第6話:閉ざされた箱庭
日付は8月2日。
ループが始まってから二日目の朝。
僕は、納屋にあった古びた自転車を借りて、ペダルを漕いでいた。
目指すのは村の入り口、国道へと続く唯一のトンネルだ。
前回の「死」の記憶は、まだ鮮明に残っている。
あの時、僕たちは林道を抜けて逃げようとして、村人の壁に阻まれた。
だから今回は、もっと確実なルートを確保しておきたかった。昼間のうちに脱出経路を確認し、車を用意して、強行突破する。
ジリジリと肌を焼く陽射し。
アスファルトからの照り返しが、視界を白く染める。
ハンドルを握る手は汗ばんでいたけれど、心は冷えていた。恐怖よりも、焦りが勝っていた。
一時間ほどペダルを漕ぎ続け、ようやくあのトンネルが見えてきた――はずだった。
「……は?」
僕は思わずブレーキを強く握りしめた。
タイヤが砂利を噛んで滑り、自転車ごと倒れそうになる。
道が、なかった。
正確には、トンネルの入り口が消滅していた。
巨大な岩と赤土が、口腔を塞ぐように堆積している。土砂崩れだ。
それも、ついさっき起きたような規模ではない。岩の隙間からはぺんぺん草が生え、赤土は乾いて固まっている。まるで、何年も前からそこが通行止めだったかのような風情だ。
「嘘だろ……」
僕は自転車を放り出し、瓦礫の山へと駆け寄った。
昨日――いや、日付の上では一昨日だ。僕は確かに、家族と一緒にバスに乗って、このトンネルを抜けてきたはずだ。
たった一日二日で、こんな風景になるはずがない。
「通れない……これじゃ、車なんて」
(落ち着け。まだ、道はあるはずだ)
僕は震える呼吸を整え、視線を山の稜線へと向けた。
トンネルが駄目なら、山越えだ。
獣道でも何でもいい。徒歩で山を越えて、隣町まで出て助けを呼べばいい。
僕は自転車を放置し、ガードレールを跨いで山林へと分け入った。
鬱蒼とした杉林の中は、異様なほど蒸し暑かった。
風が通らない。湿度を含んだ空気が、綿のように口や鼻を塞ぐ。
足元の腐葉土は柔らかく、踏み出すたびに靴が沈み込む。
十分ほど登ったあたりだろうか。
異変が起きた。
「……あれ?」
風景が変わらない。
さっき通り過ぎたはずの、特徴的な形にねじれた杉の木。それがまた目の前に現れた。
方向感覚が狂ったのかと思い、コンパスアプリを開く。
針はぐるぐると定まらない回転を続けている。
「ハァ、ハァ……なんだ、これ」
息が上がるのが早すぎる。
心臓が異常なリズムで脈打ち、頭の奥でキーンという耳鳴りが響き始めた。
まるで、巨大な磁場の中に入り込んでしまったような不快感。
それでも僕は、歯を食いしばって上を目指した。
紗夜のためだ。道を見つけなきゃいけないんだ。
さらに数歩、強引に進んだ時だった。
「オエッ……!」
唐突に、胃の中身が逆流した。
激しい嘔吐。
世界がグラグラと揺れる。
視界の端が黒く塗りつぶされ、木々の緑色が、毒々しい紫や赤のノイズのように明滅して見える。
――引き返せ。
蝉の声に混じって、そんな幻聴が聞こえた気がした。
いや、違う。これは僕の脳が勝手に作り出した言葉だ。
体が、脳が、これ以上進むことを物理的に拒絶している。
「あ、が……」
気づけば僕は、這々の体でガードレールまで戻ってきていた。
アスファルトの上に大の字に寝転がると、嘘のように吐き気は消えた。
青空には、入道雲が悠々と浮かんでいる。
「……出られない」
絶望が、冷たい水となって胸を満たしていく。
トンネルは塞がれ、山は僕を拒絶する。
まるで、この竹神村全体が、巨大な水槽の中に閉じ込められているみたいだ。
あるいは、透明な檻か。
神隠し。結界。祟り。
そんなオカルトめいた単語が脳裏をよぎる。
この村は、物理的に隔離されている。外の世界なんて、最初から存在しなかったみたいに。
「どうすればいいんだよ……」
涙が滲んだ視界で、僕は村を見下ろした。
黒い瓦屋根が連なる集落。その中心にある村長の屋敷。
あそこには、まだ何も知らない紗夜がいる。
逃げ道はない。
外に出られないのなら、この閉ざされた箱庭の中で、あの理不尽な儀式を止めるしかない。




