『spinoff:反戦軍』
◇ 界機暦三〇三一年 六月十五日 ◇
■ 戦艦ディープマダー ■
カイン・サーキュラスは、甲板の上でぼんやりと宙を眺めていた。
何か意味があるわけではなく、無心になって呆けた面を見せている。
「どうしたカイン! 悩み事かオイッ!」
そんなカインに近寄ってきたのは、彼が慕う男、ユウキ・ストリンガー。
「兄貴……」
「……分かるぜ」
「へ?」
「こうして船の上にずっといたらなァ……。そりゃあ溜まっちまうようなァ!」
「は?」
「分かるぜ」
「何が?」
ユウキはカインの肩に手を置き、同情を寄せている。しかし、カインは彼が何を言っているのか理解できていない。
「問題はやっぱり……そうだよな。『ギア』が……足りてねェのよな」
「『ギア』?」
「『男の拡張ギア』……さ」
「???」
やはり、カインはユウキが何を言っているのか理解できていない。
「良い女は揃ってるがな。仲間で致すのは気まずい年ごろだよなァ。カインは」
「ど、どういうこと……?」
「皆まで言うな! 心配はいらねェよカイン! 俺に任せろってんだ!」
「何を?」
「皆まで言うな! 覚えておけカイン。男ってのはなァ、一人の女を一途に愛し、数多の女に慰められて、そんでようやく一人前になるのさ」
「…………?」
まるで何も伝わっていない。ただ、カインは自由奔放なユウキに対し、羨ましさを感じていた。
ユウキを『兄貴』と慕うその気持ちは、確かに彼の本心なのだ。
*
▪ 艦内廊下 ▪
メインブリッジの入り口前で、ユウキとカインは中の様子を窺っていた。
しかも、身を隠すようにして。
「何これ」
「良いかカイン。こんな船の中でもなァ、ネタ探しは出来るんだぜ? 『ネット』っつーもんがあるんだ」
「何それ」
「電気の糸みてェなのに情報を伝わせた、蜘蛛の巣みてェなもんさ」
「全然……分からない……」
「好きな情報を、好きな場所で手に入れることが出来るんだよ。俺もよく分かんねェけど。……まあとにかく、つばきのコンピュータを使えば……俺達は手に入れられるのさ」
「何を……?」
「『男の拡張ギア』さ」
(だから何だよそれは……)
カインは呆れた視線を向けるが、ユウキの視線は、鋭くつばきのコンピュータを捉えている。
「何してんだてめェらは」
「「!?」」
二人の後ろから声を掛けたのは、モヒカン頭の人間の男、バラ・ローゼクト。
「フッ……。出せる時に……出しとかねェと……だろ?」
「何言ってんだ? ハチマキで頭締めつけ過ぎて、イカレちまったか?」
煽られたというのに、ユウキは穏やかで優しい目をしている。
「バラ……お前の癖は何よ?」
「……何だと……?」
「探してやるよ。ネットの海から、お前の癖に見合う『ギア』も……な」
「…………ハァ。ったく……これがうちの軍隊長様かよ……」
*
◇ 同日 夜 ◇
▪ メインブリッジ ▪
「良いか? つばきは日中メインブリッジを離れねェ。狙うなら夜だ。それくらい分かってほしいもんだぜ……ったくよォ」
(バラまで……)
カインは未だに、全く二人の目的が分からない。
勝手につばきのコンピュータを利用するのが悪いことだとは分かっているので、ただただ困らされていた。
「……さァて、じゃ早速つばきのコンピュータを……」
そこで、ユウキは一時停止した。
「どしたオイ」
「……『ぱすわーど』……って、何だ?」
「オイオイんなことも分かんねェのか? 決まった文字を入力すりゃ良いんだよ」
「決まった文字って?」
カインも気になって尋ねた。
「つばきの決めた文字をいくつか……だな。数字はいらねェみてェだ。何かの単語かもしれねェ」
そう聞いてユウキは、早速キーボードを叩く。
「良しッ! ……『ユ』、『ウ』、『キ』、『ス』、『ト』、『リ』、『ン』、『ガ』、『―』……っと」
「てめェの名前なわけねェだろッ!」
「兄貴の名前じゃないでしょ!」
「俺の糸は……何もかんもを貫き通すッ!」
(無理だろ……)
カインにはすぐ結果が読めていた。
【※エラー パスワードが違います】
案の定、コンピュータは開かなかった。
「「そら見たことか」」
「何ィ!? 俺の糸が……通らねェ……だと……ッ!?」
(何で驚いてるんだこの人は……)
カインは完全に間の抜けた表情で、ユウキに半目を向けていた。
これでもカインは、ユウキを慕っている。嘘ではない。
「ばァか。俺に代われ」
今度はバラが、パスワードを入力する番。
「『バ』、『ラ』、『ロ』、『―』、『ゼ』、『ク』、『ト』……」
「だから何で名前ッ!?」
【※エラー パスワードが違います】
当然の結果が訪れる。
「……」
「兄貴。なんかバラが落ち込んでる」
「何でだ?」
自分の名前がつばきのコンピュータのパスワードでないことは、当たり前に分かっていはいた。ただユウキが試したのを見て、彼は試したくなってしまった。
何故なら、パスワードが当たったら彼はもうそれだけで、ここに来た目的を果たせたようなものだったからだ。
「何やってんだってんよ。お前ら」
「「「!?」」」
三人の後ろから声を掛けたのは、青髪で上裸にマントの人間の男、グレン・ブレイクロー。
「何だグレンか」
「ビビらせやがって……」
「は? だから、こんな時間に何やってんだってんよ。しかも、つばきのコンピュータの前で」
ユウキとバラは、二人とも穏やかで優しい目をしていた。
「グレン……お前の癖は何だ?」
今度はバラが、先のユウキと同じ質問を投げかける。
「……何……?」
「ネットの世界は広いだろうぜ。好き好きなネタが転がってるだろうさ」
「…………おいおい。しょうがない奴らだなお前らは……」
*
「『グ』、『レ』、『ン』……」
「だから何で自分の名前入れるのさ!」
残念ながら、グレンが加わってもパスワードを突破することさえ叶わなかった。
「なァバラ。何か見当つくか?」
「そう言われてもなァ……。つばきがパスワードにするような単語だ。アイツの好きな食いもん……例えばチーズフォンデュとか……」
「入れてみるぜ!」
だが通らない。
「あとレシュティ」
「入れてみるぜ!」
だがやはり通らない。
「キャロットケーキ」
「入れてみるぜ!」
だがやはり当然のように通らない。
「メレンゲ」
「……詳しいなオイ」
グレンがツッコむ一方でユウキは入力を続けるが、やっぱり通らない。どうやらつばきの好物はパスワードとは無関係だったらしい。
当てをなくし、四人はその場で立ち尽くす──
「何やってんの馬鹿ども」
「「「「!?」」」」
四人の後ろから声を掛けたのは、宝石のヘアアクセサリーを付けたブロンドヘアの人間の女──ユーリだった。
「げッ!」
「やべ」
バラとグレンはすぐにつばきの席から離れるが、意味は無い。
「よォ相棒ッ!」
「こんな時間に、男が集まってつばきの机弄って……。しかもカインまで? あのねカイン、誰を慕っても良いけれど、真似しちゃいけないところは、真似しなくて良いんだよ?」
「あ、ははは……」
カインは苦笑いを浮かべる。横の二人も同じだ。しかし、ユウキは普通の笑顔を見せている。
「……で? 何やってたの?」
「『男の拡張ギア』を求めて……な」
「はい?」
「ユーリ。止めないでくれ。俺達は……このために溜めて来たんだ」
カイン以外、何故か皆真面目な顔をしている。
ユーリは呆れ果てて大きく溜息を吐いた。
「………………ホント、馬鹿だなァ。うちの男どもは」
*
「パスワードなんて当てずっぽうで当たるわけないでしょ? こういう時は別のアカウントを用意して……」
「ユーリッ!?」
ユーリは慣れた手つきでキーボードを弄ぶ。
彼女はこう言っているが、実は先に試した単語の中に、ニアミスのパスワードがあったりしていた。
彼らがそれを知る機会は、恐らくもうないのだろうが──
「イケる口だなァユーリッ!」
「口はちょっと……」
「何笑ってんだ?」
ユーリは若干口元を緩ませたが、手つきは冷静なまま。コンピュータは既にネットに繋げている。
バラとグレンはユウキと共に、感心しながら席に座る彼女を囲んだ。
「おお! 凄いな……。まさかてめェにそんな特技が……」
「!? な、何だ? 『検索』……? ユーリ、この先はどうするんだってんよ? ネットのことは分からねェ……」
「調べたいものに関するキーワードを入力するだけ。こんな風に……!」
「すげェ! それっぽいサイトが出てきやがった! だが何よりすげェのは、こんなけったいなキーワードを淡々と打ち込むお前自身だぜ……ユーリ!」
そう言っているが、カインは自分より背の高い男たち三人が画面に食い入っている所為で、彼女がどのような検索をしているのか、全く見えていない。
「あの、あの、見えないんだけど」
「駄目だよカイン。ここから先は……まだカインには早い」
「えぇ……。じゃあ俺、何の為にここにいるの?」
そもそもユウキがカインを誘ったのが始まりだが、最早そのことをユウキ自身忘れている。
今、彼らが意識を持っていかれているのは、その画面の向こう側。
「うおッ!? ユーリ! 大丈夫かこれ! 画面が何か危ない感じになってる!」
「ポップアップ広告。問題無いよ。無視すればいい」
「……ッ!? おいてめェ! 今すぐ金をどうのと書いてあるぜ!」
「それも無視していい。嘘だから」
「よく分からないんだがユーリ。この……『ダウンロード』ってのをするんじゃないのか?」
「しない。閲覧だけなら罪には問われない」
「「「なるほど……!」」」
非合法組織のくせに、みみっちいところで犯罪か否かを気にしている。
とにかくユーリは、グレーなサイトでよろしくないものを探し求めていた。
「……何やってんだろう……俺……」
四人が盛り上がっている中、カインは一人息を吐く。ただ、嫌な気分はしていなかった。
皆が馬鹿なことをやっているのは理解していたので、それを傍から見て楽しむことは出来る。
下らないことをしている彼らの近くにいるだけで、自分も同じ輪の中にいられている気がした。
だからカインは、帽子を深く被って微笑むのだ。
「ユーリ……いや、相棒。やっぱりお前は最高だぜ」
「ありがと。PCスキルは下から育つ」
「……ただ、気になるんだが……気のせいかな? なんか、画面の占有率、男の割合が高くねェか?」
「気のせいでしょ」
ユウキと同じ疑問を、バラとグレンも抱いている。
「……つーか、ほとんど男しか映ってねェぞ?」
「気のせいだよ」
「……ユーリ。しかもなんか、よく見たら両方男だってんよ」
「おいおい……やれやれ」
ユーリは両の手の平を上にあげ、頭を横に振った。
「相棒。あのさ、やっぱりこれさ、どう見てもさ」
「癖を楽しめ」
「「「……」」」
三人は、ガクンと肩を落とした。
「……何してんの? アンタら」
「「「「「!?」」」」」
ここに、背後からアカネ・リントが現れたことによって、楽しみの時間は強制的に終了することになった。
「……『ギア』をちょっと上げようと……ね?」
「いやアンタ人間でしょ。ユーリ」
そして、解散を余儀なくされるのだった。
*
◇ 翌日 ◇
▪ 艦内倉庫 ▪
ユウキは何故か、頭にこぶが出来ていた。ノイドにも血は流れるので、血管が叩かれて破れたら、血液が溜まって血腫が出来る。
もっともノイドは頑丈なので、機械仕掛けの血管が破れるほどの威力で叩くとなると、同じ金属で叩かないとまず腫れない。
すなわち、体が機械である、同じノイドに叩かれた可能性がかなり高い。
カインはそんな風に何となく察し、ユウキにたんこぶが出来ている理由を聞かず、狭い倉庫の中で自身のギアの鍛錬をしていた。
「スピンオン!」
倉庫に置かれていた空の木箱に向かって、クルクル回る円盤が、衝突する。
すると木箱はその円盤の回転に巻き込まれて同様にクルクル回転を始め、回転の力によって浮き上がり、やがて落下した。
これは、カインのスピニング・ギアの最も強力な技であると同時に、最も基本的な技。それでいて、カインが使える唯一の技でもある。
「……へェ。抑えて使うことも出来るんだな」
後方から様子を見ていたユウキは、ここでカインに声を掛ける。
「あ、う、うん。これ……あまり強くし過ぎると、箱が回転の力で壊れちゃうから。ただ……逆に力加減を制御しようとすることで、練度は上がってきたみたい」
「ああ。ギアの練度は、何も激しい使用を続けないと上がらないわけじゃないからな。むしろ、丁寧な使い方を続けた方が良いって、師匠も言ってたぜ」
「師匠?」
「ギア製造の師匠。ま、俺は途中までしか教わらなかったけどな」
「……え? ハルカじゃないの? ……あ」
思わず名前を出してしまったことで、カインは急いで口を手で塞ぐ。
ユウキが彼女の亡くなった日のことを思い出して、落ち込んでしまうことを恐れたためだ。
「…………ああ。あの頃はこっぱずかしかったんだろうな。下らねェ話さ。……ンなことより! なァカイン! お前何で、こんな狭くて誰も見てねェところで鍛えてんだ!? 俺みたいに甲板で走ろうぜ!」
「い、いや、俺もその……なんか恥ずかしいから……」
「……まあ良いけどな。どっちでも」
「あはは……」
ユウキは目を細め、先程までカインが使っていた木箱の上に座った。
「……いてて。アカネの奴……手加減しねェんだから」
「大丈夫? 兄貴」
ユウキは自分のたんこぶを摩っている。やはりそのこぶの原因は、カインの想像通りだった。
「当ったり前だッ! 俺こそ悪ィな! お前の『ギア』を、拡張させてやれなくてよ……」
「もう『ギア』の意味が分からないんだけど……」
「ただ……良いか? 覚えておけ。悩みがあったり、困ったことがあったりしたら、何でもいい。気安く俺の糸を引っ張れよッ!? 正直最初は乗り気じゃ無かったが……『兄貴』と呼ばれ続ける以上ッ! 俺は、お前の背中を押す役割を、これからずっと、担わなくちゃならねェからなッ!」
「……」
嬉しいとは感じていた。だがそれ以上に、カインは申し訳なさを覚えていた。
その『役割』を、自分勝手にユウキに対して押し付けている気がしたからだ。
「……本当に良いの?」
「あん?」
「……『兄貴』って勝手に呼び始めたのは俺だよ。ホントの兄弟でもないのに……その……あ、厚かましいとか思わな──」
「るっせェッ! ぶっ飛ばすぞ!」
「うえぇ!?」
ユウキは木箱の上に立ちあがり、カインに向かってビシッと指を差した。
「……お前はお前を貫けよ。お前自身に責任を持て。俺も俺を貫くだけだ。貫き通して、紡いで結んで、そうして俺達は…………ようやく辿り着けるんだ」
「……どこに?」
「知らんッ!」
「えぇ……」
「とにかく、俺達はどこかに向かってるんだ。分からなくても、ひたすら真っ暗な闇の中を真っ直ぐに進んで……どこかを目指してる。俺とお前は全然違う。血も繋がってないし、何なら最近知り合ったばかりだ。進む道は違うだろうが……きっと、俺達は同じ場所に辿り着く。家族が欲しかったんだろ? そのためにここに来たんだろ? だったら最後まで、それを強欲に求め続けろよ。いつしかやがて、お前はお前の選択の結果を知ることになるんだろうぜ。何となく……そんな気がする」
「兄貴……」
「……ちなみに、俺も兄弟はいないんだ。弟が出来るのは……そこまで悪い気はしねェよ」
「……! ……ありがとう、兄貴」
ユウキの言葉の全ては、彼だけのものではない。
兄貴風を吹かす方法など、彼は初めから存じていない。
だがしかし、彼はこれまで出会ってきた数々の者の言葉を心に刻み、そして己の魂と共に紡いできた。
弟分にかける言葉は、それだけでもう十分なのだ。
そしてカインは、彼の言葉を自分の魂に刻みつける。未来永劫、たとえ輪廻の先を越えても忘れはしないと、心に誓うのだった。
──そしてこれから約三週間後、ユウキ・ストリンガーは消息を絶つ──




