『prequel:世界』③
■ エデニア州 町中 ■
外の空気を吸うためだけに町に出たが、共にいるのがXというだけで、アウラの気分はそこまで優れることはなかった。
「司令部の外に出るのは初めてですか?」
「……町に出るのはね」
「……やはりそうですか」
「?」
アウラは基本、戦場と司令部の行き来しかしていない。当然だが、世間からかなり離れた生活をしていたのだ。
適当にぶらぶらと歩いて帰るつもりだったが、アウラは路地裏の方から、何か奇妙な音を耳にして立ち止まる。
「どうしました?」
「……今のは……」
どうやらXは気付いていない。アウラは勝手に路地裏の方に近寄り、様子を窺った。
「……!」
なんと、一人のノイドの少年が、複数の人間の大人に暴行を受けていた。
それを見て何もしないアウラではない。当然出ようとしたが──
「構うことはありません。日常茶飯事です」
「……何?」
「どうやら本当に知らないようですね。この町では……ノイド差別が少々いきすぎているきらいがあるのですよ」
「……ッ」
そんなことはどうでもいい。目の前の弱い者を見捨てるような真似だけは、アウラには絶対に出来ない。
「……ふむ」
そしてアウラは、暴行を止めない人間の大人たちの前に現れた。
「止めなよ」
そう言うと、大人たちは何故かイラついたような視線を向けてくる。
「何だと?」
「……ガキじゃねェか」
「このガラクタはなァ、ぶつかってきたのに謝りもしねェんだよ」
「……だから暴力を? 意味が分からない」
「分かってねェのはてめェだクソガキ!」
短気なのか、大人の一人が殴り掛かって来た。
驚いたアウラだが、意外にもその大人の動きはよく見える。
まるで、スローモーションのように鈍い動き。避けるのは造作もない。
「「「!?」」」
一方の大人たちは、アウラが軽々と避けたことに驚いている。
「てめェ!」
一人が真っ直ぐ向かってきたので、アウラは避けながらその腕を掴み、地面に彼の額を叩きつけた。
自分でも驚くほど、彼らの動きは鈍い。鈍く感じる。ここまで来ると余裕が見えてきた。
「この野郎ッ!」
「うおおお!」
同時に複数で向かってきたが、鈍ければ問題はない。
上手く躱して、足を引っかけて転ばせる。
「畜生ッ!」
一人がそれでも向かってきたので、今度は仕方なく攻撃をすることにした。
どうせ効かないだろうからと、みぞおちに向かって勢いよく拳を入れる。
「が……」
すると、その大人はあっさりとその場に倒れ込んでしまった。
アウラはあまりの呆気なさに思わず自分の拳を見つめる。
子どもの攻撃などたかが知れているだろうから、恐らくこの大人たちが弱すぎたのだろう。
「……素晴らしい」
全部が片付いてからようやく、Xが顔を出してきた。
大人たちは怯えながら立ち上がり、みぞおちに食らって倒れた一人を抱えて逃げ出している。
「……偶然だよ。多分……ソニックに乗ってる所為で、反射神経が鍛えられたんだよ。何だか連中が……凄く鈍く見えた」
「…………」
「大丈夫?」
アウラは、暴行を受けていたノイドの少年に手を差し伸べた。
「……ッ」
しかし、少年は睨むだけで手を取らず、そのまま走って逃げてしまった。
「……」
「当然です。人間に危害を加えられたのに、人間に助けられても嬉しくはない」
「……そっか……」
「彼らが住んでいる場所、見に行ってみますか?」
「え?」
*
Xに付いて行って辿り着いた先は、土地は荒れ果て、インフラは明らかに機能していない、退廃的なスラム街だった。
家と呼べるのか分からない廃墟のような建物が並び立ち、草花は一つたりとも生えていない。
生臭い匂いが漂っており、空気は濁っている。
ほんの少し大きな町から出ただけなのに、完全に別世界に思えるほどだった。
「……この町のノイドの大半は、ここに住んでいます」
「え……!?」
アウラは全く知らなかった。いや、知ろうとしてこなかったのだ。
彼は未だに、種族間戦争の実態すら何も把握せず、戦わされていたのだ。
「永代の七子をここに連れてくることは禁じられています。戦意を喪失されては敵いませんからね」
「な……!? い、良いのかよ……僕を連れて来て……」
「ま、良いでしょう。バレなければ」
「適当だな……」
よく見れば確かに、周囲にはノイドしかない。
生臭い匂いに混じって、錆のような匂いも漂っている。
そして何より、ここの住民は皆自分たちに対して敵意のような視線をぶつけ、なるべく避けて歩いている。
「……どうして人間はいないんだ? 貧しい暮らしをしている人間だっているはずじゃ……」
「……知らされてこなかった以上、仕方はない。良いですか? この町は法律で、人間の方がノイドより優遇されているのです。社会からはみ出す者は必然的にノイドの割合が増える。そしてこの町の裏社会といえば、基本的に地下街のことを指します。そこはここよりもまだマシです。むしろ、人間とノイドが、地上よりも上手く交流して暮らしている」
「それじゃあここは……」
「遥か昔、オールレンジ民主国ではノイドが奴隷扱いを受けていた。その名残がここです。国の記録に残っていない、元奴隷のノイドの子孫。そんなノイドたちが寄り添って暮らしていた場所が……今もなお、何の対処もされずに残っている。そして誰も……その事実に触れすらしない」
「そんな……」
「ノイドの誇りは、確かに一度奪われ、未だ返されていない。世間ではもう、ノイドを差別するような発言をするだけで四方八方から叩かれますが、その裏でこういった行き場のないノイドのことは眼中に入っていない。誰も……救済しようとしない」
「……どうしてだよ……」
「面倒だからです。ここに住む彼らは、ただ社会が提示した救済処置のことを理解できないだけなのです。役所に行って、長い手続きを済ませれば、せめて身分登録が出来るでしょう。しかし、彼らはそれが何の役に立つのか分からない。だから動かない。だから誰も彼らに手を伸ばさない。自ら救われようと動かない者は、救う価値がないからです」
「……」
「……皮肉なことに、国家連合はそんなこの町、エデニアに創設された。ノイド帝国がそれをどう感じたかは……理解に難くないでしょう。連合所属の国々の全てがノイドに対して差別意識を持っているわけではないですが、この国、オールレンジ民主国に関して言えば、帝国と戦う運命にあった。それが九年前の戦争です。帝国はそれに勝利を収め、オールレンジが所有する世界各地の権益を手に入れた。そしてそれは、世界に宣戦布告する準備にもなった」
「……そして二年前。今の戦争が始まって、僕らは戦いに出ることになった」
「……戦争が終われば、民衆は平和を望みます。たとえこの忌々しいオールレンジが勝利を収めても、ノイドの扱いが昔のように戻るはずがはない。世界は前に進んでいるからです。幸いなことにこの国は民主主義。きっと希望は……あるはずなのです。世界が滅びさえしなければ……」
「…………X…………?」
アウラには、この仮面の男がずっとよく分からなかった。
しかし、今は分かろうとしている。分からないままではいられない。
「……何ですか?」
「……いや、その…………」
何かを尋ねたかったが、その問いが思い付かない。
仕方なくアウラは、適当な疑問を彼にぶつけることにする。
「……仮面、本当にいつも付けてるなって……」
「ああ、これですか」
道端で立ち止まり、Xは不意にそのバッテン印の記された仮面を取り外し、フードも脱いだ。
「ッ!?」
そしてアウラは、目を見開く。
「……前に言ったでしょう? 私はただ……『醜すぎる顔を晒すまいとしているだけ』だと」
Xの顔の表面は、機械仕掛けで出来ていた。
だが、元々フードの隙間から見えていたその耳は、確かに人間のそれと同じ丸みを帯びたものだ。
いや、よく見ればそれは……取り付けられた痕がある。
「ノイド……だったのか……!?」
「正確には、元ノイドです。人間という認識で間違いはありませんよ」
「『元ノイド』……? 何だよ……それ……」
「頭部は代替が困難だったので、一部は機械仕掛けのままです。しかし、『核』は無い。今の私は心臓で血を供給し、骨と筋肉を動かして生きています」
「そんなことが……そんなことが出来るなんて……」
Xは一瞬フッと笑みを見せ、また仮面を取り付けた。
「先程あなたに見せた実験室。私は昔……あそこに住んでいました」
「なッ!?」
「しかしその後、逃げ出した私はクリシュナで働き始めた。それから暫くして帝国がオールレンジに勝利を収めたころ……私は、国家連合に所属することを決意しました」
「な、何で……」
「決まっているでしょう? ……『復讐』ですよ」
アウラはようやく、この男が何故自分たちのような『人間』の子どもを、平気で戦わせることが出来るのか理解した。
(……そうか。だから……だからコイツは……僕らのことを利用して……)
「……というのは嘘です」
「え?」
「……私は、自分がノイドであることを恨んでいた。ノイドでなければ、体を弄くられることもなかったからです。人間のことも恨んでいますが、私からすれば原因はノイドに生まれた私自身にある。……そう、考えていましたのでね」
「そんなことは……」
「だから戦争を終わらせたかったのです。そうすれば……」
「自分と同じ様な目に遭うノイドのことを、救えるかもしれない……から?」
「違います。私が、私自身の存在意義を証明できるからです。人間もノイドも関係ない。戦争を終わらせるには、私が……他でもないこの『私』が、必要だったと……。そう、証明したかった」
「……」
「……こんなことを他人に話したのは初めてですよ。まさか……人間の子どもに、私の目的を話すことになるとは……」
一瞬沈黙が生まれると、アウラは小さく息を吐いた。
「……道理で僕のことを、平気で殴ってきたわけだ」
「いえ。アレはただの教育です」
「……そうかよ」
「…………ところで。私から貴方に、一つ提案があります」
「? 何だよ」
「明日の作戦ですが……無視してくれませんか? 代わりに、私から秘密裏に実行して欲しい作戦がある」
「…………どんな?」
アウラは断る気がなかった。もうこの男の腹は読めている。そして、恐らく自分は同じ方向を向いている。
「世界を終わらせないための、作戦ですよ」




