プロローグ
「ん? この光は……何だ?」
初夏の月明かりに照らされた薄暗い部屋で、様々な鉱石を混ぜ合わせていた茶髪の男がいた。微かに光る乳鉢の中身をよく見ようと、その男が眼鏡を片手で直した途端、
「えっ! ええっ! しまったぁ!」
微かだった光が、次第に強くなり火が点きだした。
ドガァァァァーン
「うわあぁぁぁ!」
精霊の末裔である女王が統治するトルネリア王国にある、グラセル大工房の魔石研究区画の一室に爆発音と叫び声が響き渡った。
その音を耳にして、機械師のアンヌは、
(今月の爆発回数は新記録更新だよねぇ……。建物が丈夫な石造りで良かったわ)
呆れながら心の中で呟いた。
彼女は隙間から白い煙が立ち昇っているドアに、急いで駆け寄った。
「優秀な魔石師の旦那様。怪我は無いかしら?」
彼女が笑いながら中を覗くと、部屋の空気は爆発のせいで白っぽく濁っていた。
「あぁ、アンヌ。新しい魔石を造るのに失敗はつきものだよ。なにせ精霊を呼び出せる魔石を造ろうとしているんだから」
男は頭から粉砂糖をまぶした様に埃を被ったまま、床に座り込みながら爆発で吹き飛んだ眼鏡をキョロキョロと探していた。
彼の名はデボス・エンデュラ。
採掘された精霊石を調合し、合成して魔石を作る魔石師であった。
アンヌは散らかった部屋と埃まみれの夫を横目に、急いで窓を開けながら、
「精霊や眷属の妖精が眠りについて千年。その後に精霊を召喚出来たのは、アンキセス様だけよね」
やっと探し当てた眼鏡を掛けたデボスは、少し痛む胸を軽く左手で押さえつつ、
「王国一番の機械師リゲルが造った杖型魔道機に、王室付き筆頭魔石師エドラドが合成した魔石を組み込み、大量の精霊力を操れる精霊師のアンキセス様がそれを使って召喚魔法を行った。最高の組み合わせだよ、僕達も負けられない」
同じ魔石師である彼は、親友のエドラドが誇らしく、また羨ましくもあった。
「君が造った魔道機に、僕が造った神霊石を組み込んで、神霊を召喚するのが夢なんだ」
彼は、友と肩を並べても恥ずかしくない自分でありたいと強く願っていた。しかし、心臓の持病に余命半年と遠慮なく命の刻限を定められ、大切な夢や希望を奪われてしまったことが悔しかった。
顔をしかめて座り込んでいる夫の心情を、痛いほどアンヌは理解していた。
「あのね、実現できそうよ……、バイオエレメントが完成したの」
静かに告げられた妻の言葉に、茶色い瞳を大きく見開いたデボスは慌てて立ち上がり、
「新しい生体魔道機が? 君は天才機械師だ。嬉しくて心臓が止まりそうだよ!」
「それじゃ完成した意味が無いわ。貴方の壊れかかった心臓を治療する為に開発したのよ」 アンヌは無邪気に喜ぶ夫の顔を見て、思わず熱い涙が流れた。
デボスは月明かりに照らされた街並を窓から眺め、
「このグラセルの街の地下には、大事な古代遺跡が眠っている。そこから発掘された遺物は魔道機と魔石だった」
「最初は何に使われるか分からない、変な機械と石だったでしょうね」
隣に立ったアンヌは、くすっと笑った。
「僕は尊敬しているんだ。訳の分からない物が、何であるのかを突き止めた研究者。そしてその情熱をね。機械は精霊力を増幅させて、魔法を発動させる。魔石は精霊石を合成して、強い精霊力を得るものだった」
デボスは街の灯りを見つめる。
「確か最初に解明された魔道機は、夜の闇を照らす魔石灯だったね。使われている半透明の白い石は光の魔石だった」
同じくアンヌも街の灯りを見つめ、
「そして魔道機を造る職人は機械師、魔石を造る職人は魔石師と呼ばれることに……。私と貴方で新しい魔道機を創り出したいと思っていたわ。今の魔道機は、古代の魔道機を改良しただけ……。この街から新しい魔道機を生み出す事が出来るのは幸せだわ」
そう答える彼女の頬は、少し赤く紅潮している様だ。
「きっと歴史が変わる。否、新しい歴史がきっと始まる」
デボスは妻の頬をそっと撫でた。
「そうね。きっと貴方の心臓の機能は回復し、自由を取り戻せる。貴方の研究は進み、神霊石を生み出す。そして眠りについた精霊を呼び覚まし、王国は新たな時代を迎えるんだわ」
アンヌの心は幸せに満ちていた。
それはデボスも同様であり、二人の心は浮き立っていた。
「じゃぁ、来年の春は王都に行こうよ。僕が君の手術を受けて治療すれば、半年ぐらいで回復するだろうし、子供も連れて三人で旅行もできる。王都の春は賑やかで、大聖堂には白い花がたくさん咲いて綺麗だし、あとはエドラドの所へも遊びに行こうよ」
魔石師の自分が合成した魔石を、機械師の妻が造った魔道機に組み込み、自分の未来を取り戻す。
たとえ精霊召喚が出来なくても、偉大な事を成し遂げた気がする。
親友に自慢できる家族を紹介するという希望は、死の不安に怯えていたデボスに久しく感じたことの無い幸福感と生きる希望を与えていた。
しかし、幸せに満ちた空気は一変した。
「大変だ、アンヌ! 急いで飛行船で脱出するように、所長命令が出たぞ!」
くたびれた白衣をはためかせ、小太りで猿顔の中年男が部屋に飛び込んできた。
突然の事に、デボスとアンヌは顔を見合わせた。そしてデボスは、
「ドルフ。何があったんだい?」
怪訝そうに尋ねた。すると、ドルフは顔を真っ赤にしながら、
「ベレトスが兵を引き連れ工房の入り口を封鎖したんだ。バイオエレメントを提出しろと喚いているんだ」
幸福感を打ち砕かれたデボスとアンヌは青ざめた表情を浮かべた。
アンヌは怒りに身体を小刻みに震えさせながら、
「ベレトスが? そんな……。近頃、視察だの何だと工房に顔を出すと思ったら……。完成する時を狙っていたのね! 大事な魔道機を、あんな男に渡せない!」
デボスも妻の怒りを肌で感じながら、
「バイオエレメントを軍事兵器にするつもりなのか。それ程、戦況は悪化しているのか……」
やりどころのない怒りに顔をしかめた。
火の様な赤い髪を持ち、炎龍将軍と呼ばれる皇子ベレトス。
彼は火精の加護を受けて生まれたと称えられていた。しかし、成長するにつれ、横柄でずる賢い人物と恐れられていった。
トルネリア王国で王位を継承するのは女性のみである。皇子に生まれれば、将軍か宰相になり、国を支える事を求められる。勿論、ベレトス皇子も例外ではなかった。
彼は火龍軍を率いる将軍に就任をした。
しかし就任後、火龍軍が守っている国境近くで、隣国のブラスバンド帝国と小さいながら衝突が始まった。
精霊石の産地を求めて、ブラスバンド帝国の侵略が始まろうとしていのだ。
その事は、グラセルの街に居るデボスを始め、職人たちも薄々感じていた。
なによりも国境を防衛する将軍であるベレトスが、工房を頻繁に訪れる行動に現れており、戦争が近いことを職人たちに予感させていたのだ。
しかし、いくら国防の為と言われても、職人たちは納得できる訳が無い。
「気がついたのね。あの皇子……」
バイオエレメントは治療用に開発したものだが、もう一つの可能性がある事に、アンヌは気が付いていたのだ。
アンヌは本来の目的を果たす決心をした。
「いくら皇子でも許せない……。直ぐにバイオエレメントを彼の心臓に埋め込む手術を始めましょう。ドルフ、適当に理由をつけて時間を稼いで!」
アンヌの悲痛な叫びに、
「でも、動物実験は成功したけど、どんな危険が――」
髪が後退した額に汗を浮かべ、懸命に反論をするドルフの言葉をデボスは静かに遮った。
「ドルフ。健康な人が手術を受けるより、病弱な僕が手術を受けた方が、結果が出せる魔道機なんだ。僕は、彼女と彼女の才能を信じているんだ。行こう、アンヌ」
デボスもまた、覚悟を決めた。
彼女の努力と決意を無駄にしたくない。
「急いで! 手術が終わったら、資料や設計図も破棄しないと!」
焦るアンヌは自分に言い聞かせるように叫び声を上げた。
十数分後。
手術台に横たわっている夫の手を握り、アンヌは涙ぐみながら、やさしく微笑んだ。
「来年の春。皆で王都へ行きましょうね……。必ず、成功させるから」
麻酔が効き始めて朦朧とする意識の中、デボスの脳裏には王都の春が広がっていた。
精霊王に祈りを捧げる為に建てられた、純白に輝く大聖堂。
その広場に立っていると、暖かく爽やかな風が頬を撫でつけて心地がいい。
穏やかで、暖かな日差しに照らされながら、健やかに育った白い花がたくさん咲いていて、花びらが風に身をまかせて躍っている。
まるで自分の心も沸き立つようだ。
白い花吹雪に取り巻かれながら、自分は誰かを探す様に辺りを見回している。
なぜか花吹雪が意志を持って、邪魔をするように取り巻いている気がした。
ここに居るのは自分だけなのか……。
(もし、手術が失敗して僕が死んでも、アンヌなら子供を守って生きて行けるだろう……。工房の皆もきっと協力してくれるさ……)
デボスは深い眠りに落ちていった。
数時間後、ベレトスと職人達が衝突し、グラセル大工房に火の手が上がっていた。