『prequel:世界』②
◇ 界機暦三〇三一年 七月二十三日 ◇
■ ノイド帝国 央帝省 ■
▪ 帝国軍特殊医療施設 ▪
サザン・ハーンズは、妹・エルシーの見舞いに来ていた。
デウス島での一件を終えた彼は、その後反戦軍が消えたというニュースを見ている。
そして、三日後に控えている戦いに対する覚悟も、胸に抱えている。
エルシーを前にした彼の表情は、無表情ながら確かにプレッシャーを放っていた。
「……そんなつらい顔をしないでください。お兄様」
以前より、エルシーの顔色は悪くなっていた。
もしかしたら、もう長くはもたないのかもしれない。
最初の余命は、五年生存の確立が五十パーセントだった。そして今のところ彼女は、この五年に近い年月を平穏無事に過ごしてきた。
軍の特殊医療施設における延命処置の効果は、確かに出ているのだ。
「……私が、つらい顔をしていると?」
「私の前で、隠し事は無意味ですよ。お兄様」
「……敵わないな」
六戦機、シドウ・シャー・クラスタの出奔は、帝国に激震を走らせた。
彼はクリシュナでの戦い以降、南インドラ海での戦いにおいて、途轍もない戦果を上げ続けていた。六戦機の中で最も戦争に貢献していたのはこの男だったのだ。
そんな男が、唐突に何の理由もなく消えた。当然その情報はすぐに連合にも流れる。
故に帝国内では、彼が消えた所為で慎重派の連合が『帝国本土最終戦』を行おうと目論んだのだと考えている者もいる。実際は、ゼロがノイド・ギアの完成を確信しただけではあるが。
この帝国の国民は、六戦機を除いた帝国軍だけでは連合軍に敵わないと思っている。帝国が戦争に負ける可能性を、皆が頭に入れているのだ。
……帝国軍元帥、ノーマン・ゲルセルク以外は──
「……帝国は、負けるのでしょう?」
「……ッ! エルシー……それは……」
「誰も聞いていませんよ。……それに、事実でしょう?」
「…………元帥閣下殿は、まだそう思っていらっしゃらない」
「何故ですか? メディアも、政府も、嘘ばかりです。ここにいれば、軍の皆さんの疲弊具合は分かります。それとも、何か勝機があるのでしょうか?」
「……分からない。少なくとも、戦争屋を利用しても痛くないほどの『隠し玉』は、あるのかもしれんが……」
「戦争屋?」
「……何でもない。忘れてくれ」
「では、覚えておきます」
「……」
サザンは違和感を持っていた。
ノーマンが戦争屋と協力関係を持ち、連合の情報を流してもらっていたという事実は既に知れたこと。
だが、戦争屋の目的が分からない。
ノーマンに隠し玉があるとしても、戦争屋が連合の侵攻を推し進めるメリットは無い。
そして、『帝国本土最終戦』と銘打った、郭岳省完全陥落作戦の実施を、遅らせない意味も読めない。
戦争を長引かせたいのならば、連合側にいる戦争屋には、まだ引き延ばす手段がいくらでもあったはずなのだ。
(……戦争屋は……元帥を裏切ったのか……? これまで慎重だった連合軍が、一体何故、突然戦いを終わらせようとしてくる……? 元帥はこれを……どう考えているのだ……)
「お兄様」
エルシーは澄んだ瞳をサザンに向けていた。
まるで、満ち足りた月のように、輝きを反射させているような瞳で。
「……お兄様は、自由です」
「エルシー……」
「お兄様は…………ゲホッ! ゲホッ!」
「エルシー!?」
サザンは立ち上がり、彼女の背を摩る。それでも彼女は手で制し、自分で息を整えた。
「……お兄様は、何ものにも縛られない。何故ならお兄様を縛るものは全て……お兄様のその右腕の鋏が、悉く断ち切るから。……違いますか?」
「……エルシー……」
「だから、迷わないでください。お兄様の進む道は……必ず光に繋がっています」
*
◇ 界機暦三〇三一年 七月二十五日 ◇
■ 国家連合軍総司令部 地下十三階 ■
アウラとXは、下へ下へと降りていくエレベーターの中で、恐ろしく長い時を共に過ごす羽目になっていた。
「……さっきの、どういう意味?」
「何がです?」
「お前……」
「冗談ですよ。お話します。…………貴方は、私を信用できますか?」
「は? 出来るわけないだろ」
「『信頼』ではなく『信用』の話です。貴方は、私が戦争を終わらせるために動いていると……信用できますか?」
「……違うのなら、矛盾してる。僕やショウを巻き込んだくせに、一貫性が無い」
「そうでしょう。しかし、この世は一貫性のない者で溢れ返っている」
「それでもお前は戦争を終わらせる気でいるはずだ。……そこは、信用してる」
「……ありがとうございます」
Xは嬉しくもなさそうな適当な感謝を述べた。
少なくともアウラはそう思った。それだけ、彼の言葉には虚しさしか感じない。
「……『ゼロ』という人物をご存知で?」
「? えっと……誰だっけ。貿易何とかの……何とか局長……だったっけか……」
アウラは一応連合軍に所属しているため、国家連合の幹部の名は聞いたことがある。
記憶に残りやすい名前でも、その役職名までは覚えきれていない。
「彼は、この世界を終わらせようとしています」
唐突過ぎて、アウラは一瞬耳を疑った。
「……は?」
「帝国と通じて、向こうに資源を流し、世界を終わらせるような兵器を造らせた。兵器に一番重要な素材である『ノイドそのもの』は、連合では限られた数しか確保できないため、帝国を利用したのでしょう。最終的に連合が帝国を占領した暁には、その実権は彼が握ることになると言われています。実際既に……連合はその様に動いている」
「ちょ、ちょっと待って! 何を……何を言って……」
「帝国を手中に収めたならば、あとはそこにいる自分に反抗する者を殲滅し、実際に兵器を使用するだけ。そうして世界を……破壊する気でいるのです」
「だから待てって! 意味が……意味が分からないッ!」
「連合は、彼がそんなことをする気でいるとは思っていない。ただ、有能な男を担ぎ上げるだけのつもりです。しかし私は……彼の瞳を見てしまった」
「瞳……? 何だよ……何なんだよそれ……」
「彼の瞳には、何も映っていない。感情がある様で、何も無い。その名の通り、彼は何もかもが『ゼロ』なのです。彼はただ……世界を巻き込んだ、壮大な自殺を願っている──空っぽの男」
「…………ッ!」
「……私の話を、信用しますか?」
ハッキリ言って、無茶苦茶な暴論にしか聞こえなかった。
しかし、アウラは瞬時に首を横に振ることが出来ない。
ずっと見え隠れしていた不気味な輪郭が、ようやく姿を見せ始めた様に感じたからだ。
「…………いきなりそんな話されても……困る……だけだ……」
「でしょうね」
エレベーターが、止まった。
「……何を見せる気だよ」
「……先ほど言った、『世界を終わらせるような兵器』について……。実は連合は、もうずっと前から、その可能性に着手していました」
「……え?」
そこでアウラは、流し込んだばかりのXの言葉を反芻する。
「…………待てよ。さっき、お前は何て言った? 兵器に一番重要な素材が……何だって言った?」
「『ノイドそのもの』です」
「!?」
「さあ……ご覧ください」
そのフロアは、全体が薄暗く、明かりは黄緑色の誘導灯しか存在しない。
そして、周囲からは不気味な金切り音のようなものが僅かだが聞こえてくる。
すぐ目の前を見ると、そこにはガラス窓があり、どうやらさらに下のフロアが見えるようになっているらしい。
アウラたちのいるフロアはただただ長い廊下が続いているだけで、所々ある扉の向こうにある階段で下に降りれば、その窓の向こう側にある下のフロアに行ける。
だが、アウラはその扉を開けたいとは思わない。
窓の向こうに見えるのは──
「何だよ……これ……」
数人……いや、数十人のノイドがいる。
そのほとんどは、特殊な細長いケースのような物の中に入っていて、外には出られない様子。
中には必死にケースを叩いて叫んでいる者ももいて、全てを諦めて座り込んでいる者もいる。あるいは、ただ突っ立って、茫然としている者もいた。
アウラが目を見張ったのは、ケースの外に出ているノイド。
マスクや帽子をした、作業着の人間たちが、裸のノイドを拘束している。
それも、下のフロアにあるいくつもの作業台の上で、幾人ものノイドが同じ目に遭っている。
どのノイドも何らかの機械と管で繋がっているようで、作業着の人間たちは、文字通り作業のような雰囲気で、ノイドたちの様子を窺い、記録を取っている。
では、何の様子か。ただ拘束されているだけではない。いくつかのノイドたちは、管から何かを流されているのか、叫んでいる。
またいくつかのノイドは、機械で体を弄くられている。
またいくつかのノイドは、既にノイドとしての原型を留めていない。
他にも実験器具らしきものは多くあり、アウラには何に使うものなのかよく分からない。
眩い光を発する機械もあれば、激しく動いている機械もある。
それが全てノイドに対する実験の道具だということは分かるが、何のための実験かは分からない。
分かるのは、ただ一つ。
「何なんだよこれはァッ!」
アウラは思わず、Xの胸倉を掴んだ。
吐き気を抑えつつ、下の状況から目を逸らすためでもあったのかもしれない。
「……ここにいるノイドは、全て地上で死亡されたことになっているノイドです。なので、どのような目に遭わせても、誰も困らない」
「ふざけるなッ! こんなの……こんなのは……ッ!」
「十年」
Xの体が、少しだけ震えているように見えた。
「……十年以上前から、国家連合はその結論を見出していました。人間にとっての心臓と同じ、ノイドの『核』は……未開のエネルギー源。上手く利用すれば、強大な兵器になると……」
「……待て……。だったら……だったらノイド帝国は……」
そこで、アウラはXの胸倉を掴む手を緩ませた。
「はい。帝国は、それを完成させたのです。その試作品が、サンライズシティを消滅させた、ニュークリア・ギア」
「!?」
「帝国が、国中から死刑犯罪者などの『要らない』ノイドを集めれば、国家連合では不可能なレベルの兵器が開発できることでしょう。史上最悪の……世界を終わらせるような兵器が」
「……ッ!?」
アウラは頭が真っ白になって後退った。情報があまりにも膨大で残酷で、処理が追い付かない。
「……私は当初、最早連合と帝国の戦争状態は解消されないとまで想定していました。しかし、ニュークリア・ギアの製造方法を推測して調べるうちに、確信したのです。あの爆弾兵器には、ノイドそのものが使われているということに。これは、連合の一部の『人間』しか知らない情報。帝国はこんな兵器を大々的に使用継続することは出来ない。ならば、戦争は終わらせられる。そこで安堵した矢先……私は、もう一つの確信を持ってしまった」
「……それは……」
「……連合に、帝国へ兵器の開発技術を教えた者がいる……という確信です」
「…………」
一度落ち着きを戻したアウラは、再び下のフロアに目をやった。
だが、やはり長く見続けることは出来ない。ここではノイドが、ヒトとしての尊厳を奪われている。
「連合は非人道的なこの実験を、遥か昔から続けていました。だというのに世界は、連合を脱退した帝国を責め、追い詰め、そして……暴走させた」
「……だったら……だったら……ッ! 何なんだよ僕は……。何の為に……戦って……」
「……これは擁護ではありませんが、連合はノイドに対してだけでなく、人間に対しても同じように人体実験を行ってきた歴史があります。そして……帝国にも」
「……正義があるとは思ってなかったさ。でも……こんなのもう……悪と悪の戦いですらない。……何も無い。ただの……『無』じゃないか……」
「それでも、束の間の平和を、見せかけの平等を、限りある自由を……世界にもたらすことは出来る。もとより世界は、それで出来ている。だが……世界そのものがなくなれば、最早それすら手に入らない……」
「ゼロという男は……本当に世界を……?」
「……ええ」
「……」
アウラが下を向くと、Xは来た道を戻り始めた。
どこに行く気かと思い顔を上げると、そこでXは一旦立ち止まる。
「……流石にここは、刺激が過ぎましたかねぇ。町にでも出ましょう」
確かにこの場にいるだけで息苦しさを感じていた。アウラは彼に付いて行き、外に出ることにする。
それが目を逸らすことになっているような気がして、彼は少しだけ罪悪感を持ってしまった。




