第三章 赤い炎と青い妖精 その一
ふと目を覚ましたら、少し焦げくさい匂いが鼻についた。
(お母さん、台所で何か焦がしているのかなぁ)
窓の外はまだ暗く、糸の様に細い月が浮かんで見えた。
一階へ向かう階段を降りていくと、焦げた匂いが強くなり怒鳴り声も聞こえてくる。
ドアを開けると大きく躍り狂う赤い炎が――。
その炎を背景にして浮かび上がる数人の黒い人影が、大きく見開いた紫の瞳に飛び込んできた。
「やめてくれ!」
父が叫ぶ声が聞こえたと同時に、小さく悲鳴を上げた母が床に崩れ落ちた。
そして真っ赤な炎と黒い影が、立ち尽くす自分を覆い尽くした。
「ううっ……、はぁっ!」
エアは躍る心臓を手で押さえながら起き上った。手だけではない、身体も小刻みに震えているのが自分でも分かる。力が入って縮まった身体は、炎で焼かれた様に熱を帯びていた。
そして硝子の割れる音や炎の燃え盛る轟音は、目を見開いた彼女の耳から離れない。
(いつもの夢なんだけど……。慣れるはずがないよね……)
例え夢の中でも、もう少し自分がしっかりしていたら、父母の顔も名前も、争っていた相手の顔も思い出せるのに……。
彼女は大きく、そして静かに息を吐き出した。
(やっぱり怖い……のかな)
精霊師専用宿舎の二階、カーテンの隙間から鋭いナイフの様に差し込む朝日は、起きたばかりで汗ばんでいる彼女の顔を照らしている。悪夢から解放されたエアの虚ろな瞳には、明るい朝日が神聖な光に感じた。
「あらあら~、朝食が出来ていますよ~」
メリルが部屋の外から声を掛けてくれた。
「ごめーん。今行くよ」
冬眠から覚めた動物の様に、のっそりとベッドから起き出したが、
(わっ、今日は試験だし!)
大騒ぎながら着替えを始めたエアは、服の上からそっと胸のあたりを触った。
そこには父母の形見であるペンダントの硬い感触があった。
(やっぱり、お父さんとお母さんが殺された理由が知りたい……)
精霊魔法を操れる精霊師となれば、自分の幸せを壊した相手が自分の前に現れても絶対恐れずに戦えるはず。彼女はそう思い込んでいた。
「頑張らなくちゃ」
ちょい姫は意気込んで部屋を飛び出した。ところが、その意気込みが余っていたのか階段で足を滑らせてしまった。
ダダッダダダッダーン
「痛ったぁ! 試験なのに滑り落ちるなんて縁起悪いなぁ」
エアは呻きながら膝を抱えて座り込んだ。
「あらあら~、試験とは関係ないと思いますよ~。ただ単に、鈍くさいだけですよね~」
エアの世話に来てくれている修道女のメリルが穏やかな笑みを浮かべている。
「メリル~、それって慰めになって無い気がするよ」
「さあさあ、綺麗にしてあげますよ」
メリルがエアの膝に手を当てて何やら呟くと、彼女の胸にあるペンダントが小さな白い輝きを放つ。
すると、うっすらと血がにじんでいた膝が痕も無く、綺麗に治癒された。
治癒の魔法は一般的に『光の白魔法』と『水の青魔法』であるが、神霊教会に所属するメリルは白の治癒魔法のエキスパートである。
「あらあら~、体術の訓練でもアザばかり……。でもエアちゃんの怪我は、訓練よりもドジの方が多いわね~」
手当をしながらメリルは思った事を正直に話す。
「確かにそうなんだけど……」
エアはメリルの正直な意見に反論できない。
「エアちゃん、今までは無料で治療してあげたけど、試験に合格して正式な精霊師になったら、治療費はバッチリお代を教会に寄付してもらうわよ」
「え~っ、厳しいなぁ……」
これから払う治療費はかなり高額になると思ったエアは、治癒魔法をマスターしようと心に誓った。
第三街区 精霊師ギルドの一室――
エアが部屋に飛び込むなり、ミリアリアは声も出さずにニヤニヤしている。
「久しぶりね、少しは背が伸びたかしら?」
「いきなり言うかな~、私の成長期はこれからなんですっ!」
エアは両手を腰に当て小さな胸を張って見せる。その様子を見たミリアリアは笑いを堪えながら、
「まあ、確かにいろんな意味でこれからね。さて、試験を始めましょうか。この後、直ぐにグラセルへ来いと連絡が来たの。まさかグラセル大工房の職員が待ち構えているとは思わなかったわ」
彼女が視線をチラリと向けた部屋の隅に若い男が立っていた。
昨晩、アンキセスが依頼したグラセルの飛行船は朝早くにレイメルに着いており、彼女が王都から来るのを待っていたのである。そしてミリアリアの姿を見つけると素早く駆け寄り、
「試験が終わったら直ぐにグラセルまでお連れします」
その若い男は彼女の傍を離れないのであった。
「豊穣祭でのんびりするつもりだったのに……。さて、修行中の話はレティから報告が届いているわ。魔法やギルドの知識は合格よ。でも、一つだけ大切な質問をしましょうか。エアちゃん、精霊師はどんな存在かしら?」
ミリアリアはエアの顔を、静かに見つめている。彼女としては精霊師の数は増やしたいが、いい加減な回答では認める訳にはいかないのだ。
精霊魔法を使うには、その目的が大切なのだ。自分の私欲の為に使えば、『邪霊師』と呼ばれる精霊師になるからだ。
エアは緊張で身体を固くしながら、レティに教えられた言葉を必死に思い出した。
「精霊師とは、民間人の安全と地域の秩序を守ることを第一の目的とし、個人的な殺生をせず、魔獣退治や犯罪防止のために精霊魔法を使うことを許される者です」
長い沈黙が続いたので、エアが内心焦り始めると、
「とりあえず合格、かな。ただね、中立性が抜けているわよ。とても大切なことだけれど、あなたの真剣な姿勢を認めて合格にしましょう。さて、次の実技試験には立会人がいます」
「あの、その立会人は?」
師匠はまだ戻ってこない筈だし、いったい誰なのかとエアが怪しんでいると、
「貴方の先輩精霊師なの。入ってらっしゃい」
ミリアリアは奥の部屋に向かって声をかけた。
すると、エアよりも頭二つ分以上背の高い黒髪の青年が入ってきた。
服装は丈が長めの黒の皮コートとズボンに、明るいグレーのシャツが覗いている。腰には幅の広いしっかりとした皮ベルトが締められていた。コートの左右の切れ目からちらりと覗く二本の棒は剣の柄であった。
「ほら、挨拶しなさいよ」
ミリアリアが肘でその青年を軽く小突くと、
「俺はユウ・スミズだ。武装魔道機は双剣だ」
「彼はおじい様が最終試験を担当したのよ。私も立ち会ったけど、表情が変わらないし冗談は通じないし、本当にどうしようかと思って」
ミリアリアの話はさらに熱を帯びる。
「そのうちにずくずくと背は高くなるし、愛想無しに拍車は掛かるし、本当に困ったもんだわ。それで、もう少し愛想が良ければ人気も上がると思うのだけど――」
「余り口を開くと、嫁の行き先が無くなるぞ」
やっぱり煩い奴と思いつつ、ユウが腕を組んだまま表情を変えずにボソッと呟いた途端、
「おぉのれ、人の気にしていることを! ギルド長なんかやっていると縁遠くなっちゃうの。聞いたぁ? エアちゃん、こいつは口が悪いから気を付けてね」
エアは二人の口喧嘩を聞いたが、目を吊り上げて怒っているミリアリアに急に話を振られて本音が出てしまった。
「気を付けると言っても、かなりストレートな突っ込みで防げない気がします」
素直なエアの言葉に、ミリアリアは吹き出してしまった。
「まあ、いいわ。彼女がエア・オクルス、十四歳よ。前にも話したけど、半年前に精霊師の修行を始めたのよ」
「そうだったな、俺はカラメアに出張中で会う機会が無かったな」
ユウはエアの姿を見ながら、
(青銀の髪と紫の瞳とは珍しい……。しかし、かなり小柄だな……)
長い青銀の髪は日の光に輝く滝の様だと彼は思った。
「ユウさん、はじめまして」
エアは愛想笑いもしない不愛想な背の高い男を見上げた。
瞳は黒曜石のように輝き、少し長めの髪は光の加減によっては濃緑や青色の光る艶のある黒色だった。いささか重苦しい雰囲気を身に纏っているが、顔立ちはすっきりとしていて、健康そうな象牙色の肌は異国の人だと思えた。
「ユウでいい、実技試験は外だったな」
ユウは面倒そうに後も見ずに歩き出した。
「本当に困ったものねぇ。エアちゃん、野外訓練場へ行きましょうか」
ミリアリアに促され、エアが急いで階段を下りるとレティの心配そうな声が聞こえた。
「エア、どうだった? ちゃんと答えた?」
「うん、大丈夫!」
エアは興奮した気味に答え、レティの居るカウンターに駆け寄る。
「まぁだ喜ぶのは早いよ! 実技試験があるじゃない? 早く訓練場に出なさい。エアは精霊魔法の適性が有るから大丈夫な筈だよ」
ところが注意をしているレティの声も弾んでいた。
この半年間、体術やギルドの仕組みをエアに教えていたのはレティであった。明るく快活で前向きな レティは、エアにとって姉の様な存在になっていた。レティもまた、素直なエアの事を妹の様に可愛く思っていたのだ。
嬉々とする二人を眺めていたユウに、
「レティには適性が無かったの。残酷だけど適性が無いと精霊師は務まらないのよ」
ミリアリアは、エアと喜ぶレティを見ながら沈痛な面持ちで、
「貴方は知っているとは思うけど精霊師になるには地、水、火、風のうち三つを使用できないといけない。レティの場合は、火と誰でも使える光と闇だけ。適性があれば主戦力になっていたと思うと残念だわ」
「なるほど……、だから『支部の事務局』なんぞやっているわけだ。体術は抜群、度胸も男顔負けだからな。不思議に思っていたよ」
「まあね、他人の事情をほじくらないのは貴方の良い処かもしれないけど、誤解もされやすいわよね……。さて、試験を始めましょうか。もたもたしているとグラセルに強制連行されちゃうしね」
相手も聞いてくれないかな、と思っている時もある。自分からは口に出しにくい人もいるだろう。尋ねないのも思い遣りかも知れないけど、あえて尋ねるのも思い遣りだ。相手を知ろうとする行為は失礼なことばかりではないとミリアリアは思っているのだ。
だが、この不愛想な双剣士は、余り自分から人と関わろうとしない。その為か、街の住人から少し敬遠されているのをミリアリアは心配していた。
「……そうだな」
ミリアリアはいつも一言多いが、悪気が無い事は彼も理解している。だが結局、何が言いたいのか理解できない時も多い。ユウは年上ぶった彼女の思わせぶりな言動を少し疎ましく思う事もあった。
「エアちゃん、始めましょうか」
ミリアリアの一言に振り返って走り出したエアは、近くに積んであった書類の山に肘を当ててしまい盛大に崩してしまった。
「……ごめんなさい」
縮み上がったエアを含め、全員がその場で書類を片付けることになった。
野外訓練場に全員が揃った。
「さあ、気を取り直して実技試験を始めましょう。仮の杖では成功しない可能性も有るけど、思い切って妖精を召喚してみましょうか」
ミリアリアは銀色の小さな杖をエアに手渡した。その長さ三十センチほどの杖を受け取ったエアは、不思議そうに聞き返した。
「ミリアリアさん、自由に『妖精』は呼べるものなの?」
「理論上、精霊や妖精はエネルギー体とされているわね。『精霊』を召喚する為には時・人・場所を選ぶ。面倒だけど使用できる魔法は種類も多いし威力も高い。今までで精霊を召喚したのはおじい様だけね……。『妖精』の場合は制約が少なくて召喚者の能力さえ高ければいい。その代わりに使用できる魔法は限られるし、使用者の意思に反して制御が効かなくなる時があるの」
ミリアリアが『精霊』と『妖精』の違いを簡単に説明すると、
「ミリアリアさ~ん、それって危険なんじゃぁ……」
只でさえ、魔力の調整が不安定なのに制御が効かない事が有るなど、ものすごく危ないのでは、とエアは心配になってきた。
「大丈夫よ、仮の杖だし。魔石も小さいのにしてあるから」
確かに銀の杖の先には、青色の小さな魔石が付いていた。
「さあ、エアちゃん。時間も無い事だし、思い切りやってみよう!」
「本当に大丈夫かなぁ~」
エアは不安を覚えつつ、野外訓練場の真ん中で杖を構えた。
★作者後書き
第三章の開始まで辿り着きました! ファンタジーらしくなるように努力していきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
★出演者控室
レティ「やっと私の腕の見せどころが来るわね」
ミリアリア「どっちが沢山撃ち落とせるか、競争しましょうか」
エア「それどころじゃないです! 窓ガラスとか割れちゃうし」
ユウ「早く何とかしないと、市長が請求書を持って走ってくるぞ」
レティ「やばっ!」
ミリアリア「エアちゃんも早く呼び出した『それ』を何とかして!」
エア「え~っ! 作者さん、何とかして下さい!」
作者「……はい、頑張ります」