか?」
トッドはユウの問い掛けに黙って頷き、メモに書き写したその文字を読み上げた。
エドラドとマリアの宝物である我らが姫君に送る。
暁と黄昏が揃って現れし時、深く眠りし者が目覚める。輝ける者達が導かれ一つになりし時、新たなる世界が開かれん。
我らが姫君の行く先に、希望の光が有らん事を心から願う。
「そんな……、そんな言葉が刻んであるなんて……」
ユウを見上げるエアの瞳は潤んでいた。
トッドは工具を器用に扱いながら、鎖を取り付け始めた。
「僕に心当たりが有るのは、エドラド・フィーメルと妻のマリア。王室の筆頭魔石師だったエドラドは五年近く前、妻と共に亡くなったと聞いているよ。僕が細工師の修行を始めた頃で、いつか彼の魔石を扱ってみたいと憧れていたんだ。君の両親はエドラド夫妻だと僕は思うよ」
エアは両手を強く握り締めた。
「もしかしたら生きているかもって……思っていたの。でも……やっぱり、あの時に二人とも殺されたんだ」
ユウは黙ってエアの肩に手を置いた。
「でも、何で殺されなきゃいけないの? あの時に何が有ったの? どうして私は思い出せないの!」
エアの悲鳴のような叫びに、トッドは真剣に答えた。
「そうやって叫んでいれば、誰かが何とかしてくれるの? 確かに両親が亡くなったのは気の毒だと思うけど、生き残っているのは君なんだ。あの時に何が有ったのか、それを知っているのは君しかいない。君が……、君が記憶を取り戻す意外に真実を知る手段は無いんだ」
トッドの強い口調に押され、エアは呆然としていた。
「トッド、よく頑張ったな……。俺もその通りだと思う」
唇を噛んでいるトッドに、穏やかな笑みを向けたユウは、
「だが、慌てなくてもいい。自分の記憶は、自分で取り返せ……。アンキセスの爺さんも同じことを言ったんじゃないのか?」
エアは出会ったばかりのアンキセスの言葉を思い出した。
炎の記憶に怯える彼女の頭を撫でながら、アンキセスは何度も言って聞かせていた。
「うん、今は思い出せなくても構わないって……。それに耐えられる心の力が付いた時に、自然と記憶の扉が開かれるって言ってた……」
「爺さんの言う通りだな。今のお前は耐え切れない事に出会うと、うろたえているだけで他人に甘えている。まずは自分の心を強くするんだな」
ユウの言葉に、エアは素直に頷いた。
「さて、修理が出来たよ。フレームが何の魔道機か分からなかったけど、後でゆっくり調べておくよ」
トッドがエアに渡したのは、幅の広くてしっかりとした銀のネックレスであった。少し細めの銀の鎖を何本か編み込んで、中央に青い魔石を配置してあった。
「ありがとう……。こんなに意味のある物だなんて、トッドに教えてもらわなきゃ知らないままだったかも――」
エアは心の底から、幸せな気持ちで笑みを浮かべた。『エドラドとマリアの宝物』という言葉が記されていた事を知り、両親が自分を大切に想っていた事を改めて感じられたのだ。
不器用なエアが首の後ろで、受け取ったネックレスの留め金を止めようと苦戦していると、
「俺がやろう」
後ろで控えていたユウが、エアの手から留め金を受け取る。ユウが近くに立っている気配を背中に感じ、エアの心臓は何かに驚いた様にドキドキしている。
ユウの指先が微かに首に触れるのが、少し恥ずかしく、くすぐったいのだ。
「焦らなくてもいい。少しずつ思い出せばいいんだ」
落ち着いて励ます彼の言葉に、エアは優しい労りを感じた。
「僕も力になるよ」
思い切って尋ねて良かった、とトッドはエアの幸せそうな笑顔を見て安堵していた。しかし、ほのぼのとしている二人を眺めるユウの表情は冴えなかった。
(機械師の母と魔石師の父の不審な死。幼くて両親が何の研究をしていたのか詳しくは知るまいが……、バイオエレメントと何か関係があるのか……)
リゲルの工房で彼女が見せた戸惑いが、ユウの心に疑いの念を抱かせていた。
二人がギルドに戻ると、レティがしっかりと待ち構えていた。
両眼を細めたレティは胸に手を当て、すうっ、と大きく息を吸い込んだ。
「期日が近くて場所も遠くなくて報酬もそんなに悪くないし、なによりもユウもお世話になっている処だから私としてはやっぱり恩も返しておかなきゃいけないと思うわけよ、だから急いでヴォルカノンへ行ってね」
彼女は一息で、言葉を全部吐き出した。
「レティ、お前も世話になっているだろうが?」
ユウは少しうんざりしながら反論する。
ところがレティは、ふふん、と荒く鼻を鳴らし言い放った。
「私は正当な客で通っているの」
この世にいるすべての人間が束になっても口でレティにかなう者はいないだろう。
当然、いまいちどころか全く口下手のユウなど勝てるはずもなかった。
「いや……、その……またか……」
がっくりと肩を落としてユウは外へ出ていった。
そんな彼の後ろ姿を見ていたエアに、レティはひそひそと耳打ちをした。
「ユウって考えていることが表情に出ないから、よく分からないの。むっつりとカウンターに立たれると怖いときもあって……。つい先制攻撃してしまうのよね」
「なる程、さすがレティ」
対処法として覚えておこうと思った時、レティが急に真顔になった。
「エア、さっき市長が来たの。メリルと一緒に、ガスパーさんに会いに行くって……。エアもユウと依頼の話を聞いたら来て欲しい、て言ってたわよ」
レティは、ガスパーの体調が思わしくないと言えなかった。
「何か有ったのかなぁ……?」
その時、ユウが扉の外から呼ぶ声が聞こえた。
「おい、依頼人に会いに行くぞ」
エアは慌てて外へ駆けだした。後ろからはレティの元気な声が追いかけてきた。
「頑張ってね~」
(……何を頑張るのかなぁ?)
考えた途端、エアは何もない処で転んでしまった。
美しい花々が咲き乱れ、甘い香りの漂う大通りを噴水広場へ向かう。
まるで花々の間を吹き抜ける風が虹色に染まっているような錯覚を起こす。
『ヴォルカノン』―― 噴水広場北東の角にある大きな店は、夜は大衆食堂兼、酒場、昼はオープンテラス付きのカフェに変身する。
「お菓子もおいしいのよね」
エアがそう呟くと、ユウは口の端で笑みを浮かべながら答えた。
「菓子か……。此処のシェフは何でも作るからな。まぁ、この仕事が終わったらゆっくりすればいいさ」
戸が開け放ってある南の出入り口から店内に入ろうとした時、酔っぱらった二人の男がエレナに絡んでいるのが目に留まった。
見慣れぬ男達は観光客と思われた。
「いいじゃないですかぁ~。今から飛行船まで案内して下さいよ、代金ははずむからさぁ~」
泥酔者特有の間延びした喋り方である。これを耳にしただけでも相当酔っているのが分かった。
「お客さん、困ります。飛行船の発着所は通りを北へ行くだけですよ」
店の中は静まり返っている。しかし、誰も席を立って止めようとする者はいなかった。
そうこうしているうちに、顔を真っ赤にして目が据わっている男がエレナの腕を掴んだ。
(なんてことをするの!)
エアが駆け寄るよりも早く、ユウが両手で泥酔客二人の襟首を掴んだ。そして、そのまま向かい合った二人の額を打楽器のように打ち付けた。
「ウギャ」 「うげっ」
何とも情けない声をたてて、泥酔男二人組は気絶した。
この気の毒な二人組は目から特大の火花が出たに違いない。
伸びている男の懐から黙って財布を取り出したユウは、そのままエレナに手渡した。
「えーっと、ライ麦酒十杯と鶏肉の煮込みと……」
エレナは素早く計算し、ユウに代金を抜いて財布を返した。
するとユウは受け取った財布を男のポケットに捻じ込み、襟首を掴んだまま一人を引きずり、もう一人を肩に担いで運び、店外の大通りに放り出した。
遠巻きにして騒動を見ていた街の人達から、話し声がヒソヒソと聞こえてくる。
(馬鹿だね、あいつら。この街の酒場で暴れるなんて……)
(初めてくる奴らだな)
(相変わらず、拳で解決かぁ……)
(おい、そろそろ来るぜ……)
そろそろ来るぜ、という言葉を聞いてエアは首をかしげた。
(何が来るんだろう? 救護の人とか、ゴミ拾いの人とか……)
エアが考えていると、どこかで聞いた声がパタパタという足音と供に聞こえてきた。
「あらあら~。まだ祭りは始まっていないのに、二人も救いを求める方がいるなんて。同志の皆様~。丁寧に教会まで御案内して下さいね」
メリルが数人の修道士を連れて、斜め向かいの教会から走ってきたのだ。
「早めに他の街にある教会に応援を頼んでおいてよかったわ~」
きっとあの二人は、それは、それは丁重に教会の女神に看護されることになるだろう。もちろん、所持金に応じてだが……。
(さすがメリル、見逃さないのね……)
エアは震えながら、嬉々として二人を担いで行く教会関係者の姿を見送っていた。
「あらあら~、エアちゃん。私はこれからガスパーさんの所に薬を届けに行くから、後から来て下さいね~」
メリルの言葉に、エアは驚いた。
「ガスパーさん、具合が悪いの?」
「大丈夫ですよ。でも、寝込んで居らっしゃるので見舞いに来て下さいね」
明るくエアに返事を返しつつ、メリルの心は沈んでいた。
「おい」
エアは自分を呼ぶ声がしたので振り返ると、ユウはエアの背に手を当てながら、若い女主人に紹介した。
「今日、精霊師の試験に合格したエアだ。彼女は店主のエレナだ」
ユウと目が合うと、彼は女主人の方へ視線を移した。
(挨拶しなさいってことなのかな……)
「エア・オクルスです。あの――、よろしくお願いします」
「ありがとう。たまにレティとお茶を飲みに来ている子ね。彼女から話は聞いているわ」
エレナは屈託のない笑顔で話しかける。
「噴水が溢れた時にはお世話になりました」
「あれには驚いたわ~。椅子やテーブルが流れちゃうんですもの。さすが、ちょい姫さんね。それで今回の仕事は、貴方も一緒なんでしょ」
エレナはユウに親しげに話しかける。
「新人だからな」
ユウは表情を変えずに返事すると、エレナは小さな溜め息をつき、
「こいつ、不愛想でしょ。本当に最低限のことしか言わないし。前はここまでじゃなかったけどね。あ、今とあんまり変わらないかな。ねぇ、ユウ?」
エレナは穏やかな笑みを浮かべながらユウに訊いた。
「知らん……」
どうして俺の周りには煩い女しかいないのだろう、と彼は憂鬱になった。
「まあいいわ。依頼の話をするから席で待っていて。お茶を持ってくるから」
エレナはテーブルの一席を指差して、もじもじと立っているエアに尋ねた。
「エアちゃんは甘いもの好き?」
エアは思わず本音を漏らした。
「食べると幸せになるぐらい好きです」
「じゃぁ、期待して待っていてね」
くすくすと笑いながら、エレナは店の奥へ入って行った。
エアが頭の中で何をどれぐらい期待したらいいのだろうか、と思考をぐるぐるさせて椅子に座り待っていると、エレナが大きなトレイで何かを運んでくるのが目に入った。
「ユウは甘いものはダメだからクロワッサンとコーヒー。エアちゃんには甘味大好き同盟ということで、特別に裏メニューの『アーレット』よ」
エアの前には衝撃の逸品が置かれた。パイ生地の上に生クリームを塗って、木イチゴをみっちりと並べた物が四段重ねにしてある。更にその上にたっぷりと、真っ白な粉砂糖が塗してあった。
「きゃ~っ! 幸せ~!」
思わず叫んだエアの瞳は光輝き、ピンクのハート付き幸せオーラに全身は包まれた。反して、ユウの周りには気分が悪いと言わんばかりの黒いオーラが立ち昇った。
甘い匂いに酔った様に手を口元に当て、ユウは半分諦めながら言った。
「お前、ちゃんと話を聞いているのか?」
二人の様子を見ながらエレナは話しを切り出した。
「実はね。去年亡くなった祖父の遺品を整理していたら、料理のレシピ本を見つけたの。その中に作りたい料理があったから、豊穣祭の期間中に特別メニューとしてお客様に出す事にしたの」
エレナは少し困惑した顔をしながら話を続ける。
「ところが、季節が悪くて街では取り扱ってない材料があったの」
料理の材料かぁ……と幸せオーラを纏ったまま、エアはイチゴの特盛り四段アーレットと格闘しながら話を聞いていた。
「山百合の花や茎、それに根っこなの」
と言いながらエレナは少し上目づかいでユウを見る。
「なっ!」
ユウはカップを取り落としそうになった。
珍しく驚いている彼に、
「どうしたの?」
尋ねたエアは幸せオーラに包まれながら、嬉々としてフォークを握っている。
ユウは溜め息を小さくついて
「この時期、山百合の花は街から馬で半日程行ったタンホブ山に咲いている。問題は山百合の放つ強い芳香は魔物が好む為に、魔物の巣が近くにあることも多い」
「じゃあ、それを取りに行くってことは……」
「命の危険あり」
エアの周りを包んでいたピンクのハート付き幸せオーラは急激に消えてしまった。
(しまったぁ、最後まで食べちゃってから聞くんだった……)
彼女は食べかけのスペシャルなスイーツを恨めしそうに見つめた。
★作者後書き
読んで頂いている皆様に、本当に感謝しております。また、お気に入り登録をして頂いている方にも、感謝しております。
さて、物語も中盤になってきました。四章からの展開をお楽しみください。
★次回出演者控室
メリル 「ガスパーさん、大丈夫ですか?」
マッシュ 「おや、あの黒い鴉は?」
ガスパー 「すいません。御迷惑をかけて……」
アンキセス「皆、心配はいらんのじゃ」
アイオン 「私は貴方が何をやらかすのか、そちらの方が心配ですな」
アンキセス「わしではなくて、ホシガラスがやらかすんじゃ」