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ENSEMBLE THREAD  作者: 田無 竜
五章【何かあればすぐ】
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『fate:カイン・サーキュラス』

 彼に名前を与えたのは、彼の育ての親だった。

 その親も、物心がついた頃には亡くなっていた。

 彼を引き取ったのは裏社会の荒くれたち。

 それからの彼の人生は、存在しない親の病を治すための、金稼ぎの日々に費やされる。


「オラァッ!」

「うぐッ……!」


 毎日のように殴られて、精神はひたすらにすり減らされる。

 それでも折れずに生きようとし続けられるのは、いないはずの『家族』を欲していたから。


「止めたいだァ!? 母親を見捨てんのかァ!? この親不孝がァ!」

「ぐ……ッ! で、でも……人から奪ったお金じゃ……」

「ラァッ!」

「がッ!」

「良いか!? この世界の奴はみんな、自分のことで精一杯なんだよッ! 他人のことを考えるなんてのァ、持ってる奴のすることだッ! 何も持たない俺らやテメェは! 自分のことだけ考えて、自分なりに精一杯生きればいいんだッ! おかしなこと言ってるか!? 言ってねェよなァ!?」

「……」


 恐ろしいまでの正当化だったが、彼は従わざるを得ない。

 説得によるものではなく、暴力による支配だ。

 彼にはまだ、反抗して戦う力が備わっていない。


     *


◇ 界機暦かいきれき三〇二五年 六月十七日 ◇

■ リーベル自治区 ■


 六年前。カイン・サーキュラスは、スリの少年だった。

 狙う相手は基本的に、隙の多い女か子ども。今日も彼は、道を歩いている一人の女子から、財布を盗もうとした。


「……ッ」


 いつものように、慣れた早業でその女子とすれ違いざまに財布を盗んでみせる。



「おいコラ」



 だが今日は、相手が悪かった。

 少し離れたところで、彼女はスリに遭ったことに気付いてしまう。


「ッ!?」

「……ったく」


     *


 路地裏まで走って逃げたところで、カインは背後を確認する。


「ハァ、ハァ……。ま、撒いたかな……?」


「誰を?」


「!??!??!」


 先回りされていた。

 左目が髪で隠されている、妖艶な雰囲気の女子だった。

 彼女は壁に寄り掛かって、キセルを吸いながら、余裕の表情を見せている。


「……少年。君かな? 最近巷を騒がしてる、スリ被害の犯人は」

「……ッ!」

「来な」


 そして彼女は、当たり前のように背を向けて歩き出す。

 てっきり捕まえられると思ったカインだったが、驚いて次の行動を決められない。


「……おい。『来な』っつってんだから……早く来いッ! ガキンチョッ!」

「は、はいッ!」


 何となく、彼は逆らうことが出来なかった。


     *


 キセルの女に連れられてやって来たのは、『GHOST』という看板が掲げられた、小さなギア製造店だった。

 どうやら彼女自身が店長らしく、他には誰も店員がいない。

 奥の部屋に入れられて、事情聴取のような世間話のような真似をされることになった。


「……なるほどねェ。母親の為に……ねェ」

「……悪いことだっていうのは……分かってるんだけど……でも! 俺──」

「やかましいッ!」

「……ッ!?」


 一喝してからキセルを吸い、溜息のように煙を吐く。


「……ま、アンタにも事情があるのは分かったよ。けど、やり方が良くない。そこは反省しな」

「で、でも……」

「『でも』も『だって』もないッ! 返事は『はい』ッ!」

「はい……」


 彼女の凄みに気圧されて、カインは縦に頭を振ることしか出来なかった。


「……悪人とは手を切んな。アタシも協力してやるからさ」

「え?」

「何さ」

「え、い、いや、だって…………何で? 俺は他人じゃん。アンタが俺に力を貸すメリットなんて……何も無い。それともアンタは『持ってる』人なの? だから施しを与えられるの?」

「ムカつく言い方するガキンチョだね……。アタシだって貧乏暮らしだよ。……まあ、『アレ』に金使ってなきゃ、ちょっとはマシになんだけど……」


 少し照れ臭そうに苦笑いをしたが、カインは気付いていない。彼女の顔を、見ていない。


「……貧乏? じゃあ、何で協力するなんて言えるんだよ。何か企んでるんじゃ……」

「……」


 彼女は目を細め、妙な勘繰りを入れるカインの背景を読んだ。

 無償の善意を受け入れられないほど、カインの周囲には信じられる大人がいないのだ。


「……はぁ。よし、アンタに良いもんくれてやる」


 一度席を離れ、彼女はさらに奥の部屋から『ある物』を持ってくる。

 それは、フラスコのような形状をした、小さな機械。


「ほい」

「?」

「失敗作の余りもんだから、アンタにやるよ。これ売ったら、まあ……金になると思うわ」

「……!? な、何で……」

「だから悪人とは手を切んな。それとね。他人だからって関係ないの。アタシらはみんな、助け合って生きるもんなの」

「……」

「あそうだ。名前言ってなかったっけ」


 灰皿にキセルの灰を落とし、澄んだ目をカインに向ける。



「不埒な悪は仮借しない、大胆不敵な店目付……。勇気一筋、ハルカ・レイたァアタシのことさ!」


     *


◇ 一週間後 ◇


 ハルカに言われて職業訓練所に通うようになったカインは、この日再び彼女のもとにやって来た。


「あ、あの……」

「やあ少年。子ども向けのギアは売ってないよ」

「え、あれ? 俺のこと……覚えてない?」

「はて……何だっけな」


 実は前回の出会いからのち、カインはかなり髪を切っていた。見た目で判別できないのは仕方ない。

 ハルカは基本、他者のことを見た目で記憶することが多い。この頃のカインはハンチング帽を被っていないが、その所為で特徴があまりなかった。


「カイン・サーキュラス……です」

「……カイン? ……ああ! カインね! うんうん覚えてる。スリのガキンチョな。髪伸びた?」

「切ったんだよ!」

「まあ何でもいいさ。どう? 今は」

「……今日は、そんな話をしに来たわけじゃないんだ」

「あん?」

「………………また、『アイツら』が来たんだ」


 カインは苦しそうに下を向く。相談する相手は、ハルカ以外にいなかった。


「……例の悪党どもか。無視しなって言ったじゃん? そいつら嘘吐いてるだけなんだって。アンタを金稼ぎに利用するために」

「……でも……俺のお母さんが病気だって……」

「カイン……」


 カインはまだ、その嘘をハッキリと嘘だと思えていない。

 心のどこかで、信じようとしてしまっている。

 だからハルカは、ここで彼の目を覚まさせなければならないと判断する。


「あのねカイン。アンタに母親はいないの。大体そうさ。あの連中はね、スラム街の捨てられたガキども拾っては、そんな嘘で逃げ場をなくす。アタシは同じように騙されてた奴を、もう何遍も見てきてる」

「で、でも、俺も同じだとは限らないんじゃ……」

「カイン」

「でも……」

「……自分の力で生きていくしかないんだよ。アタシも、困ったら相談くらいは乗るよ。だからいい加減目を──」

「でも!」



 バチンッ



 ハルカは、カインの頬を叩いた。


「……いないんだよ。アンタの期待する、都合の良い親なんていうのは……」

「……ッ!」


 ハルカが感情的になってしまったのは、彼女自身の背景に原因があった。

 幼馴染のユウキもそうだが、ハルカは今よりも幼い頃に両親を亡くしている。

 無い物ねだりをするカインに、自分を重ねてしまったのだ。


「どうして……どうしてそんなこと言うんだよッ!」

「……ッ」


 目を見開いたハルカを見てハッとしたカインは、思わず目を逸らす。

 ハルカが自分を想って言ってくれていることは、彼にも分かっていた。


「………………ごめん」


 それだけ言って彼は、すぐに店を出て行ってしまった。


「カイン! ……クソ……どうしたもんかな……」


 ハルカは必死に接し方を悩み、悩んだ末に先の言葉を投げかけている。

 その意図は彼に通じている。ならば、もう何も心配する余地はない。

 カイン・サーキュラスは、そこまで弱くはない。

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