潔白
社長室で、相澤と明良はテーブルに置いてある雑誌を見つめながら、表情を固くしていた。
「…裁判で訴えることはできるだろうけど…そんなことをしても…この話をなかったことにはできないしな…」
相澤が呟くように言った。明良は目に手を当て、ため息をついた。
この雑誌に書かれているのは、圭一の前科のことだった。
まだ、朝のワイドショーでは取りあげられていない。…というよりも、ワイドショーは慎重に対応しているというところだろう。
殺人の前科を持っているから、アイドルになってはならないということにはならない。それは前科を持つ人皆、社会に出てはならないという批判に発展することはわかりきったことだ。
だが、この雑誌はこういった記事を出しては批判を浴び、それでもまた同じような暴露的な記事を繰り返していることで有名である。
「この際、圭一が殺していないことを公表したらどうだ?」
「そうしてやりたいですが…圭一が許さないと思います。」
「…静観しているしかない…ってわけか。」
相澤の言葉に、明良が力なくうなずいた。
……
しかし静観はしていられなかった。
この記事が本当かどうかを問う内容の電話がプロダクションにひっきりなしにかかってきたのである。
ファンからも同じような内容のメールやFAXが相次いだ。
また、
「圭一君を信じています。」
「もし殺人の前科を持っていても、ちゃんと罪を償ったのならいいと思います。」
等、励ましのメールも多かったが、明良が胸を痛めているのは、本当は圭一が殺人を犯していないということだった。
それを公表出来たらどんなに気が楽だろう。
…なんとか、真犯人のことをばらさずに、圭一が殺人を犯していないことを公表する方法がないか…。
明良は毎日それを考えていた。
……
「父さん…」
圭一が副社長室のソファーに座り、神妙な表情で言った。
「…僕…引退します。」
「!!圭一…!」
「…これ以上迷惑かけないうちに…」
「だめだ!」
明良が声を上げた。
「それだけはだめだ!」
「…父さん…」
圭一はうなだれて、目を手で拭った。
「これで引退してしまったら、お前は今以上にこのことで苦しむことになる。」
「でも…前科を持ってるのは本当です。どうしようもないじゃないですか。」
明良の言葉に、圭一は涙声で言った。明良は首を振った。
「…お前は人を殺していない。…今、そのことを公表する方法を考えているんだ。」
「それだけはやめて下さい!…先輩に…迷惑かける…」
圭一が涙声で言った。
「…どうしても…本当のことを言ってはだめか?」
明良の言葉に圭一がうなずいた。
「言わないで下さい。お願いです…今になって…先輩に迷惑かけるの嫌や…」
圭一がそう言って泣き出した。明良は圭一の隣に座り、背中に手を乗せた。
「…わかった…わかったから泣くな。…でも、引退だけはだめだぞ。」
明良がそう言うと、圭一は泣きながらうなずいた。
……
「歌番組からキャンセルが!?」
相澤が事務所からの内線に思わず声を上げた。
「…わかった…仕方ないだろう…。」
相澤はそう言うと受話器を置いた。
このところ、圭一の仕事が次々とキャンセルされはじめている。
前科を持つ者に対して、まだ社会が冷たいことを顕著に表していた。
各テレビ局や出版社から「前科について本当かどうか、記者会見をして欲しい」という内容のメールやFAXがまだ送られてくる。
「…やるしかないか…」
相澤は副社長室に内線をかけた。
すぐに記者会見の日取りが決められ、各テレビ局、出版社にFAXが送られた。
……
記者会見日の前日-
夜、副社長室で会見で話す内容の原稿をチェックしていた明良は、いきなり鳴りだした電話に手を伸ばした。
表示を見ると外線である。そして局番が「06」だった。
「はい。相澤プロダクションです。」
明良がそう言うと、電話の向こうから若い青年の声が返ってきた。
「!!…君…!」
明良は思わず体を硬直させ、目を見開いた。
……
相澤プロダクション7階の大広間が会見場となった。
まだ会見の時間までに1時間もあるのに、多くの記者達が集まっていた。
相澤は記者会見の時間を繰り上げることを決めた。
正直、早く終わらせたいのである。
相澤は、副社長室で打合せをしている明良と圭一に内線し、7階へ行くように指示した。
……
会見場に、相澤と圭一が入ってきた。すぐに激しくフラッシュがたかれた。
圭一と相澤は神妙な表情で席に座った。
…だが…明良がいない。
相澤が会見場に入る前に圭一に尋ねたが、圭一も「先に行け」と言われただけでわからないということだった。
「…副社長の北条明良がまだですが、始めさせてもらってもいいでしょうか?」
相澤がマイクでそう言うと、フラッシュが一斉に光った。
相澤と圭一が立ち上がった。
「今日はお集まりいただきありがとうございます。相澤プロダクション社長の「相澤」です。」
相澤が頭を下げた。
「まず、この北条圭一のことについて、世間をお騒がせしたことをお詫びいたします。」
相澤がそう言ってもう1度頭を下げると、圭一も一緒に頭を下げた。
「…座ってもいいでしょうか?」
相澤がそう言うと一部の記者がうなずいたので、相澤は圭一に目配せし、圭一と一緒に座った。
「一部の雑誌に掲載された、圭一の前科について、本人から説明いたします。」
相澤はそう言い、マイクを圭一に渡した。圭一はマイクを受け取り、立ち上がって頭を下げると、記者達をしっかり見て口を開いた。
「北条圭一です。…私が殺人を犯し、前科を持っていることは本当です。」
記者達から少しどよめきが起こった。
「私が、大阪の暴走族に入っていた高校2年生の時、他校の3年生にバイクを蹴られたことに腹を立て、持っていたナイフでその3年生を刺しました。…私はすぐに現行犯で逮捕され、少年院に入りました。」
1人の記者がいきなり手を上げた。相澤が「質問はあとで…」と言いかけたが、圭一は「どうぞ」と言った。
「記事によると少年院に入っていたのは「半年」とありましたが、殺人という重罪を犯したのに「半年」だけ…というのはなぜでしょうか?」
「それは、私が刺した人のお母様が赦して下さったからです。」
「自分の子を殺されたのに…ですか?」
「はい…。感情的になって人を殺してしまったことも、赦して下さったことも申し訳なく思っています。」
圭一がそう言った時、突然、会見場の後ろにあるドアから明良が入ってきた。
記者達が一様に振り返った。
「会見に遅れましたことをお詫びいたします。」
明良がそう言って、記者達の後ろから頭を下げた。フラッシュが明良に向かってたかれる。
そして、開いたままのドアから1人の青年が現れた。ネクタイを締め、きっちりとしたスーツを着ている。
記者の一人がいきなり「あっ!」と声を上げた。
「…大阪の…アパレル会社の専務じゃないか?ほら…CMにも出てた…」
記者達がそう呟いた記者に振り返った。
マイクが大きな音を立てた。圭一がマイクを落としたのである。記者達は驚いて圭一に振り返った。
圭一の目が大きく見開かれていた。
青年が、明良の後ろで丁寧に頭を下げた。
カメラマン達は条件反射的にその青年にフラッシュを浴びせた。
「やめて下さい!写さないで!」
圭一が青年の前に慌てて立ちふさがった。
そして黙ってその青年の体を抱くようにして、ドアに向かった。
だが青年は圭一に向いて、逆に圭一の体を押さえた。
圭一が目に涙を溜めて青年を見た。
「なんで…来たんですか…」
「今まで辛い思いさせたな。…俺…ずっとお前の事…忘れてへんかったで…」
「…先輩…」
明良が青年の肩を叩いた。青年はうなずいて、圭一の背に手を乗せ、記者達の前まで進み出た。
そして、圭一がテーブルに落としたマイクを取り頭を下げた。
「突然に申し訳ありません。佐倉匡といいます。ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、あえて会社名は伏せさせていただきます。ただ自分が今から話すことは社長の父も社員たちも知らないことを先に言っておきます。」
記者達は、佐倉が何を話すのか、じっと黙って待っている。
「今ここにいる「市井」…いや…「北条圭一」君の前科のことですが、彼は殺人を犯していません。」
記者達がざわめき、カメラマン達が一斉にシャッターを押した。
「殺人を犯したのは…この僕です。」
ざわめきが一層大きくなりフラッシュが激しくなった。思わぬ言葉に記者達が動揺しているのがわかる。
圭一はその佐倉の横に立ち、片手で目を覆ったまま動かない。明良がその圭一の肩に手を置いて優しい目で見つめている。
「ナイフは元々は僕が刺した人、省吾君というんですが、その子の持ち物でした。省吾君が圭一君のバイクを蹴るので、僕が思わず止めたんですが、その時に省吾君がいきなりナイフを取り出したんです。そして揉み合っているうちに僕が刺してしまいました。…でも、その時僕が社長の息子だからということで、圭一君が罪を被ってくれました。僕の将来を守るためだけに…彼は自ら罪を被ってくれたんです。…少年院に入っていた期間が短いのは、このことを省吾君の母親も知っていたからです。」
「!!」
記者達も驚いていたが、明良までも驚いた目を佐倉に向けた。そして圭一を見た。相澤も立ったまま目を見開いて、佐倉を見ている。
「僕が省吾君を刺した時、お母さんが息子の省吾君のことを心配して近くまで来ていたんです。心配というのは、省吾君はその頃受験前で、かなり神経を苛立たせていたそうなんです。そのことでよく同級生ともトラブルを起こしていたので、また省吾君がトラブルを起こさないかと心配され、探しておられました。またナイフを持ち歩いていることもご存じだったそうですが、取り上げることもできなかったとのことでした。…そして圭一君が僕を説得している声をお母さんが聞いて駆け寄ってきてくれました。…目の前で息子が死んでいるのに…お母さんは僕を許してくれた…。」
佐倉が涙で声を詰まらせた。圭一も溢れ出る涙を手で拭っている。
「お母さんは、元々は息子がナイフを持ち歩いていることを知ってて知らんふりをしていた母親の自分に責任がある…って言ってくれました。」
佐倉は一旦言葉を切った。涙で声が出なくなったのである。記者達は黙って佐倉が話し始めるのを待った。しばらくして、佐倉はひとつ息をついてから口を開いた。
「僕は…圭一君に説得されるまま罪を被らせることになり…お互いに今後一切連絡を取らないと3人で約束しました。…でも…あの時の事を毎晩夢に見るくらい…僕は罪の意識からどうしても逃れられなかった。」
佐倉は圭一に体を向けた。
「それだけじゃない…。僕もあの記事を読んで驚きました。…圭一君が家を勘当されてたなんて、僕は今まで全く知らなかった…。圭一君がテレビで活躍する姿を見て「元気そうでよかった」と…。」
嗚咽を堪えながら泣く圭一に向いたまま、佐倉も涙を零した。
「…きっと他にも辛い思いをしただろうに…あの日の約束通り、圭一君は何も僕に連絡してきてくれなかった…。…圭一君の苦しみを…僕は何も知らずに…父の会社で専務にまでなって…自分だけ呑気に…。」
佐倉がそこまで言い、涙で言葉を詰まらせた。圭一は「先輩、もうやめて」と呟いた。佐倉は首を振って続けた。
「省吾君のお母さんにも昨日、真実を話すことを伝えるために、あの日以来初めて電話をしました。省吾君のお母さんも、記事を読んで圭一君のことを心配してた…。」
圭一が濡れた目を見開いた。
「圭一君のこと、息子やと思って応援しとったって…。だから…僕が真実を話すことを聞いて…僕の事も心配してくれたけど…そうしてやってくれ…って…。そして…自分の分も一緒に謝っておいてくれって…」
佐倉は圭一に深く頭を下げた。
「…圭一君にこれまで辛い思いをさせたことを心から謝ります。…本当に申し訳なかった。」
圭一は泣きながら、その佐倉の体を上げさせた。
その時、記者達の後ろのドアが開き、捜査一課の能田が入ってきた。
圭一が驚いて能田に駆け寄り、能田の体を押さえた。
「待って!…先輩、捕まえんといて!」
能田は首を振った。
「お願い!もう終わったんです!…僕、前科持ったままでええから!お願いします!」
「圭一君。罪は罪だ。手錠はかけないけど…任意同行は避けられないんだ。」
その圭一の背中を佐倉が優しく叩いた。
「圭一…覚悟してたことや。」
「先輩!」
圭一の体を明良が押さえた。佐倉は能田の前に立った。
「同行いたします。」
「…ご協力ありがとうございます。」
能田はそう言って、佐倉を先に行かせた。
佐倉と能田はドアを出た。
圭一は明良に体を抑えられたまま泣いた。
…記者達もしばらく何も言わなかった。
……
…最終的に佐倉匡は、書類送検はされたものの、すぐに釈放された。
記者会見の前に明良から連絡を受けていた能田が、被害者の母親に連絡し、先に手を回していたのである。
そして世間的にも、佐倉匡が責められることもなかった。記者会見で堂々と顔を出し、自分が殺したことを公表したその姿が、潔い行動と捉えられたようだ。
圭一の前科も無事消され、相澤プロダクションは、このことをきっかけに佐倉の会社と契約を結んだ。
……
1週間後-
「市井の家から、連絡ないんか?」
携帯電話の向こうで佐倉が言った。圭一は「ないです。」と答えた。
「実は記者会見行く前に、先にお前が無実やいうこと言っておこう思て、市井の家に俺から電話してみたんやけど…現在使われてないって…返ってきてな…。」
「!…そうですか…」
「引っ越したみたいやな。家までは行ってへんねんけど…。」
「ありがとうございます。母さんのことは心配やけど…僕はもう市井の家のことは…」
「そうやな。今は北条圭一やもんな。…ええ人に会えて良かったな。」
「はい…。」
圭一はそう答えて、隣でキャトルを撫でながら雑誌を読んでいる明良をちらっと見た。
「それで…衣裳届いたか?」
佐倉の言葉に、圭一はクスッと笑った。
「ええ。」
「衣裳どうや?派手か?」
佐倉が笑いながら言った。圭一はソファーの前のテーブルに置いている、赤いスパンコールづくしの衣裳を見ながら言った。
「大阪色ばんばんやないですか。ライトオペラには向きません。」
「やっぱり?」
佐倉が笑った。
「それ俺からのプレゼントや。別に着んでもええけど、圭一の部屋にでも飾っといて。」
「ありがとうございます。」
「で、今日、本当の衣裳送ったから。そっちのデザイナーさん、ええセンスしてんな。俺らも勉強させてもらったわ。」
「そうですか。それ伝えておきます。」
「うん。今度東京出る時、また連絡するから飲みに行こや。」
「はい!楽しみにしています。」
「ほなな。」
「はい、お休みなさい。」
圭一は携帯を切った。
見ると、明良がスパンコールづくしの衣裳を持ち上げて見ていた。
「…このスパンコール…手作業なんだろうなぁ…大阪の人ってこういう細かい作業を丁寧にやるんだな。」
「冗談で作ったって言ってましたけど…」
「ある意味もったいないな。本気でこれを着て歌ってみないか?」
「嫌ですよ!!」
圭一が体を避けて笑いながら言った。
「じゃぁ今着てみてよ。」
「えっ!?嫌ですよ!」
明良が服を開いて、立ち上がった。
「ほら早く!」
「嫌ですっって!」
「こら、逃げるな…!」
その時、菜々子がリビングに入ってきた。
「もおー…真由がやっと寝ついたのに騒がないでよ。」
「母さん、助けて!」
圭一が菜々子の背中に隠れた。
「あら、素敵じゃない。」
菜々子が明良が持っていた上着を手に取り、自分で着てしまった。
「!?」
「どお?」
ポーズを取る菜々子に、明良と圭一は目を見張っていたが、
「…案外似合ってる…」
「さすが、元女優…」
とお互い囁き合った。
「ほんとっ!?」
菜々子は嬉しそうに、リビングを出て行った。
クローゼット部屋で鏡を見るつもりだろう。
「…冗談だったんだけどな…」
明良がぼそっと言った。圭一がうなずきながら、くすくすと笑った。
「きゃっはっはっはっ!!何、これー!」
菜々子の笑い声が、廊下に響いた。
……
…後日談だが、このスパンコールづくしの衣裳は、結局ライトオペラのコンサートのアンコールに使われた。コンサート前に秋本と沢原の分も注文され、それを着た3人が漫才のようなトークをした後「オーソレミオ」を演奏し、コンサートを見に来ていた佐倉と観客に大受けだったという…。
(終)