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最強結社に不合格だった少年、弱小結社で誰も気づかなかった大事故を防いだら、憧れの英雄結社の幹部に名前を覚えられた

作者: 神居 朔
掲載日:2026/05/26

 境都(けいと)で一番入りたい結社が、白陽団(はくようだん)だった。


 白い制服を着て、市民の前で戦い、市民の前で救う。地下獣が出れば先頭に立ち、火災が起きれば煙の中へ入り、祭りの日には子供たちの前で白い旗を掲げる。


 新聞は彼らを、都市の英雄と呼んだ。


 子供は白陽団の小旗を振り、大人は白陽団の隊列を見れば安心する。探索士学院に通う者なら、一度はその白い門を目指す。


 浅野悠真も、その一人だった。


 そして、落ちた。


 白陽団の入団試験。


 剣の型は足りなかった。

 術式の出力も足りなかった。

 隊列への反応も、白陽団の基準には届かなかった。


 それでも、悠真にとって一番痛かったのは、成績表に書かれた短い評価だった。


 正面への反応が遅い。


 試験官の声は、今でも耳に残っている。


「浅野悠真。君は、正面への集中が甘い」


 模擬坑道での隊列演習中、悠真は前方の標的ではなく、足元の敷板を見ていた。


 一枚だけ、板が浮いていたからだ。


 後列の誰かがそこに足をかければ、隊列は崩れる。前の者が止まり、後ろが詰まり、横の通路へ逃げたところで、別の隊がぶつかる。


 そういう形が、悠真には勝手に見えた。


 だが、試験ではそう評価されなかった。


 目線が外れた。

 反応が遅れた。

 隊列に遅れた。


 白陽団員は、市民に見える場所で迷ってはならない。


 そう言われた。


 だから悠真は、白陽団に届かなかった。


 そして今。


 彼は白い制服ではなく、弱小結社・灯火社(とうかしゃ)の灰色の作業服を着て、白陽祭の中央広場に立っていた。


 灯火社は、旧市街の小さな結社だ。


 白陽団のように隊列を組んで喝采を浴びることはない。新聞の一面にも載らない。迷子捜し、浅層の見回り、古い燐鉱灯の確認、屋台の配置補助、怪我人の搬送。大きな組織が来るほどではないが、誰かがやらないと困る仕事を拾う。


 今日の仕事も、そうだった。


 白陽祭の旧市街側補助警備。


 要するに、白陽団が中央広場で輝けるように、その足元で詰まりそうな場所を見て回る仕事だ。


 白陽祭。


 境都で一番、白い旗が揺れる日。


 境都は、地下資源の燐鉱(りんこう)で栄えた港湾都市だ。青白い灯り、地下へ続く坑道、白い英雄結社。そういうものが、日常のすぐ隣にある。


 広場には、朝から人があふれていた。


 旧市街の屋台、商館街の菓子売り、子供向けの白陽団グッズ、新聞社の写真札、救護幕舎。空には式典用の飛行艇が銀色の船腹を光らせ、広場の奥には、今日のためだけに組まれた巨大な塔がそびえていた。


 白陽大旗塔(はくようだいきとう)


 白陽祭の象徴だった。


 高さは、周囲の二階建ての屋根より高い。白陽団の巨大な旗を掲げ、中央には人の背丈ほどもある白い紋章盾が飾られ、青白く光る燐鉱灯(りんこうとう)がいくつも吊られている。


 燐鉱灯とは、青白く光る地下資源・燐鉱を使った灯りだ。境都では街灯にも、家庭の灯りにも、祭りの飾りにも使われる。便利だが、安物や熱を持ちすぎたものは、割れると青い火花を散らす。


 白陽大旗塔は美しかった。


 白い旗。

 青い灯り。

 白陽団の紋章。

 その下を、白い制服の隊列が通る。


 祭りの象徴。

 写真を撮る場所。

 子供たちが集まる場所。


 そして、倒れれば人を潰すだけの重さがある場所だった。


 観客は皆、塔の上を見ていた。


 悠真だけが、塔の足元を見ていた。


「浅野」


 隣から、少し低い声がした。


 佐伯澪が、救護鞄を肩にかけて悠真の顔をのぞき込んでいる。学院時代の同期で、今は銀樹院の見習い救護者として灯火社にも出入りしている少女だ。口は少し悪い。だが、血を見ても声が乱れない。


「また白陽団見て沈んでる?」


「沈んではいない」


「顔に出てる」


「そんなにか」


「うん。白い旗を見るたび、毎回ちょっと死ぬ顔してる」


「言い方」


「優しく言った方」


 澪は広場を見渡した。


「でも、今日の白陽団はすごいね」


 実際、すごかった。


 白陽団の盾衛隊が、人混みの端を静かに整えている。白い盾を持つ隊員たちは、押しつけるのではなく、人の流れを少しずつ変えていた。救難隊は救護幕舎の前で待機し、子供が転べばすぐに膝をつく。若手隊員は笑顔で市民に道を示し、誰も不安にさせない。


 白陽団は、やはり白陽団だった。


 強く、明るく、正しい。


 悠真は、その中に入れなかった。


「落ち込むのは後」


 澪が言った。


「今は仕事。灯火社の裏方でしょ」


「分かってる」


 悠真は頷いた。


 その時、眠そうな声が足元からした。


「浅野くん」


 森田真帆が、大旗塔の近くで片膝をつき、支柱の根元を眺めていた。


 真帆は、灯火社の通信・燐鉱機器担当だ。人間への興味は薄いくせに、機械や灯りを見る時だけ、猫を見るような顔をする。灯火社で一番、機械が壊れる前の音に詳しい。


「これ、少し嫌」


「何が」


「この子」


 真帆は塔の下部にある固定金具を指で叩いた。


 金具が、かすかに鈍い音を立てる。


「支柱そのものは太い。でも、留め具が熱を食ってる。上の燐鉱灯が多すぎるのかも」


「危ないのか」


「今すぐ折れる感じではない。たぶん。ただ、ずっと無理して立ってる」


「機械みたいに言うな」


「機械じゃなくても、無理してる子は嫌な音がする」


 真帆は立ち上がり、軽くあくびをした。


「あと、こっちの足だけ、少し沈んでる」


 悠真は、支柱の根元を見た。


 白陽大旗塔は四本の大きな支柱で立っている。そのうち旧市街側の一本だけ、石畳の隙間にほんのわずか沈んでいた。


 普通なら気にしない程度だ。


 祭りの飾り布で半分隠れているし、観客は誰も足元など見ていない。


 だが、悠真にはそれが嫌だった。


 支柱が沈む。

 上の旗が風を受ける。

 燐鉱灯の熱で金具が緩む。

 白陽団の隊列が塔の下を通る。

 何十人もの足音が、石畳を揺らす。

 上空を飛行艇が通れば、風も重なる。


 ばらばらのものが、頭の中で一つにつながる。


「……嫌な形だな」


 悠真が呟いた時、近くで甲高い声が上がった。


「ですから、追加装飾の重量が申請書に載っていません!!」


 宮田こはるだった。


 こはるは灯火社の会計だ。探索士ではない。剣も振らない。だが、許可証と帳簿と補償欄で人を黙らせることにかけては、灯火社で一番強い。


 今も小柄な体で帳簿袋を抱え、大旗塔の設置担当らしい男に詰め寄っていた。


「白い紋章盾、後から足しましたよね!? この図面にはありません!!」


「いや、祭り映えのためにだな――」


「映えで重量を増やさないでください!! 落ちたら映えじゃなくて事故です!!」


 設置担当の男は困った顔をした。


「でも白陽団の式典担当から、見栄えを良くしたいと――」


「誰が言ったかではなく、どこに書いたかが問題です!!」


 こはるの声は、人混みの中でもよく通る。


 悠真は大旗塔を見上げた。


 白い紋章盾。


 大きい。


 確かに、最初から設計されていたものにしては、妙に後付け感がある。塔の中央より少し旧市街側に寄っている。旗の重さ、燐鉱灯の熱、紋章盾の重さ。それらが、沈んだ支柱の方向へわずかに集まっている。


 目の奥が、冷たくなる。


 白陽団の式典行進は、あと少しで始まる。


 隊列は大旗塔の下を通り、白い旗の前で一度停止する。そこで白陽団広報の少女が市民へ挨拶し、最後に燐鉱祝砲台から青白い光の花が上がる。


 白陽団広報の少女は、舞台袖に立っていた。


 彼女が笑うだけで、子供たちは白い小旗を振り、大人たちは「大丈夫だ」と思う。都市に安心を配ることも、白陽団の仕事だった。


 燐鉱祝砲台りんこうしゅくほうだい


 祭り用の演出装置だ。


 火薬ではなく、燐鉱粉を燃やして空へ青い光を散らす。子供たちは「青い花火」と呼んで喜ぶ。だが、燐鉱を使う以上、熱と火花には弱い。


 真帆はそれを見て、少しだけ眉を寄せた。


「あれ、人の近くで爆ぜるものじゃないんだけどね」


「爆ぜるのか」


「安全なら、きれい。安全じゃないなら、ただの青い爆発」


「言い方」


「事実」


 祝砲台は、大旗塔から十数歩ほど離れた場所に置かれていた。


 倒れた塔の燐鉱灯が砕けたら。

 青い火花が飾り布へ移ったら。

 その先に祝砲台があったら。


 悠真は、そこまで考えてから息を呑んだ。


 塔だけではない。


 落ちた後も、危ない。


「律さん」


 悠真は振り返った。


 田村律は、灯火社の所長だ。普段は軽く、寝癖も直さない。だが、報告書に名前を書く時だけは逃げない男だ。


 律は今、白陽団の現場指揮官と打ち合わせをしていた。


 相手は板垣晴臣。


 白陽団の現場指揮官だ。祭りの日に、どの隊をどこへ立たせるかを決める男で、白い制服の中でも、命令を待つ側ではなく、命令を出す側の人間だった。


「どうした、浅野」


「大旗塔の下を通すの、止めた方がいいです」


 律の顔から、軽さが少し消えた。


 板垣もこちらを見る。


「理由は」


「倒れるかもしれません」


 板垣の眉が動いた。


 周囲の音が、少し遠くなる。


 祭りの最高潮。

 白陽団の式典行進。

 都市中の視線。

 その直前に、弱小結社の新入りが言うには重すぎる言葉だった。


「根拠は」


 板垣の声は冷静だった。


 怒ってはいない。

 だが、簡単には動かない。


 当然だ。


 式典を止めるとは、祭りを止めることだ。白陽団の隊列、市民の期待、広報の少女の登壇、飛行艇の通過時刻、新聞社の撮影。すべてが組まれている。


 弱小結社の新入りの「嫌な感じ」で止められるものではない。


 悠真は早口にならないよう、順番に言った。


「旧市街側の支柱だけ沈んでいます。上の白い紋章盾が図面より重い。燐鉱灯の熱で、真帆が留め具の変形を見ています。行進の足音で地面が揺れて、飛行艇の風が重なります。倒れるなら、隊列が塔の真下に来た時です」


 板垣は大旗塔を見た。


 一瞬で、支柱、紋章盾、行進路、人の位置を目で追う。


 無能ではない。


 むしろ、かなり速い。


 だが、判断には足りない。


「真帆」


 板垣が呼ぶと、真帆は少し眠そうに手を上げた。


「留め具の異常は確定か」


「異常というほどではない。嫌な音、くらい」


「倒壊すると言い切れるか」


「今すぐは言い切れない。たぶん、普通なら倒れない」


 板垣の視線が悠真へ戻る。


「普通なら、だそうだ」


 その通りだった。


 普通なら倒れない。

 普通なら、白陽団の式典は無事に終わる。

 普通なら、祭りの塔は最後まで立っている。


 でも、悠真の頭の中では、普通が一つずつ外れていく。


 後付けの紋章盾。

 熱を食った留め具。

 沈んだ支柱。

 白陽団の足音。

 飛行艇の風。

 人々の視線。


 全てが、同じ場所へ向かっている。


「普通じゃないものが重なっています」


 悠真は言った。


「白陽団の行進は止められない」


 板垣の声は低い。


「止めるには、責任がいる。市民にも説明がいる。塔の検査担当、式典担当、広報、飛行艇の通過時刻。全てが絡む」


「分かっています」


「お前は、その責任を取れるのか」


 その言葉で、悠真の胸に試験の日の声が蘇った。


 正面への反応が遅い。

 隊列から目を外すな。

 白陽団員は、市民に見える場所で迷ってはならない。


 あの時、悠真は落ちた。


 正面を見られなかったから。


 でも今、正面を見ていたら、誰も塔の足元を見ない。


 白い旗は美しい。

 だからこそ、みんな上を見る。


 悠真は、静かに答えた。


「取れません」


 板垣の目が細くなる。


「ですが、見なかったことにはできません」


 その時、広場の鐘が鳴った。


 式典行進の開始を告げる鐘だ。


 白陽団の隊列が動き出す。


 白い制服が、きれいに揃って進む。

 子供たちが歓声を上げる。


 人混みの前列で、小さな少年が白陽団の小旗を振っていた。


 春斗だ。


 旧市街の食堂で働く母親に連れられて来た子供で、白陽団を見ると母親の手を忘れて走り出す癖がある。首からは古い燐鉱灯。手には白い小旗。


 悠真は朝から、何度か春斗を見ていた。


 白陽団の隊列が近づくたび、春斗は一歩前へ出る。

 母親が慌てて手を引く。

 また歓声が上がると、春斗は前を見る。


 その春斗が今、大旗塔の下を通る白陽団の隊列を見ようと、少しずつ前へ出ていた。


 白陽団広報の少女が舞台袖に立つ。


 飛行艇の影が、遠くからゆっくりと近づいてくる。


 大旗塔の白い旗が、風を受けて膨らんだ。


 支柱が、かすかに鳴った。


 ぎ、と。


 誰も気づかないほど小さな音。


 だが、悠真には聞こえた。


 いや、聞こえたのではない。


 見えた。


 塔が倒れる前に、倒れる形が見えた。


 悠真は走った。


「浅野!」


 律の声が後ろで飛ぶ。


 悠真は止まらない。


 白陽団の式典係が持つ、赤い停止旗があった。式典隊列を一時停止させるための合図旗だ。本来、白陽団の係員しか使えない。訓練でも、停止旗が出た時だけ隊列は止まる。


 悠真はそれを掴んだ。


「何を――」


 係員が叫ぶ前に、悠真は隊列の前へ飛び出した。


 白い制服の先頭が迫る。


 白陽団の隊列。

 憧れた場所。

 届かなかった場所。


 悠真は、赤い停止旗を振り上げた。


「止まれ!」


 広場が、一瞬で凍った。


 白陽団の先頭が止まる。

 後列も訓練通りに止まる。

 足音が消える。


 観客がざわめく。


「何だ?」

「誰だ、今の」

「灯火社の作業服だぞ」

「白陽団員じゃないだろ!」


 弱小結社の少年が、都市最大の式典を止めた。


 悠真は赤い旗を握ったまま、白陽団の隊列の前に立っていた。


 心臓が、うるさいほど鳴っている。


 失敗なら終わりだ。


 処分では済まない。

 灯火社にも迷惑がかかる。

 白陽団にも恥をかかせる。

 祭りを壊す。


 それでも、足元から聞こえた嫌な音を、見なかったことにはできなかった。


 板垣が走ってくる。


「浅野!」


 その声には怒気があった。


 だが、次の瞬間。


 大旗塔が、鳴った。


 今度は、誰にでも聞こえる音だった。


 ぎぎ、と金属がねじれた。


 白い旗が大きく膨らむ。


 上空を飛行艇の影が横切る。


 風が落ちた。


 旧市街側の支柱が、一段沈んだ。


 白陽大旗塔が、ゆっくりと傾いた。


 最初は、ほんの少し。


 次に、明らかに。


 観客の悲鳴が上がる。


 白い紋章盾が、支柱ごと外れる。


 巨人が倒れるような影が、石畳に伸びた。


「下がれ!」


 板垣が叫んだ。


 白陽団が動く。


 だが、もう人は塔の下にはいなかった。


 悠真が止めた隊列の数歩先。

 春斗たちが進むはずだった場所。

 白陽団の先頭が、白い旗の前で足を揃えるはずだった場所。


 そこへ、巨大な白い紋章盾が落ちた。


 轟音。


 石畳が砕けた。

 青白い燐鉱灯が割れ、火花が散った。

 屋台の看板が吹き飛び、白い飾り布が地面に叩きつけられる。


 春斗の小さな白旗が、風で飛ばされ、砕けた石の上に落ちた。


 春斗本人は、母親に抱きしめられて震えていた。


 数秒前まで、あの場所にいた。


 誰もが、それを理解した。


 広場から音が消えた。


 白陽団員も、観客も、屋台主も、新聞記者も、みんな倒れた塔を見ていた。


 悠真は、赤い停止旗を握ったまま立っていた。


 息ができなかった。


 助かった。


 いや、まだだ。


 青い火花。


 倒れた塔の上部から散った燐鉱灯の火花が、白い飾り布の端に移っていた。炎というほどではない。青い線のような光が、布の縁を走っている。


 その先に、燐鉱祝砲台があった。


 式典の最後に青白い光を打ち上げるための装置。

 まだ使われていない。

 中には、燐鉱粉が入っている。


 周囲の人々は倒れた塔を見ている。

 白陽団の救難隊は、落下地点の確認へ走っている。

 盾衛隊は観客を下げようとしている。


 誰も、地面を走る青い火に気づいていない。


 悠真の背筋が冷えた。


 一度目より、もっと速い。


 火花は布を伝い、縄を伝い、祝砲台へ向かっている。


「祝砲台!」


 悠真は叫んだ。


 誰もすぐには反応しなかった。


 倒れた塔の轟音の後で、広場はまだ混乱している。


 悠真は走った。


 祝砲台の近くに、春斗がいた。さっき落ちた小旗を拾おうとして、母親の腕から半歩離れている。


 その横には、白陽団の若手隊員が二人。倒れた塔に目を奪われている。


 青い火が、祝砲台の飾り縄へ届く。


「そこ、爆ぜます!」


 悠真は叫んだ。


 今度は、板垣が迷わなかった。


「盾衛隊、祝砲台から離せ! 救難隊、子供を抜け!」


 白陽団が動いた。


 一度証明された声は、もう無視されなかった。


 澪が春斗へ飛び込む。


「春斗、こっち!」


「旗が――」


「旗より手!」


 澪は春斗の腕を掴み、母親ごと引き寄せた。


 真帆が祝砲台の側面にしゃがみ込む。


「固定具、外せる。たぶん、今なら」


「真帆!」


「この子、人がいる方で爆ぜたいわけじゃないと思う」


 真帆は工具を差し込んだ。


 こはるが青ざめた顔で叫ぶ。


「祝砲台、申請位置より前に出てます!! 誰ですか、見栄えで動かしたの!!」


「今は怒るな!」


「怒らないと手が震えます!!」


 白陽団員が祝砲台を押す。


 重い。


 青い火が、縄の先端を食った。


 悠真は火の走る先を見た。


 布。

 縄。

 台座。

 燐鉱粉の投入口。


 そこへ入れば、爆ぜる。


「右じゃない! 水路側へ倒してください!」


「水路側だ!」


 板垣が叫ぶ。


 盾衛隊の二人が祝砲台を押し倒す。

 真帆が最後の固定具を外す。


 祝砲台が傾き、水路側の石縁にぶつかった。


 青い火が投入口へ吸い込まれる。


「伏せろ!」


 悠真は澪と春斗の上にかぶさった。


 次の瞬間、青白い爆発が起きた。


 光が広場を白く染める。


 轟音。

 水しぶき。

 砕けた石片。

 熱い風。


 祝砲台は水路側へ倒れていたため、爆発の大半は水と石壁に逃げた。水柱が上がり、青い光が一瞬だけ夕方の空を照らす。


 もし広場側で爆ぜていたら。


 春斗も、若手隊員も、澪も、悠真も、近くにいた子供たちも。


 無事では済まなかった。


 広場に、再び沈黙が落ちた。


 今度の沈黙は、さっきとは違った。


 驚き。

 恐怖。

 そして、理解。


 あの少年は、一度だけではなかった。


 塔が落ちる前に止めた。

 塔が落ちた後に、次に爆ぜるものまで見た。


 悠真は、地面に手をついたまま息をした。


 手のひらが震えている。


 怖かった。


 今さら、怖くなった。


 澪が春斗を抱えたまま、悠真を見た。


「浅野」


「無事か」


「春斗は無事。私も。あんたは?」


「たぶん」


「たぶんで済ませるな。後で診る」


 その声はいつも通り少し口が悪かったが、目は揺れていた。


 春斗が泣きながら、悠真の袖を掴んだ。


「お兄ちゃん」


「うん」


「白陽団じゃないのに、すごい」


 その言葉は、胸の奥の痛い場所に刺さった。


 だが、痛いだけではなかった。


 板垣が歩いてきた。


 白い制服には、砕けた石の粉がついている。顔は厳しい。だが、目はまっすぐ悠真を見ていた。


「浅野悠真」


「はい」


「停止旗を勝手に使ったな」


「……はい」


「本来なら、処分対象だ」


「分かっています」


 律が横から一歩出た。


「うちの新人です。処分なら、所長の俺に」


「律さん」


「こういう時だけ大人を使え」


 板垣は、倒れた白陽大旗塔を見た。


 砕けた石畳。

 潰れた紋章盾。

 水路側で黒く焦げた祝砲台。

 震える春斗。

 そして、止まった白陽団の隊列。


 もし停止旗が出ていなければ。


 白陽団の先頭は、あの下にいた。


 板垣は短く息を吐いた。


「処分の話は後だ」


 悠真は顔を上げた。


「今は礼を言う」


 板垣は、白陽団式の礼をした。


「白陽団の隊列と、市民を救った。感謝する」


 周囲がざわめいた。


 白陽団の現場指揮官が、弱小結社の新人に礼をした。


 悠真は何を返せばいいか分からなかった。


 ただ、赤い停止旗を強く握った。


 白陽団に落ちた少年が、白陽団の旗の下で、白陽団の隊列を止めた。


 その結果、白陽団を救った。


 そんなことが、自分の人生に起こるとは思っていなかった。


 やがて救難隊が動き、盾衛隊が観客を落ち着かせ、白陽団広報の少女が舞台の上に戻った。


 顔は少し青かった。


 それでも彼女は笑った。


「みんな、大丈夫。白陽団がいます。走らないで、その場で待ってください」


 その声で、泣いていた子供が少しずつ静かになっていく。


 白陽団は、やはり白陽団だった。


 人前で、都市に安心を配る組織。


 悠真は、それを嫌いになれない。


 むしろ、やっぱり好きだった。


 だからこそ、落ちたことは痛い。


 けれど、今日の痛みは、少しだけ違っていた。


 白陽団には入れなかった。


 でも、白陽団の足元で、自分にしか見えないものがあった。



 その夜。


 白陽団本部の作戦室に、一枚の報告書が置かれていた。


 白陽祭における白陽大旗塔倒壊、および燐鉱祝砲台誘爆未遂について。


 報告者。


 灯火社。

 浅野悠真。


 白陽団副団長兼作戦統括、大久保景親は、その報告書を静かに読んでいた。


 大久保景親は、白陽団の作戦頭脳だった。


 団長が白い旗なら、大久保は、その旗をどこに立てれば人が助かるかを考える男だ。白陽団の部隊配置、救難計画、式典警備、市民避難。華やかな白い制服の裏で、白陽団を実際に動かす頭脳だった。


 部屋には、板垣晴臣もいた。


「死者なし。重傷者なし」


 大久保は報告書の一行を指で押さえた。


「大旗塔の倒壊直前、式典停止旗により隊列停止。塔下の市民および白陽団員を退避。倒壊後、燐鉱祝砲台への火花流入を確認。水路側へ転倒処置。誘爆被害を最小化」


 板垣は頷いた。


「現場で判断したのは、灯火社の浅野です」


「白陽団員ではない」


「はい」


「停止旗を勝手に使った」


「はい」


「その結果、白陽団の先頭と子供たちは直撃を免れた」


「はい」


 大久保は、浅野悠真の経歴資料へ目を落とした。


 探索士学院。

 探索戦技課程。

 白陽団入団試験、不合格。


 評価欄。


 正面への反応が遅い。

 隊列中、目線が外れる。

 周辺への注意が過剰。


 大久保は、そこでわずかに手を止めた。


「白陽団の試験では、正面から目を外す癖を減点された」


「そのようです」


「だが今日、その癖で大旗塔の足元を見た」


 大久保は椅子にもたれず、報告書をもう一度読んだ。


「白陽団の隊列は、白い旗を見て進む。市民も旗を見る。式典担当も、広報も、新聞も、上を見る」


 静かな声だった。


「だが、この報告書は足元から始まっている。支柱の沈み、石畳の割れ、燐鉱灯の熱、行進の振動、飛行艇の風。倒れる前だけではない。倒れた後、青い火がどこへ走るかまで見ている」


 板垣は黙っていた。


 大久保は、報告書の最後にある名前を見た。


 浅野悠真。


「落としたのは、試験か。人材か」


 誰にともなく呟く。


 それから、大久保は短く言った。


「浅野悠真か」


 白陽団副団長兼作戦統括は、その名を静かに繰り返した。


「覚えておく」



 同じ頃、旧市街の灯火社では、こはるが机の上に置かれた臨時委託料の通知を見て震えていた。


「黒字です」


 声が小さい。


 律が湯呑みを持ったまま聞き返す。


「今、何て?」


「黒字です!!」


 こはるの叫びが事務所に響いた。


「白陽祭補助警備、臨時危険対応、祝砲台誘爆防止協力、全部含めて追加委託料が出ます!! 黒字です!! 灯火社が!! 黒字です!!」


「奇跡だな」


「努力です!! 報告書です!! あと浅野さんの無茶です!!」


 真帆は机に突っ伏し、焦げた燐鉱灯の部品を指でつついていた。


「この子、よく爆ぜなかった」


「爆ぜたぞ」


「もっと爆ぜる予定だった。たぶん」


 澪は悠真の手に包帯を巻いている。


 赤い停止旗を握りしめすぎて、手のひらが擦れていた。


「後で怒るって言ったよね」


「言われた気がする」


「式典停止旗を勝手に振るとか、普通に馬鹿」


「他に間に合わなかった」


「だから怒ってる」


 澪は包帯を少し強めに結んだ。


「でも、助けた」


 悠真は黙った。


 窓の外には、白陽祭の残り灯がまだ青白く揺れている。遠くの中央広場では、倒れた白陽大旗塔の片づけが続いているだろう。


 あの白い旗は、もう立っていない。


 だが、白陽団はまだ広場にいる。

 市民を落ち着かせ、怪我人を送り、子供に笑いかけている。


 白陽団は、やはり都市の英雄だった。


 そして灯火社は、その足元にある小さな灯りだった。


 悠真は、包帯の巻かれた手を見る。


 白陽団には届かなかった。


 それは、まだ痛い。


 でも今日、白陽団の試験で落とされた目が、白陽団の隊列を救った。


 正面から目を外すなと言われた。


 けれど、正面から目を外したからこそ、見えた足元があった。


 悠真は胸元の灯火社の印に触れた。


 灰色の作業服。

 小さな灯りの印。

 白陽団の白い制服とは比べものにならないほど地味だ。


 それでも。


 今日だけは、悪くなかった。


 律が湯呑みを掲げる。


「白陽祭、無事終了。灯火社、黒字。浅野、処分保留」


「最後のは祝っていいんですか!?」


 こはるが叫ぶ。


 真帆が眠そうに言った。


「処分より黒字の方が珍しい」


「そこですか」


 澪が笑った。


 悠真も、少しだけ笑った。


 その時、外で小さな足音がした。


 扉が開き、春斗が母親に連れられて顔を出した。手には、破れた白い小旗がある。


「お兄ちゃん」


「春斗。怪我は?」


「ない。澪お姉ちゃんが見てくれた」


 春斗は少し迷ってから、破れた白旗を差し出した。


「これ、落ちてた。もう壊れてるけど」


 悠真は受け取った。


 白陽団の小旗。

 白い布の端は焦げ、棒は少し曲がっている。


「白陽団、好きか」


 悠真が聞くと、春斗は頷いた。


「好き」


「そっか」


「でも、灯火社も好き」


 事務所が、一瞬静かになった。


 春斗は真剣な顔で言った。


「白陽団は、かっこよかった。でもお兄ちゃんは、みんなが見てなかったところ見てた」


 悠真は言葉に詰まった。


 白い旗を見ていた子供が、足元の灯りも見てくれた。


 それだけで、今日の全てが少し報われた気がした。


 春斗が笑う。


「灯火社って、強い?」


 こはるが胸を張った。


「お金は今日だけ強いです!!」


「今日だけなのか」


 悠真が言うと、事務所に笑いが起きた。


 外では、白陽祭の夜がゆっくりと終わっていく。


 白い旗は倒れた。


 だが、人は助かった。


 そして白陽団に届かなかった少年の名前は、憧れた英雄結社の奥に、確かに一度届いた。


 浅野悠真。


 その名を、白陽団の幹部が覚えたことを、悠真はまだ知らない。


 けれど胸元の小さな灯火印は、夜の青白い残り灯を受けて、ほんの少しだけ光って見えた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

本作が初めての投稿となります。


ご好評いただけるようであれば、ぜひ続きを連載化したいと思っています。

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