『prequel:帝国軍』
◇ 界機暦三〇三一年 七月六日 ◇
■ 北大帯洋 ■
世界は球体の星の上にあり、中でも巨大なエーク大陸とドー大陸という二つの大陸が、この世の陸の大半を占めている。
その中で大帯洋は、エーク大陸の西側部分と、ドー大陸の東側部分に挟まれた海。
逆にインドラ海はエーク大陸の東側と、ドー大陸の西側に挟まれた海になっている。
ノイド帝国はエーク大陸の東端に面していて、国家連合本部のあるオールレンジ民主国はエーク大陸の西端に面している。
なので帝国から大帯洋に行くには、南インドラ海から西に向かう航路を辿ってオールレンジの目を掻い潜るか、北インドラ海から東に向かう航路を辿ってドー大陸を通り過ぎるかの二択。
陸に沿って進む前者の航路より、後者の方がリスクは高い。
が、しかし。今この北大帯洋には、後者の航路を辿った帝国軍の船があった。
「……何故お前がいるんだ」
船首近くに立っているのは、砂色のバンダナを首に巻いた茶髪の男のノイド──帝国軍大尉、サザン・ハーンズ。
彼はずっと前方を見つめていたが、ここで背後に目を向けた。
そこには、赤いドレスに仮面の女ノイドであり、帝国最強の六戦機の一人──エヴリン・レイスターがいた。
「勝手について来ました!」
「……どうなんだそれは」
するとエヴリンは真面目な表情を作り、詳細に説明する。
「……サザンさん。話は聞きましたよ。私も個人的に気になってはいるんです。エルドラド列島の事件を起こした、『反戦軍』のことを……」
「……この船がどこに向かっているのか、理解しているのか?」
「流石に理解してますよ。何日間この船に乗ってたと思ってるんですか」
だというのに、サザンは今日まで彼女が乗っていることを知らなかった。
あまり他の者と会話せず一人で過ごす時間が長すぎて、周りをまるで見ていなかったせいだ。
「……これから向かう島の名は、『デウス島』。デウス神の現身……あるいは生まれ変わり……あるいは受肉体になった姿と言われる、マキナ・エクスが生まれたという島だ」
「シュドルク中将の乗る鉄・ハッブルの出身地ですよね?」
「……ハッブルは自ら海外に出た。誰もあの島には近付けない。だが情報では……反戦軍は、あの島に『伝説の鉄』を求めて向かっているという」
「不思議なのは、どうしてそのことがノーマン元帥に分かったのか……ですけど」
「……加えて、シュドルク中将とハッブルが、島のことを口外したとは思えない。何かがおかしい。何かが……妙だ」
サザンもエヴリンも、上から聞くまで『デウス島』という場所のことなど知らなかった。
知っているのはハッブルと、彼から聞いた可能性のあるシュドルク・バルバンセンのみだろう。
だがサザンは、情報の出所が別にあると考えていた。
「……とにかく、ノーマン元帥は反戦軍に危険性を感じたから、サザンさんを行かせることにしたんでしょう? …………どうして、サザンさんは精鋭部隊に残ったんですか?」
クリシュナ戦線の前、サザンは当初元帥直下精鋭部隊を抜ける気でいた。
だが彼は、元帥の闇を知ってむしろその下に残る判断を下した。
彼の命を直接自分が受け、その判断の正当性を自身が確かめるためだ。
「……私は見極めたい。そのためにはまだ、この立場を離れるわけにはいかん。今回も……私はまだ、元帥の判断を中立な目で見ているつもりだ」
サザンはこう言いながら、実はかなり懐疑的に臨んでいる。
(……ユウキ・ストリンガーは〝ハヌマニアの英雄〟であり、ワーベルンでも戦う必要がないのに、捕虜の民間人の為に戦った。あの男が民衆を攻撃するはずがない。その仲間のことまでは分からんが……それだけは確かだ。……誰かが……誰かが意図して、反戦軍を潰そうとしている? 一体誰が……)
サザンの推測がそこから発展することはない。だがしかし、彼の違和感は正しい感覚だった。
その一方で、エヴリンの方は情報を疑っていない。彼女はまだ、闇の深さを理解していなかったのだ。
*
■ 皇室庁 六戦機待機室 ■
空色の長髪に細身の長身、鋭い八重歯の目立つ男ノイド──シドウ・シャー・クラスタは、机の上に勢いよく足を乗せた。
その所為で置いてあった皿などが地面に落ち、割れる音が響く。
「珍しく荒れておるな。シドウよ」
貴族服を着た老人の男ノイド──ヴェルイン・ノイマンは、たった今この部屋に入って来た。なので、シドウが態度を悪くする理由を彼は知らない。
知っているのは、彼と向かい合って座っていた顎髭が特徴の巨漢ノイド──ガラン・アルバインだけだ。
「ハッ! 荒れてる!? この俺が!? シャハハハハ!」
「……」
黙りつづけているガランを見て、シドウは一旦笑みを解く。
「……ガラン。何でエヴリンの奴に話した? バンダナ野郎の任務をよォ」
「船に乗ったのは、彼女自身の判断だ」
「……ハッ! ハハッ! シャハハハハッ! そうだな! まったくその通りだぜッ!」
シドウは派手に笑いながら、飛び上がるようにして立ち上がる。
「どこへ行くのだ?」
既にシドウは部屋の外に出ようとしている。ヴェルインは分かっていないが、ガランには彼の行こうとしている場所が分かっていた。
「乗り遅れるわけにゃいかねェだろ? この荒波によォッ!」
そしてシドウはいつもの高笑いを上げながら、波の激しい方向へ向かっていくのだった。
*
■ 帝国軍統合作戦本部 最高司令室 ■
ノーマン・ゲルセルクは自身しかいないこの司令室で、先の展開を予想していた。
「……『伝説の鉄』が実在するかはともかく……反戦軍の戦力が、今よりも増すのは脅威。だが……それでもまだ、連中を壊滅させることに意味は無い。羽虫を払うのに全力を注ぐ必要が、あるのかどうか……」
自身が下した判断ならば、そう悩むはずがない。
ノーマンがサザンを動かしたのは、彼の意志によるものではなかった。
帝国は反戦軍をゲリラとして扱っているが、それはあくまで彼らを持て囃す民衆に、非合法な集団だと印象付けるため。
無許可での航海をしている船は発見されておらず、戦争の妨害と武力を持っている事実は知られているが、その証拠が捉えられていない。
このまま活動を止められたならば、遡及的に国として犯罪行為を摘発することは出来ないだろう。
急を要して解散させるのはリスクが高すぎる。動かせるのは精鋭部隊に限られる。ノーマンが自ら積極的にはなることは出来なかったはずだった。
「おや。随分今更なことを悩むじゃないか」
「!?」
その声は、ノーマンの目の前から聞こえてきた。だがそこには誰もいない。ただいつの間にか勝手に、扉が開いていた。
「やあ」
「……ッ!」
気付いた時。その男は、ノーマンのすぐ傍にいた。
当たり前のようにノーマンの机に手を置き、適当な場所に視線を向けている。
その男は右目を隠す長い白髪の男で、立場上、この国にいるはずのない人間──
「……何故ここにいる? ゼロ……」
ゼロはフッと笑い、視線をノーマンに向けた。
そして、手に持った謎の球体の機械を見せる。
「ステルス・ギア。これで姿を隠してきたのだよ」
「鉄紛のような完全な機械ならともかく……人間やノイドの肌を、ステルス迷彩で覆う技術は無い」
「しかし私にはある。それだけのことだ」
「……わざわざ貴様自身がこちらに来たのか」
「N・Nは私の右腕だった。我々を繋ぐたった一人の優秀な工作員の代わりが出来るのは、その彼より上の私しかいない」
「……何の用だ」
「経過報告を受けに来た。それと……警告、かな」
「……何?」
「ニュークリア・ギアの威力は知れた。だが、『あの程度』では全く足りない。私の言った通りに研究は進んでいるのかな?」
「……進んではいる。だが……あれ以上の威力の爆弾など、利用する必要が──」
「君の意見は聞いていない」
「……」
ゼロは、冷淡なようで何の感情も乗せていない目を、ノーマンにぶつけた。
「……私が現れるよりも前から、君は戦争を起こすと決めていた。結果は全て、君の選択の行く末にあるものだ。今更逃れられると思わない方が良い」
「……反戦軍に何がある? わざわざ非居住地域であるアスガルタの丘に造った『アレ』もそうだが……貴様は何をしようとしている?」
警告など意味の無いこと。ノーマンは、既に後の結果を覚悟している。故に何の躊躇いもなく、彼は鋭い目でゼロに尋ねた。
「……君が知る必要の無いことだ。私はただ……糸を解れさせる作業をしたいだけ」
「……?」
そしてゼロは、再び姿を消して部屋から出ていった。
部屋を出た彼は、『彼女』の顔を思い浮かべながら笑みを見せる。
誰にも姿は見えていないが、彼の漂わせる不気味な威圧感は、見えてなくても周囲の者どもが彼を避けるように動かす。
(さあ。出来るだけ絶望してくれ。全ては……私の心を、潤わせるため)




