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廃墟の狙撃手

 陰気で剣呑で埃臭くて、死臭が満ち、そして不穏なうねりを感じる。何と言い表せば良いかはわからない。人間の根幹を揺さぶるような恐怖の救う街だった。

 連日の空襲、部屋、廊下一つ一つを奪い合う激戦で廃墟となったこのレスマフゴ・グラードという街のあちこちから黒煙が昇る。この黒煙、そして惨烈な戦闘により巻き上げられる砂塵のために夜は早く訪れ、日は中々昇らない。

 道端にオリーブグリーンのヘルメットが積み上げられている。いくつかはひしゃげたり穴が空いていたり、多量の乾いた血液がこびりついていて、前の持ち主がどのように死んだのかを伝えていた。

 飯盒から麦粥を掬い上げる兵士の間を歩く。祖国防衛の志に燃えながらもどこか虚ろで殺伐としている。味わっている様子はなく、ただただ機械的に栄養を補給していた。

 目は不自然なほど見開かれ、連日連夜の惨戦のストレス、強いられている緊張を何より雄弁に語っている。寝不足な者が多いとみえて、大半の兵が大きなクマをこしらえていた。

 赤栄連邦軍狙撃手のザイカとその相棒、観測手ウラディノフは食料を受け取ると兵士の輪に交じることなく黙々と歩き続ける。

 狙撃手はその性質上、陰気だ。静かでも寡黙でもない。いや、もしかしたら陰気なのはザイカだけかもしれない。だがどちらにせよザイカはどんよりと、底なし沼のように濁った人間だった。

 もともとはそんなことはなかったように思う。故郷では静かではあったが濁ってはいなかった。戦争が変えたのだと思う。

 だがそんなことは今関係なかった。一九四二年、前年より祖国は帝国から侵略を受けていて、感傷に浸る時間は無いのだから。

 二人は連邦軍支配地域の端に来た。ここより先は敵の支配地域まで空白地帯が広がっている。二人の仕事場はそこ。潜入し、隠れ、待ち伏せ、撃つ。

 ザイカは小銃をスリングを使って肩にかけると拳銃を引き抜いた。不意に敵兵に遭遇したらボルトアクション式の小銃よこちらの方が良い。ウラディノフは装備しているのがセミ・オートマチックであるSVTライフルで、かつボルトアクションより短いため拳銃には切り替えない。

 散々になった建物の中を音を立てないように慎重に、ゆっくり縫い進む。

 とうにガラスの砕けた窓の外には、建物に描かれたプロパガンダの壁画の男が勇ましく空を見上げている。労働者の象徴たるハンマーを高々と掲げた手とともに、果たしてあの男には空を覆う砂塵以外に何が見えているんだろうか?

 壁画は全体的に粉塵で覆われていて色彩が薄く、戦闘の激しさを表すかのようにところどころ欠けている。

 建物の内部は全く静かだが周囲からは絶えず銃声、砲声、爆発音が殷々と響いてくる。部屋も廊下も至るところに人々の生活の痕跡があるのにとても無機質に感じる。まるで絵画でも見ているこのようだ。

 多分、幼い女の子が使っていただろう部屋に来た。小さな棚の上の可愛らしい花瓶に挿してある華はとうに枯れていた。片隅にこれまた可愛いクマのぬいぐるみが埃に覆われて転がっている。

 この部屋の壁は崩れ落ちていて外に出られるようになっている。逆もまた然り。この都市で玄関、扉ほど意味を失ったものはないだろう。度重なる戦闘によって建物には成人男性が通れるほどの穴が無数に空いている。

 いくつかの裏通りと廃墟を通ってこれまた廃墟となった建物の六階に来た。ここからなら大通りを一望のもとに収められる。

 窓際の部屋の、一つ奥の部屋に二十センチ四方の穴を空けた。射界はかなりの程度制限されるが、そもそも広い必要はない。これでも大通りは見渡すことができるのだ。

 ちょうど良い長机があったから動かしてきてそのうえで匍匐の体勢をとる。細かく体を動かし調整し、小銃と体と大地が一体になる態勢をとった。

 上から灰色に燻んだカーテンを羽織って自分と愛銃の輪郭をぼやけさせる。

 人はパターン認識という能力を持っている。例えば森の中でいきなり人が現れたように見えて驚いた経験はおおよその人が持っているだろう。これは、木の形が人の頭頂部から肩にかけての輪郭に似ていたとか、木の模様が目、鼻、口の配置に似ているとか、そういった事象が原因で引き起こされる。

 だから隠れるには人体の輪郭を隠す、ぼやけさせるのが良い。加えて、直線も自然界にはなかなか存在しないから、これも同様に隠した方が良い。

 放置されていた本と衣類を組み合わせて銃を支える即席の台座にした。

 観測手を務めるウラディノフは双眼鏡を構えてギシリと音を立てると椅子に座った。

 スコープを通して見えるのは燻んだ街並み。全てが灰色だ。

 街路、廃墟の窓、屋上と敵兵がいそうな箇所を順番に確認し、一連の動作を繰り返す。

 狙うのは軍隊において頭脳となる士官、命令伝達の経路、つまり神経となる無線手、及び市街地において高い戦闘力を発揮する戦闘工兵。工兵は爆薬の使用に長け、兵士が立てこもる部屋を丸ごと爆破したりあるいは火炎放射器で焼き払う。

 そしてなにより同業者。狙撃手というのは存在するだけで戦術上の大きな脅威になる。存在するだけで戦場に大きな圧力をかける。

 兵隊からしてみればいつ何時撃たれるかわからない恐怖に四六時中襲われることになる。また撃たれたとして、即死できればまだ幸運。運が悪ければ急所を外され、味方を釣り出すための餌として延々撃たれ、地獄の苦しみを味わうことになる。

 また隠れた狙撃手は発見するのが極めて難しいために、過去には一人の狙撃手に百人単位の部隊が足止めされた事例も存在する。

 一時間が過ぎ、二時間が過ぎた。スコープ越しに映る街は変わらず、ただ銃声に砲声、爆発音、つまりは戦争の音が響く。

 一際激しい交戦音が左の方から響いてくる。一昨日から酸鼻極まる激戦が繰り広げられている『赤い十月工場』か。

 脳裏に地図を思い起こす。眼前の大通りの先は丁字路になっており、左に折れれば『赤い十月工場』にたどり着く。もし敵が増援を送ったり、味方を側面から衝こうと考えれば目の前の道路を通る可能性は大である。

 果たして、敵大部隊は現れなかったものの、分隊(十人)規模の敵小部隊が現れた。捜索、偵察の類いだろうか?

 分隊規模であれば率いているのは分隊長、下士官になる。具体的には伍長、軍曹、曹長、准尉クラスの、軍歴の長いたたき上げのベテランである。

 敵である帝国軍は階級を表すために肩章と袖章を利用している。このうち肩章は遠目から見ると、

兵は緑色、下士官は緑に一部銀が交じった箇所があり、士官は銀色、将官は金色に見える。

 3.5倍率のスコープ越しに見る敵兵は全員灰緑色の野戦服に同色のヘルメット、そして肩章。下士官が指揮を執っているに間違いないだろうが、やや距離があるのと砂塵戦塵のために街自体がやや暗く、肩章の内銀色の部分を視認できない。

 敵分隊は左の『赤い十月工場』方向を警戒している。

 ザイカは敵分隊を指揮している下士官を身振り手振りから推定した。距離は三百メートルと少し。ウラディノフに確認すると即座により詳細な距離の答えが返ってきた。

 頭部は狙うには小さすぎるし動きも大きく、またヘルメットで防護されている。だから狙撃手は頭部を狙わない。狙うのは胴体、体の中心を立てに走る正中線。ここに命中すれば死亡あるいは重傷間違いなし。

 狙撃手が射撃可能な弾数は少ない。ただ一発。幸運が微笑んでも二発が限度。だからこそ一撃は貴重で重い。

 慎重に狙いをつける。微風で、風は弾道に影響をほとんど及ぼさない。また湿度もここ最近と同様で、特筆すべきことは無い。

 射撃。7.62×54ミリ弾が銃口初速810メートル毎秒で撃ち出された。反動で跳ね上がる小銃。

 「命中」

 反動のために見えないザイカより先に確認したウラディノフが淡白に報告。

 反動が収まりザイカが見ると狙った敵兵は倒れ伏し、寸とも動かない。残りの敵兵は慌てて建物に身を隠した。

 次弾射撃のためにボルト(槓桿)をコッキング。ただし歩兵のように乱暴に素早くは行わない。素早い動きは目立つ。ゆっくりとボルトを持ち上げ、引く。排莢時に空薬莢が飛んで行って音を立てたり光を反射しないように左手を添えてつまみ出すように排莢。

 次発の射撃用意を整えたが、ザイカもウラディノフもこれ以上の射撃の意思はあまり有していなかった。あまりみだりに撃っては自身の所在が露見する。狙うのはあくまで高価値目標。そういった観点からは、二等兵に価値はない。撃つ機会があれば撃つに留める。

 結論を述べれば、この日二人が射撃することはなかった。


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