独奏
秋本は、新曲が決まらないことに対して、実は自分だけ逃げたことに気づいていた。
それをまるで圭一のせいのようにして責任を負わせた。
その為に、圭一は悩み、血を吐いて倒れてしまった。
その事を秋本は悔やんでいた。
今でも圭一が、病院で白い顔で寝ている姿を夢で見てしまう。そして夢の中では、圭一が死んだと誰かに言われ、その度に飛び起きた。
圭一はオペラを辞めると言った。もうクラシックすら嫌になってしまったのかも知れない。
死なせたも同じじゃないかと秋本は思っていた。
正直、秋本自身も圭一が倒れてから、バイオリンを手に取ることすらない。
秋本は自宅のベッドに座っていた。何故か寝る気になれない。ずっと何時間も座っている。
「けじめをつけないとな…」
そう呟いた時、携帯が鳴った。秋本が携帯を開くと「相澤社長」と出ていた。
秋本は慌てて電話を取った。
「はい。」
「秋本君、久しぶり!」
相澤の明るい声がした。
「お久しぶりです。」
「仕事の話なんだけど…」
「!?はい…」
「ライトオペラで、クラシックの番組からオファーがあってね。」
「クラシック番組ですか?」
「ん…。ただ圭一がああじゃない。でも断るのも、もったいないじゃないか。それで、君だけで出演してもらえないかと思ってね。」
「いつですか?」
「来週の金曜日なんだ。それも生放送。」
確かに急だな…と秋本は思った。恐らく出演者からキャンセルがあったのだろう。
「副社長はなんとおっしゃってるんですか?」
「いや、明良にはまだ何も言ってないんだ。」
「!?」
「圭一があんな状態だからね。先に君の返事を聞こうと思って…」
「ライトオペラは圭一君の歌が基本なんです。僕独りが出ても…」
「圭一が胃潰瘍になったことは皆知ってるから、君独りでも大丈夫だと思うよ。番組のプロデューサーは君だけでも構わないって言ってるし。なんなら、君が圭一の復帰を応援するような曲を弾いたら?」
相澤は、圭一が倒れた原因を何も知らないらしい。明良が言っていないのだろう。
「…わかりました。やりたいことがあります。曲は任せて貰えますか?」
「もちろん!」
「それから、オーケストラをお借りしたいんですが…」
「お安いご用だ。」
「それから、もう1つ…」
「何だい?」
「…誰にも言わないでもらえませんか?もちろん副社長にも専務にも圭一君にもです。」
「?…どうして?」
「…副社長は黙ってくれているようですが…圭一君が倒れたのは…私のせいなんです。」
「!?…」
秋本は相澤に全てを話した。途中で胸が詰って言葉がでなくなったが、相澤は最後まで秋本の話を聞いてくれた。
そして、明良たちには内緒にしてくれることを約束してくれた。
……
その日から、秋本は翌日から防音室に篭ってバイオリンを弾いた。
「圭一君の声は…もっと低いか…」
秋本は圭一の声をバイオリンで表現しようとしていた。
圭一が歌う姿を思い出した。咄嗟にバイオリンを下ろす。
その姿をもう見られない事を思ったのだ。
秋本は一つ息を吐いて、ソファーに座った。
バイオリンと弓を置き、手を目にやった。
圭一に出会ってまだ1年も経っていないのに、今までいろいろあった。
走馬灯のように圭一との思い出が流れていく。
秋本は急に立ち上がり、ピアノの横にあったパイプ椅子を思いっきり蹴飛ばした。
椅子は壁に打ち付けられ、大きな音を立てて壊れた。
防音室のため、外に聞かれることはない。だが、その時ノックの音がした。
秋本は返事をしなかった。そしてまたソファーに座り、頭を抱えた。
「…秋本君…いるのか?」
そっとドアが開いて、相澤が顔を出した。そして壊れたパイプ椅子を見て目を見開いた。
相澤はソファーに座って、うなだれている秋本を見た。
「…秋本君…。」
相澤は秋本の隣に座った。
「…大丈夫か?」
うなだれている秋本の目から溢れた涙が床にぽとぽとと落ちている。
相澤は秋本の背に手を置いた。
「あまり自分を責めるな。」
相澤が言った。秋本は黙って首を振った。
「黙ってても、圭一君は見ると思うよ。その番組。」
「!?」
秋本が顔を上げて、相澤を見た。
「クラシック聞いているらしいから。ずっとベッドに寝かせているそうだが、丸1日ステレオをつけっぱなしなんだって。明良はまた圭一君が、オペラを歌うだろうって言ってる。」
「……よかった…」
秋本が頬についた涙を、さっと指の腹で拭った。
「…安心しました。」
「だから、圭一君が聞いてくれるというつもりで演奏して欲しいんだ。きっと君の気持ちが伝わると思う。」
「…はい…」
秋本はうなずいた。相澤は安心したように秋本の背を軽く叩いて、部屋を出て行った。
だが、秋本の本当の想いは相澤にはわからない。
秋本は立ち上がって、バイオリンと弓を手に取ると、最後に演奏する曲を弾き始めた。
……
1週間後-
圭一は、新しい部屋のベッドで身体を横たえオペラを聞いていた。
じっと目を閉じている。
「圭一君」
菜々子がノックした。
「はい!」
圭一は起き上がった。
「ホットミルク飲む?」
「飲みます!」
「じゃダイニング来てねー」
「はい!」
(お子ちゃまか)
圭一は苦笑した。
だがしばらくは、コーヒーも紅茶も緑茶すら飲めない。
圭一はオペラを消して、部屋をでた。
……
「あー…ホッとするわねー」
菜々子が言った。ホットミルクを、圭一と一緒に飲んでいる。
「専務はお好きなの飲んでくれていいのに…」
「あら、最近、私も気に入ってるのよ。牛乳のブランド変えてみたり…」
「ならいいんですけど…」
「で、前から言おうと思ってたんだけど…どうして私は「専務」なの?」
「え?」
圭一は困った。
「だって、母さんと呼ぶには、専務若いように思って…」
「明良さんと同い年なのに?」
「正直父さんも、心苦しくて…」
「いいじゃない。私、息子ができたら、おふくろーとか言われたかったんだけど…」
「!!…おふくろなんて、もっと合わないですよ!」
「つまんないわー」
菜々子は膨れた。そして仕方なさそうに言った。
「じゃ、やっぱり、母さんで。」
「わかりました。」
「早速呼んで!」
「えっあっ…えっと…母さん…」
「なあに?」
「いや呼んだだけで…」
「もお!なんでもいいから、用事言い付けて!」
圭一は笑った。こんな母親他にいるんだろうか?
「じゃ…おかわり下さい…」
「いいわよー、息子ー!」
「…母さん…それは変。」
「…変だったわね。」
2人で笑った。
……
「ただいま」
夜になって、明良が帰って来た。
菜々子と一緒に晩御飯の用意をしていた圭一が、慌てて玄関に行った。
「おかえり、父さん!」
「ただいま、圭一。」
明良は嬉しそうに答える。
「かばん…」
「ああ、ありがとう。」
明良は、かばんを圭一に渡して、圭一の背に手を乗せて、一緒にリビングへ入っていった。
……
「母さん、僕やります。」
圭一が味噌汁を入れる菜々子に言った。
「いいわよ。代わりにそれ持って行ってくれる?」
「あ、はい。」
圭一は、3つの小鉢が乗った盆をダイニングテーブルに持って行った。
「圭一、気を遣わなくていいよ。とりあえずは、体を治さなきゃ。」
明良が、配膳をしている圭一に言った。
「体動かしてる方が、なんか気が楽で…」
「そうか…」
退院してから3週間が経とうとしていた。
圭一のファンからは「早くオペラを聞きたい」というメールが多く来ている。
…しかし、胃潰瘍の原因になったオペラを、まださせるわけには行かない。
本人の口からも、一言もオペラのことには触れることはなかった。ただ、いつも部屋ではオペラやクラシックを流している。
嫌いになったわけじゃないようで、明良はホッとしていた。
もちろん明良もいずれまた、圭一にオペラを歌って欲しいと思っている。
ただ秋本から、全くなんの連絡もないことが気掛かりだった。できれば、また2人でしてくれればと思う。
しかし、これだけ間が空いてしまうと、関係の修復は難しいかも知れなかった。
圭一も秋本のことを忘れたかのように見える。そんなことはないだろうが、明良も菜々子も、秋本の名前は意識して出さないようにしていた。
……
晩御飯を食べた後、圭一は、明良達とクラシック専門の音楽番組を見ていた。
圭一が見たいと頼んだのだ。明良達も快諾した。
ソプラノ歌手の「タイムトゥセイグッバイ」やテノール歌手の「誰も寝てはならない」、オーケストラでは「フィンランディア」と、続いた。「フィンランディア賛歌」の合唱もあった。
圭一の目が輝いているのがわかる。
明良はその圭一の目をつい見つめた。
今すぐにでも歌い出しそうだ。
しばらくして、菜々子が明良の手を強く握った。圭一の目も見開いている。
明良はテレビに向いた。
「!?…秋本君!」
秋本がバイオリンを構えていた。
今までの出演者は司会者と会話をしてから、歌い出したのに、秋本には何もなく、いきなり秋本のアップから入った。
そして別のスタジオからとなっていて、相澤プロダクション所属のオーケストラが秋本の後ろに控えていた。
画面に「ライトオペラ~友へ~」とタイトルが出た。
明良と菜々子は圭一の顔を見た。
圭一は目を見開いたまま動かない。
先にオーケストラがアメイジンググレイスのメロディーを演奏した。
秋本がアメイジンググレイスのメロディーを弾いた。次のフレーズでは、オーケストラと一緒に弾いている。よく聴くと、オーケストラのところは圭一が歌っていたパートだ。
秋本は、圭一と一緒に演奏したアレンジでバイオリンを弾いていた。
秋本の顔がアップになる。いつものように長い睫毛が伏せられていた。アメイジンググレイスが終わったと思ったら、すぐに「主よ、人の望みの喜びよ。」に入った。
今度は圭一が歌うパートを秋本が弾いている。短いフレーズで終わると、とたんに静かになり、ピアノがモルダウの前奏を弾いた。そして圭一が歌いだすところを秋本が弾いていた。いつもよりバイオリンの音が低く感じた。圭一の声を真似ているようにも聞こえる。
しかしその曲もひと通りのメロディーが終わると、オーケストラの指揮者が手を下ろしたのが見えた。
秋本の独奏が始まった。そのメロディーを聞いて、圭一は体に震えが走ったのを感じた。
ショパンの「別れの曲」だった。
明良と菜々子も表情を硬直させている。
「…いやや…」
圭一が思わず呟いて、ゆっくり立ち上がった。
「そんなん…いやや…!」
菜々子が明良に向いた。
「明良さん、これ生放送よね。…この番組のスタジオは確か…」
明良がうなずいて、立ち上がった。
「…圭一、車で行こう。番組の残り時間からして、たぶん秋本君がスタジオを出る前には着けるはずだ。」
「!…」
明良と圭一は、リビングを走り出た。
菜々子は座ったまま2人を見送ると、再びテレビの画面を見た。
秋本の伏せた長い睫毛が濡れているのがわかる。
「…だめよ、秋本君…そんなの…」
菜々子が涙声で、映像の秋本に言った。
……
明良は厳しい表情で車を走らせている。助手席の圭一は涙があふれるのを、手で何度も拭った。
車に取り付けられているカーナビのテレビが、まだ別れの曲を弾く秋本の姿を映している。
車の中に、秋本の奏でる物悲しいバイオリンの音が広がっていた。
…曲が終わった。
「!!」
「父さん…!」
映像では、秋本が頭を下げている姿があった。拍手が起こっている。
「思ったより早く終わったな…」
明良がそう呟いた時、秋本が画面から消えた。
・・・・・・
圭一がスタジオに向かったが、ADが驚きながらも「秋本さんは番組が終わる前にもう出て行ったよ」と教えてくれた。
圭一はADに頭を下げると、車を駐車場に止め、こちらに向かっている明良の元へ走って戻った。
「秋本さん、もう出たって!!」
「!?…よし、プロダクションに行ってみよう!」
明良は車に向かって走った。が、圭一は追おうとして、その場にしゃがみ込んだ。
「圭一!」
明良が慌てて圭一のところへ戻ってきた。圭一は息を弾ませている。体力がまだ完全でなかった。
「頑張れ…。」
圭一がうなずいた。明良は圭一の体を支えて、圭一を立たせた。
圭一は、車の中で秋本に電話した。だが、秋本は電源を切っているらしい。
圭一は携帯を閉じ、目に手を当てて再び泣きだした。
今日のうちに秋本を見つけないと、もう2度と会えないような気がした。
「…あきらめるな、圭一!」
明良が運転しながら言った。圭一は目に手を当てたままうなずいた。
そして、ふと思いついたように顔を上げた。
「…橋!!…父さんの…橋へ行って!」
「!?…秋本君はそこを知っているのか?」
「一緒にバイクで行ったことがある…」
「よし、いちかばちかだ。」
明良には珍しく乱暴なハンドルさばきで、車をUターンさせた。
……
橋にさしかかった。圭一が辺りを見渡す。
「父さん!」
その圭一の声と共に明良はブレーキを踏んだ。圭一はシートベルトを外し、車を降りて駆け出した。
ブレーキの音に秋本が振り返った。圭一の姿を見て目を見開いている。その秋本の体に圭一がためらわず抱きついた。
「…よかった…もう会えないと思った…」
圭一が涙声で言った。秋本は圭一の背にそっと手を回した。
「…見てたのか…」
秋本が呟くように言った。圭一が秋本の肩でうなずいて言った。
「まさか秋本さんが出るとは知らずに見ていました…。」
「…そう…。まだクラシックを嫌いにはなっていなかったんだね。」
その秋本の言葉に、圭一は首を振った。
「…ちょっと救われたよ。」
秋本が言った。
圭一は体を離し、秋本にいきなり頭を下げた。
「…『ライトオペラ』を辞めるなんて、勝手なことを言ってすいませんでした。」
圭一はそう言って頭を上げた。秋本が動揺したような表情をしている。
「今はまだ歌えないけど…新曲、必ず決めて歌います!今、たくさん曲を聞いて探しているんです…」
「…君はまだ独りで曲を探しているのか?」
「だって…秋本さんがそうしろって言ったから…」
圭一が目に涙を浮かべて言った。
「言われた時は、とうとう見捨てられたと思いました。」
「!…」
「曲を探しても気持ちが焦って…初心に戻るどころじゃなかった…。どんなに考えても…歌っても…それがいいのかどうか、答えてくれる人がいなくて…」
秋本が涙を堪える表情をして下を向いた。
「もう…僕独りでは…『ライトオペラ』できません…。それを痛感しました。」
「…圭一君…」
「でも…秋本さんを取り戻すために…次の新曲は独りで歌います。」
「!…」
秋本が顔を上げた。
「だから…いなくなるのは…まだ待って…」
圭一がそう言ったとたん、急にその場に両膝をついた。
「!圭一君!」
秋本が慌ててしゃがみこみ、圭一の体を支えた。
離れて見ていた明良が驚いて駆け寄ってきた。
「圭一!」
「…ごめんなさい…何故か…体に力が入らなくなって…」
秋本が、圭一の体を抱きとめている。
「…車をこっちへ回すよ。圭一を頼む。」
明良が言った。秋本はうなずいて、圭一を抱きしめた。
・・・・・
家へ連れて帰られた圭一はベッドに寝かされていた。
意識はあるが、体が動かない。今までずっと寝ていたので筋肉が落ちてしまっていた。
秋本がベッドの傍の椅子に座っていた。
圭一がその秋本に顔を向けて言った。
「秋本さん…せめて僕が眠るまで…ここにいてもらえますか?」
「!…」
「これが最後のわがままです。後は…秋本さんの決めたようにして下さい。」
「…圭一君…」
圭一は天井に向いた。
「この調子じゃ、いつ歌えるようになるのかわからないし…。待ってもらうのは、迷惑かけるかなって…」
「…そうか…じゃぁ…そうさせてもらうよ。」
秋本の言葉に、圭一は涙を堪えるような表情をした。
秋本が言った。
「新曲は俺が考えておくから。」
「!!…え?」
圭一は驚いて秋本を見た。
「そのかわり、言う通りにしてもらうぞ。」
「…秋本さん…」
秋本が微笑んで、まだ信じられない表情の圭一に言った。
「ここまでやられて…君を独りにして行けるわけがない…」
「…秋本さん…」
「それと…いつか絶対に口説き落とすからな。覚悟しろよ。」
「!!…」
元に戻ったような秋本の言葉に、圭一は泣き笑いのような表情をした。秋本も笑っている。
「もう寝ろ。…襲わないから。」
その秋本の言葉にまた笑って、圭一は目を閉じた。そしてすぐに眠りに落ちた。
……
圭一の部屋から出た秋本は、明良に誘われリビングのソファーに座っていた。
菜々子が、暖かいミルクティーを秋本の前に置いた。
「…疲れたでしょう?」
「すいません…専務…」
秋本が恐縮しながらそう言うと菜々子が微笑んだ。
その時、明良がリビングに入ってきた。
「圭一、ぐっすり寝てますよ。」
「そう。良かったわ。明良さんも紅茶飲む?」
「ええ…。お願いします。」
秋本は、明良が菜々子に敬語で話しているのを聞いて(うわさは本当だったんだ)と思った。
「秋本君…今の圭一の寝顔からすると…また一緒にやってくれるんだね?」
「!…はい…」
キッチンでその言葉を聞いた菜々子が「まぁ!良かった!」と声を上げている。
秋本は照れ臭そうに下を向いた。
……
翌日-
相澤は社長室で明良に謝っている。
「黙ってて悪かったよ。」
明良が苦笑した。
「秋本君にどうしても黙ってて欲しいって言われててさ。」
「どうして秋本君があの番組に?」
「本当は圭一と秋本君のユニットで…って話だったんだ。圭一がライトオペラを辞める話は公表していなかったからね。俺も圭一と秋本君が会ってないことなんて知らなかったから、秋本君に連絡して相談したんだ。そしたら秋本君が、やりたいことがある…と言ったんだ。それで番組のプロデューサーにも許可をもらって、任せることにした。」
「…そうでしたか。」
明良が納得した。もし、この番組を秋本が受けていなければ、きっと今頃は独りでどこかに行ってしまっていただろう。
「…秋本君…かなり落ち込んでいた。圭一が倒れたのは自分のせいだって…。秋本君が、防音室で独りで練習している時に様子を見に行ったら、うなだれて泣いていた…。あんな秋本君を見たのは初めてだったよ。」
「…彼は…あまり感情を表に出さない人ですからね…。」
相澤がうなずいた。そしてふと思い出したように明良に言った。
「2人は、今どうしているんだ?」
「圭一はまだ体が完全でないので、歌うこともジムもやめさせているんですよ。それで秋本君がリハビリがわりに、毎日圭一にバイオリンを聞かせに来てくれるそうです。」
「毎日!」
「ええ。今日も圭一の部屋の中から、ずっとバイオリンの音色が聞こえてきて、私達も癒してもらってるんですよ。」
「そりゃうらやましいなぁ…」
相澤が言った。
「圭一と秋本君が「ライトオペラ」を復活させる日も近いと思いますよ。」
明良がそう言うと、相澤がうなずいた。
「それは楽しみだな。新曲じゃなくていいから、早く2人の演奏を聞きたいよ。ビジュアル的にも見たいしな。」
「…先輩も、菜々子さんと同じことを言うんですね。」
「ビジュアルも大事だろう。」
「…その言葉まで同じ…。」
明良がそう言って苦笑した。相澤は「妬くなよ」と言って笑った。
(終)
<未公開シーン>
1ヵ月後 音楽番組-
圭一と秋本のユニット名が呼ばれた。
2人は拍手の中、男性司会者の横に座った。
「久々にホストクラブからお越しです。」
司会者の言葉に、全員が笑った。
圭一達も笑っている。
「圭一君、もう大丈夫?」
司会者の言葉に、圭一が恐縮しながら「大丈夫です。すいません。」と答えた。
拍手が起こる。圭一が客席に頭を下げた。
「今回は再出発のはずなのに、曲が「別れの曲」なんだね。」
圭一達が笑った。
「ええ、秋本さんの発案で。」
圭一が秋本を手で指した。秋本が首をすくめるようにした。
「他の番組で、独りで弾いたんだよね。あれは予告だったんだ。」
司会者の言葉に秋本は少し意外な表情をしたが「ええ、まぁ…」と言った。
「俺はてっきり、ユニットを解散するのかと思っちゃったけど。」
圭一と秋本が顔を見合わせて、照れくさそうに笑った。
「それはないです。」
圭一が言った。秋本は下を向いて苦笑している。
「でも「別れの曲」は元々歌詞はないよね。」
「ないです。」
「それで今回は2人で考えたのを歌うんだよね。」
「…はい…」
圭一と秋本は、はずかしそうに下を向いた。詞を書くなんて初めてだった。
「リハで聞いたけど、別れの曲らしくせつない歌だね。」
「訳あって別れたけど、ずっと愛してるという歌です。」
司会者の言葉に、圭一が答えた。
「この曲に詞をつけるのに、気をつかったところは?」
「原曲を崩さないことです。間奏のところは、秋本さんの見せ場ですし。」
圭一がそう笑いながら言って、秋本を見た。
「そうそう!今回はピアノなんだよね。」
「そうです。」
「あの間奏は、大抵はカットするよね。」
「僕らは2人共見せ場がいるので、ちょうどいいんですよ。」
「いきなり激しくなるよね。あの曲が難しいといわれるところだけど、リハではさらっと弾いてたよね。」
「そう…でもないです。間奏が無事終わると、必ずへんな汗がどーっとでますから。」
その秋本の言葉を聞いて、司会者も圭一も「えっ」と驚いた。
「いつも涼しい顔で弾いてるじゃないですか!」
圭一が本当に驚いたように言った。
「そう見せてるだけ。」
「なんかムカツクなー」
圭一が言った。秋本が吹き出すように笑った。
「独りいつもクールだもんねぇ…」
司会者が言って笑った。
「その仕返しかどうかわからないんですけど、最後の詞にすごく恥ずかしい言葉を繰り返して入れて…」
司会者が「あー!あれは恥ずかしいね!あれ秋本君なんだ。」と言った。
「そうです。」
秋本が笑いながら言った。圭一が少し憤慨気味に言った。
「本当にちゃんと考えたんですか?って言ったんですよ。そしたら繰り返した方が気持ちが伝わるからいいんだって…」
「うん、僕もいいと思うよ。」
「ですよねー。」
同意した司会者と秋本が握手する。全員が笑う。
「でも歌うの僕なんですよ!僕が恥ずかしいんです。」
圭一が言った。司会者が笑った。秋本は下向き加減にくすくすと笑っている。
「確かに、歌う方が恥ずかしいね。」
「その上「絶対に照れるな。」って言うんですよ。まじめな表情でカメラを見つめて、心をこめて歌えって。」
「えーーー!できる?」
司会者のその言葉に、圭一が「どうなるかわからないです」と答えた。
「やれ。」
秋本が圭一に言った。
「はい…やります。」
圭一が素直に聞く。全員が笑った。
「圭一君がちょっと可哀相になってきたなぁ…。また胃を壊さないようにね。」
圭一は笑ったが「あ、そういえば、ちょっとキリキリ…」と言った。全員が笑った。
「では、スタンバイお願いします。」
圭一と秋本は立ち上がって頭を下げると、スタジオの中央に向かった。
……
圭一が「あーどうしよう…」と苦笑しながら呟いている。秋本がピアノの鍵盤の前に座って言った。
「ちゃんとやれよ。後で胃薬やるから。」
秋本の言葉に圭一が笑った。
圭一は、秋本の横に立ち、秋本が弾く手が見える位置に立っている。
司会者がユニット名と、曲名をアナウンスした。
拍手が起こった。
秋本から目で合図を受けながら、2音目から圭一が歌いだす。
久しぶりの深い声。…入院してから、また違った深みが加わったようにも聞こえる。
……
去りゆく あなたへ 永遠の この愛を 告げよう
どんなに この身が遠く 離れても
想いは 切なく 心に いつまでも 残るよ
このまま会えずに あなたが私を忘れてしまっても
あなたへ この想い 伝えよう…ずっと
……
1番の最後のフレーズのところは、自然にカメラを見つめて歌えた。カメラも圭一の顔をアップにしている。
激しい間奏に入る。ライトが暗くなり、秋本だけにスポットライトがあたる。圭一も秋本を見ている様子。バイオリンとは違う激しさでピアノを弾く秋本。顔がアップになった後、手が激しく動く様子のアップになる。曲がゆっくりと落ち着く様子を見せる。そして秋本と目を合わせて圭一が歌いだす。
……
あなたの 幸せ 果てなく 続くように 祈るよ
このまま会えずに このまま命が途絶えてしまっても
あなたを 永遠に 愛してる あなたを 愛して…いる
(別れの曲(原曲:Etude Op.10-3)作曲:ショパン 作詞:light Opera)
最後のフレーズで圭一は少し口の端を緩めたように見えたが、すぐにきっと口元を引き締め、カメラを見つめて感情のこもった声で歌った。
曲が秋本のピアノとほぼ同時に終わった。
拍手が起こった。
秋本が立ち上がり、圭一と一緒に頭を下げる。
CMに入るスポンサー紹介になった。
圭一がとたんに両手で顔を覆って、天を仰いでいる様子が映っていた。秋本が立ち上がり、その圭一の肩を叩いている。
圭一が顔から手を離すと、本当に真っ赤になっているのが映像からも見えた。
その顔を秋本が両手で挟んで、軽く叩くような振りをした。
……
その映像を社長室で見ていた、相澤と明良が笑いながら拍手をしている。
「よくやった!圭一君!」
相澤が拍手をしながら言った。
「あー…見てる方も照れましたね。」
明良までも赤くなって、額に手のひらを載せている。
「でも、また最後だけ見たいんだよな。…巻き戻ししよう…」
「先輩!やめて下さいよ!」
ビデオを操作する相澤を、明良が笑いながら必死に止めた。
(終)