第9話:色褪せた宝
8月4日。
鬱蒼とした杉林は、息が詰まるほど蒸し暑かった。
道なき斜面に爪を立てるようにして這い登る。額を伝う汗で視界が滲み、耳元で狂ったように喚く蝉時雨すら、今の僕には遠いノイズにしか聞こえなかった。
目指すのは村長屋敷の裏山。そこにあるご神木に、二つ目の難題『蓬莱の玉の枝』が隠されているはずだ。
登りきった先に、ひときわ巨大な杉がそびえていた。幹には注連縄が巻かれ、ぽっかりと人が入れるほどの洞が空いている。
「これ、か……」
息を整え、おそるおそる洞の中を覗き込む。
だが、そこにあったのは美しい宝石の枝なんかじゃなかった。黒ずんだ、金属の塊だ。
太いケーブルの束から、細い銅線やガラス繊維が剥き出しになって絡み合っている。誰かが精密機器を乱暴に引きちぎり、無理やり『枝』に見立てたような不気味な造形物。緑青が吹き、苔むしているが、どう見ても何百年も前から伝わる由緒正しい呪物には見えない。
「こんなガラクタが……?」
訝しみながら手を伸ばした瞬間。
――ジリッ。
耳の奥で、微かな電子音のようなノイズが鳴った。
同時に、カッと周囲の気温が跳ね上がる。夏の暑さなんてもんじゃない。熱したオーブンに顔を突っ込んだような、肌を焦がす熱気だ。
「がっ……!」
喉が焼き切れそうだ。肺の水分が瞬時に蒸発していく。
まただ。「石鉢」の時と同じ。脳が全力でそれに触れるなと警鐘を鳴らしている。触れれば、僕の根幹にある大事な何かが壊れてしまう。そんな理屈を超えた底知れぬ恐怖。
僕はポケットから金槌を引き抜き、両手で固く握り直した。熱でぐにゃりと歪む視界の中、金属の枝に向かって思い切り振り下ろす。
ガァンッ!!
硬質な音と共に、バチバチと青白い火花が弾けた。空気が焦げるような強烈なオゾン臭。次の瞬間、手首から肩を抜けて、高圧電流を浴びたような激痛が走った。
「あ、がぁッ……!!」
金槌を取り落とし、僕は泥の上にのたうち回った。
痛い、熱い。全身の神経が焼き切れる。頭蓋骨の奥に直接ドリルを突き立てられたような、耐え難い激痛と不快感。
嫌だ。やめてくれ。蓋を開けないでくれ――。
声にならない悲鳴が、僕の内側でこだまする。
「はぁッ、はぁ、はぁっ……!」
不意に痛みが引き、ハッと目を開ける。
どれくらい気を失っていたのか。僕は苔むした土の上に這いつくばっていた。服は泥と汗でぐしょ濡れで、ひどく息が荒い。
顔を上げると、洞の中の金属の枝が、さっきの一撃で根本からへし折れて転がっていた。
壊したんだ。そう認識した途端、まとわりついていた異常な熱気が嘘のように消え去った。焦げ臭さも薄れ、むせ返るような森の匂いが戻ってくる。
「はは……なんだよ、これ」
震える手で顔を覆う。呪物の反撃だとしたら悪趣味すぎる。壊すたびに、僕の精神は確実に削り取られていく。
ブルッ、とポケットでスマホが震えた。
引き抜いて画面を見ると、リストの二つ目、『蓬莱の玉の枝』の文字に、すうっと自動で打ち消し線が引かれていくところだった。
「……あと、三つ」
泥だらけの金槌を拾い上げ、よろめきながら立ち上がる。急ごう。こんな山の中に長居は無用だ。体勢を立て直して、次の難題の場所を突き止めなければ。
服についた土を払い、斜面を下ろうと振り返った時だった。
「――こんな所で、何をしている」
心臓が、ドクンと嫌な音を立てて凍りついた。
五メートルほど先の獣道。鬱蒼とした杉の影に、黒い着物姿の老人が立っていた。
村長だ。
落ち葉を踏む音なんて一切しなかった。いつからそこにいたんだ?
老人の顔には、怒りも驚きも浮かんでいない。ただ、光を反射しない黒曜石のような瞳が、僕の顔と、手に持った金槌を感情のない機械的な目で見据えていた。
言い訳をしようと喉を動かしたが、声が出ない。
田舎の権力者が放つ威圧感じゃない。もっと冷酷で、不気味で……まるで絶対的な『観察者』に睨みつけられているような視線。
逃げなきゃ。
本能がそう叫んだ時、村長がゆっくりと、その右手を懐に差し入れた。




