ウラディノフ
ザイカの相棒のウラディノフは、兵士としては冷淡な一方で、一人の人間としては温厚で子供好きだった。なんでも戦争が勃発する前は小学校で教鞭をとっていたらしい。
今もザイカの見る先で女の子にパンと、それから戦地においては大変な希少品であるチョコレートをわたしていた。女の子は見たところ十歳前後。土埃に塗れていてもなお美しい金髪が肩くらいにまで伸びていた。女の子は着替えの服が無いのか洗濯が行えないのか、砂塵で薄汚れたワンピースを着用していた。
この街は惨烈の修羅の巷と化して久しいが、まだまだ民間人は存在していた。先祖伝来の土地だから、あるいは避難先のあてがないからと避難の意思を有さなかった者、もしくは避難が間に合わなかったもの。
彼ら彼女らは街が戦争に巻き込まれた時点で退避が著しく困難になり、ただじっと潜み隠れ戦禍から逃れていた。
そのうち子供達はしばしば兵士の元へ食べ物をねだりにやってきていた。
そのうちの一人にウラディノフはパンとチョコレートをあげていたわけだ。
現在地は連邦軍支配地域。兵士が多少なりとも気を抜ける地域だった。少なくとも銃弾は飛んでこない。 最前線へ向け行進する兵、雑談に興じる兵。その雑然を一発の銃声が切り裂いた。
「狙撃手!」
誰かが声の限り叫んで兵隊は一斉に散る。ザイカもウラディノフも物陰に退避した。
撃たれたのは士官だった。撃たれたらしい腹部から溢れてくる血を必死に抑えながら絶叫している。
兵隊は銃声のした方にやたらめったらに撃ち始めた。
その修羅の巷の中、ウラディノフがパンをあげていた少女はその場にうずくまっていた。
「お嬢さん!来い!こっちに来るんだ!」
ウラディノフが必死に声を張り上げるが、恐怖に苛まれている少女にその声は届いていない。両手で頭を抱えピクリとも動かない。動けない。
敵狙撃手は、士官が撃たれても出てこない連邦兵を釣り出すための絶好の餌を見つけた。
ザイカとウラディノフ、二人の見る前で少女が撃たれた。足を撃たれた少女は聞くに耐えない、耳の奥深くに突き刺さる悲鳴を上げる。
ウラディノフの表情が鬼気迫る。
それでも誰も助けに、射線に現れないのを見た敵狙撃手は、今度は少女の右腕を撃った。銃弾は骨を粉砕し、少女の細い腕が九十度も反対方向に折れ曲がった。
ウラディノフが怒りのために万力で握りしめていたライフルを放り出した。
「馬鹿!よせ!」
瞬時のザイカの制止も聞かずウラディノフは少女を救うために飛び出した。
無機質だった。一瞬の硬直、あるいは痙攣の後、人間の意思の介在はなく、ただ重力に引かれてウラディノフの体は倒れた。
「ウラディノフ!ウラディノフ!」
寸とも動かなくなったウラディノフは、呼びかけにやはり何とも返さない。土気色の野戦服がワインのような濃い赤色に染められていく。
「馬鹿野郎め!」
悲憤、悲痛、悲嘆。
今敵狙撃手がやってるのは普段俺達がよく使う手じゃないか。なのに飛び出しやがって。
連続する銃声にザイカは敵狙撃手のおおよその位置を掴んだ。
少し離れた物陰に移動、小銃を構えると狙撃手の隠れていそうなところに何発か射撃した。当たるとは思っていない。牽制にでもなれば御の字。
「そこ!来い!」
手近にいた兵隊複数名を引き連れて大きく迂回、狙撃手が潜んでいると見られる五階建ての複合商業施設を目指す。
狙撃された地点からおよそ五百メートル。その距離の狙撃だけでも相当な腕だ。しかも足、腕など、致命傷を与えない正確な射撃。果てには急に飛び出したウラディノフに瞬時に反応、一撃で射殺した腕。疑いの余地無く熟練の狙撃手だ。
その副業商業施設の一部屋、おそらく従業員用の小部屋にザイカは敵狙撃手の痕跡を見つけた。
窓から先程自分達のいあた地点を望見すると、相棒『だった』ウラディノフ、そしてとうとう絶命したらしい士官と少女が運ばれていく。
窓の反対側の壁際に於かれた椅子は土埃が薄くなっていて、誰かが座っていたのは明らか。また床には、この椅子を引きずったと思われる、埃がなくなっている跡。
周囲の床には女性用、男性用、子供用の衣類が散乱している。衣類は、その全てが緑、灰、紺、黒など暗色系の、そして生地の柔らかい衣服。普段ザイカの行うように、自分と銃の輪郭を隠すために使用したのだろう。
ザイカを一番驚かせたのが、綺麗に一列に並べられた空薬莢だ。7.92×57ミリ弾、敵である帝国軍の使用する銃弾のものだ。それが、四回の射撃に対し三個。つまり射殺した人数分。
自身の戦果を誇示せんとするこういであるのは明白。
その用地とも言える自尊心、虚栄心、自己顕示欲。練達の腕に対し、そう、静けさを求められる狙撃手らしくない見栄っ張りだ。
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