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煤と蒼灯の旅人  ー依頼失敗で追放された私、死にかけで契約したのは尊大な古代精霊(inボロランタン)でしたー  作者: 愚者


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第四話:煤と活路

『走れ、運び手!』


『今すぐ走れ!喰われるぞ!』


フェンガーリの切羽詰まった声が、頭の中で炸裂した。 レンは、思考するより先に動いていた。 ナイフをポーチに捻じ込み、岩場を蹴る。


(まずい、まずい!)


スラムでの修羅場が、レンの本能に警告を鳴らしていた。 あの遠吠えは、昨夜の「霧の這う者」とは比較にならない。 獲物を狩る者の、明確な殺意と飢餓の音だった。


「どこへ!」


走りながら叫ぶ。霧の中では、どちらへ逃げても同じ「白」だ。


『私が導く!右だ、岩を跳べ!』


フェンガーリの光が、進むべきルートを蒼白く照らし出す。 レンはスラムで培ったパルクールの技術を解放した。 疲労困憊の体に鞭を打つ。 契約の代償である虚脱感が、両足に泥を詰められたかのように重い。 だが、走らなければ死ぬ。 スラムで学んだ、単純なルールだ。


岩から岩へ。ぬかるんだ斜面を滑り降り、枯れた巨木の根を飛び越える。 フェンガーリの指示は的確だった。 レンが着地する瞬間に、次のルートが照らし出される。 「目」と「足」の連携。


ウォォォォン!


背後で、遠吠えが近づいた。 さっきよりも明らかに距離が縮まっている。


『チッ!速いぞ、あの猟犬ども!』


フェンガーリが悪態をつく。


「隠れられないのか! スラムでは気配を殺せば……!」


『無駄だ!』


フェンガーリがレンの言葉を遮った。


『言ったはずだ!ヤツらは「匂い」で狩りをすると! お前のその溢れ出る「生命」の匂いが、ヤツらにとっては極上のご馳走なのだ!』


隠密行動は通用しない。 レンにとって、それは最も得意な生存術を奪われたことに等しかった。


(スラムとは違う……!)


ただ、速く走るしかない。 だが、相手は霧の世界に適応した魔物。 虚脱感を抱えた人間の足が、いつまでもつか。


キィン、と空気が鳴った気がした。 レンが今しがた飛び越えた岩に、黒い影が飛びかかるのが霧の端に見えた。 もうすぐそこだ。


『レン!次、大きく左だ!そのまま真っ直ぐ行けば深い裂け目だぞ!』


「!」


レンは無理やり体重移動をかけ、左の岩肌に手をついて方向転換する。 指示がなければ、そのまま霧の底へ落ちていた。


「はっ……! はっ……!」


肺が焼けるようだ。 スラムで警備兵から逃げた時よりも苦しい。 あの時は、どこに隠れれば撒けるか、地形が頭に入っていた。 だが、今は、このおしゃべりなランタンの指示だけが頼りだ。


『もっと速く走れんのか、運び手!』


「うるさい……! やってる!」


ウォォォォン!


ほぼ真横から、別の遠吠えがした。 挟まれる。


『くそっ、別働隊か!囲い込む気だ!』


フェンガーリの光が激しく明滅する。 その光が、前方の霧の中にそびえ立つ、巨大な「壁」を照らし出した。


『止まれ!レン!』


レンはぬかるみに足を取られながら、急停止した。 目の前は、行き止まりだった。 霧の中で見落としていた、巨大な崖。 さっき渡った橋の残骸よりも、遥かに高く、切り立っている。


「……行き止まり、か」


レンは、荒い息を吐きながら呟いた。 ナイフを再び引き抜く。 手のひらが汗で滑った。


霧の奥から、複数の影がゆっくりと姿を現し始めた。 三体、四体……いや、五体。 それは、レンがスラムで見たどの野犬よりも巨大だった。 体毛は霧に濡れて黒く汚れ、目があるべき場所は窪み、代わりに鼻だけが異常に発達している。 裂けた口からは、涎と共に、霧とは違う冷気が漏れていた。


「霧の猟犬」


キィ、と喉を鳴らし、五体の猟犬がゆっくりと包囲網を狭めてくる。 もう、匂いで追う必要はない。 獲物は袋のネズミだ。


(……ここまで、か)


レンはナイフを逆手に握り直し、腰を落とした。 スラムでの最後の抵抗。 たとえ勝てなくても、無様に喰われるのは御免だ。 せめて、一体の目だけでも潰す。


(まだ死なない……!)


レンが、虚脱感を振り払うように一歩前に出ようとした、その時。


『馬鹿者!まともに戦うな!喰われるぞ!』


フェンガーリが、今までにないほどの怒声で叫んだ。


『お前のその貧弱なナイフで、ヤツらの皮一枚切れるものか!』


「だが、どうする!」


『私が合図したら、跳べ』


「……は?」


レンは一瞬、フェンガーリが何を言っているのか理解できなかった。


『あの崖だ!そこから飛び降りろ!』


フェンガーリの言葉に、レンは絶句した。 崖下は、霧に包まれて底が見えない。 スラムの建物の屋上から飛び降りるのとは訳が違う。


「正気か!あれは……!」


『黙れ!我が「目」を信じろ!』


フェンガーリの光が、崖下、レンの足元から数メートル下を、強く照らした。 霧が薄まった一瞬、そこにかろうじて二人分の足場がある「岩棚」が見えた。


『あの岩棚だ!お前の「運び屋」の腕、見せてみろ!』


「あそこへ……!」


『私が光でヤツらの目を眩ませる!だが、一瞬しか持たん!』


フェンガーリの声は、決死の覚悟を帯びていた。


『ヤツらは光に怯む!その隙に跳べ!しくじるなよ、運び手!しくじれば、この私もお前と道連れだ!』


ウォォン!


猟犬の一体が、痺れを切らして飛びかかってきた。


「!」


レンは咄嗟に横へ転がる。 さっきまで自分が立っていた場所に、猟犬の顎が叩きつけられ、岩が砕ける音がした。


『今だ!レン!』


フェンガーリが叫ぶ。


レンは、もう迷わなかった。 スラムで、ギブスの無理な依頼を引き受けた時と同じ。 生きるか死ぬかの賭けなら、乗るしかない。


レンは崖の縁に向かって、全力で走った。


『光を喰らえ、駄犬ども!』


レンが崖を踏み切る、そのコンマ数秒前。 フェンガーリが、スラムで警備兵の目を焼いた時とは比較にならないほどの、強烈な蒼い光を閃光のように放出した。 ランタンのヒビから、圧縮された魔力が溢れ出す。


「ギャウッ!?」


「キィン!」


光を直視した猟犬たちが、強烈な輝きに目を焼かれ(あるいは視覚がなくとも、その魔力の奔流に怯み)、苦悶の声を上げて後ずさった。 霧の世界でしか生きてこなかった魔物にとって、フェンガーリの「灯」は、太陽そのものにも等しい劇薬だった。


その一瞬。 レンは、スラムの屋根から屋根へ飛び移る時のように、空へ跳んだ。 体が宙に浮く。 眼下は、白い霧の奈落。 スラムの地面とは違う、確実な「死」が口を開けて待っている。


(フェンガーリ!)


心の中で叫ぶ。 ランタンの光が、崖の中腹にある、あの小さな岩棚だけを正確に照らし出していた。 目標、そこだけ。


レンは空中で体を丸め、衝撃に備えた。


ドン!


全身を強打する。 着地ではない。激突だ。 だが、レンはスラムで叩き込まれた受け身の技術で、衝突の瞬間に手と足を突き出し、岩棚の縁を掴んでいた。


「ぐ……っ!」


衝撃で、肺から全ての空気が絞り出される。 ぶら下がったまま、体が振り子のように揺れる。 虚脱した腕の筋肉が、悲鳴を上げた。 だが、掴んだ。 落ちなかった。


「……はっ、……はっ……」


崖の上で、猟犬たちが混乱したように吠え続けている。 光に怯み、さらに獲物レンの匂いが崖下へ消えたことで、混乱しているようだった。 やがて、一体が諦めたように遠吠えをすると、他の犬たちも霧の中へと消えていった。


静寂が戻ってきた。 ただ、レンの荒い呼吸音だけが響く。


「……っ、ふ……」


レンは最後の力を振り絞り、腕だけで体を持ち上げ、岩棚の上へと転がり込んだ。 仰向けになると、白い霧の空(?)が、ゆっくりと回っていた。 動けない。指一本、動かせなかった。


『……フン』


腰のランタンから、か細い声が響いた。


『馬鹿みたいに力を使わせるな、運び手。……我が力も、無限ではないのだぞ』


見ると、あれほど蒼白く輝いていたフェンガーリの光が、今は、まるで風前の灯火のように弱々しく明滅していた。 ヒビの入ったガラスが、魔力の放出に耐えきれず、さらに割れた気がした。


「……フェンガーリ」


レンは、かろうじて声を絞り出した。


「……借りが、できたな」


『借り』は必ず返す。これは私にとって 、とんでもなく大きな「借り」だった。


『……馬鹿を言え』


フェンガーリは、弱々しいながらも、いつもの尊大な口調で答えた。


『これは契約だ。貸し借りではない。お前が死ねば、我が「足」が死ぬ。私が死ねば、お前の「目」が死ぬ。……それだけのことだ』


だが、その声には、レンと同じような疲労が滲んでいた。 二人は、崖の中腹にあるその岩棚で、動けぬまま、しばしの休息を取った。


どれくらい時間が経ったか。 フェンガーリの光が弱まったことで、レンの目が、霧の中のわずかな「流れ」に気づいた。


「……フェンガーリ」


『……何だ、もう動けるのか』


「風だ。霧が、流れている」


岩棚には、一定の方向から、わずかながら風が吹き付けていた。 スラムの路地裏を抜ける風とは違う、もっと大きく、淀みのない流れ。


『……!』


フェンガーリの光が、わずかに強さを取り戻した。


『これは……! フン、あの駄犬どもに追われた甲斐があったというものか』


「どういうことだ」


『「霧の道」だ、レン』


フェンガーリの声に、久しぶりに愉快そうな響きが戻った。


『お前たちが噂していた、「霧の道」が近い。この風は、霧が薄い場所から吹いている「道」の証拠だ。……運がいいぞ、運び手。ここを進めば、オルドまでそう遠くはあるまい』

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