第5話:繰り返す八月一日
「――ガハッ!?」
肺の中の空気をすべて吐き出すような勢いで、僕は目覚めた。
反射的に背中をさする。
熱い。焼けるように熱い。
あの強烈な光に貫かれ、地面に叩きつけられた衝撃が、まだ生々しく肉体に焼き付いている。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」
心臓が肋骨を叩き折るような勢いで脈打っていた。
脂汗が止まらない。僕は座席からずり落ちそうになりながら、周囲を見渡した。
暗い竹林でも、泥だらけの崖でもない。
そこは、適度に空調が効いた薄暗い空間だった。
規則的な振動と、低いエンジン音。
「……バス?」
隣の席では母が小さく寝息を立て、通路を挟んだ向こうでは父が文庫本を読んでいる。
窓の外には、見覚えのある山道が流れていた。強烈な陽射しが、車内の埃をキラキラと照らし出している。
夢?
いや、そんな生易しいものじゃない。背中の激痛は「幻痛」として確かにそこにあるし、泥の味も、紗夜の悲鳴も、すべてが鮮明すぎる。
僕は震える手でポケットを探り、スマートフォンを取り出した。
画面を点灯させる。
その数字を見た瞬間、全身の血が逆流するような感覚に襲われた。
『8月1日 14:15』
8月15日じゃない。
僕がこの村に来た、最初の日だ。
頭が割れるように痛い。
脳みそを直接かき混ぜられたような、酷い眩暈がする。
こめかみを押さえていると、バスがゆっくりと減速し、錆びた停留所に停まった。プシュー、という扉が開く音が、記憶の中の音と完全に重なる。
「おい、着いたぞ。何ボサッとしてるんだ」
父が僕の肩を叩く。
その台詞、そのタイミング、そしてバスを降りた瞬間に襲ってくる湿った熱気。
すべてが同じだ。まるで録画された映像をもう一度再生しているかのように、完璧に再現されている。
既視感なんてレベルじゃない。
世界が巻き戻っている。
「……先に行ってて」
僕は両親に短く告げると、返事も待たずに走り出した。
足がもつれる。それでも構わずに地面を蹴る。
確かめなきゃいけない。
あの日々は、紗夜との思い出は、本当に無かったことになってしまったのか。
息を切らして村長の屋敷へ辿り着く。
門をくぐり、手入れされた庭を横切り、一直線に離れへと向かう。
蝉の声がうるさい。
数分前まで、あの静まり返った満月の夜にいた僕には、この生命力に溢れた騒音がひどく耳障りだった。
離れが見えた。
格子の隙間から、白い影が見える。
「紗夜……っ!」
僕は格子にしがみつき、彼女の名前を呼んだ。
中にいた少女が、ビクリと肩を震わせて振り返る。
色素の薄い肌。銀色の髪。手首に巻かれた黒いバンド。
彼女はそこにいた。生きていた。
あの光に焼かれることも、男たちに取り押さえられることもなく。
僕は安堵のあまり、膝から崩れ落ちそうになった。
よかった。間に合った。まだ、何も始まっていない。
「……だれ?」
しかし、彼女の口から零れたのは、冷たい拒絶の言葉だった。
紗夜は警戒心を露わにして、部屋の隅へと後ずさる。
その淡い瞳に、僕の姿は映っていない。ただの「不審な余所者」としてしか認識されていない。
「紗夜、僕だよ。……ラムネを飲んだじゃないか。一緒に逃げようって約束したじゃないか」
必死に訴えかけるが、彼女は怪訝そうに首を傾げるだけだ。
「人違い、です。私、あなたなんて知らない」
その言葉が、鋭利な刃物のように胸に突き刺さる。
わかっていたはずだ。時間が巻き戻ったなら、彼女の記憶も消えていると。
けれど、あの泥だらけの逃避行も、指切りした約束も、僕だけの孤独な記憶になってしまったという事実は、死ぬことよりも辛かった。
ズキリ、とまた頭痛が走る。
視界の端で、風景が一瞬だけノイズのように歪んだ気がした。
僕は唇を噛み締め、立ち上がる。
これは、チャンスなんだ。
神様がくれたのか、あるいは悪魔の気まぐれかはわからないけれど、僕は「やり直し」の機会を得た。
前回と同じように動いていてはダメだ。
ただ闇雲に逃げるだけでは、あの「月」と村人たちには勝てない。
もっと情報が必要だ。この村の秘密、村長たちが隠していること、そしてあの異常な監視体制の正体。
――土塊になれ、泥になれ。
記憶の底で、あの唄が聞こえる。
僕は汗を拭い、紗夜に向き直った。
初めて会うふりをして、精一杯の笑顔を作る。頬が引きつっていたかもしれないけれど。
「ごめん、人違いだったみたいだ。……僕は今日からこの家にお世話になる者なんだけど、君は?」
これが、二度目の初対面。
そして、孤独な戦いの始まりだった。
8月15日まで、あと二週間。
僕は必ず、君をあの檻から救い出してみせる。たとえ、何度死ぬことになっても。
次回予告:第6話「見えない壁」
決意を新たにした主人公だったが、村の構造に違和感を抱き始める。
村境にあるトンネル、山道の終わり。
そこには物理的なバリケードはないはずなのに、近づこうとすると強烈な吐き気と「見えない壁」に阻まれてしまう。
まるで、ゲームのマップの端に到達したかのように――。




