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疑惑

※ご注意:かなりヘビーな内容のものですが、命を大事にして欲しいという思いで書いております。ご了承の上お読みいただけると幸いです。

明良は玄関に入ると「ただいまー」と言った。


「?」


菜々子の返事がない。

玄関の電気がついているというのは、在宅の合図なのだが…。


「菜々子さん?帰ってるんですか?」


リビングのドアを開くと、菜々子がソファーに座って、テレビを見ていた。


「なんだ…いるんじゃないですか。」


明良はそう呟くと、ソファーの後から菜々子の頬にキスした。


「!!きゃっ!!」


菜々子が驚いて飛びあがったので、明良まで驚いて身を引いた。

菜々子が明良に振り返って言った。


「びっくりした~…「ただいま」くらい言ってよ!」

「言いましたよ!」

「え?」


菜々子は「…ごめんなさい…」と下を向いた。

明良は上着を脱いでソファーの前に回ると、心配そうに菜々子の隣に座り、顔を覗き込んだ。


「どうしたんですか?…何か考え事でもしていたんですか?」

「……」

「ほら…また黙り込んじゃう。…菜々子さんの悪い癖ですよ。」


明良がそう言うと、菜々子は「あのね…」と言いかけて、ふと思いついたようにリモコンを取り、テレビを消した。


「ねぇ…明良さん…」

「ん?」

「…子ども…欲しくない?」

「え!?」


突然の菜々子の言葉に、明良は少し動揺した。


「急に…何?」

「だって…。避妊してないのに…子どもがなかなかできないじゃない。」

「ん…んん…まぁ…」


明良の顔が赤くなっている。


「…私も若くないし…早く産んだ方がいいと思うんだけど…」

「…大丈夫ですよ。…今は医学も進んでいるし…」

「でも、体の負担が大きくなるのは確かなのよ。」

「…菜々子さんは欲しいですか?…」

「そりゃ、あなたの子だもの!…産みたいわよ。」


明良は微笑んだ。しかし菜々子は明良から目を反らして言った。


「…それでね…病院に行ったの…」

「!?…何をしに?」

「…もしかして、不妊かもしれないと思って…検査を受けたの。」

「!!…どうしてそんなこと…」

「だって…子どもができない体だったら…」

「菜々子さん!」


明良が思わず声を上げて、菜々子の腕を取りこちらを向かせた。


「そんなことまで考えなくても…」

「聞いて!…先に、私の話聞いて。」

「……」


明良は少し躊躇したが、うなずいた。菜々子は下向き加減に言った。


「そしたら、検査の結果がね。…排卵が少ないんだって。」

「!…」

「私…極端に少ないらしいの…」

「そう…」

「どうしよう…このまま、ずっとあなたの子ができなかったら…」

「菜々子さん…」


明良は目が赤くなっている菜々子の肩に手を乗せた。菜々子は明良に向いて言った。


「それで…不妊治療を勧められたの…。」

「不妊治療!?」

「…しようと思うんだけど…」

「薬とか飲むんでしょう?」

「ええ…」

「その時に菜々子さんの体にかかる負担は?副作用は?…ないわけじゃないでしょう?」

「……」


菜々子は涙をこぼした。明良はその涙を指で払いながら言った。


「子どもは授かりものです。無理に作るものじゃないですよ。排卵が少なくても、ゼロではないのだし…。」


菜々子は濡れた目で、明良をじっと見つめていた。


「あなたの体に負担をかけてまで、自分の子が欲しいとは思いません。」

「でも、あなたの血のつながった子よ。…欲しいから…結婚したんでしょう?」

「!…違います!」


明良の表情が急に厳しくなった。菜々子は少しおびえた表情をした。


「子どもが欲しいから結婚したんじゃない。…あなたと一生を過ごしたかったから。それだけです!」

「…明良さん…」


明良の表情がとまどいに変わった。


「…子どもはできるに越したことはないけど…。無理に欲しいとは思いません。…だから…このことはもう気にしないで下さい。」


菜々子は涙ぐみながらうなずいた。


「わかったわ…」


明良は安心したように微笑んだ。そして「何か忘れてないですか?」と言った。

菜々子は「え?」と不思議そうな表情をした。


「おかえりのキスは?」


その明良の言葉に菜々子は吹き出して、明良の唇にチュッとキスをした。

明良は満足そうな表情をして「着替えてきます。」と言って、リビングを出て行った。


(ありがとう…明良さん…)


菜々子はそっと心で思った。


・・・・・・



翌日朝 相澤プロダクション社長室-


「そうか、菜々子ちゃん…検査に行ってまで…」


相澤がコーヒーを飲みながら言った。

明良が神妙な顔をしてうなずいた。


「全く気付きませんでした…。そんなこと悩んでたなんて…。」

「でも、俺も思ってたんだよな。あんなにラブラブなのに、どうして子どもができないんだろうって…。もう10人くらいできてそうだけどな。」


明良は、その相澤の言葉に思わず吹き出した。


「良かった。明良が笑った。」

「先輩、からかわないで下さい。」

「お前は本当に気にしないのか?」

「ええ…菜々子さんの体が一番です。…昨夜その話があってから、朝ネットでいろいろ調べてみたんですけど…不妊治療は、体への負担が大きいようなんです。」

「排卵をうながす薬を飲むだけじゃないの?」

「正直、薬に頼ってまで…とも思いますし、卵管に空気を通したりとか、いろいろするそうなんですよ。お金の事は別に構わないんですが…菜々子さんが辛い思いをするなら、そこまでしなくてもいいかなって。」


明良がそこでやっとコーヒーを飲んだ。


「ふーん…。子どもを産むって大変なことなんだな。」


明良がうなずいた。2人はそこで黙り込んだ。


「先輩は子ども作らないんですか?」

「え?」


相澤は急に自分に振られて、驚いた。


「んん…。やっぱり今のままだとね。」

「そうですか…。亜希子さんも強情だからなぁ…」


亜希子とは相澤の恋人の名前である。銀座のホステスで、もう5年近く付き合っているが、自分がホステスであるために相澤との結婚を拒んでいた。相澤に迷惑をかけると思っている。


「ま、そこがまたいいんだけど。」

「先輩がそう思ってるならいいですけどね。…見ているこっちは、辛くてたまらない。」

「…の割には、人の前でいちゃいちゃするじゃない。」

「!!」


明良はぎくりとした表情をした。


「…すいません…」


そう言って、頭を下げる明良に相澤は笑った。


「ま、気を遣われて、こそこそされるよりはいいよ。」


その相澤の言葉に、明良は一層体を小さくしていた。



・・・・・・


昼-


「明良さん!」


プロダクションのビルを出ようとしたところで、明良は菜々子の声を聞いた。

驚いて振り返ると、菜々子が駆け寄ってきていた。


「菜々子さん」


思わず笑みがこぼれて、傍に来た菜々子の口にチュッとキスをする。

受付嬢が顔を赤くして頬に両手を当てた。


(あ、しまった…)


そう思ったがもう遅い。菜々子は全く気にしていないようである。


「どこ行くの?お食事?」

「ええ。菜々子さんは?」

「私も…久しぶりに一緒にランチに行きましょうよ。」

「!…行きましょう。」


2人はうれしそうに腕を組んで歩きだした。


「いってらっしゃいませ!」


受付嬢が言った。

明良達は、その受付嬢に手を振ってビルを出て行った。



・・・・


明良と菜々子がレストランから帰ってきた時、受付嬢が明良を呼び止めた。


「何?」

「先に仕事に戻るわね。」

「ああ…すいません。」


菜々子がそう言って、手を振った。明良も手を振り返して見送った。


「社長が、部屋に来てほしいと…。」

「あ、そう…ありがとう。」


明良は社長室に向かった。

しかし、その間に出会うアイドルや社員達の明良を見る目が変わっていた。


「?」


その時、圭一が廊下の向こうからこっちに走り寄ってきた。


「父さん…じゃなくて、副社長!」

「ああ、圭一。ごめん、先に社長室で話があるからあとで…」


圭一はそんな明良の腕を掴んで止めた。


「!?どうしたの?」

「僕は信じてるけど…父さん、女の子に手ぇ出してないですよね。」

「!?…なんだって?」

「…父さんの子ができたって、女の子が言ってるんです。」

「!!」


明良はしばらく思考が働かなかった。


「僕は信じてますから…なんとか、父さんの潔白、証明できる方法考えてみます。」


圭一がそう言って、足早に去って行ってしまった。

明良はしばらく茫然とその場に立ち尽くした。



・・・・・・


「俺も信じているさ。」


相澤が言った。


「だけど…困ったぞこれは…」


明良は、ソファーで頭を抱え込んでしまっている。


「どうして…そんなこと…」

「わからん。ただ妊娠していることは本当なんだ。もし中絶させるなら、あと3日で決めなくちゃならない。」

「中絶!?」

「本人は、お前が認めてくれなければ、中絶すると言うんだ。」

「!!」


どういうつもりなのかわからなかった。認めてくれなくても産みたいというのが、普通じゃないんだろうか。…と明良は思った。それで養育費を取ることだってできるからだ。しかし、明良はその子に中絶して欲しいとは思わなかった。…昨夜、菜々子に言ったように、子どもは授かりものだからだ。

しかし認めるわけにはいかない。絶対に自分の子ではない。


その時、ノックの音がした。


「はい?」


相澤が答えた。


「菜々子です。…こちらに明良さんいます?」


明良は心臓が口から飛び出すかと思った。今、とても顔など見られない。

だが、相澤は「いるよ!入って!」と平気で言った。


「先輩!」

「?…何もしていないんだから、いいじゃない。」

「ですけど…!」


菜々子がドアを開けて入ってきた。

かなり怒った様子だ。


「菜々子さん…」


思わず立ち上がる明良に、菜々子がすぐ傍まで寄ってきた。

そして、すぐに頬を叩かれた。


「!」

「…嘘つき。…やっぱり子どもが欲しいんじゃない!」

「…!!」

「菜々子ちゃん!落ち着いて!…違うんだよ!明良じゃない!」

「じゃぁ、この検査の結果は何!?」

「検査の結果!?」


菜々子は、1枚の紙を明良に渡した。


「さっき、FAXで入ってきたの。」

「!?」


相澤はFAX機の方を見たが、来ていない。

見ると、明良のDNAと女の子のDNAの図があり、羊水から取った結果のDNAと一致している様子が表れていた。

明良はそれを見て、手が震えるのがわかった。


「明良…おまえ…」


相澤の自分を見る目も変わった。


「…違います!…何かの間違いです!…そんなはずは…。そもそも僕のDNAなんてどうやって採取するんですか。」

「髪の毛よ。」


菜々子が言った。


「その子は、あなたの髪の毛をこっそり採取していたらしいの。」

「!?…そんな…」


明良は椅子に座りこんだ。


「ねぇ…明良さん…。本当のこと言って。」

「!?…」

「この子はあなたの血を継いだ子を妊娠してるのよ。…あなたが認めなければ中絶するって言ってるんでしょ?ぐずぐずしてるとあなたの子を失うことになるわ!」

「…菜々子さん…」


明良はどうすればいいのかわからなかった。


「明良…お前、家へ帰った方がいい。」

「先輩!」

「相澤さん…!」

「菜々子ちゃん…今、明良に何を言っても混乱するだけだよ。…まだ3日ある。マスコミに感づかれる前に家へ帰らせよう。」


菜々子はとまどっていたが、下を向いてうなずいた。


「明良…なるべく人に見られないように地下へ降りて、車で帰れ。」

「……」


明良はため息をついてから、ゆっくりと立ちあがった。


「…私は今日は帰らないから。」

「!…」


菜々子に背を向けられ、明良は社長室を出た。


……


明良は家のソファーで寝ころんでいた。

あまりのショックで涙も出ない。

携帯にメールが入った。

菜々子からだった。

明良は見たくないように思ったが、メールを開いてみた。


「あなたを信じたいけど…やっぱり、あの検査の結果を見てしまうと…。あなたの子なら産ませてやって。あなたの血を継いだ子じゃない。認めてあげて、中絶なんてさせないで。」


明良は唇をかんで、携帯を閉じた。


(絶対に違う…。どうやって証明すればいい…?)


その時、携帯がなった。明良は無視しようとしたが、携帯電話を開いて見た。

圭一だった。


「もしもし」

「父さん…大丈夫ですか?」

「…今、話す気がない。またこっちからかけ直すから。」

「待って!」


その声を聞いて、明良はもう1度、携帯を耳に当てた。


「なんかの検査の結果みたいなものが届いたって聞いたんですけど…。手元にありますか?」

「…ああ…コピーはもらってきてる。」

「コピー?」

「菜々子さんのところに、FAXされてきたんだ。」

「専務のところに?専務のところだけですか?」

「…ああ…」

「おかしいな…なんで、父さんやなくて、専務なんやろ…?」


思わず大阪弁になっている圭一の呟きに、明良も(それもそうだな…)と思ったが、今は何も考える気力がなかった。


「もう切るぞ。」

「待って!そのコピー、今から言う番号にFAXして欲しいんです。」

「してどうする?」

「後で説明します」

「…わかった…」


明良は、圭一が言うFAX番号をメモした。


……


「FAX入ってきたで!」


圭一が、パソコンの前に座っている雄一に言った。


「見せて。」


圭一はFAX機から、今明良から入ってきたFAXを取りあげると、雄一のところまで(と言っても、3、4歩だが)持って行き、雄一の隣の椅子に座った。


「…これ1枚だけか?」

「うん。」

「DNA検査って、こんなに簡単な結果しかださへんのかな。」

「さぁ…やったことないから。」


圭一がそう言うと、雄一は、はっとした顔で圭一を見た。


「…そうや…DNA検査なんて、よっぽどのことがないとやれへんよな。」

「そりゃそうやろ…。」


圭一が「何言うてんねん」というような表情で雄一を見た。


「だから、これがめちゃくちゃいい加減な書類でも、誰もわからんってことや。」

「!!…」

「よぉ見てみたら…そもそも、こんなスパイラルの絵なんてなんでいるねん?でも…この絵がなかったら…確かにすかすかな書類になるか…」

「そんな絵ってどうやって作るん?」

「ネットでいくらでも取れるよ。」

「…へえー…」

「それにこの数字も、ランダム関数使って出したような風にも見えるな。」

「ランダム…何?」

「要するに、めちゃくちゃな数字を出してくれる関数や。」

「関数なんて忘れたわ。」


圭一の言葉に、雄一が笑った。


「関数なんて覚えてへんでも、今はパソコンが勝手にやってくれるんや。」

「ふーーん。」

「…この書類…その女の子が適当に作ったんやな。」

「そんなん簡単にできるもんか?」

「ワープロソフトと表計算ソフトの使い方さえ知ってたら、誰でも作れるよ。後は騙すセンスってとこやな。正直、俺から見たら穴だらけや。」

「例えば?」


圭一がそう聞くと、雄一が言った。


「そもそも、この検査の結果出した会社がわからんやん。普通、結果を出した責任の所在くらいは書くで。会社名も住所も電話番号もない。」

「そりゃ、書かれへんよなぁ…。嘘やもん。」


雄一は笑った。


「そやな…。でも、この書類を少なくとも、社長らは信じ込んでしまってるわけや。」

「……」


圭一は雄一を見た。雄一が言った。


「そもそも、菜々子専務にだけFAX送ったってのが、やらしいよな。」

「…菜々子専務がパソコン苦手やから、わからんやろってことか?」

「それもあるけど…。俺、女の子らから聞いたことあるんやけど…菜々子専務な…子どもできへんこと悩んでるんやて。」

「!?…そうなんか?」

「うん。俺、わざと作ってないんやと思ってたけど…ちゃうらしいわ。欲しいけど、でけへんのやて。」

「…もし、これ作った女の子がそれを知っていたとしたら…」

「腹立つけど、その菜々子専務の不安を逆手に取ったってことやな。」

「…腹立つな…」


圭一が唇を噛んだ。


「菜々子専務がまず信じて、副社長を責めるやろ…?責められた副社長は身に覚えがなくても、今は菜々子専務に信じてもらえへんショックで何もでけへんってことや。」

「…よく見たら、簡単なことやのになぁ…」

「特にパソコン苦手な人は、こういう印刷物を信じやすいからな…」

「…そりゃ、手書きよりは信じるよな…。」

「なんか、マジックのタネ知ってしまって、がっかりしたような感じやと思えへん?これ。」

「…ほんまやな…。」


圭一は雄一と一緒に苦笑して言った。


「…でも、これだけじゃ…この書類がイカサマやって証拠にはならんような気がする。数字もほんまやって言われたら…。」

「ん?」


書類を見ていた雄一が、ふと1つの文章に目を止めた。


「…髪の毛による分析?…DNA検査って、髪の毛ではできへんって聞いたことあるけどな。」

「!?…ほんま!?」

「ちょっと、ネットで見てみよか。」


雄一が、検索サイトで「DNA鑑定」を検索した。…雄一のカチャカチャというキーボードを打つ音だけが響く。


「!…ほら!これ見てみ!」


雄一が画面を指差した。圭一が読んだ。


「DNA鑑定に用意するものは…「頬の内側にある粘膜」が一般的である…。それは痛みを伴わず、麺棒一本ですぐに採取できるため…。他には、血液、精液、煙草のフィルター…副社長は煙草吸えへんからこれは無理やな…。…「よく刑事ドラマなどで髪の毛からDNAを採取したというようなセリフが使われるが…実際には髪の毛からDNA鑑定を行うのは難しい」…!…ほんまや!」


圭一が、かがめていた背中を伸ばした。


「…これ、致命的やな。…これ作った奴もここまで調べんと、この書類作ったんや。」

「…どうする?圭一…これ、向こうに言うたら、すぐに副社長の疑惑晴らしてくれるんちゃうん?」

「…でも…それやと…」

「?」


雄一は圭一の顔を不思議そうに見た。


「どないしたん?」

「…その子、中絶させられてしまうやん…」

「!…そやけど…」

「…それって…副社長…どう思うやろ…」

「そうか!!」


雄一が急に声を上げるので、圭一は驚いて雄一を見た。


「わかったぞ!なんで副社長なんか。」

「!…副社長やったら…中絶を止めてくれるかもしれんからか…」

「そうや。だから「認知せんかったら中絶する」って言うてるんや。」

「考えてみたら、副社長にしか通用せん脅し文句やな…。」

「菜々子専務の不安を逆手にとって、副社長を使ってまで…この子は子ども産みたいんか…」


雄一の言葉に、圭一は胸をつかれる思いがした。


「中絶が可能なのは、あと3日って言っとったな…。それもほんまやろか…。」

「…DNA鑑定はどれくらいの日数で結果出るんやろ?」


雄一は、パソコンの画面を見た。


「最短で3日…!」

「!…それやったら、今日頼めたとしても3日かかるってことか。」

「結果でるまでに、中絶できる日が過ぎてしまうわけや。…それやったら、産まなあかん…。」

「無理やり中絶したらどうなるん?」

「…殺人になるんとちゃうん…?」

「じゃぁ、副社長が認知せんでも産まなあかんやん…」

「…普通の人ならほったらかしにするな。」

「…うん…でも…ほったらかしにしたら…その子は赤ちゃん育てられへんどころか産むこともでけへんやろ。本当の父親にも捨てられてるやろし…。」

「そう考えたら副社長は…」

「ん…向こうの思う壺やとわかってても…認知するかもしれん。」

「でも、圭一…認知なんかしたら…副社長がその子の子どもの面倒見なあかんことになるんやぞ。…そこまでやるやろか…。それに認知してしまったら…菜々子専務のことかって…」

「!!」


圭一は考え込んでいる。雄一が続けた。


「副社長も可哀想やけど…菜々子専務も可哀想や…。たぶん離婚問題になるで。」

「…なるやろな…。」

「それでも副社長は認知するやろか…」

「…すると思う…。」

「菜々子専務と離婚してまでか?」

「…俺…副社長は自分の離婚問題より、命を選ぶような気がする…。」

「!!」


しばらく2人とも口を利かなかった。ふと圭一は顔を上げて壁時計を見た。


「副社長の家行くわ。…で、副社長にこの書類がイカサマやって説明して、相談してくる。」

「…うん…」

「…絶対に副社長を守って見せる。…離婚させへん。」

「!?…どうするんや?」


圭一は、立ちあがりながら言った。


「副社長が認知したら…どうせこの話広まるやろ。」

「なんで?」

「向こうが…ネットかテレビか使って広めると思うねん。副社長から金取るために…」

「!?」

「副社長が金ださなあかん状況を作るんや。そやないと、ここまでやった意味がないやろ。」

「……」

「それと同時に…俺らが記者会見するんや。」

「!?…」

「書類が完全なイカサマやということ…。そして…副社長の人格を利用してこんなことしたこと…俺らが暴露するんや。」

「……」

「向こうは…イカサマを認めるやろ…。副社長が金払うのを阻止できへんでも…菜々子専務との離婚は阻止できるかもしれへん。」


雄一は、少し考えてから言った。


「…なぁ…圭一…」

「ん?」

「先に菜々子専務に教えたろうや…この書類のこと…」

「…それはできへん。」

「なんで?」

「…菜々子専務がその女の子に連絡取ったらどうすんねん。」

「!…」

「…中絶…阻止でけへん。」

「圭一…お前も中絶させたくないんやな。」

「!…」


圭一の目が泳いだ。雄一は立ち上がって、圭一の肩を叩いた。


「とにかく副社長のとこへ行きや。…菜々子専務にも社長にも黙っとく。お前の今言った方法で行こう。」

「…うん…」

「ひとつだけ、向こうの誤算があったな。」

「?…誤算?」

「…圭一の存在や。」

「!…」

「副社長を本当に信じてるお前の存在や。」

「雄一…」


圭一は照れ臭そうに微笑んだ。雄一は続けた。


「俺はお前を信じてる。そんな俺らのこと…向こうは今も知らんのやろな。」

「……」


圭一は微笑んだまま雄一を見た。雄一が片手を上げた。圭一はその手に「パン」という音を立てて重ねた。圭一は壁時計を見た。


「行ってくる。」

「うん。連絡待ってる。」

「うん!」


圭一は書類を持って、玄関を出て行った。


・・・・・・


夜になって呼び鈴がなった。明良が時計を見ると家に帰ってから5時間が経過している。明良は体を起こす気にもならず、呼び鈴を無視したが、何度も鳴るので仕方なく立ち上がり、インターホンを取った。


「父さん…僕です、圭一です!」

「!」


明良はインターホンを置いて、あわてて玄関を開けた。

両手にスーパーの袋を持った圭一が入ってきた。


「圭一…」

「遅くなっちゃった。…ごはんまだでしょう?…僕作りますから。」

「……」


明良の返事も待たずに、圭一は中へ入って行った。


「わー…キッチン入るの初めて!」


そんな圭一の声に、明良は苦笑した。


「勝手にやりますよ。…父さん心配しないで下さい。僕が父さんの潔白証明しますから。」

「!…お前はまだ信じてくれてるのか?」

「あたりまえでしょう」


スーパーの袋から野菜を次々に出しながら、圭一が言った。


「でも…あの検査の結果が…。」

「あんなの、簡単に作れます。」

「!?…何だって…?」

「簡単に作れるんです。」


明良は、圭一の腕を取って、リビングのソファーに座らせた。


「先に説明してくれ。どういうことだ?」

「パソコンのワープロソフト使ったら、誰でも作れるんです。」

「ワープロ?…」

「パソコン得意な雄一に、これ見てもらったんです。」


圭一はそう言って、胸ポケットから封筒を出した。

そして、中の紙を出した。


「さっきFAXしてもらったでしょう?」

「…これが…どうなんだ?」

「ワープロで作っただけやのに、うまくできてます。スパイラルのイラストがあったり、訳のわからない数字があったり…。でもイラストなんかネットから取れるし、数字だってどうにでも書けます。DNA鑑定なんて誰もしたことがないから、でたらめな数字書かれても皆わからないんですよ。特にパソコンが苦手な人には、こういう印刷物はよけいにそれっぽく見えるんだそうです。それから検査結果を出した会社の名前も連絡先も書いてないですよね。これもおかしいそうです。…これ全部、雄一が言ってたんです。」


圭一はそう言って、明良に紙を渡した。


「致命的なのは、ここに「髪の毛による分析」ってあるんですけど、ネットで調べてみたらDNA鑑定では髪の毛じゃなくて、血液とか頬の内側の粘膜で調べるんだそうです。髪の毛では難しいらしいんです。よく刑事ドラマとかで「髪の毛からDNA鑑定して…」とか言ってたりするから、これを作った奴も専務たちも信じてしまってるんです。」

「!…じゃぁ、全く嘘というわけか。」

「そうです。」

「しかし…すぐにばれそうなもんじゃないか。」

「例えば、そのまま弁護士とかに持って行かれたりしたら、すぐにわかるでしょうけど…。実際どうです?あれから5時間も経つのに、専務も社長も調べるつもりもない。…父さんだってそうじゃないですか。…僕が本当は人を殺してないのを見抜いたのに、こんな検査結果の嘘を見抜けないなんて、僕からしたら不思議でしかたない。」

「!…」

「僕らがこれを冷静に分析できたのは、最初っからこの検査結果がイカサマやと見てるからです。ちょっとでも、これが正しいかもしれんって思ったら、いくらパソコンやネットのことに得意でも、この内容を見直す気にもなれないでしょう。向こうはその心理をついてきてるんです。父さんはその子と全くつながりないからまだいいですが、1回でもその子と関係を持ってたら?…それでこれ見せられたら?…もっと信憑性のあるものになってしまう。」


明良はうなずいた。圭一が少し眉をしかめた。


「僕が許せないのは、その女の子が専務の不安を逆手に取ってるところです。…専務は毎日のように、女の子たちと面談してるんです。恐らく…ですが、専務がその女の子と面談した時、パソコンが苦手な事や子どもができない不安とか、女の子に誘導されて言ったんじゃないでしょうか。女の子は、その専務の心理を使って、専務からだます方法を考えた。専務にしかFAXが届かなかったのは、そういうことやと思います。専務がだまされれば、父さんを責める。責められた父さんは…今のように、やれることすらやらんと、また同じようにだまされる…。向こうの思う壺なんです。」

「しかし…リスクが多すぎる。これがばれたら詐欺罪で訴えられることも考えられるんだぞ。」

「その子の目的は、完全に騙すことじゃない。時間を稼ぐことなんです。」

「!!…中絶しないようにか。」

「そう。あと3日しかないって言ってたでしょう?その子は中絶したくないんです。そのためにこれを作った。実際にこれが本物かどうか証明するには、まず父さんのDNAがこの検査結果と合うてるか見なければなりません。DNA鑑定の結果がでるのに早くて3日…。それでタイムアウトです。」

「…なるほど…」

「…父さんを選んだのは…たぶん、父さんやったら、これがイカサマやってわかっても、詐欺罪で訴えへんやろうと思ってるんです。」


圭一の言葉に、明良は思わず苦笑した。


「なめられたもんだ…」

「…父さんに聞きたいことがあります。」

「?…何だ?」

「父さんは、その子が中絶してもいいですか?」

「!!」

「してもいいんやったら、僕と雄一ですぐにでも、記者達にこの検査結果のイカサマを暴きます。」

「…して欲しくなかったら…どうするんだ?」

「…認知するんです。嘘を承知で。」

「!!」

「認知すれば、その子は中絶しなくていいんです。…ただこれも向こうの思う壺ですが。」


明良は動揺している。


「僕が思うに…その子…きっと周りから中絶するように言われてるんやと思います。でも、どうしても産みたいんでしょう。…お金のこととかどうするのかはわかりませんが…。」

「…もし…父親がずっと名乗りでなければ…私が面倒をみるというわけか?」

「…そこなんですが…最終的には父親は絶対に見つかると思います。…ただ認めてくれなかったら…最悪父さんが見なあかんかもしれません。」

「……」

「…任せます。父さんに。…中絶していいと思うんだったら、その検査結果の嘘を今すぐに暴いて見せます。…でも、中絶させたくないんだったら…」

「…赤ちゃんは…神様からの授かり物だ。」

「!…父さん…」

「…わかった…認知しよう。」


圭一は微笑んだ。


「…後は任せて下さい。…僕と雄一で、父さんもその子も幸せになれるように、全力尽くしますから。」

「ん…」


明良が微笑んでうなずくと、圭一はうれしそうにキッチンへ走って行った。


……


翌日、社長室で、明良からのメールを見た相澤は愕然としていた。そして同じメールを見た菜々子も。

明良が子どもを認知するという内容のメールだった。

菜々子は、堪えていた何かが壊れるのを感じた。そしてとうとう声を上げて泣き出した。


「菜々子ちゃん…」


相澤がソファーで泣いている菜々子の背を撫でた。


「…菜々子ちゃん、今日は帰った方がいい…またマネージャーの家に泊めてもらったら?」


菜々子は泣きながらうなずいた。


・・・・・・



明良の不倫騒動はすぐにネットで広まった。

何故か、菜々子の不妊のことまで広まっている。

相澤プロダクションビルは、1時間もかからないうちに記者達に囲まれた。


もちろん、明良のマンションの前も大変な騒ぎになっていた。明良は全く外に出られなくなり、ずっとマンションにこもったままとなっている。

ただ圭一が今日もマンションに来てくれた。

圭一の顔ももちろん知られている。が、圭一は上手に記者の目につかない様に入ってきたようだ。


「女の子から連絡が来たよ。」


明良が、圭一に言った。


「なんて?」

「認めてくれてうれしいってさ。…これからの出産費用や生活費を見て欲しいて言ってきてる。」

「…そうですか…あくまでしらを切る気ですね。」


圭一はそう言って、キッチンへ入って行った。


(菜々子さんはどうしているだろう…)と明良は思った。


(…先に離婚しなければならないかもな…)


明良はそんなことを考えていた。

それも仕方がないだろう。嘘でも認めてしまったのだから。…後で、すべて潔白が証明されても、もう元には戻れないのかもしれない。

完全にあきらめている自分に明良は苦笑した。


「父さん、食べ物は何でも大丈夫でしたっけ?」


そうキッチンから言う圭一の声が、何か優しく聞こえた。


……


3日が経ち、中絶が可能な期間が過ぎた。

明良は、女の子から「当面の生活費」として要求してきた金額を、ネットで銀行に振り込んだ。正直、少ない金額ではない。だが明良はもうどうでもよくなっていた。1つの命が助かったのだからこれでいい…そう思っていた。


携帯電話が鳴った。

明良は携帯を見て開いた。圭一からだった。


「もしもし?」

「父さん!今テレビつけて!」

「どうした?」

「いいから!どのチャンネルでもいいですから。…とりあえず切ります!」

「圭一!?」


明良は携帯を閉じて、テレビをつけた。

すると、いきなり圭一の横顔が現れた。


「!…圭一!」


明良は音量を上げた。見ると、雄一も隣にいて圭一と何かを深刻な顔をして話している。

2人は、相澤プロダクションの地下駐車場で記者会見を行おうとしていた。

それも、いきなりらしい。

後の方で、相澤があわてて出てきている姿が映っている。


「すいません。こんなところで。…僕ら、会場借りるお金ないから、許して下さい。」


圭一がそう言って、頭を下げている。横で雄一も頭を下げていた。


「北条副社長がうちのプロダクションの子に子どもを作らせたという報道ですが…。向こうが証拠として出してきたのは、このDNA鑑定の結果の資料です。」


圭一がそう言って、紙を上に上げた。


「よく見たらわかってもらえると思いますが、これはただのワープロソフトで作っただけのもので、内容が本当に正しいものか疑わしいところがあります。」


圭一はそう言って、雄一に紙を渡した。そして雄一は、先日、圭一が明良に説明した通りのことを、記者達に説明していた。

雄一の説明が終わった時、1人の記者が声を上げた。


「でも、北条副社長は認めましたよね!どうしてですか!?」

「その子に中絶して欲しくないからです。」

「!?…」


圭一の言葉に、記者達がざわめき立った。


「女の子の方から何も聞いていないんで、ここからは僕らの推測ですけど…。その子が副社長を選んだのは、副社長の人格を知っていたからだと思うんです。」


記者達はまだざわめいている。


「他の人だったら、すぐに中絶しろって言います。でも、うちの副社長はそんな人じゃありません。自分の子でもそうでなくても、きっとその子に中絶なんかさせない。実際にその通りでした。」

「!!」

「その子の条件は普通ならおかしいと思うような条件です。「認めてくれなければ中絶する」…おかしいと思いませんか?大抵の人は、その子が中絶しようがしまいが関係ないというところでしょう。でも、さっき言った通り、副社長はそんな人じゃありません。…自分の子じゃない事がわかっているのに、認知することを決めたんです。副社長は、その子の計画にはまることがわかっていて、そうしたんです。」


聞いている相澤が思わず背を向けた。フラッシュが光った。


「本当の父親は誰かわかりませんが、たぶんその父親は女の子に中絶を強要したんでしょう。…でも、その女の子は中絶したくなかった。それで必死に考えて、こんなことをしたんだと思います。」

「でも、本当に北条さんの子どもじゃないという証明はまだできていないんですよね。」


記者の一人が言った。


「はい。できていません。でも、ちゃんと鑑定すれば今すぐにでもわかります。その女の子が鑑定に協力すれば…の話ですが。…逆にいえば、その子が鑑定を拒否したら、副社長の子どもじゃないと言うてるようなものです。…僕が望むのは、鑑定なしで、その女の子が副社長の疑いを解いてくれることです。」


圭一のその言葉に、記者達からは何の言葉もなかった。ただざわざわと顔を見合わせている。

圭一は記者達の後ろにいる、テレビ局のカメラに向かって言った。


「すいません…副社長に今これ見てもらってるんで、一言声かけさせてもらっていいですか?」


数台のカメラが、圭一にズームを合わせた。

圭一がカメラに向かって言った。


「副社長!僕ら、出来る限りのことをしました。…きっともう大丈夫ですからプロダクションに来て下さい。…来てくれるまで、僕ら待ってますから!」


……

それを見た明良は思わず涙をこぼした。


「圭一…ありがとう…」


泣きながら言った。



……


明良は地下駐車場から、エレベーターに乗って1階に降りた。

目が腫れたままだったので、サングラスをつけている。


廊下ですれ違ったアイドル達が、びっくりして明良を見上げていた。


「副社長…」


そんな声がしたが、明良は何も返さず、副社長室に入った。


部屋に入って、サングラスを取った。そして、電話機から内線で社長室にかけた。


「…明良…!」

「今、出社しました。…すいません。」

「…いや…こっちから行く。…圭一達も待ってたんだ。」

「!…そうですか…。一緒に来てもらって下さい。」

「わかった…」


電話が切られて、しばらくしてノックの音がした。


「どうぞ。」


明良は立ったままそう返事をした。


「父さん!」


圭一が駆け寄ってきた。明良は思わず圭一の体を抱きしめた。涙が溢れ出てきた。


「…ありがとう、圭一…。」

「ううん。…ちょっと早すぎましたけど…」


明良は圭一を抱きしめたまま首を振った。


「雄一のおかげなんです。雄一が助けてくれなかったら無理でした。」


明良は圭一の体を離して、雄一に向いた。そして雄一も抱きしめた。


「副社長…。お役に立てて良かったです…」

「ありがとう…。本当に…ありがとう。」


雄一の体を離したとき、相澤がいきなり土下座した。


「すまん!明良!」

「先輩!」

「社長!」


明良と圭一達が思わず、相澤の体を持ち上げた。


「…俺まで…俺まで騙されて…すまなかった…」

「いえ…いいんです。…仕方がないんです。誰でも騙されます。」

「…菜々子ちゃんが…」

「!…菜々子さんがどうしました?」


明良はぎくりとして、相澤の肩を取った。


「…お前に顔向けできないって…ずっと泣いてて…」

「今、どこにいるんです?」

「専務室にいる。…出てくるように言ったけど…電話の向こうでずっと泣いてて…」

「副社長、行きましょう!」


圭一が言った。雄一が隣でうなずいている。しかし、明良はとまどった表情をしている。


「…私も…どんな顔をして会えばいいのか…」

「どんな顔でもいいじゃないですか!今会わなかったら、これからどうするんですか!」

「…そうだな…」


明良は圭一に手をひかれて、副社長室を出た。


「雄一君もおいで。」


明良が振り返ってそう言うと、雄一がうれしそうにうなずいた。



……


専務室のドアを、圭一がノックした。


「専務…圭一です。…入っていいですか?」


返事がなかった。中で、マネージャーが何かを言っているのがわかる。


「…やっぱり副社長が…。」


圭一にそうささやかれ、明良は覚悟を決めたように、ドアをノックした。


「菜々子さん…いらっしゃいますか?」


中でマネージャーの声が大きくなっている。「会わないと駄目です!」と聞こえた。

菜々子の泣き声が大きくなった。「だめよ…!…妻である資格ない…」と言う声がした。


「!…菜々子さん!」


明良はドアを開けた。

菜々子がマネージャーに後から肩を抑えられていた。


「明良さん…」


明良は菜々子に足早に近づいた。菜々子は、自分がしたように叩かれることを覚悟し目を閉じた。

明良は菜々子を抱きしめた。


「!!…明良さん…」


後で圭一と雄一が、パンと音を立てて握手をしている。


「明良さん…どうして怒らないの?私が一番にあなたを疑ったのよ。…あなたの弁解も何も聞かずに…。妻失格だわ。」


泣きながら言う菜々子に、明良は首を振った。


「あんな検査結果を出されたら誰でも騙されます。それよりも僕もあなたに謝らなければならない…」

「!?」


菜々子が濡れた顔を上げて明良を見た。


「僕の子じゃなくても…あの子のお腹の子を殺したくなかった…。だから、あなたに本当のことを言わずに認知してしまった。そのことを謝ります。」

「明良さん…」


菜々子の目から涙が止まらない。明良は再び菜々子を抱いた。


「…子どもは…神様からの授かりものなんです。…誰の子でも死なせたくなかった…。」


菜々子が明良の胸の中でうなずいた。明良は続けた。


「あなたと私の子どもも…きっといつか授かるでしょう。…その時を待ちましょう。」

「!」


菜々子は驚いた表情で明良を見た。その菜々子の唇に明良は自分の唇を押しあてた。


「!!」


圭一達があわてて背中を向けた。マネージャーがその2人に「さ、外へ出ましょう」と言って、連れだした。


ドアが閉まった。


明良と菜々子は、そのまましばらく離れなかった。



……


女の子が、明良の潔白を証明したのは、翌日の朝だった。

相澤プロダクションだけでなく各テレビ局にFAXが送られ、謝罪の言葉があった。

そして、本当の父親が認知したことも書いてあり、受け取ったお金を全額返金するとあった。


これで、すべてが解決した。


(終)

~未公開シーン~


菜々子は目を覚ました。いつの間にか自宅のベッドで寝ている。服のままだった。そして横には明良が服のままで、体をこちらに向けて寝ていた。


「明良さん…」


菜々子は思い出した。そう、さっきまで専務室で抱き合っていた。その後体中の力が抜けたようになったのを思い出した。自分の名を呼ぶ夫の声が聞こえ、その後記憶がない。

多分夫が連れ帰ってくれたのだろう。

菜々子は、子どものように眠っている夫の顔を見つめた。

いつも優しい夫は、また菜々子を許してくれた。菜々子は許さなかったのに…。

あのDNA鑑定の検査結果を見たとたん頭に血が上り、夫に手を挙げた。どうしてあの時、少しでも夫を信じようという気が起こらなかったんだろう?思い出しても自分に腹が立つ。それなのに夫は怒ることなく、菜々子を抱きしめてくれた。

菜々子の目に涙が溢れた。そして夫の胸に顔を埋めるように抱きしめた。

その時、夫が目を覚ました。


「菜々子さん?」


夫は菜々子の頭を撫でた。


「大丈夫?」


菜々子は明良の胸に顔を埋めたまま、うなずいた。


「明良さん、ごめんなさい…」


菜々子が言った。


「もう忘れましょう」


夫が言った。

それを聞いて、菜々子は泣き出してしまった。どうしても自分が許せなかった。

その時、夫の胸から歌が聞こえた。菜々子は声を抑えて、夫の歌う声を聞いた。

いつまでもずっとそばにいるという歌だった。

最後まで聞いて、やっと顔を上げた。


「落ち着きましたか?」


夫が菜々子の顔を見て尋ねた。

菜々子はうなずいた。


「先輩が明日まで休んでいいと言ってくれました。明日どこか行きましょうか?」


夫のその言葉に菜々子は首を振った。


「家にいたい。」

「そうですか」


夫が微笑んだ。


「じゃ家にいましょう。」

「明良さん…」

「?はい?」

「愛してる」

「!?」


夫は一瞬目を見張ったが、すぐに微笑んで、


「僕も愛してます」


と言った。

そして、菜々子の唇に自分の唇を押し当てた。




翌々日-


「やだ!本当!?」


マネージャーから話を聞いて、菜々子は顔を赤くした。


菜々子が倒れた時、明良は、菜々子を横抱きにして、駐車場まで運んだのだと言う。その駐車場に行くまでに、アイドルの女の子達に見られたと言うのだ。


若い女の子の間では、横抱きすることを「お姫様抱っこ」というのだそうだ。

その時の明良の表情はかなり険しかったそうで、目にかかった前髪も払わず、軽々と菜々子を抱いて運ぶ明良の姿が、女の子の間で、話題になっているそうだ。


「皆ダイエットするって、言ってますよ。未来の旦那様に、菜々子さんみたいに、軽々とお姫様抱っこして欲しいからって…」


マネージャーが言った。


「恥ずかしいわー」


菜々子は思わず、顔を片手で覆って言った。


「でもダイエットはやめさせないと…。あんまり若い時にやっちゃうと、反動で太るか、拒食症になるかどっちかなのよ。」

「そうなんですか。」


マネージャーが驚いたように言った。


「今日、明良さん…どうしてるのかしら?」

「特に聞いていませんが…」


それを聞いた菜々子は副社長室に内線をかけた。すぐに明良が出た。


「はい?菜々子さん、どうしました?」

「ランチ一緒にどう?」

「もちろんいいですよ。」

「女の子達何人か連れて行くから!」

「え!?」

「食べさせないとダメなのよ。」

「何を?」

「ダイエット阻止するの!」

「???」

「私もできるだけ食べるから、お金用意しといて!…ああ、私も持っていくけど…。」

「菜々子さん?」

「じゃ12時半に駐車場でね!」

「え?あ、はい…」


菜々子は電話を切った。

そして「レッスン室行ってくる!」と言って、部屋をでていった。お昼を一緒に食べる子を集めに行くのだ。

マネージャーは、笑って、菜々子を見送った。

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