『デウス島の一件』④
『神域防衛システム破損。データを更新します。回復まで二千四百六十七時間掛かります』
地下の広々とした空間に、謎の機械音声が響き渡る。
「な、何……?」
「……バリアは破れた。解除する手間も省けたことだ。さあ……去れ。ノイド」
白い鉄・トルクはやはり、カインに退去するよう命じ続けていた。
「……」
「居残り続けようとも、お前をブレイブ様には会わせん」
「……ブレイヴ……『様』? どういう関係なの?」
「私はブレイヴ様に忠誠を誓っている」
「あ。話してくれるんだ」
「…………」
「ああ、いや、ごめんごめん! 教えてよ! ブレイヴっていう鉄は……どうして『伝説の鉄』って呼ばれてるの? いつから生きてるの?」
「お前……何も知らないでここに来たのか……?」
「え、あ、う、うん。そうなんだ。あはは……」
本当はキクから少しだけ話を聞いていたが、今のカインは何とかして話を引き延ばそうと考えていた。
そしてトルクは言葉とは裏腹に、数年振りにヒトと話す機会を得て戸惑っている。
自分で思っている以上に、自身のことを制御できていない。
「……今の暦は、『界機暦』』だったか。それが生まれるよりも前。お前たちにとっては先史時代。ブレイヴ様と私は……その原初の折に、生まれた鉄だ」
「原初って……」
「ブレイヴ様と私は、マキナ・エクスによって創造された」
「……え? い、いやいやそれはおかしくない? だ、だって、そもそも今の暦はさ、世最大の宗教・『デウス教』の開祖である、マキナ・エクスの生誕日を紀元にして始まったはずじゃ……」
「それは違う。お前たちノイドと人間が、当時の伝承を元に作った暦だ。デウス神が現世に顕現した姿であるはずのマキナ・エクスは、そもそも稚児の時代が無い。生誕日を言うのならばそれは、デウス神の生誕した世界の始まりの日を表すことになる。その日がいつかは……ブレイヴ様や私ですら、把握していない」
「は、はぁ……」
「……根拠すら無い神話の話をする気はない。マキナ・エクスが本当にデウス神の現身だったのかどうかも、定かではないのだ」
「え、えぇ……」
「だが実際にこの目で見てきた過去は、事実として語ることが出来る。ブレイヴ様も私も、原初の頃に数多くの人間とノイドを……殺めてきた」
「!? ど、どういうこと!?」
実は、カインはそれとは全く逆の『伝説』を少しだけ聞いていた。
もちろんブレイヴという鉄が、人間やノイドを救ったという伝説だ。
「殺した数が少なければ悪として伝わり、数え切れんほど殺せば善として伝えられる。ブレイヴ様はやがて自身について語られる『伝説』に嫌気が差し、この島にお帰りになられた」
「……何の為にたくさん殺したの? それは……誰かを守るためだったの?」
「……マキナ・エクスは、世界を憂いでいた。だから罪深き人間とノイドを全て消し去るため、我々を創造した。中にはマキナ・エクスに従わなかった鉄もいたが……少なくとも私には意思などなく、親であるマキナ・エクスに従い、同胞すら殺すという罪深き選択をしてしまった。鉄も結局……ヒトと変わらなかったのだ」
目の前の鉄が大量殺戮を働いたことがあると聞いてしまったら、もうカインは彼らを警戒心無しで見ることは出来ない。
カインは冷や汗を垂らし、少しだけ足を震えさせていた。
「……じゃあお前らは、悪い奴らなのか……!」
「………………」
全ては数万年以上も前のこと。昔と今では価値観も多大に変化する。
反省も後悔も、殺した命の数以上に、二体の鉄は繰り返していた。
目の前のちっぽけな命であるカインに対し、トルクに返す言葉は何もない。
「……まあ、良いよ。そんな途方もない昔の話なんてされても、現実味は無いし。とにかく俺は、お前らと違って、大切な人たちを守るために戦いたいんだ。戦いたくないから戦いたいんだ。そのために……力を貸してほしいんだ」
「…………去れ。ノイド」
少しだけ、トルクの声は低く、重くなっていた。
「……いや、違うか。お前らだって、自分たちの生みの親に従っただけだ。守りたい相手がいたのは同じだ。だったら分かるだろ? 今! 世界で大きな戦争が起きてるんだ! それを止めるための力を……貸してほしいんだ!」
「ハッブルやピースメイカーたちのようになれとでも言うのか? 私たちを戦う道具にしているだけだろう。お前たちヒト種は……!」
「俺はマキナ・エクスじゃない! 何だよずっと引きこもってただけで、長く生きてるくせに人間のこともノイドのことも、全然分かってないんじゃないか!」
「お前は何も分かっていない……。世界は同じことを何度も何度も繰り返しているだけだ」
「だから何だよ! だから俺達は、短い命を使って出来る限りのことをしてるんだよ! 諦めないでくれよ……俺達のことを……」
「……」
生きてきた年数が違い過ぎれば、最早価値観が合うことなど奇跡でしかあり得ない。
少なくとも今のカインとトルクの価値観は、完全に平行線状の道筋に存在していた。
*
デウス島東の海岸には、まだ戦艦ディープマダーが停泊している。
反戦軍のメンバーは、島を覆うバリアが解かれたことに気付いていた。
「おいみんな! バリアが消えたぜってんよォ! さァユウキとカインのとこに行くぜ!」
「阿呆」
アカネは、意気揚々と船から降りようとしたグレンを殴って止めた。
「何すんだってんよ!」
「そもそもユウキ一人に任せる予定だったでしょ? バリアが解けたってことは、あっちで解決したってことじゃない。戻ってくるのを待ちましょ」
「……それはそうだが……」
彼らは島の中で戦いが起きていることを知らない。
グレンは仕方なくアカネの言う通り引き下がり、ユーリは二人の無事を願っていた。
「……大丈夫だよね? ユウキ……」
*
サザンは既に戦艦ディープマダーを見つけていた。
アウラたちと違い、彼はここで反戦軍を解散させるつもりでいる。そのために、自らの鋏を構えていた。
そしてユウキは──掠れていく意識の中で、確かに『その声』を聞いていた。
【己の負けだ。ハチマキのノイド】
どこから聞こえてくるのかは分からない。
だが、ユウキはその声のおかげで、まだ意識を保つことが出来た。
傍にある巨大なドラゴンの像をぼんやりと眺めながら、意識が飛ばないように会話を試みる。
「……言われなくても……分かってらァ……」
【何故戦う? その先に何がある? 己の望みは何だ?】
驚くことに、幻聴ではないようだった。
「……望みだと? 願いだの望みだの……そんなモンは……てめぇで叶えるもんだ……。くぅ……カハッ! ああ……言う必要がねェな……。どこの誰とも……知らねェ奴に……」
【だが己らは、我の力を欲して来たはずだ】
「……へェ。ハァ……へへッ。そうか……お前が……」
【我は最早、戦う所以を解せない。何の為だ? 罪深き理性を持つ生命を、一体何故創造した? 神の思し召しが、我には最早解せない】
「…………宗教学者かよ。うぐッ……! は、ハァ、ハァ……知らねェよンなこと……俺にはよォ……ッ!」
【答えに近付く手段が欲しい。真なる神託を我は求める。そのために……答えよノイド。己は……己は何故、戦うのだ……】
ユウキはその問いに答えてやるべきだと考えた。
『彼』の力を借りるためではなく、こちらが力になるべきだと思ったのだ。
ユウキにとって『その声』の持ち主は、自分と何も変わらない、『伝説』などとは無縁の、一人の理性を持つ生命にしか思えなかった。
「……貫き通すため……だ」
ユウキがそこで思い浮かべたのは、意外にも愛した女や『相棒』と呼ぶ仲間でもなく、たった一人の強くもない、たいした関係もない、ただのノイドの男だった。
──「……そうだ。ユウキ・ストリンガー。貴様は己の『選択』の結果に、最後まで準ずるべきなのだ」
──「……忘れるなよ、ユウキ・ストリンガー。貴様は『選択』した」
──「『反戦』を掲げたのだろう? 戦争を止めるのだろう? そのために何を切り捨て、何を救うか。貴様は次の『選択』の『覚悟』を……忘れてはならない」
ユウキはそこで、体を軋ませながら上体を起こした。
そして体を支えるために、傍にあった巨大な像の足部分に手を置く。
「俺はその覚悟をしてここまで来た。誰かの為じゃない。自分の為でもない。俺には責任がある。この糸を……闇をも貫く糸にする……その責任が。俺はもう選んだんだ。戦いを止めるために、戦い続けると。後戻りは……今更出来ねェんだよ……ッ!」
【…………そうか】
地響きが、聞こえた気がした。




