<番外編>秋本君のある1日
秋本は独り街を歩いていた。
顔を隠すこともなく、ポケットに手を入れて、ぶらぶらと歩いている。
テレビにでる前から、秋本はよく振り返られた。今はさらに目立つ。
正直、いい気持ちじゃないが、仕方ないことだろう。
メンズファッションのウィンドウの前で立ち止まった。
ブランド名は聞いたことはないが、秋本の趣味に合った。
ふと気がつくと、2人の女の子が近づいて来ていた。
サインと言われたが、秋本は書いたことないからと断った。
すると握手して欲しいと言われたので、それならと握手をした。
キャーと声を上げて女の子達は去っていった。
秋本は苦笑して歩き出した。
しばらくして、コーヒー専門の喫茶店を見つけた。
入って、空いた席に座った。
周囲が騒がしくなったのがわかる。
注文を取りに来たウェイターに「ブルマン」と言った。
ウェイターは頭を下げて席を離れた。
コーヒーが来て、一口飲んだ。
(圭一君の方がうまいな)
ふと思った。
秋本は圭一に『今何してる?』とメールをしてみた。
すぐに返信が来た。
『家でコーヒー飲んでます。』
(なんだよ)
秋本は『今からそっちに行く』とメールした。
『了解!』という返事を見て、秋本はコーヒーを一気飲みし、レシートを取って、レジに向かった。
(最初から圭一君のところに行けばよかった)
コーヒーにしては高めの料金を払いながら、秋本は思った。
……
圭一が秋本にコーヒーを入れてくれている。前もそうだったが、わざわざドリッパーで入れてくれるのがうれしい。
「どこで覚えたの?」
「え?」と圭一が振り返った。
「コーヒーの入れ方」
「バーで働いていたのでその時に。」
圭一がそう答えた。
「へぇー…バーでもコーヒー入れるのか。」
「ええ…メニューにあったんですよ。」
圭一は「はい」と秋本にコーヒーの入ったカップを置いた。
「ありがとう。」
秋本が一口飲むと、
「青い山脈」
と秋本と一緒に圭一が言って笑った。
秋本も笑った。
「さっき、コーヒー専門のサテンに入ったんだけどさ。」
「?」
「圭一君のブルマンの方が美味しいよ。」
「ほんとですか!?」
「うん。だからメールしたんだ。君が煎れてくれたコーヒー思い出して。」
圭一は嬉しそうな顔をしている。
「休みの日はいつも家なのかい?」
「元々、出無精なんですよ。」
圭一が言った。
「外に出ても、逆に落ち着かないし…」
「確かにな…。常に誰かに見られてる感じだな。」
「秋本さんは前からそうでしょ?」
「そうでもないよ。」
圭一がコーヒーを飲みながら、どうだかという顔をした。
「これからこっちに来ようかなぁ…」
「今日みたいに休みが一緒ならいいですよ。ダメな日はだめっていいますし。」
「うん、それがいいや。」
圭一は「あ」と言った。
「今夜はどうします?」
「え?」
「どうせ今からスーパーに行きますから、晩御飯何か作りますよ。」
「…圭一君がスーパーに?」
「仕方ないですからね。こればっかりは。何も食べない訳にはいかないし…」
「外食しないの?」
「もったいないじゃないですか。」
「ふーん…売れっ子アイドルらしからぬお言葉だなぁ…」
「やめて下さいよ。」
「じゃ、僕も一緒にスーパーに行こう。」
「!?…えっ!?」
「楽しそうじゃない、なんか。男2人で生鮮食品を買い物…」
秋本が何かおかしそうに笑いながら言った。周りの反応を楽しもうという魂胆らしい。
「『あなた何するー?』とか言ってさ。」
圭一が、秋本のその提案に体を反らせて爆笑した。
「…それ…笑えるけど、僕は嫌ですよ。」
「やっぱり俺か。」
「まじでやるんですか?」
「うーん。その時のノリで。」
「僕、思いっきり無視していいですか?」
その圭一の言葉に、秋本が圭一を指さして言った。
「!!それなし!絶対なし!」
圭一は大笑いしている。
……
2人は、徒歩でスーパーに行った。
だが、さすがに圭一と秋本が2人で買い物をしていると、何もしなくても奇異の目で見られた。
男2人というよりは、ホスト2人で買い物をしているような雰囲気だった。
「え?カレーにチョコレート入れるの?」
「全部じゃないですよ!一片だけ。」
「じゃあ、板チョコ買わなくていいじゃないか。」
「残り食べたいんですよ。」
「ふーん。変なの。」
「秋本さんはお酒飲みます?今日、バイクじゃないんでしょ?」
「あ、圭一君はそういや未成年だったね。」
「忘れないでくださいよ。」
圭一が笑った。
「一人で飲んでもおもしろくないからいいや。」
「そうですか。…じゃぁ…こんなもんかな。」
2人でレジに行った。圭一が財布を出そうとするのを見て、秋本がその手を止めた。
「俺が出すよ」
「えっ!駄目ですよ!」
「はい、じゃんけんぽん!」
いきなりじゃんけんさせられて、圭一が負けた。
「俺の勝ち。俺が出すから。」
「普通、負けた方が出しません?」
レジの女性が、カゴの中の商品をレジに通しながら笑っている。
「ねぇ!」
圭一がいきなり声をかけたので、レジの女性が驚いて顔を上げた。
「…さぁ…」
そう言って困っている。
「ほら、レディーを困らしちゃだめだよ。」
秋本は、レジの女性から値段を聞き料金を払った。
お釣りをもらう時に手が触れた。
レジの女性は真っ赤になっている。レディーと言われた後だからよけいだ。
「君、若いよね。この仕事好きなの?」
「秋本さんっ!後ろ混んでるから!」
混んでいるのは、圭一達がいるからなのだが…。
「ごめんね!」
圭一がレジの女性に言って、慌てて秋本の背を押した。
「誰が、女の子口説いたことないって?」
「今の口説いてないもん。聞いただけだもん。」
「はいはい。」
何か2人の周りには人が多いようだ。皆、2人の会話を聞いて笑っていた。
圭一は、カゴの中の野菜を袋に詰めている。
「ふーん…今は、自分でやるんだ。」
「…秋本さん、いつの時代の人ですか!」
「そんな前だったかな…?」
「歳、ごまかしてません?…」
圭一がぶつぶつと文句をいいながら、袋詰めしている。
……
「カレーにトマト入れるって、初めてだよ。」
圭一がカレーの材料を切るのを見て、隣で立って見ている秋本が言った。
「夏はさっぱりしておいしいですよ。好き嫌いはあるかもしれません。もし嫌だったら残して下さいね。」
「大丈夫。君の作るものならなんでも。」
圭一が、秋本の顔を見た。
「…やっぱり口説き文句に聞こえる…」
「口説いたことないって。」
「もう信じませんから。」
「男の子なら何度か。」
「えっ!?」
「嘘嘘。早く作って。」
「本当に嘘ですか?」
「嘘だよ。」
圭一は首をかしげた。
「でも、後で君をいっぱい口説くからね。」
圭一は包丁を置き両手を上げて、秋本から離れた。
「勘弁して下さい。」
秋本が大笑いしている。
圭一が戻ってきて、また材料を切り始めた。
「ずっと自炊なのかい?」
秋本が聞いた。圭一は首を振って言った。
「僕もこっち来た時は、コンビニのお弁当で済ましてたんですよ。でも、プロダクションに入って間もない時に、足をくじいてしまったんです。その時、副社長がご飯を作ってくれたんですよ。」
「え?副社長が?」
「ええ。その頃は菜々子専務もまだ女優さんだった頃で、一週間撮影でいらっしゃらなかったらしいんですね。で、わざわざさっきのスーパーで買い物してくれて、ここで作ってくれたんです。」
「へぇー…。なんか想像できないな…。」
「僕…後姿ずっと見てたんですけど…なんか涙出ちゃって…。」
「献立はどんなの?」
「豚の生姜焼きと、ブリの照り焼きと、ほうれん草の胡麻和えと、しめじと玉ねぎのお味噌汁。」
「よく覚えているねぇ。」
「忘れられないんです。美味しかったし。」
「俺も食べてみたいなぁ…副社長の手料理。」
「菜々子専務もお料理上手ですよ。」
「あ、そっちの方がいい!」
圭一が笑った。
「その日から、僕も自炊するようになったんです。」
「俺は無理だなぁ…。」
「秋本さんも独り暮らしですか?」
「そうだよ。」
「普段どうしているんですか?」
「プロダクションの食堂って遅くまでやってるじゃない。休みの日以外は、そこで済ましてる。コンビニ弁当より安く食べられるし。バランス取れてるし。」
「あー…あの食堂、副社長の夢だったそうですからね。」
「夢?」
「ええ、うちのアイドル達って独り暮らしの子が結構多いから、その子達の食事バランスのこと、とても心配されてて…。それであの食堂を作ったんです。」
「副社長は、ほんとアイドル達のこと考えてるよね…。」
「自分の子どもと一緒って、よくおっしゃるんですよ。この前なんか、アイドルの子が学校でいじめられたのを聞いて、学校に怒鳴りこみに行ったっていってましたよ。」
「ええっ!?…そんなことまでするの?」
「ほっとけないそうです。そういうの。」
「へぇ~…うちの子たちは幸せだねぇ。」
秋本の言葉に、圭一が笑った。
「究極は寮を作る事らしいんですけど…」
「寮!?」
「でも社長は「アイドルたちの自由を奪うことになるんじゃないか」って反対しているそうです。」
「…それも一理あるな。」
「だから『こっちの夢はあきらめるか…』っておっしゃってましたけど…。」
圭一は「後はしばらく煮込むだけ。」と言って、秋本に微笑んだ。
……
「うん。うまい!」
秋本がカレーを食べて言った。
「トマト大丈夫でした?」
圭一も食べながら言う。
「大丈夫。確かにさっぱりしてるな。でも、辛さはそのままだし。」
「よかった。」
2人、しばらく黙って食べ続ける。
「おかわり。」
秋本がお皿を差し出す。
「早い!早食いなんですね。」
圭一、立ち上がって、秋本の皿に白飯とカレーを入れる。
「おいしいものはね。…まずいと思ったら、時間がかかるんだ。」
「まずくても最後まで食べるんですね。」
「うん。もったいないからね。」
「…なんか、秋本さんっておもしろい。時々イメージと違うことを言う…。」
「そお?」
秋本、笑う。そしてふと真顔になる。
「ねぇ、僕のお嫁さんにならない?」
水を飲んでいた圭一が吹きそうになる。
「でた!口説き文句。」
「これはプロポーズだろう。」
「もう、どこまで本気かわからなくなってきた…」
圭一の言葉に、秋本が笑う。
「でも、これ女の子が聞いたら飛び上がって喜ぶでしょうね。秋本さんにプロポーズされる女の子って幸せだなぁ。」
「別に女の子にこだわらないよ。」
「秋本さんっ!!」
「…すいません…悪乗りしました。」
圭一が笑いながら、空っぽになった自分の皿に白飯とカレーを入れる。
「秋本さんが奥さんにしたい女性ってどんな人ですか?」
「料理がうまかったらそれでいい。」
「他の事は?」
「他の事は俺でもできるから別に…。でも料理のセンスとかは俺には皆無だからなぁ…。」
「芸術家なのに?」
「俺、曲を作ったり詞を書いたりできないんだ。その辺のセンスは全くゼロ。」
「…それも意外。」
秋本苦笑する。皿が空っぽになる。
「美味しかったー!」
「もういいですか?」
「え?まだあるの?」
「まだまだ」
「じゃ、ご飯は少なめで。」
「了解!」
圭一が立ち上がって、皿に白飯とカレーを盛る。
「痩せの大食いって、秋本さんのことを言うんだ。」
「君だってそうだろう。」
「鍛えてますからね。…あ、そうだ…明日、プロダクションのジム行きます?」
「うん。行くけど…。」
「アクロバットの部屋ができたの知ってます?」
「えっ!?」
「ダンスレッスン室の1つを改装して、アクロバットの練習ができる部屋ができたんですよ。明日、雄一達が稽古するそうですから、一緒に見に行きませんか?」
「行く!絶対に行く!」
圭一、うれしそうにする。
「でも、本格的にアクロバットの練習をさせるためには、体育館みたいに天井を高くしなけりゃならなくて、社長達悩んでいるらしんですよ。」
「そうだよなぁ…ビルの中じゃ無理だよな…。」
圭一が笑いながら言った。
「なんでも社長が屋上に作ろうとか言って、皆で止めたらしいんです。」
秋本が笑った。
「そりゃ、なんかの拍子に、屋上から落ちたらしゃれにならないよな。」
「社長も時々訳のわからないこというから…」
2人は笑った。もう、カレーは食べ終えている。
圭一は、2人の皿を流しに入れ洗いだした。すぐにしないとすまない性質らしい。
秋本が、その圭一の背中に言った。
「相澤プロダクションって退屈しないよなぁ…。そうそうダンスのレッスン室が皆、ガラス張りっていうのがまたいい。」
「見られるのに慣れるためって、副社長言ってましたけど。」
背中越しに圭一が言う。秋本がにやーっと笑いながらいった。
「特に、女子アイドルの稽古風景がねぇ…。」
「…秋本さん、よだれよだれ。」
「あ、失礼。」
秋本が口を拭う振りをした。圭一がその秋本のノリに笑う。
「向こうも嬉しいと思いますよ。秋本さんに見つめられて。」
「そうか?結構、皆まじめにやってるよ。」
「そうですか?」
圭一は、皿を洗い終えて横のかごに入れると、今度はまたコーヒーを淹れる準備を始めた。秋本が思いついたように言った。
「まじめと言えば…相澤プロダクションって、金髪禁止ってほんと?」
「金髪というか、カラーリングが全部禁止なんですよ。ただイベントに必要なら仕方ないですけど、ちゃんとプロダクションに許可取らないといけないんですよ。」
「タレント事務所にしては珍しいね。」
「1期生の「マリエ」さんって知ってます?」
「あー…フランス人と日本人のハーフの…」
「そうそう。マリエさん本当は金髪なのに、プロダクションでは濃い茶髪のかつらかぶってるんですよ。」
「えっ!?なんで?」
「目立つからだそうです。それに独りだけ染めてると思われても嫌だからってわざわざ。」
「へぇー…」
「カラーリング禁止って、僕、副社長の案だと思ったんですけど、社長の案なんですって。」
「へえー?」
「一度金髪に染めたことがあったらしいんですが、その時、髪の毛がボロボロになったとかって。」
「あー…美容室で染めても結構傷むもんな。俺も1度やったけど…。」
「わー!秋本さんの金髪姿見たかったー!」
秋本が笑う。
「…ヤンキーに近かったよ。」
「いや…綺麗だったんじゃないかと思いますけど。」
「…口説いてる?」
圭一が笑った。
「口説いてないない。」
「なんだよー。」
秋本、ふてくされる風をする。圭一は湧いたお湯をドリッパーに注ぎながら笑っている。
「でも…秋本さん、アクロバットの部屋のこととか、メール来てませんでした?携帯に。」
「来てないよ。」
「事務室にメルアド連絡してあります?」
「うん。するように言われたからしてあるけど。」
「おかしいですね。…今までに来たことないですか?」
「1回もないよ。」
圭一は「なるほど」と笑いながら、秋本と自分の前にコーヒーカップを置いた。
「ありがとう。」
秋本が一口飲んで言った。
「秋本さん、携帯見せて。」
「えっ!?…なんで?」
「たぶん、インターネットからのメールを拒否してるんだと思います。うちのメルアドだけ受信許可するよう設定してあげますよ。」
「メールは読むなよ。」
秋本はそう言いながら、携帯を圭一に渡した。
「見られたくないメールがあるんですか?」
「女の子のメールとか、女の子のメールとか、女の子のメールとか…。」
圭一は携帯を操作しながら笑った。
「全部、女の子のメールなんですね。」
「アドレスも見るなよ。」
「見ませんよ…あ、秋本さん、ここに暗証番号入れて下さい。」
「?そんなことするの?」
「するんです。」
秋本は暗証番号を入れた。
「はい。」
「すいません。…えーーとーー?」
圭一は顔は笑っているが、目は真剣になっている。
「…真剣な顔の殿方って素敵。」
秋本のその言葉に、圭一は「もおお!」と言いながら大笑いした。
「なんなんですかー!秋本さん!今日へんですよー!」
「…って、俺も言われたことあるんだよ。」
「何してる時ですか?」
「飯食ってる時。」
圭一の笑いが止まらない。それでも秋本の携帯の設定変更を終えて、携帯を秋本に返した。
「なんか今日、秋本さんの見たらいけないとこ、全部見ちゃったような気がする…。」
圭一がコーヒーを飲みながら言った。
「別に見られたらいけないとこなんてないけどな。」
「そう言えば…決まった彼女とかいないんですか?」
「今はいないな…っつーか、いたらここに来てないよ。」
「そういや、そうですね。」
「圭一君は?」
「僕もいないですよ。」
「じゃぁ、この際…」
「付き合いませんよ!」
秋本は先に言われて悔しそうな顔をした。圭一が笑っている。
「…でも秋本さんに言い寄られて本気にする男の子もいるかもしれないから、気をつけて下さいよ。」
「誰!?それ誰!?教えて!」
「秋本さんっ!!」
悪乗りする秋本に、圭一は笑いながら怒った。
「でも、秋本さんって両方いけそうな感じがするんだもんなぁ…」
「男でもキスできるよ。」
「!!」
「そう言えば、社長と副社長も、若い時CMの収録でやったそうじゃない。」
秋本が笑いながら言った。
「!!!!!!」
圭一が本気でびっくりしている。
「…えっ!?マジですかっ!?」
「それ、ビデオがプロダクションに残ってるらしんだ。」
「…見たいような、見たくないような…」
「チュって、簡単な奴らしいけど…」
「…それでも刺激的です…。」
「CMのコピーが「超刺激的」だったとか。」
圭一が大笑いした。
「だからやったんですか!?」
「いや、社長がやらなくていいのに、やったって話だよ。副社長はずっと口を抑えて絶句してたってさ。」
圭一はその明良の様子が想像できた。
「俺達も…」
「やりませんっ!!」
秋本はまた先に拒否された。しかし秋本も引き下がらない。
「じゃ、いつか機会を狙って…」
「やめて下さいっ!!そんなことしたら、もう一緒にお仕事できないじゃないですか!」
「ちぇーっ…」
秋本が空になったコーヒーカップをもてあそびながら言った。
圭一はずっとくすくす笑いが止まらない。そしてテーブルに顔を伏せて笑いながら言った。
「もーなんなの?今日の秋本さん…。明日会ったら、笑い出しそうですよ…」
秋本もコーヒーカップを見つめながら、おかしそうに笑っている。
「…コーヒーのおかわりいります?」
「うん。」
圭一はもう1度、お湯を沸かし直している。
「それ、ミネラルウォーターだよねぇ。」
「ええ。」
「美味しいはずだ。」
「水もそうですけど、本当はコーヒーミルも欲しいんですよ。でも、粗挽きとか調整できるやつがなかなか探せなくて…。」
「いくらくらいするの?」
「ネットで1万円くらいだったかな。電動だったら。本当は手挽きがいいけど。手挽きの方が高いんですよ。」
「買えない値段じゃないだろう。」
「…ネットって僕不安で…。実際に物を見たいんですよ。…でも家電量販店とか行っても種類少なくて…」
「ふーん…どっか専門店ないのかな?それこそネットで調べておいてあげるよ。見つかったら一緒に行ってみよう。」
「ほんとですか!?」
圭一がコーヒーカップを秋本と自分の前に置いて言った。
「うん。新婚生活に必要だろう。」
「……もう…怒る気力もない…」
脱力する圭一に、秋本が笑った。
……
きりがないので、秋本は帰ることにした。圭一が少し寂しそうにしていたが「明日ジムで会おう」と言うと、うれしそうにうなずいていた。
「タクシー来ましたよ。」
圭一が玄関から外を見て、秋本に言った。
「今日は楽しかったよ。ありがとう。」
秋本がそう言うと、圭一が「こちらこそ」と言った。
圭一の横を通り過ぎる時、秋本はいたずら心が起こり、圭一の頬にチュッとキスをする振りをした。
「わっ!!…びっくりした!」
圭一が慌てて体を引いたので、秋本は笑った。
秋本がタクシーに乗ると、タクシーの傍から圭一が手を振った。秋本も手を振り返した。
タクシーが走りだした。振り返りながら秋本は手を振った。手を振る圭一の姿が小さくなっていく。
…また明日も会えるのに、秋本の心に何か寂しさが募った。
……
翌朝-
圭一は寝がえりを打った。
頭が何か柔らかいものにあたり「ん?」と、目を閉じたまま手を出してそれに触れた。
何かすべすべしている。すっとそのまま手を滑らせ、形を確認していた。
上の方に手を持っていくと、人の肌のような感触に変わった。
「…大胆だねぇ、圭一君。」
その声に目を開けると、秋本が肘をついて一緒に寝転んでいる。圭一が触れたのは秋本の頬だった。
「!!!!!」
圭一は布団を抱いて飛び起き、座ったまま後ずさりした。
「あっあきっ秋本さんっ!?」
「おはよう。お迎えにあがりましたよー。」
秋本がそう言って、体を上げた。
「なっなんでこんなとこに…」
「だって、ジム行くんだろ?」
「かっ鍵は?」
「開いてたよ?」
秋本が眉をしかめて言った。
「…もしかして昨夜、鍵かけるの忘れてたの?…不用心だなぁ。」
「!!!!」
圭一が声もなく固まっているのを見て、秋本が笑いながら立ちあがった。
「可愛い寝顔だね。」
「!!!!」
「30分くらい眺めてたよ。」
「ええっ!?」
秋本はダイニングテーブルの椅子に座った。
「あー…もうちょっと見ていたかったなぁ…」
「やめて下さいよー…もう…本当にびっくりした…」
「元はと言えば、鍵をかけ忘れた君が悪い。」
「…はい…確かに…」
「俺だったから良かったものの…女の子に夜這いでもされたらどうすんの。」
「…普通、泥棒に入られたらどうすんの…って言いません?」
秋本がくすくすと笑った。
……
秋本は、早速圭一が入れたコーヒーを飲んで満足そうにしていた。
「あー…あの寝顔の後のコーヒー…いいねぇ…」
前でコーヒーを飲んでいる圭一が、真っ赤になっている。
「起こして下さいよー。」
「だって…なんか悪いじゃない。…気持ち良さそうに寝てるのに…」
「はぁ…」
「何度か起こそうとしたんだよ。頬をつついたり、キスしてみたり…」
「!?!?」
圭一が目を見開いて秋本を見て言った。
「…キスってどこに?」
「キスっていやぁ、唇だろう。」
「!?!?」
「やっと念願かなったよー。」
圭一は口に手を当てた。
「嘘っ!」
秋本はニコニコと笑いながら、何も言わない。
「ええええええっ!?」
「何だよ。まさかファーストキスじゃあるまい?」
「ちっ違いますけどっ!!」
秋本が堪え切れなくなって、圭一を見ながら笑い出した。
「嘘嘘…何にもしてないよ。…からかい甲斐があるなぁ…君は…」
「…ほんとに嘘?」
「ほんとに嘘。大丈夫、君の貞操は守ってるから。」
「…貞操って…」
圭一の顔が真っ赤になっている。
秋本がコーヒーを飲みながら笑っている。
「さ、そろそろ用意してくれよ。…早くしないと襲うぞ。」
「!!!」
圭一が慌てて奥の部屋に入り、ふすまを閉じた。
秋本が大笑いした。
(終)
<あとがき>
さて前回に引き続き、秋本君シリーズを2つアップしましたが、いかがでしたでしょうか?
最初の1つ「冷徹」は、秋本君の優しいようで、冷たい…というか、クールなところが出ています。
むふふ…なんかこういう人好きなんですよ。私。(おいおい)
そして今回の「退屈」は、 秋本君と圭一の会話をたらたらたらたらたらたら…(延々と続く)隣から覗いているようなものでした。これぞ夢想小説の真骨頂(笑)
次回はちょっとシリアスな話になります。
是非読んで下さいねー!