表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/11

第10話:抗う者への罰

「――こんな所で、何をしている」

 心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。

 五メートル先の獣道。鬱蒼とした杉の影に、黒い着物姿の老人が立っていた。


 村長だ。


 落ち葉を踏む音など一切しなかった。いつからそこにいたのか。

 老人の顔には怒りも驚きもない。ただ、光を反射しない黒曜石のような瞳が、僕の顔と、手に握られた金槌を機械的に見据えている。


 喉が張り付き、言い訳すら出てこない。

 逃げろ。本能が警鐘を鳴らす中、村長がゆっくりと懐に手を入れた。


 取り出したのは、黒くて薄い板。スマートフォンより一回り大きく、表面がぼんやりと青白く発光している。

 こんな山奥の因習村には似つかわしくない、ひどく不気味な異物。

(……こいつだ。こいつが、紗夜を閉じ込めている元凶だ)

 危険な考えが頭をよぎった。

 五つの呪物? そんなふざけたお使い、真面目にこなす必要なんてない。


 ここでこの老人を殴り倒せば、あるいは人質に取れば。あの脳が焼き切れるような痛みに耐えずとも、鍵を奪って紗夜を救い出せる。


 恐怖を、怒りと焦燥が塗り潰した。

 僕は獣道を蹴り、一直線に村長へ突進した。

「紗夜を……返せッ!!」

 老人の頭蓋めがけ、渾身の力で鉄の塊を振り下ろす。殺してしまうかもしれない。それでも構わなかった。


 ――ガシッ。


「……え?」

 鈍い衝突音。僕の腕は空中でピタリと縫い止められていた。

 村長が、振り下ろした金槌の柄を片手で掴んでいる。枯れ枝のように細い腕。なのに、万力のようにビクともしない。全体重を乗せた一撃が、まるで岩盤に吸い込まれたかのように無効化されていた。


 人間じゃない。

 理不尽な絶望が、冷水となって頭から浴びせられる。

「……手順が違う」

 僕の一撃をあっさりと受け止めたまま、老人がポツリと呟いた。

 青白く光る板へ視線を落とし、ただ感情のない声で告げる。


けがれを持ったまま、定められた道を外れてはならん。やり直しだな」

 背後の茂みがガサリと揺れた。

 振り返る暇すらない。


 ――ドスッ。


「あ……が、はっ……」

 腹部を、鋭利な熱が貫いた。

 見下ろすと、黒い法被はっぴを着た村人の一人が、僕の腹に小刀を深々と突き立てている。


 いつの間にか、生気のない目をした数人の村人たちが、音もなく僕を取り囲んでいた。

 刃が引き抜かれると同時に、ごぼりと熱い液体が溢れ出す。


 膝から崩れ落ち、金槌が手から滑り落ちた。

 痛い。息ができない。傷口から急速に体温が奪われていく。


土塊つちくれになれ。泥になれ」

 村長が、わらべ歌の一節を口にした。

 薄れゆく視界の中、青白く光る板を持った老人が、ひどく事務的な目つきで僕を見下ろしている。


 泥の味がする。

 急速に、意識が暗闇へと沈んでいった――。

     



「――ガハッ!?」

 肺の空気をすべて吐き出す勢いで、僕は目を覚ました。

 反射的に腹をかきむしる。熱い。痛い。小刀で臓器を切り裂かれた生々しい幻痛が残っている。

「はぁッ、はぁ……っ、ぁあ……!」

 冷や汗が止まらない。


 過呼吸になりながら周囲を見渡す。そこは適度に空調が効いた薄暗い空間だった。規則的なエンジン音。隣では母が寝息を立て、通路の向こうでは父が文庫本を読んでいる。


 震える手でスマートフォンを取り出した。

 画面の表示は、『8月1日 14:15』。

 三度目の、最初の日。

 僕はまた、死に戻ったのだ。


「……っ、う、ぅっ」

 僕は膝に顔をうずめ、声を出さずに泣いた。

 骨の髄まで理解してしまった。力ずくで運命を変えるなんて、絶対に不可能だ。


 この箱庭は、ルールを破る者を決して許さない。

 逃げ道はない。敵を倒すこともできない。

 残された道は、たった一つ。


 古文書の通り、脳が焼き切れるような痛みに耐えながら、五つの呪物を自らの手で壊すこと。

 紗夜をあの檻から救い出すには、用意された正規の『手順』を踏むしか、絶対に道はないのだと。

 バスがゆっくりと減速し、錆びた停留所に停まった。


 むせ返るような真夏の熱気が、三度目の地獄の入り口として僕を待っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ