2.入学
―――都乃鈴香 4月4日 7時40分
岩方村からの桜巻生徒は私含めて4人だけで、ほとんどの村の子たちはここからバスで30分くらいの我霧高校に通っている。だから桜巻高校のある桜巻町方面に向かうバスより、我霧方面に向かうバスのほうが圧倒的に多い。我霧には大きめの自動車工場があるし、父の会社も我霧から少し先に行った西我霧にある。
バス停の前は、我霧行き側には5人か6人くらい人がいるが、こちら側は私一人だけである。あと5分くらいでバスが来る。
この時間なら、座れるギリギリ2,3席が余っているはずだ。これを逃すと……30分後。30分経つだけの時間も余裕も気の長さもない。
我霧へのバスが着いて、人が吸い込まれていく。風が……冷たくて……
出発にすれ違って、桜巻町方面へのバスが来る。
「春塗装」というだけあって、運転手に扮した2.5次元アイドルが桜並木を走り行く派手なペイントに変わっている。
買いたての定期券を握りしめて、バスのステップを踏んだ。
バスで1時間弱くらい走って、YouTubeで音楽を聞いている間に、バスはちょっと賑わった地域に出る。「桜巻高校前」まであと少し。
緩いブレーキに体が動く。全然変わらない信号機の前で、車が2,3台往生している。下から突き上がってくるバラバラという振動音が止まる。だから少しリラックスできて、YouTubeの音量を下げる。
窓の外を見ると、電線に止まったスズメがチラチラと目を泳がせて、互いを見比べるように首を回している。
信号が青に変わる。エンジンがまたバラバラといなないて、バスが走り出す。身体がべたりとシートに押し付けられた。
この辺りでは桜がちょうどピークのようだ。中には薄ピンクどうしの小さな隙間から若い緑葉が顔を覗かせている。
陽が昇るにつれ暖かくなって、道端の雪が主張すると太陽が溶かしていく。
頬杖をついて景色を見送った。
校舎の人影はまだまばらだ。
教室の隅でストーブの火が揺れている。そして、まだ全然終わっていない課題を必死に終わらそうとする男子生徒若干名。
自分の席を探して、椅子をひいた。リュックを適当に置いて、早々教室の外に出る。鈴の教室だけ確認しておきたい。
桜巻高校は、校舎が「E」の形をしている。1年のフロアは北棟3階と2階。私の6組は3階の一番東側だ。昇降口から徒歩、50秒弱。
1クラスずつ確認していくつもりだったが、隣のクラスだった。「都乃鈴」と明朝体で書かれている。
トイレの位置だけ確かめて、教室に戻った。
窓側の、前から3番目の席だ。
私も男子生徒若干名に混じって、終わりかけの課題に手を付ける。数学?因数分解?クソ喰らえ!!
◇◇◇
悠那と同じクラスになった。
中学一緒組の悠那は、推薦で早々に入試を済ませると、一般の私に向かって遊びの誘いのメールを再三送ってきた不届き者だ。悪気はないのは分かるし可愛いから許しているのだが、入試の一週間前に「彼氏と喧嘩した(泣)」とラインしてきたときには流石に腹が立った。
春休みが始まってからは、私と一緒じゃなかった分を遊ばされ、―小中ずっと一緒で放課後もいつも一緒に遊んでいたので、同情の余地はある。何より私も淋しかったというのも事実だが、連日カラオケやゲーセンに連れて行かれて課題をする暇を見つけるのが大変だった。
隣の席で、横から色々されそうだなーと思いつつも、まずは素直に悠那が同じクラスになったことを喜んだ。終わりかけの課題をしまう。
「悠那おはよ!同じクラスじゃん!」
「おはー。」
しかし当の本人は以外にローテンションである。
「どったん元気ないじゃん。」
「寝不足。ちょー眠い。」
「何、ゲームしてたの?入学式前日に?」
「違う。まだ終わってなかった課題徹夜で終わらせたの。偉すぎない?褒めて?」
「褒めない。終わらせなかった悠那が悪い。」
「な~んでよ……」
課題は終わらせるためにある。人のことは言えないが。
「ねぇ、すーちゃん。」
突然真面目な顔をして悠那がこちらを向く。悠那は私のことをすーちゃんと呼ぶ。
「……鈴ちゃん、今日来る?」
ゆっくりと首を横に振る。
8時25分を過ぎた当たりから人が多くなってきた。ホームルームは8時40分からで、最後の一人は恐るべし2分前に入ってきた。汗垂れ流して教室の真ん中あたりに座る。そんなにしんどいならもっと早く来いよ……。
ホームルームの時間になって、担任と思しき人が入ってきた。若めの男の先生だった。ネームプレートを見ると、「和宮六樹」と書いてある。
「ホームルーム始めるから、席、座ってください。」とテンプレートのように言う。
朝礼に対して時間はかからない。一昨日の登校日に大まかな説明は済んでいるし、別段連絡事項もない。入学式といえど9時に入場さえすればそれでいいようで、「よろしくな。」と「頑張れよ。」と「良いクラスにしていきましょう。」でホームルームは終了。20分近く余った。
悠那は早々にダウン。すやすや。
アイスブレイクはもう終わっているので、緊張感などない。各々それぞれ好きなように人と話したり、YouTubeを見たり、寝たり。私も例に漏れず、中学時代の友人と、新しくできた友人と話している。
「そのキーホルダーどこで買ったん?」と尋ねてきたのが、姫宮柚乃。同じ中学。住んでいるのは隣町だから家に行ったことはないが、ずっとお嬢様だと思っている。何でだろう。髪が黒くて長いからだろうか。令嬢って、髪が黒くて長いイメージがある。
「一昨日にガチャガチャで買った。」のは、ラッコのキーホルダー。全体的に淡い薄桃色で、仰向けに桜色の二枚貝を大切そうにしているのがなんとも可愛らしい。
「岩方は近くにガチャガチャいっぱいあるからいいな。ちょっと行けばゲーセンもカラオケもあるでしょ?」
「我霧は色々あるけど、治安あんまり良くないからさ。この前の痴漢だって、我霧駅が最寄りだったんでしょ?」
「きもっ。そうだったんだ。」
「でもいいなぁ。戸示はド田舎だからさ。」
多分私の知り合いで戸示に住んでいるのは柚乃だけだ。柚乃と仲良くなるまで、戸示町の存在すら知らなかった。
「イオンの2階の奥の方にさ、ガチャガチャ大量にある所あるじゃん。そこ。悠那とおそろ。」
寝息を立てる悠那のバッグにもラッコがいる。こっちは淡い薄黄。
「おそろいいなぁ。塾の帰りに行こうかな私も。」
「行く?今日。」
「行く!」
意気投合したのは、柚乃と同じ塾の吹越葉央。お兄さんが、ぷてぃ、なんとかールみたいな名前の洋菓子店を経営しているらしい。それをやったら自慢していた。
「鈴香は?」
「私は……今日はいいかな。」
◇◇◇
「学校長式辞。新見校長、お願い致します。」
おっさんがステージに上がり、演台の前に立つ。
「暖かな日差しに、春の訪れを感じる、この良き日に、新しい、240名の仲間を、迎えることができ、教職員、在校生一同、たいへん喜ばしく、思います。」
……
「初めての、受験という、重圧に負けず、日々、努力を続け、狭き門を勝ち取った皆さん、まずは、受験、お疲れ様でした。」
勝ち取った?
最初定員割れだったでしょうが。
「桜巻の伝統と文化」とやらをやたら強調し、「皆さんの青春が、大変有意義なものとなることを、教職員一同、切に願います」と締めくくった。
―――都乃鈴 4月4日 10時15分
二度寝から覚めて、時計を見ると、とんでもない時間になっていた。
太陽が大体空の半分くらいまで昇って、部屋にも陽の光が差し込んでくる。今さら布団から出るのも億劫だが、何もしないでいるのもかえって嫌だった。高校になったら、半引き籠り生活を脱すると心に誓ったのだ。誓っただけだが。
体を起こして、自室のドアを開ける。廊下は嫌味なくらいに静かだ。スリッパを履かないで裸足だから、ペタペタと歩くたびに足が鳴る。階段を降りて、リビングのドアを開ける。
「おはよう、ございます。」
……返事は当然ない。
両親は仕事に出かけたはずで、姉も今頃、入学式中だろう。校長のクソみたいな話を、欠伸を噛み殺して聴いているに違いない。
入学式サボりか……ダメダメですな、私。今年も。
『食器は洗っておいたから。洗濯と掃除機だけお願い。
三者面談、明後日になったから。制服のアイロン掛けもそれまでにね。 母より。』
「はーい。」
書き置きでも返事をする。疲れている字だった。母もいつか、私のことを置いて、消えてしまうのだろうか。その時には、書き置きを残してくれるのだろうか。
私が中1の夏に引き籠もりを始めてから私が洗濯と掃除、時々食器洗い担当になった。居候なわけだから当然のことだが、最近ちょっと量が増えた気がする。
洗面所に向かうと、鏡に新聞紙が貼り付けてあって、左端は養生テープで止めてある。鏡を見ないで済むようにという配慮は嬉しいが、これはこれで気が滅入る。ふと前を見ると、芸人のスキャンダルとか何年か前の日中関係とかが目に入るのだ。自分のわがままのせいなのだが。
鏡を開けば、収納スペースには私以外の家族3人分の手鏡がある。
顔を洗って歯を磨いて、リビングへ行く。寝癖のついているだろう髪を掻いたら、フケが少し舞った。お皿を出して、スプーンを出して、シリアルの袋と牛乳を出して、乱雑に置くと、スプーンが皿から飛び出て、テーブルの上にゴンと落ちた。
◇◇◇
10日以上外に出ていない。担当の家事を片付けたら、あとは自分の部屋で勉強するか、スマホを弄るか、ギターを弾くかする。殊に勉強に関しては、模試で、遊び半分にこの辺でもトップクラスの浅駒高校のスーパー特進コースを志望したら、あと5点でA判定だった。
スマホでは最近、マイナーな曲を探しては聴いている。YouTubeを開いている時間だけが伸びて、最近はクラシック曲なんかも聞くようになった。ドビュッシーの今にも消えてしまいそうな音色が、最近のマイブームだ。
部屋の隅でホコリをかぶっているのは赤いアコースティックギター。赤いと言っても、よくある赤るい赤色ではなく、いわゆる臙脂色。そんな赤だ。
今日も例に漏れず、家事を全部終わらせて、自室に戻った。20分後洗濯機が止まるから、それまで少し勉強する。
この間届いた死ぬほど重い教科書の類は、全て棚の中だ。数学の予習をするべく教科書と、ノートを適当に一冊取り出して、黒白灰の筆箱も出して、机の上に広げる。教科書を開いたら、関数だの方程式だの、聴きたくもない単語と数字がズラリ。
8問くらい解いたところで、ペンを放り投げる。時間は10分程度しか経ってないが、そういう問題ではない。
アコギを引っ張り出す。スティール弦だから音が少し固い。チューニングをしてから、一度全部じゃーんと鳴らすと、スティールが小刻みに震音えた。しばらくして、人差し指で弦の震音を止めた。ピックは無くしたし、あんまり使わないのだ。
ヨルシカでも弾こうか。
ボソボソとうろ覚えの歌詞を口ずさみながら、ところどころ間違った音を鳴らしながら、弾いた。
半分くらいまでしか暗譜していないから、いい感じのところでだんだんミスが増えてくる。なんとか最後の音を出して、手元から目を逸らした。
私の部屋には、小さくてなんとか体育座りできる程度のベランダがある。春になると、燕が飛んできて巣を作る。去年の巣が残ったまま、今年はまだやって来ない。
明後日の三者面談というのは、中学校最初の半年で不登校引き籠もり児童へと転落した私の今後について話すために学校サイドが設けた場だ。私のような問題児に優しいのは苦ではないし、レポートをしっかりやってテストも受けてとすれば単位は取れるのだが、それは一般に病気で学校に来れない生徒用の枠らしく、私がそれに該当するのか否か、色々話し合うのだそう。三者面談といえど、学年主任だか生徒部長だかも同席するという。
スタンドにギターを置く。その拍子に、柔らかく弦が共鳴した。洗濯物が終わった電子音が聴こえたので、今から階下に行って家事の続きをするつもりだ。




