7話 騎士の目覚め
刹那、鋼がぶつかり合い激しい火花が散った。剣と剣が交錯し、互いの鎧に鋭く軋む音を刻む。斬撃、反撃、また斬撃——しかし、そのすべてにおいて、やはりブルーの方が一枚上手だった。
赤騎士は後退を余儀なくされ、攻撃の糸口をつかめないまま、じわじわと追い詰められていく。
「くっ……やはり強い!」
赤騎士が苦悶の声を漏らした瞬間、上空からドラゴンの咆哮が響いた。炎のブレスが降り注ぎ、ブルーは素早く跳躍して回避する。だが見上げれば、無数のドラゴンが待機し、次の一手を狙っている。同時に赤騎士が炎をまとった剣を構え、ブルーに再び斬りかかってきた。
ブルーは剣を上に掲げ、水の魔法で防壁を作りながら、ドラゴンへと魔法を放つ。
「グラスメリジューヌ」
その声と共に、無数の氷蛇が地を這い、空を舞い、次々とドラゴンを絡め取っていく。そして流れるように剣を振り返し、迫る赤騎士の斬撃を正面で受け止めた。
——圧倒的だった。数の不利も、炎の猛攻も、彼女の剣さばきは揺るがない。
だが、ブルーは気付いていた。この攻撃に、本気の“殺意”はない。
視線を上げた先——遥か後方で、炎の魔女が空に巨大な魔法陣を描きつつある。そうだ、これは時間稼ぎ。自分が、囮にされている。
その瞬間、決意と共に前を吹き飛ばす。凍てつく魔力が赤騎士を押しのけ、ブルーは一直線に炎の魔女を目指して駆け出した。——しかし、道は塞がれる。その行く手を、次々とドラゴンたちが遮る。一体、また一体。斬り伏せても、すぐに次が現れる。そして赤騎士も追いつき、ブルーの背に斬撃を浴びせる。
空を見上げれば、太陽はもう四分の三が隠れていた。焦りが胸を刺す。その隙を狙い、赤騎士がさらに猛攻を仕掛ける。斬撃を受け流した刹那、背後から新たな声が響く。
「青騎士、あなたの強さは認めましょう。ですが——」
もう一人、赤い鎧を纏った騎士が静かに姿を現す。
「今のあなたに、背中を守る騎士はいませんよ」
その言葉と同時に、四体のドラゴンと、四人の赤騎士がブルーを囲む。
——包囲は完了していた。
火炎と刃が、四方から襲いくる。空へ逃れようとすれば、ドラゴンのブレスが追い、地に降りれば炎の剣が迫る。交わし、止め、削り合う。けれど、消耗の差は明らかだった。それでもブルーは、鋭く息を整え、剣を振り続ける。——けれど。確かに、今、背後に誰もいないことを、痛いほどに実感した。かつてなら、そこには、あの騎士がいた。背中合わせに、守り、守られ、無言で息を合わせていた。その温もりが、ない。
ブルーの唇が、無意識に名を呼んだ。
「……アデリーナ」
その一言は、まるで氷の鎧の隙間から漏れ出た、切なさのしずくのように小さかった。
「……リーナ……アデリーナ」
微かに響いた声に、アデリーナの意識が揺れる。目を開けると、そこは暗闇。何もない、無音の空間が広がっていた。
「どこ……?」
ぽつりと漏れた言葉に、今度は背後から声が届く。
「ここは、あなたの精神の中です、アデリーナ」
「シルビア様!」
すぐに振り返ると、そこに立っていたのは仮面をつけたあの美しき女王——シルビアだった。アデリーナは反射的に敬礼をする。その姿に、シルビアは微笑みながら語りかけた。
「私は今、神域魔法の術式を整えながら、炎の魔女の猛攻に耐えています。その合間を縫って、あなたに語りかけているのです。アデリーナ、炎の魔女が——怖いですか?」
その問いに、アデリーナは言葉を失う。
図星だった。
今まで、どれほどの強敵と戦っても「死」を意識したことはなかった。けれど、あの炎の魔女だけは違った。初めて、心の底から感じた“死”の予感に、アデリーナは押し潰されそうだった。
「……はい」
俯いて答える彼女に、シルビアは静かに続ける。
「残念ながら、今の私には——その覇気を祓う魔法を放つ余裕がありません」
「シルビア様……なぜ、私は……炎の魔法を使えるのですか? この私の炎は……」
その問いを遮るように、シルビアの声が優しく響いた。
「アデリーナ。……ごめんなさい。あなたに、こんな重荷を背負わせてしまって。でも、これだけは信じてほしい。その力は、他の誰のものでもない——あなた自身の力です」
やわらかく、けれど深く届く声。
「私たちにできないことが、あなたにはできる。その魔法のように。だから、信じて。自分自身を。あなたの心の奥に眠るその炎を。——自分が信じた道を、赤く照らなさい」
その言葉が胸に触れた瞬間——心が爆ぜた。
アデリーナの瞳が見開かれる。
迷い、恐れ、後悔、罪、痛み。心の奥底に積もっていた霜が、ひとつ残らず炎に溶け、光となって溢れ出す。
「私は……!」
熱がこみ上げる。心の奥から湧き上がるのは、ただの怒りでも悲しみでもない。それは自分を信じるという、世界で最も強く、最も優しい炎。
「私は——アデリーナ・ディ・レオーネ!」
その叫びと共に、内なる世界が崩壊する。
天空を覆っていた氷の幕が、爆音とともに砕け散った。世界が一度、真っ白に染まり、そして紅に燃え上がる。
心象風景すべてが、燃え盛る焔の中で再構築されていく。
ただ一人、そこに立つアデリーナ。
その目に宿るのは、恐れを超えた意志。守る者の名を胸に刻み、世界の全てを見据える魔女の瞳。
「……もう、迷わない」
彼女の周囲に、風が生まれる。赤き翼のように舞い上がる炎。それはもう、誰のものでもない。与えられた力でも、借りた力でもない。
——これは、アデリーナ自身の力。
そして、アデリーナは目を覚ました。
右手には、ブルーが遺した水色のネックレスが握られていた。
それをそっと首にかけ、深く息を吐く。そして、両手を広げると、煌めく光と共に魔法の鎧が身体に纏われていく。
立ち上がるその姿は、もう先ほどまでの彼女ではなかった。
「……ごめん、ブルー。今、行くよ」