第三章 赤い炎と青い妖精 その二
エアは杖を握り締めながら、大きく息を吸って呼吸を整える。
「的はあの木にしましょう」
ミリアリアは敷地に立っている大きめの木を指差し、魔法の種類を指定した。
「祝詞は術の大きさと属性を規定して言葉にしたものだから、決まった言葉は無いの。威力は本人が持つ精霊力を増幅させる能力や、合成した魔石の純度に左右されるけどね。さて、エアちゃんは火が苦手だと聞いたから水魔法の水流刃にしましょうか」
『水流刃』―― 水を半月型の刃にして、相手に飛ばして攻撃する魔法である。
頷いたエアは標的の木を睨みながら祝詞を唱え始めた。
エアは水流刃が飛んでいく様を、水中にいる魚の素早い動きに例えてイメージをした
「目覚めし水の妖精よ、形を成して仇成す者に刃を持って反旗を翻せ!」
エアの言葉に反応して杖から青色の澄んだ強い光が飛び出し、魚の形を成してエアの周りを泳ぐ様にぐるぐると回り出した。そして水が唸りを上げて目の前に集っていく。その形状は青銀色の光を纏い、大きな半月型の刃になった。
(大丈夫だよね、今日は失敗したくないし……)
青い刃を見つめるエアの身体は緊張で硬くなっていた。
「吹き飛ばせ!」
その一言によって刃は正面の木に行くはずだった――
不意に周囲の大気が不規則に揺らぎだし、青い魚が激しく宙を泳ぎ始めた。その動きに合わせて小さな水流刃が無数に発生し周囲に飛び始める。更に、大きな水流刃は空高く舞い上がり、訓練場に面した教会のステンドグラスを直撃した。
バリバリーン、ガチャガチャーン
派手な破砕音と共に、滅多に聞く事の出来ないメリルの悲鳴が聞こえた。そして神霊教会と隣り合っている市公舎からは、
「どうした! 何が起こった!」
と職員達が大声で騒いでいるのが聞こえてきた。
しかし、その声はその騒動の渦中にいるミリアリア達の耳には入っていない。
それどころではないのだ。青く輝く魚は泳ぎ回って暴れており、精霊力が暴走して小さな水流刃が無数に宙を舞っている為、ボケッとしていると怪我をしてしまうのだ。
ギギギッ、ボキィィッ
鈍い音がした途端に、エアの持つ杖が砕け散った。
妖精が飛び出た青い魔石からは青銀色の光が強く輝き続け、流れ出る精霊力に杖が耐えられなくなったのだ。
「あわわわわぁ、杖が! ごめんなさい! どうしたらいいのっ! 制御できない!」
エアは修正も誤魔化しも不可能と悟ったらしく、ぶんぶんと両手を振り回し慌てている。
ミリアリアはエアの右側に立って叫ぶ。
「エアちゃん、落ちついてっ! ユウ! エアちゃんの補助に入って制御を手伝って、刃は私とレティが防ぐから!」
「よーし、まかせといてっ! 片っぱしから撃ち落としてやるよ!」
威勢よく叫んだレティはエアの左側で拳を構える。
二人は向かってくる小さな半月型の刃に、正確に魔法を当て始めた。
ミリアリアは両手の中指に嵌めてある指輪型護身魔道機を使い、小さな風の盾を発生させてぶつけている。長い金髪と緑のローブを揺らしながら、最小限の身体を捻らせた動きと両手を刃に向ける仕草は、熟練した踊り子の様に優雅だ。
そしてレティも腕輪型護身魔道機から発生する火球を飛んでくる刃に当てている。きびきびとした動作や伸びやかな手足の動きは、歴戦の戦士の様に思われた。
小さな水の刃は二人によって、次々と撃ち落とされていった。
最初は唖然としていたユウも、この場を収拾する為にミリアリアの指示に従った。
(召喚した妖精に反旗を翻されてどうすんだ……。鈍くさい奴だな)
「おい、杖の魔石を拾え。俺が補助をするから呼吸を整えろ」
慌てて杖から零れ落ちた魔石を両手で握り締めたエアの後ろに立ち、その小さな肩にそっと両手を置いた。
「落ち着け、集中を乱すと術も乱れる。あの妖精はお前が生み出した、お前そのものなんだ」
ユウの言葉に我に返ったエアは青銀の魚を見つめる。
パニックを起こした様に上下左右に泳ぎ回る魚……、あれは『慌てている私』の姿……。
「俺を信じろ、あの妖精を自分の下に呼び寄せるんだ」
肩の置かれた両手の重みを感じながら、エアは心で魚型の妖精に呼びかけた。
(ごめん、私が慌てちゃって……。吃驚したよね、生まれたばかりなのに……)
「生まれ出でし水の幼子よ、呼びし者の声に応えて静まらん」
エアは心の中で詫びながら祝詞を唱えた。
すると魚の動きが急に緩慢になり、エアの下にゆっくりと近づいてきた。
五十センチ程の藍色をした魚は長い尾を振って、澄んだ紫の瞳でエアを見つめている。
その目つきは、すまなさそうにチラリと上目遣いであった。
「召喚者が名付け親になるんだ。生み出した妖精は『呼び名』を与える事で消滅を防ぎ、そして掌握する事が出来る」
万が一に妖精が暴れ出したら危険だ、と妖精から目を離さずにユウは助言をした。
(そういえばガスパーさんも、そんな事を言っていたなぁ……)
頭の中でチラリとガスパーの事を思い出しつつ、目の前の妖精を眺めてみる。
(藍色っぽい色をしているなぁ……、アンディゴ? それは呼びづらいよね、それじゃ――)
「アンディ! 貴方を『アンディ』と呼ぶわ。これから仲良くしてね」
アンディと呼ばれた水の妖精は勢いよく皆の周りを数回周り、エアの持つ青い魔石の中に消えていった。
レティは周りを見回して額に左手を当てながら唸った。
「さすがにど~うなるかと思った。後で市長とメリルのとこへ行っとかなくちゃ」
「地面はボコボコだし、立木の葉はすべて吹き飛んだし、見事なもんだわ」
ミリアリアも頬に両手を当てながら感心している。
「ごめんなさい、迷惑をかけました。本当にすいません!」
エアは謝った後、その場にぺったりと座り込んだ。
また『ちょい姫』って言われちゃうなあと思いつつ、肩に置かれたユウの両手の重みが心地よく感じられたのを不思議に思っていた。
腕を組んだミリアリアは悩みつつも、
「あの杖で妖精召喚が成功するとはね。影でも呼べれば上出来だと考えていたけど……」
ミリアリアはユウに困ったという顔をしたが、
「うーん、思いっきりと言ったのは私だけどねぇ……。課題は威力調整と祝詞の内容、それと慌てない事ね。魔法を放つたびに慌てていたら人を傷つけてしまうわ」
レティに支えられて立ち上がったエアは唇を噛んでいる。
今なら彼女にもはっきりとわかる。妖精のアンディが暴れ回っていた姿は、鏡でうつした様に自分の慌てきった心の状態にそっくりだった事が……。
初めてミリアリアに会った時に交わした言葉を思い出す。
『負けない力、ね……。それは何に負けない為なのかしら』
誰かに負けない力よりも、先に自分に負けない心を手に入れる方が重要なのだ。
しょんぼりと俯いたエアは、不合格だと言われても仕方がないと覚悟をした。
「エアちゃん、合格ね」
「えっ!」
驚いたエアはミリアリアの顔を穴があくほど見つめている。
「その代わり、単独行動をしない事。それと自分を変える努力をする事が条件ね」
ミリアリアはエアの頬にそっと左手を添え、
「今、貴方は自分の欠点に気が付いた。それをどうするのかは貴方次第だけど……。慌てて騒いでいれば、誰かが何とかしてくれる。そんな感覚を当然にして育ったら、嫌な人間にしかならないわよ」
思いがけない厳しい言葉にエアは涙を浮かべた。
「でも初めての出来事に失敗があるのは当たり前。失敗をした後に、如何に終息させるかが大事なのよ」
「はい、ありがとうございます。ミリアリアさん」
素直に頷くエアを前に、ミリアリアは少し沈んだ気分になっていた。会長として厳しい指摘をしなければならない。それは楽しい気分で行えることではなかった。
他人に厳しくすれば、己にもそれを課さねばならぬ事を彼女は充分に理解していたのだ。
ミリアリアはユウに向かって、
「暫くこの子の指導をしてね」
「分かったよ」
ミリアリアが不機嫌になっているのに気が付いたユウは、逆らうと面倒になると察した。エアに厳しい事を言った自分に少し腹を立てているのだろうが、無理に慰めるより放置した方が良いだろうと判断したのだ。
「あら、少しは抵抗するかと思ったんだけど。案外あっさり承諾したわね」
「命令なんだろ、拒否すれば面倒になるし」
「あら、分かっているじゃないの」
「それでなくても、あれこれと煩い奴だからな」
にこりともせずに答えたユウに対し、再び眉が吊り上がったミリアリアは、
「ちょっと待て! 上司に向かって『奴』はないでしょうが!」
「早くエレスグラムを渡せよ。ほら、グラセルの使いが待っているぞ? 早く行けよ」
ユウは早くミリアリアを追っ払いたい一心で突き放した様な言い方をした。
「誤魔化さないで!」
ミリアリアはユウに向かって断固抗議を始めたが、ユウは表情を変えず腕組みをしたまま聞き流している。その情景を眺めながらエアは感心した。
(師匠に説教をするミリアリアさんの話を、彼は聞き流しちゃってる)
熱いお茶が一杯飲める程の時間を抗議に費やしたミリアリアは息を切らし、
「くっ、悔しい……何か負けた気がする」
(気がするじゃなくて負けてるってば)
そう思ったエアだったが怒りの炎に油を注ぐことは間違いないので黙っていた。
「さて、このエレスグラムは精霊師の証。これは精霊魔法の威力を高める物で、精霊師しか渡されない魔道機なのよ。我がギルドの象徴が描かれているの」
掌に収まる丸い魔道機には、杖と盾を持った二枚羽の妖精が描かれていた。
「あと守護精霊師になったら所属するギルドがつける名があるのよ」
「ギルド名なんてカッコいいなぁ」
「でも、『ちょい姫』なんてのは嫌でしょ」
ミリアリアにからかわれたエアの心は試験に受かった喜びがしぼんでしまった。
思ったよりも親しみやすい、でもいたずらっ子の様なところはアンキセスと似ていると思いながらエアは文句を言いだした。
「うーっ、ミリアリアさんもちょい姫って言ったぁ」
ミリアリアは穏やかな顔をして若い精霊師達を見つめていた。
「ミリアリア殿、試験が終わったらグラセルへお連れします」
「あ、そうだっだわね」
その存在を忘れられていた若い職人は、強引にミリアリアを飛行船へと連れて行った。
エアはレティを見上げ、
「レティ、合格したよ!」
「おめでとう、あの鈍くさい『ちょい姫様』が精霊師ねぇ。こりゃ心配だわ」
ほっとした顔を見せたレティだがウェーブしている赤毛を掻き上げ、深呼吸をした後、
「さ~て、もたもたしていたら駄目じゃないの、先輩精霊師は貴方だけなんだから久しぶりの相棒だからといってボケちゃったの? 私よりも少し若いはずなのにボケてる場合じゃないでしょ、ちゃんと彼女を工房へ連れて行って武器とか防具とか魔石とか作ってもらわないと危ないじゃない、聞いてるの? ユウ」
さすがレティ、素晴らしい肺活量で一気に言葉を吐きだした。
元々、早口のレティがいつにも増して早口になるのでエアは驚いた。
エアは後ろに立っていたユウをちらりと見ると彼は黒髪をわしゃわしゃと掻いて、
「反論不可かよ……」
エアは少々、ユウが気の毒になった。しかし、そう思ったのも束の間だった。
「エアも鈍くさいから気を付けないと、何もないところで転ぶし書類を整理させたら順番が逆になっちゃうし拭き掃除をしたらバケツの水をぶちまいちゃうしせっかく精霊師になったからにはこれでご飯が食べていけるようにならなきゃ他の仕事は無理でしょ」
自分に向かって巨大な壁が崩れ落ちて押し潰されそうな気分に陥った。
「分かった、分かったよ、レティ」
言い負かされたユウが表情も変えずに、カウンターに両手を突いてがっくりと頭を下げ、
「降参だ、トッドとリゲルの所へ行ってくる。それから日数が少ない仕事を適当に選んでくれ」
二人が外へ出て行くのを見送った後、レティは近くの引き出しの中から依頼書の束を取り出した。
その依頼書の数は減ることが無い。理由は明快、精霊師の数が少ないからだ。
まず、一番目は魔法の素質。二番目は命の問題。犯罪者や魔獣に襲われて命を落とす事もあり、高額な収入が得られても希望者は少ないのである。子供達には魔法使いとして人気は有るのだが……。
「エアの初仕事にバッチリの依頼はないかな……」
レティが依頼書の内容を確かめていると、そっとドアを開けて依頼人が訪ねて来た。
小さな足音がしたのでレティが振り返ると、ヴォルカノンの店主であるエレナの姿があった。
「どうしたの? エレナ」
声を掛けられたエレナはカウンターに近寄り、
「実は頼みたい事があるの。料理の材料を調達して欲しいの」
「料理の材料?」
わざわざ精霊師に材料の調達を頼む料理など、何も思いつかないレティは、
「魔物か何かの煮物?」
とんでもない料理を思い浮かべた。
★作者後書き
妖精をやっと登場させることが出来て感涙です。ハイファンタジーを目指していきたいと思っています。
今後もよろしくお願いいたします。
★出演者控室
メリル「あらあら~、ステンドグラスが割れてしまったわ~」
マッシュ「大丈夫ですか?」
アンキセス「わしも大丈夫じゃないわい」
アイオン「大丈夫じゃないのは、私の工房だと思うんですがな」