第7話:五つの難題
8月3日。
村からの脱出が不可能だと悟った翌日。
僕は、村の中心にある「公民館」の図書室に忍び込んでいた。
ここなら、冷房こそ効いていないものの、人目を避けることができる。それに、この狂った村の正体を知る手がかりが何かあるかもしれないと考えたのだ。
埃っぽい室内には、黴た紙の匂いと、熱気が澱んでいる。
本棚には、誰も読んでいないであろう農業の専門書や、変色した古雑誌が乱雑に詰め込まれていた。
「……あった」
郷土資料のコーナーで、一冊の分厚い和綴じの本を見つけた。
『竹神村縁起』。
背表紙の文字を見た瞬間、指先にピリッとした静電気が走った気がした。
本を開く。
驚くべきことに、そのページはまるで「僕に読まれることを待っていた」かのように、パラリとある一節を開いた。
『――十五の月満ちる夜、天より迎え来たりて、姫を連れ帰らん』
それは、有名な「かぐや姫」の物語と酷似していた。
だが、決定的に違う部分があった。
『迎えを拒まんと欲せば、五つの穢れをもって結界となすべし』
五つの穢れ。
そこには、物語に登場する「求婚者たちへの難題」になぞらえた、五つの呪物の名前が記されていた。
一、仏の御石の鉢
二、蓬莱の玉の枝
三、火鼠の皮衣
四、龍の首の珠
五、燕の子安貝
文字を目で追うたび、ズキン、ズキンと偏頭痛が脈打つ。
まるで脳みそが、その情報を理解することを拒んでいるようだ。
文字がゲシュタルト崩壊を起こし、視界の中でぐにゃりと歪む。
「ぐっ……はぁ……」
脂汗が滲む。
気持ち悪い。この文字の羅列を見ているだけで、なぜか猛烈な自己嫌悪と、恐怖心が湧き上がってくる。
けれど、僕は直感していた。
これは、ただの昔話じゃない。
この村が紗夜を閉じ込めている「檻」の、設計図そのものだ。
「これ……見たことある」
一つ目の『仏の御石の鉢』。
僕はハッとして顔を上げた。
前回のループ――8月10日に見た、あの地蔵堂の前に転がっていた、煤けた石鉢だ。
あの日、近づいただけで強烈な吐き気に襲われた、あの石。
記憶のピースが、パチリと音を立てて嵌まる。
(そうか、あれが結界の杭なんだ)
村長たちは、この村の要所要所に「呪物」を配置することで、紗夜を隠すための結界を張っている。
それが、僕が外に出ようとした時に感じた「見えない壁」の正体であり、紗夜が屋敷から出られない理由なのだとしたら?
――五つの穢れを祓わば、天への道は開かれん。
古文書の続きには、そう記されていた。
「天への道が開かれる」というのが、紗夜が連れ去られることを意味するのか、それともこの閉鎖空間からの解放を意味するのかは分からない。
けれど、何もしないまま8月15日を迎えれば、待っているのは確実な死だ。
「壊すしか、ない」
僕は本を閉じ、強く拳を握りしめた。
この五つの呪物を探し出し、すべて破壊する。
そうすれば、この狂った箱庭の理が崩れ、紗夜を連れて逃げる隙ができるかもしれない。
これは賭けだ。
でも、道のない山を彷徨うよりは、遥かに現実的な「攻略法」に思えた。
僕は震える手でスマートフォンのメモアプリを開き、五つのアイテム名を打ち込んだ。
不思議なことに、入力予測変換には、一度も打ったことのないはずのそれらの単語が、一番上に表示された。
まるで、僕のスマホが最初からこのリストを知っていたかのように。
「……まずは、石の鉢だ」
僕は図書室を出る。
外は相変わらずの入道雲。蝉時雨が、僕の決意を嘲笑うかのように降り注いでいた。
8月3日。
運命の日まで、あと十二日。
僕の孤独な「呪い解き」が始まった。




