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掌編小説

カンパニュラ

作者: 斎藤康介

 ひどい二日酔いだった。

 軋む身体を無理に起こし、枕もとに置いてある携帯電話に手を伸ばした。ディスプレイには13:43との表示。帰宅したのが朝方4時。どれくらい寝ていたのか計算しようとしたが頭痛がしやめた。


 一ヶ月前に3年間勤めていた会社を辞めた。

 従業員数は少ないが職種の多い会社で仕事内容は多岐にわたった。自分も入社してすぐ機械の製造管理から資材調達、市場調査、派遣社員の人事管理などを様々なことをやった。それでも業務全体の一部でしかなく、すべてを把握していなかったため他人に職種を訊かれてもはっきりと応えることができなかった。

 職場は大学時代から住んでいる安アパートから近かっためにそのまま引っ越しもせず住み続けていた。結局7年間も住んでいた訳だが殺風景な部屋だった。ベッドに机、テレビなど必要最小限の家財しかなく、そのテレビも地デジ非対応で用をなさない。最後はコンセントすら差していなかった。

 唯一、個性と言えるものは壁際に並べてた本ぐらいだった。

 主義も思想も感じさせない、ただ無骨な部屋だった。


 ベットの上で体を仰向けに変えた。

 目がかすみ天上までの距離さえはっきりと見えない。


「(碌でもない人生だな)」と自分で思う。25歳にして無職となり、酒を飲んで昼まで実家で惰眠を貪っているのだ。碌でもあるはずがなかった。

 実家に戻った日、母親に開口一番仕事を辞めた理由を問われた。仕方なく会社に告げた内容と同じ事を伝えた。「勉強をやり直したくなった。そしていづれは海外に留学する予定だ」と。母親は不満を残した顔をしていたがそれ以上は詳しく訊いてこなかった。


 海外留学など仕事を辞めるための口実だった。それでも世間はそれなりに反応を示すのだ。まったく馬鹿ばかりだと思う。自分も上司も、母親もみんな馬鹿ばかりだ。

 本当の理由など言っても誰も信じないだろうに嘘の内容では納得する。本当に馬鹿ばかりだ。

 とは言え本当の理由と言っても大それたものではなくまことにもってくだらないものである。


 帰宅途中に猫が車に引かれるのを見た。それが理由だ。

 小さく灰色をした猫で、突然目の前を横切り道路に飛び出した。道は一方通行で車が多い場所ではなかったが、街灯がまばらで暗かったことが禍した。猫は軽自動車の右前タイヤに引かれた。自動車は30キロほどのスピードだったが、あたった瞬間に「バキゴッ」と鈍い音がした。しかし猫は死なず、折れたのであろう前足を引きづり路地裏に消えていった。一方、車の方は何事もなかったかのように走り去って行った。

 あっけない事態の推移にしばらく呆然し、ようやく落ち着きを取り戻すと猫が引かれた場所を見た。血も事故の形跡も一切なかった。そして路地裏に猫を探したが見つからなかった。


 確かに猫が引かれた。しかし猫はおらず、自動車は去り、この場には自分しか残っていない。

 恐怖が私を襲った。現実であるはずなのに何も証明する手筈がなかった。私は現実に騙されたのか、それとも現実こそが大いなる虚言なのだろうか。

 おそらく猫は死んだだろう。血も死体もないが、猫が引かれたあの瞬間、自分の中の何か重要なものとともに猫は死んだのだ。


 一週間後、上司に辞表を出した。


 引越しの当日、花屋で一輪のカンパニュラを買った。カンパニュラは少しピンク色をしていた。

 それを猫が引かれた場所に手向け、街を出た。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 終わり方がとてもよいです。 カンパニュラ、某ドラマでも人氣でしたね。 [一言] もしブラック会社に勤めていたとしたら 心中お察し申し上げます。
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