『機密重要被検体奪還作戦』
◇ 界機暦三〇三一年 七月九日 ◇
■ 戦艦ディープマダー ■
反戦軍の母船は、永世中立国ヒレズマの領海に入り込んでいた。
協定によって、連合軍はこの領海において戦闘を行うことが出来ない。
海上を船は通れるものの、鉄が単体で通過することは許されないようになっている。
「ヒレズマの領海だってんよ。連合軍の船はこっちまで追いかけちゃこない。来るにしても、武装解除してるってんよ」
グレンは、メインブリッジの面々に対してそう確認を取った。
「ヒレズマは不戦協定を掲げて連合に所属していますからね! 少なくとも、連合軍はこの領海内で戦闘行為は出来ないはずです!」
アネモネが続き、全員が安堵を示す。ただその中で、ユーリだけはまだ冷静だ。
「……けど、協定を守る必要の無い帝国軍は、襲ってくる可能性がある。油断は禁物だよ」
「ま、まままあそうですよね……」
項垂れるつばきを尻目に、グレンは一旦司令室を去ろうとする。
「グレン?」
「ああちょっと」
彼の行き先は、ユーリでなくとも大体読めている。
(……アカネのところか)
グレンの幼馴染で反戦軍の特攻隊長である赤髪のノイド──アカネ・リントは、まだ目を覚ましていない。
誰よりもエヴリンに長く食い掛った彼女は、その分誰よりも傷付いていた。
*
▪ 艦内倉庫 ▪
カインは一人でずっと、誰も見ていない場所でギアの練度を高めていた。
円盤をひたすらに操り、空の木箱を相手に回転をぶつける。
ただ、威力の操作が上手くいっていない。回転の勢いが強すぎて、木箱をいくつか壊してしまった。
「……駄目だ。こんなんじゃ……駄目だ……」
目の隈はまだ取れていない。カインはまだ、暗がりの中を手探りで進んでいる。
「俺は……弱い……。強く……もっと……強く……」
鉄を相手に何も出来なかった自分が、情けなく感じていた。
もしまたマリアを狙われたら、今の自分には何も出来ない。それでも自分の選択を貫くために、出来ることをひたすらに続けるだけ。
真っ暗な闇に覆われていても、カインの歩みは止まってはいない。
「カイン……」
誰も見ていない場所で鍛錬を続けるカインを、マリアは罪悪感を滲ませた瞳で覗いていた。
カインの方はマリアが見ていることに気付いていないが、マリアはカインが自分のために無理をしているように見えて、苦悶の表情を浮かべていた。
*
▪ 医務室 ▪
マリアは俯きながら他のメンバーの様子を窺いに行った。
医務室の前を通ったところで、中に人がいることに気付く。
いるのは三人。ベッドに寝ている人物のことは知らない。傍で座るのはグレン。近くで立っているのはメイド姿の女ノイドだ。
マリアは気になって、隠れて覗き見ることにした。
「アイ。アカネは……」
「傷は治っています。あとは本人の意思次第……」
「……そうか……」
「私はすぐ起きると思っていますよ。アカネさんがこのまま、リーダーを放っておけるとは思いませんし」
「そうか……?」
「違いますか? リーダーが一番彼女のことを理解しているでしょう?」
「……そう……だな……」
マリアからすれば知らない人物だが、グレンのつらそうな表情を見て、同情を寄せずにはいられなかった。
そして彼女は、自分を易々と受け入れてくれたグレンが、大事な人が眠ったままなのにつらさを隠していたのだと感じ、罪悪感を更に膨らませる。
そうして廊下を歩きだしながら、もしまたスカム・ロウライフが現れた時のことを考える。
「……ここのみんなに、迷惑はかけたくない……。次あの人が来たら、私は……」
頭を上げ、彼女は覚悟を固めた。
本当は逃げ出したい気持ちでいっぱいだが、彼女はそれを理性で抑えるだけの強い精神を持ってしまっていた。
彼女はまだ、自分が『一人』でいるつもりだ。
*
■国家連合本部 総合事務局ビル 十三階 ■
世界の中心である国家連合本部のビルを我が物顔で闊歩するのは、右目が白い長髪で隠れた人間の男。
ゼロは、連合軍の最高総司令官のオフィスに向かっていた。
閑散とした十三階には、稀にしか使用されない会議場がいくつか存在しているが、この階に訪れる者のほとんどは、総司令への謁見を目的としている。
「……ふむ」
廊下でゼロが相対したのは、フードにバッテン印の仮面の男──X=MASKだ。
「これはこれは、国際貿易事務局長殿。何故貴方様がこちらに?」
「どうもX君。なに、たいした用事ではない。……ところで、永代の終末子の件はどうなったのかな? 『同期』こそ難なくこなせた永代の七子だが、『超同期』に至ることが出来る者はまだ半数らしいじゃないか。まさか、『条件』を彼らに教えていないのかな?」
「……『条件』……ですか。不確定な情報を浸透させたくはありませんのでねぇ」
二人とも互いの腹の内を探ろうとしているのだが、立場的にゼロの方が上であるためか、話の流れは彼が持っていくことになる。
「……クク。『不確定』? ああ、そうか。そうだろう。君らからすればそうかもしれない」
「……何ですって?」
「『大罪を犯す』とはよく言ったものだ。ヒト種の罪は、『感情』を持つことにほかならない。鉄戦闘とは全て、『感情』に帰結する。激しい感情の起伏が、彼らを『そこ』に至らせる。私はそのことが『確定』事項であることを……初めから知っているよ」
「……」
Xはこのゼロという男を信用していない。連合の立場にいながら、彼の黒い噂は常に絶えない。
だが、彼を支持する者の数は計り知れないため、根拠なく不審な目を向けることも出来ない。
発言の節々から薄気味悪さを感じるが、Xは彼と深く関わろうとはしなかった。
「永代の終末子の開発は素晴らしい功績だ。だが覚えておくといい」
ゼロは何故か少し悲しそうな顔をしながら、Xの横を通り過ぎる。
「君は初めから解れている」
これまでゼロと直接会話をした機会など、指で数えられる数しかない。
だが、Xは確信した。
この男は、ゼロという男は、間違いなく戦争を続けるために動いているのだと。
どんな手段を使ってでも戦争を止めようとしてきたXは、その確信した事実を受け止め、虚しさに打ちひしがれる。
これまで自分がやって来た全てが無意味だと思うと、仮面の内側の彼の顔は、もう外の世界を見ることが出来なくなってきてしまった。
*
▪ 連合軍総合指揮系統担当職員執務室 ▪
普段、国家連合軍総司令官は、国家連合軍総司令部に居座ることがない。
立場上は一応軍人ではなく連合職員として存在しているため、こちらの国家連合本部から多くの部下を通じて指揮系統を束ねている。
「……ゼロ……」
彼の名は、スナイプ・ヴァルト。
死体のような冷たい目をした、ロングヘアの男性。
彼は複雑な知恵の輪を右手で弄りながら、ゼロの来訪を受けた。
「まだ解れない様子……」
ゼロに指摘され、スナイプは知恵の輪を弄る手を止める。
「……貴方が解れさせるのでしょう? Xに……何を言ったのです……?」
「何も」
「……まあ、どうでもいい。……貴方の望む通りに……全ては進んでいるのでしょう。……あと何人死ねば……世界は解れるのです……?」
冷たい目のスナイプは、ゼロと目を合わせようとしない。
彼の表情からは、まるで生気を感じられなかった。
「もう一息ですよ。あとは帝国に降伏させ、一時的な統治権を貴方が担えばチェックメイトだ」
「……私は……安寧が欲しいのです。安寧のままに生き……安寧に包まれて死にたいのです。どれだけの権利を手にしても……私は失うことが怖い……。ならば……全てを手にしたままで死に絶えたい……。幸福の中で死ぬことにこそ……生まれてきた意味があるというもの……」
スナイプ・ヴァルトという男は、破綻者だった。
ゼロは別に、彼を力で脅して従わせることも可能だった。しかし、その必要は初めから無かった。スナイプは二つ返事でゼロに従うような人物だったのだ。
「……悲しいですね……」
ゼロは本気で心から悲哀を滲ませるかのようにして、思ってもないことを呟いた。
「……郭岳省に攻め入らせましょう。……戦場に出せる六戦機が四人となった……今が最大の好機……」
「いや悲しい。やはりこの世界は、私がいなくとも解れると決まっていた。貴方を見ているとそう思いますよ。スナイプ・ヴァルト総司令」
「……」
スナイプは再び、知恵の輪を弄り始めた。
最重要作戦の実施を検討しながらだというのに、緊張感を感じさせない。
彼はゼロに会うよりも前から、自分だけが恵まれた状態の中で安楽死することを望んでいた。
それが、この立場に上り詰めた理由。
失う恐怖から逃れるために、必死に目の前の物を得ようとし続けた結果、気付いたらここにいたのだ。
……そしてゼロは、嬉しくもないのに嬉しそうに笑みを見せる。
「安心してください。世界は必ず解れさせます。安寧のままに……幸福な死を、貴方に」




