『fate:カイン・サーキュラス』
彼に名前を与えたのは、彼の育ての親だった。
その親も、物心がついた頃には亡くなっていた。
彼を引き取ったのは裏社会の荒くれたち。
それからの彼の人生は、存在しない親の病を治すための、金稼ぎの日々に費やされる。
「オラァッ!」
「うぐッ……!」
毎日のように殴られて、精神はひたすらにすり減らされる。
それでも折れずに生きようとし続けられるのは、いないはずの『家族』を欲していたから。
「止めたいだァ!? 母親を見捨てんのかァ!? この親不孝がァ!」
「ぐ……ッ! で、でも……人から奪ったお金じゃ……」
「ラァッ!」
「がッ!」
「良いか!? この世界の奴はみんな、自分のことで精一杯なんだよッ! 他人のことを考えるなんてのァ、持ってる奴のすることだッ! 何も持たない俺らやテメェは! 自分のことだけ考えて、自分なりに精一杯生きればいいんだッ! おかしなこと言ってるか!? 言ってねェよなァ!?」
「……」
恐ろしいまでの正当化だったが、彼は従わざるを得ない。
説得によるものではなく、暴力による支配だ。
彼にはまだ、反抗して戦う力が備わっていない。
*
◇ 界機暦三〇二五年 六月十七日 ◇
■ リーベル自治区 ■
六年前。カイン・サーキュラスは、スリの少年だった。
狙う相手は基本的に、隙の多い女か子ども。今日も彼は、道を歩いている一人の女子から、財布を盗もうとした。
「……ッ」
いつものように、慣れた早業でその女子とすれ違いざまに財布を盗んでみせる。
「おいコラ」
だが今日は、相手が悪かった。
少し離れたところで、彼女はスリに遭ったことに気付いてしまう。
「ッ!?」
「……ったく」
*
路地裏まで走って逃げたところで、カインは背後を確認する。
「ハァ、ハァ……。ま、撒いたかな……?」
「誰を?」
「!??!??!」
先回りされていた。
左目が髪で隠されている、妖艶な雰囲気の女子だった。
彼女は壁に寄り掛かって、キセルを吸いながら、余裕の表情を見せている。
「……少年。君かな? 最近巷を騒がしてる、スリ被害の犯人は」
「……ッ!」
「来な」
そして彼女は、当たり前のように背を向けて歩き出す。
てっきり捕まえられると思ったカインだったが、驚いて次の行動を決められない。
「……おい。『来な』っつってんだから……早く来いッ! ガキンチョッ!」
「は、はいッ!」
何となく、彼は逆らうことが出来なかった。
*
キセルの女に連れられてやって来たのは、『GHOST』という看板が掲げられた、小さなギア製造店だった。
どうやら彼女自身が店長らしく、他には誰も店員がいない。
奥の部屋に入れられて、事情聴取のような世間話のような真似をされることになった。
「……なるほどねェ。母親の為に……ねェ」
「……悪いことだっていうのは……分かってるんだけど……でも! 俺──」
「やかましいッ!」
「……ッ!?」
一喝してからキセルを吸い、溜息のように煙を吐く。
「……ま、アンタにも事情があるのは分かったよ。けど、やり方が良くない。そこは反省しな」
「で、でも……」
「『でも』も『だって』もないッ! 返事は『はい』ッ!」
「はい……」
彼女の凄みに気圧されて、カインは縦に頭を振ることしか出来なかった。
「……悪人とは手を切んな。アタシも協力してやるからさ」
「え?」
「何さ」
「え、い、いや、だって…………何で? 俺は他人じゃん。アンタが俺に力を貸すメリットなんて……何も無い。それともアンタは『持ってる』人なの? だから施しを与えられるの?」
「ムカつく言い方するガキンチョだね……。アタシだって貧乏暮らしだよ。……まあ、『アレ』に金使ってなきゃ、ちょっとはマシになんだけど……」
少し照れ臭そうに苦笑いをしたが、カインは気付いていない。彼女の顔を、見ていない。
「……貧乏? じゃあ、何で協力するなんて言えるんだよ。何か企んでるんじゃ……」
「……」
彼女は目を細め、妙な勘繰りを入れるカインの背景を読んだ。
無償の善意を受け入れられないほど、カインの周囲には信じられる大人がいないのだ。
「……はぁ。よし、アンタに良いもんくれてやる」
一度席を離れ、彼女はさらに奥の部屋から『ある物』を持ってくる。
それは、フラスコのような形状をした、小さな機械。
「ほい」
「?」
「失敗作の余りもんだから、アンタにやるよ。これ売ったら、まあ……金になると思うわ」
「……!? な、何で……」
「だから悪人とは手を切んな。それとね。他人だからって関係ないの。アタシらはみんな、助け合って生きるもんなの」
「……」
「あそうだ。名前言ってなかったっけ」
灰皿にキセルの灰を落とし、澄んだ目をカインに向ける。
「不埒な悪は仮借しない、大胆不敵な店目付……。勇気一筋、ハルカ・レイたァアタシのことさ!」
*
◇ 一週間後 ◇
ハルカに言われて職業訓練所に通うようになったカインは、この日再び彼女のもとにやって来た。
「あ、あの……」
「やあ少年。子ども向けのギアは売ってないよ」
「え、あれ? 俺のこと……覚えてない?」
「はて……何だっけな」
実は前回の出会いからのち、カインはかなり髪を切っていた。見た目で判別できないのは仕方ない。
ハルカは基本、他者のことを見た目で記憶することが多い。この頃のカインはハンチング帽を被っていないが、その所為で特徴があまりなかった。
「カイン・サーキュラス……です」
「……カイン? ……ああ! カインね! うんうん覚えてる。スリのガキンチョな。髪伸びた?」
「切ったんだよ!」
「まあ何でもいいさ。どう? 今は」
「……今日は、そんな話をしに来たわけじゃないんだ」
「あん?」
「………………また、『アイツら』が来たんだ」
カインは苦しそうに下を向く。相談する相手は、ハルカ以外にいなかった。
「……例の悪党どもか。無視しなって言ったじゃん? そいつら嘘吐いてるだけなんだって。アンタを金稼ぎに利用するために」
「……でも……俺のお母さんが病気だって……」
「カイン……」
カインはまだ、その嘘をハッキリと嘘だと思えていない。
心のどこかで、信じようとしてしまっている。
だからハルカは、ここで彼の目を覚まさせなければならないと判断する。
「あのねカイン。アンタに母親はいないの。大体そうさ。あの連中はね、スラム街の捨てられたガキども拾っては、そんな嘘で逃げ場をなくす。アタシは同じように騙されてた奴を、もう何遍も見てきてる」
「で、でも、俺も同じだとは限らないんじゃ……」
「カイン」
「でも……」
「……自分の力で生きていくしかないんだよ。アタシも、困ったら相談くらいは乗るよ。だからいい加減目を──」
「でも!」
バチンッ
ハルカは、カインの頬を叩いた。
「……いないんだよ。アンタの期待する、都合の良い親なんていうのは……」
「……ッ!」
ハルカが感情的になってしまったのは、彼女自身の背景に原因があった。
幼馴染のユウキもそうだが、ハルカは今よりも幼い頃に両親を亡くしている。
無い物ねだりをするカインに、自分を重ねてしまったのだ。
「どうして……どうしてそんなこと言うんだよッ!」
「……ッ」
目を見開いたハルカを見てハッとしたカインは、思わず目を逸らす。
ハルカが自分を想って言ってくれていることは、彼にも分かっていた。
「………………ごめん」
それだけ言って彼は、すぐに店を出て行ってしまった。
「カイン! ……クソ……どうしたもんかな……」
ハルカは必死に接し方を悩み、悩んだ末に先の言葉を投げかけている。
その意図は彼に通じている。ならば、もう何も心配する余地はない。
カイン・サーキュラスは、そこまで弱くはない。




