『fate:御影・ショウ』
◇ 界機暦三〇二二年 三月二十九日 ◇
■ クリシュナ共和国 第七特記研究所 ■
意識が朦朧とする中、声が聞こえていた。
「…………です。…………とは……の適合可能率が……。……て…………を移植……と…………拒絶反応は………………」
痛みはない。だが、体は全く動かない。そして意識を保つことすら厳しい状態。
出来ることといえば、そのまま意識を閉じて夢の中に入ること。
夢の中で思い返されるのは、自分の身に起きた不慮の事故。
数時間前。御影・ショウは、アシュラ国からクリシュナ共和国へと航行中の飛行機の中にいた。
そこには家族の姿もあった。優しい母親と、大人しい父親、そして一個下の弟だ。
父親の仕事の都合で外国へ引っ越すことになったのだが、ショウは生まれて初めて乗る飛行機に心を躍らせていた。
……だが、およそ彼にはどうしようもない形で、運命は変えられてしまう。
彼の乗る飛行機は、ノイド帝国軍によるミサイルの誤射によって、墜落することになってしまった。
操縦士のミスと気流の所為で、帝国領空付近に機体が流されたことにも理由があったのかもしれない。
戦時中のオールレンジ民主国の策かもしれないと判断し、帝国軍はこれを撃ち落としてしまったのだ。
責任の所在は、最早彼には関係ない。墜落したその飛行機はほぼ全壊し、乗員乗客二百四十三名が死亡した。
…………ただ一人、彼だけを除いて。
*
目を覚ました時、視界は闇に包まれていた。
夜なのか、明かりが無いのか、とにかく今の自分にはどうすることもできない。
何故ならまだ体を動かすことが出来ないからだ。
「……起きたぞッ!」
誰かの声が聞こえたが、この闇の中では姿が見えない。
複数人が集まって来る気配は感じられるが、何も見えないのだ。
「初めまして。御影・ショウ君……で良かったかな?」
「…………」
「まだ口が動かせないのは分かっているよ。だがしかし、ひとまず命の危機は乗り越えた」
「……?」
「覚えているかい? 君は航空事故に巻き込まれ、死にかけていたんだ。だが、奇跡的に一命をとりとめた。乗員乗客二百四十四人の中で唯一、君だけがだ」
「…………!」
「……落ち着いて聞いてほしい。君の家族は助けられなかった。だが、君は助けられた。君だけがあの事故現場で生き残っていたんだ。だがそれでも死は免れないと思われていた。こうして手術が成功したのは……全くもって起こるはずもないほどの奇跡だったんだ」
何が嬉しいのか、言葉は弾んで早口になっている。
しかしショウの心境は同じようにはなれない。まだ、家族が死んだという事実を受け入れられない。
「……ッ! ……ッ!」
「……ああそうだ。これも、落ち着いて聞いてほしい。手術は上手くいったが……後遺症で、君は目が見えなくなってしまった。そのことで、これから深く悩み苦しむこともあるだろう。しかし生きてはいる。生きてさえいれば、無限の可能性が広がっている。それに…………いや、これはまだ言うまい。とにかくおめでとう。これから先の君の人生に、幸があることを……」
助けを望んだ覚えはない。家族が死んだのなら、自分もそこで死にたかった。
深い闇に覆われて、何もかもが彼の思い通りにはいかない。
生きる意味も、死ぬ意味も、この時の彼には何も見ることが出来ない。
*
◇ 界機暦三〇二二年 五月二日 ◇
■ クリシュナ共和国 サンライズシティ ■
御影・ショウはその後、孤児院で引き取られることになる。
彼を受け入れたのは、サンライズシティにある『太陽の家』。
そこで彼は──ある少年に、出会ったのだ。
「僕はアウラ。アウラ・エイドレス。よろしくね、ショウ君」
そよ風でなびくその髪は若緑色で、陽の光を浴びて艶が出ている。そしてその瞳は、光を放つがごとく輝いていた。
だがしかし、盲目になったショウには、そんな彼の姿を見ることが出来ない──
「……よろしく」
「こっちだよ。ここ」
あらぬ方向を向いていたショウの手を取り、アウラは自分の立ち位置を彼に伝える。
「……新しい人? 新参。ひよっこ。素人」
アウラに次いで現れたのは、薄幸そうな見た目をした少女。
「こっちはリード。あ、えっと……ほら、手」
「?」
盲目というのがよく分かっていないリードだったが、アウラが彼女の手を取ってショウの手と握らせる。
「僕らはこれから家族だよ。ね、リード」
リードは頷くが、それではショウに伝わらないと考え言葉にすることにした。
「……うん」
一方で、ショウは何も言うことが出来なかった。
(……家族……)
*
◇ 数日後 ◇
ショウはまだ太陽の家の皆と馴染めなかった。
彼に対して積極的に声を掛けてくるのはアウラ。いつも彼と一緒のリードも、ショウによく話しかけてくる。
だが、ショウの方は適当な相槌を打つことしか出来なかった。
そんな日々が続いた、ある日のこと──
「……」
ショウは目が見えないので、外を一人で出歩くことが許されていない。
だがこの日、彼は少しだけ太陽の家の庭に一人で出ていた。音のする方向に出たら、そこが庭だったのだ。
見えないが、手で触れると目の前に木があることは分かる。音の発生源はこの木の下。恐らくだが、鳥の巣が落ちたのだ。
「鳥……の、雛……かな」
手探りで巣を見つけることは出来た。だが、彼にはこの巣を木の上に戻すことが出来ない。
(何も出来ない……。ごめんよ)
虚しさを抱えながら、諦めてこの場を去ろうとした、その時──
「ショウ?」
アウラと、彼の袖を掴んでいるリードが現れる。
「……アウラ……」
「どうしたの?」
「燕の巣が落ちてる」
リードが気付き、アウラはその巣の方に近寄っていく。
「ホントだ」
「……」
「うーん……高いなァ。届かないかも……」
そう言っている間に、ショウはアウラの横を通り過ぎる。
「あれ? ショウ?」
(子どもには届かない。無駄だ。それに……どうでもいい)
ショウはこの世の全てに絶望していた。
事故で家族を失い、失明の影響もあり、子どもながらに己の無力さを理解していたのだ。
「とうッ!」
木の枝が、激しく揺れる音がした。
思わず振り返るが、それで見えるわけではない。だが、ショウには分かっていた。
アウラは、木の上に登ってみせたのだ。
「リード! 巣を!」
(……木の上に登って……?)
「はい」
「よし!」
雛鳥の鳴き声が聞こえてくる。
今度は地上からではなく、自分よりも高い位置からだ。
「よッ!」
そして、アウラが木の上から飛び降りた音も聞こえてくる。
「……馬鹿。危ない。無鉄砲。向こう見ず」
「けど何とかなった。もう大丈夫だよ! ショウ!」
アウラが笑顔を向けている。
見えてはないが──そんな気がした。
「……大丈夫……?」
「? 雛のことが心配だったんじゃないの?」
「…………別に」
「そう? まあとにかく、多分これで大丈夫。風で落ちたんだろうね」
「風……」
「枝の付け根の方に縛っておいた。だから大丈夫」
ショウは、少しだけ自分の口元が緩んでいることに気付いた。
確かにアウラの言う通り、雛のことが心配だったのかもしれない。
そして今、アウラのおかげで安堵している。
「アウラ! 怪我!」
「え?」
どうやら、木の枝に引っ掛かけてしまっていたらしい。
「頬に」
「ああ……大したことじゃないよ。ちょっと切っただけ」
それを聞いて、ショウは不思議に思った。
どれくらいの高さを登ったのかは分からないが、彼が無茶をしたのはよく分かった。
だが、そこまでする意味が分からない。
「……大人を呼べば良かったのに。どうして君は……自分から?」
「え? …………ホントだ! 確かにね。ショウは頭が良いなァ。僕、そこまで思い付かなくて……」
「……違う」
「へ?」
「……君が思い付かなったのは、『何も出来ないから諦める』ということだよ。それが多分……君の強さ……」
(そして……諦めたのは……)
ショウは下を向いていた。どこを向こうが、闇しか見えない。
だが、何故かは分からないが、正面方向からは光が差し込んでいる気がした。
「なら、ショウの強さは、人の強さを知れることだね」
(え?)
そして、その見えもしない光の所為で、顔を上げる。
「ね」
「……アウラ……」
「……あ! 昼御飯の準備しなきゃ!」
アウラは流れる風のように、自分のペースで生きていた。
きっと、彼を揺るがすことが出来る者は誰もいない。
むしろ、彼によって人々は揺り動かされるのだ。
アウラが先に屋内に戻っていくと、残ったリードがショウに語り掛ける。
「……アウラは、私のことを救ってくれた。アウラの傍に居ると……凄く心地良いの。……ねぇショウ。貴方も同じ風に思っていたら、私嬉しい。アウラの傍に居ると……どう?」
「……分からない。まだ、分かろうとしていないからかもしれない。でも、分かったなら、多分リードと同じになれるのかも……。……いや……同じだと思う。姿は見えないけど、アウラの声は……そよ風のように心地が良いから」
リードは自分の好きな人のことを良く言われて喜んでいる。確かに二人とも、彼に心を揺るがされていた。
確かに彼という『そよ風』に、二人の心は揺るがされていたのだ。
*
◇ 界機暦三〇三一年 七月十六日 ◇
■ オールレンジ民主国 エデニア州 ■
オールレンジ最大都市であるエデニアの、とある高級料理店に、御影・ショウはいた。
完全な個室の中で、向かい合う相手と二人だけで話をしている。
食事には、一切手を触れてもいない。
「……そよ風ではどうしようもないのが、この無情の世界です。何も見えない。何も分からない。こんな世界で分かろうとすることを続けても、光は決して差し込んでこない」
相手がどのような表情をしているのか、ショウには見ることが出来ず、分からない。
だが、想像することは出来る。
彼はきっと──何の感情も出していない。
「……全てを失い続けるだけ。家族も、仲間も、自分自身も。この戦いが終われば、もう何も失うことはないのでしょうか。…………違う。失う運命からは逃れられない。この空虚な世界は、そういう運命に囚われているんです」
そして、目の前の男──ゼロは問い掛ける。
「では、どうする?」
ショウの表情からも、ゼロと同じく何かを読み取ることは出来ない。
彼は必死に自分を隠し、隠し続けた結果、自分にも自分のことが分からなくなった。
「…………贅沢な自決を求めるつもりはありません。けれども……前に進むことに意味を見出すことは出来ない。後ろに戻ることもできない。立ち止まることすらも許されない。だったら……もう、他にないじゃないですか」
そう言うと、ゼロは人差し指を一本立てた。
「一つ、面白い事を教えておこう」
「……何ですか?」
「……君が両親を失った事故。アレは……国家連合が仕組んだものだ。オールレンジと戦時中のノイド帝国側に傾きつつあった、クリシュナ共和国とアシュラ国の風向きを変えるために……な」
「…………」
それが真実だろうと、嘘だろうと、どうでもいい。
既に、ショウの心は限界を超えていた。
「リスクが大きいと思うかい? だが現実に、帝国軍の誤射によるものとして帝国側がそれを認めてしまっている。世間一般からすらも、連合に疑いの目は向いていない。真なる陰謀というのは噂にすらならないのだよ。これが──」
「貴方は関係していない」
「……ああそうだ。それが?」
「……なら、貴方がその話をすることに意味は無い。意味など無いではないですか。世界が虚しいことに……変わりはない。貴方はそれを話して、折角説き伏せかけた相手の気を損なわせるおつもりですか?」
「…………確かに。フフ……申し訳ない。私はどうも、己の目的と矛盾した行いをする癖があるらしい」
「破綻している貴方らしいですよ」
「クク……破れて綻ぶだけでは足りない。私は、世界が解れることを望んでいる。君はどうだろう? ……最強の永代の七子、御影・ショウ」
ショウは、微笑みを絶やさない。
もしも、クリシュナでの戦いの後、もっとアウラやリード、それに他の仲間と会話をしていれば、結果は違っていたのかもしれない。
しかし、仮定の話をする意味は無い。
世界の全てに怒りを向けている彼は、もう誰にも止められない。
「……戦争をなくすにはどうすればいいか? ノイドだけが敵ではありません。人間同士でも争いは起こる。鉄だってその道具のように扱われる。加えて……貴方のような存在もいる。だったら答えは一つしかない。…………世界の全てが、なくなればいい」




