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ENSEMBLE THREAD  作者: 田無 竜
四章【孤島の勇】
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『before:暗闘』②

◇ 界機暦かいきれき三〇二九年 一月十日 ◇


 私は秘書官として彼……アブセンスと共に行動するのが日常だった。

 戦争屋の件は関わらないと宣言したが、それでも彼はことあるごとに私に対し、経過報告をしてくれている。

 もしかするとまだ、私の協力を期待しているのかもしれないが……。

 ……私は、以前とは少し考え方を変化させていた。



 ──「今年の六月、粕機土はくきど内海で帝国軍とオールレンジ軍が衝突する。そこから帝国は……国家連合に対し宣戦布告をし、オールレンジは国家連合としてそれを受け入れる」



 彼のその言葉通り、粕機土はくきど内海では最近不穏な動きが続いている。

 彼はどうにかそれを防ぐために尽力しているが、上手くいっている様子ではない。

 実際に何度か衝突を回避させてみせた事実も既に確認しているが、本物のゼロはアブセンスの邪魔を意に介していない。

 それでも彼のおかげで、開戦までの時間稼ぎは出来ている。もし彼がいなければ、とっくに戦争は激化しているところだったろう。

 水面下での暗闘を、私は客観的事実と彼の報告から把握していたが、世界のほとんどの民衆は何も知らない。

 そして私は彼の活躍を知るたびに……何もしないでいる自分自身に、嫌気がさし始めていた。


「……ザフマンくん。先日のクリシュナ経済委員会での決議だが……」

「ミスターは上手く操作しましたね。あの流れは確かに異様でした。……ゼロですか?」


 私と彼は、廊下を歩きながら会話をする。

 周囲には誰もいないが、彼は警戒心が強い。そこで一旦沈黙すると、盗聴器などの仕掛けようがない廊下の端で、監視カメラの届かない場所まで来て立ち止まる。


「……恐らく、そうだ。既にこの国際貿易事務局にまで、奴の手は及んでいる。鋼材、燃料の流動緩和は長期的に見れば肝要だが、今は時期が悪い。急ぐ理由は各国武力の拡大……戦争の為の備えか」

「……戦争は起きます。ゼロは確かに水面下で動いている」

「そうだ。だが……こちらも用意は出来ている」

「え」


 彼は私に、不敵な笑みを見せる。


「新たな味方が出来た。紹介は……出来ないが」

「……ミスター。私から一つ、頼みがあります」


 私がそう言うと、彼は気抜けした表情をしていた。

 そして私は、彼に対する『協力』を決断する。このまま何もしないではいられない。そう、考えたのだ。


     *


◇ 翌日 一月十一日 夜 ◇


 ──「では君にも紹介したい。いや……君を紹介するのが先か。優秀な君の協力を得られるとは……こんなに喜ばしい日はないな」


 彼にそう言われ、私は彼の館に一人、赴いた。

 どこで誰が監視しているとも分からない。一人なのは当然として、家の者には別の用事があると聞かせて出て来た。

 果たして彼の仲間とは一体どのような人物たちなのか……。

 私を歓迎してくれるかは分からないが、ゼロの脅威を共に感じている者同士であることには違いない。

 ……ゼロ。一体顔を隠した黒幕は、今どこで何をしているのか……。



「…………ミスター? ミスター・アブセンス?」


 館はまるで、無人のようだった。彼からあらかじめ聞いていたが、不用心に見えてそこかしこに侵入者を撃退する何らかの仕掛けが施されている。

 鍵の開いた戸を開け、フロアに出ても、まだ彼の姿は見えない。

 ……いや、見えてきた。彼は吹き抜けの二階から、階段を使って降りて来た。


「こんばんは。ザフマンくん」

「……少し驚きました。本当に鍵を開けたままにしているとは……」

「はは。だが警戒は怠っていない。むしろ……あちらから仕掛けてくるのなら、迎え撃つだけの『戦力』が、ここにいる」

「『戦力』……? それは一体……」

「無論、私の新たな味方だよ」


 ……なるほど。大体読めてきた。

 まず間違いなく、その味方とは人間ではなく──『ノイド』だ。

 ギアによって武器を内蔵し、身体能力も頗る高いノイドならば、『戦力』として数えるには十分だ。


 彼に案内され、私は館の廊下を歩き進める。


「……ミスター・アブセンス。あの情報は……有効になりますでしょうか?」


 先日、私は彼に協力を宣言するとともに、ある『情報』を彼に伝えた。

 それは、彼に唯一頼まれていた情報。つまり、件の女性に関する内容だ。


「ああ……! もちろんだザフマンくん。私は……彼女に言わなければならないことがある。そして、彼女が望むのなら私は……」

「ミスター」


 やはり彼は、自身の『死』を容易く受け入れてしまっている。

 しかし味方が新たに増えたのなら、責任も多く生まれる。彼にはまだ、生きていてもらわないといけない。


「……分かっている。とにかく、少しでも目撃情報があったのなら重畳だ。たとえ数年掛かっても……彼女には一度、会わなければ」

「……件の女性は、まだゼロを追っているのでしょうか?」

「追っているはずだ。彼女の恨みは……それだけ濃い」


 ……気のせいだろうか。以前は彼女のことを語る時、アブセンスは罪悪感を露わにしていた。

 だが今は、不思議と虚無感を抱いているように見える。

 もしかしたら……彼もまた、自身が死ぬわけにはいかない立場にまで上り詰めたことを、自覚したのかもしれない。

 同時に彼女が恨みをアブセンスに晴らせないことになれば、その憎しみの感情は虚しいものにしかならない。

 ……全てはゼロに起因している。ゼロさえその正体を掴めれば……その虚しさも、少しは和らげることが出来るはずだ。


「……さて。この部屋だ」


 扉の前で、彼は止まった。彼は自ら開ける気がないようなので、私が取っ手を掴む。

 すると、彼は私が戸を開ける前に尋ねた。


「何故、私に協力すると……君は、判断を覆してくれたんだ?」


 私は答えるため、戸を開く速度を緩める。


「お恥ずかしながら、私はただ……正義感に目覚めてしまっただけです。子どものような理由だ」

「……そうか。フッ……私がゼロを裏切った理由と同じだ。私は自身の、子どものような理想を叶えたいだけだ」

「子どものような理想……」

「笑うかい? 私の望みは…………『世界平和』だ」


 躊躇う様な言い方をする彼に、私は思わず微笑みを漏らした。

 そのまま戸を開け、私は中にいる彼の仲間の姿を見えない。

 妙なことに部屋には誰もいないうえ、不思議と室内は熱いが気のせいか。

 椅子は人数分あるのだろうか、一つ、二つ、五つ?

 いや、四つか? 下を向いていては分からない。

 顔を上げなければならないな。参った。この部屋は実に空気が重い。顔を上げるだけで面倒になるるるとは、重力でも操作されているのかか?


「……………………………………………………………………………………」


 その時私は、アブセンスの言葉が耳に届いていた。

 彼は私のことを心配しているらしいようらしいようだ。だが何故だ? いきなり何を心配するというのだが何故だ?

 せめて彼の目を見て判断したいが、何故か振り向けない足が。

 膝が曲がっているのだが、これを足にするにはどうするのだったか。歩くに必要なエネルギーには、硬直した筋肉に指示を出す脳の政府に報告しなければ。


「……ッ」


 起きれていない? 前が暗い。夜が部屋の中に来た?

 違う後ろだ。後ろにいるのだ。振り向くのだ。せめて体を後ろに向けるのだ。

 アブセンス。アブセンス。貴方が……貴方が、危ない。


「…………ザフ…………」


 聞こえる。

 貴方の声は聞こえている。

 心配は無用だなどと言える状況ではないのかもしれないが、そうだ。

 ああそうか、分かった。

 よく分かった。今の自分の状態を。

 私は今───



 ──────()()()()()()()()()()()()



「……ザフ………………く……」


 そんなはずはない。

 私がここに来る前にミスをしたのか? 

 何がミスだった?

 済まないアブセンス。

 私は…………刺されている?

 何が…………何が、どうなって……。アブセンス、貴方の身も……危ない……。


「……ザフマン……くん……」


 そして私は、視線だけでも後ろに向かせることに成功した。

 そして──






「…………まだ、私を信じているのか? シャフ・ザフマンくん」






 …………………………何だ? 

 何だその顔は? 

 何を言っている?

 私の後ろにいたのは、私を刺したのは──



「君の命は、解れたよ」



 だから…………何を言っているんだ?


「言ったはずだ。私を唯一表す名は『アブセンス』。いや……『absence(アブセンス)(不在)』だと。君が信じた男は、初めから……この世のどこにも存在しない」


 何……。


「……助かったよ。君のおかげで、『彼女』の捜索に一旦の目処がついた。いや何より、この私のことを誰よりも不審に感じ、非常に優秀で、警戒心の強い君を、このように殺すことが出来た。君が誰にも何も伝えず、一人でここに来たことも理解している。……感謝しよう。君が私を信じてくれたおかげだ。君のおかげで君を殺せた。ありがとう、シャフ・ザフマンくん」



 そういう…………ことか。

 私はようやく理解した。

 この男の正体と、私自身の愚かさを。

 何故だ? 

 何故私は彼を疑うのを止めた? 

 初めは確かに疑っていたはずだ。

 だというのに何故だ? 

 私は何故この男の言葉を信じた? 


 いや、それも分かっている。

 全ては、彼の手の上だった。


 共通敵を生み出し、結束を強める。

 丁度今の国家連合と同じことをしていただけだ。

 問題は、その『共通敵』こそが、彼の正体だったということ。



「改めまして、初めまして。()()『ゼロ』だ」



 この男を信じてしまった理由は、彼が自身の目的の邪魔になる行動を、自ら取っていたためだ。

 確かに彼は戦争が起きないように行動していた。

 わざわざ自分の積み上げた積木を崩していた。  

 しかもまるで、自分以外の誰かが積み上げたものだと思わせて。

 私のミスはそこに気付けなかったことではない。

 私を殺すためだけに、彼が身を切る可能性を考慮しなかったことだ。

 そこまでする価値が私自身にあると気付けなかった、自己評価の低さが原因か……。


 いや、あるいは……この男が、『()()()()()()()()()()()()()、そこまでしたと考えるのが妥当か。

 ……最早、分かりようがない。


「……ぐ……か……」

「その目はどうやら、まだ疑問を抱いてるらしい。確かに君には分からないだろう。開戦の予兆は、私が世界に現れるよりも前からあった。明らかに、私の活動期間が短すぎる」

「……が……ッ」

「……君は、優秀だが優秀故に、他者を現実以上に高く評価するきらいがある。無論、事務に差し支える程ではない。ただ……同時に君は、世界に希望を持ちすぎだった。世界に戦争の流れが生まれているのは、『ゼロ』という全ての元凶がいるからだと、私が都合の良い真実を述べたところ、君はそれを信じてしまった。それを前提に考えてしまえば、最早私がゼロ本人であるよりも、もっと恐ろしい存在がその裏にいる方があり得ると、君は思い込んでしまう。明確な『悪』を提示され、君は心のどこかでその『悪』に……安堵したのだ」


 安堵だと? 

 私は……私はただ……。

 ……いや違う。

 この男の言う通りだ。

 明確な『悪』がいればそんな楽な話はない。私は自分でも気づかないうちに、この世界の本質が『善』であると、信じたくなっていたのだ。

 争いに進みつつある世界の流れが、誰かたった一人の『悪』のせいであるとしたかった。

 この世界はもっと数多くの『悪』によって支配されている。そんなことは分かっている。

 分かっていても、受け入れることが苦しかった。


 …………だが、それが何だ?


「私はただ、糸のように繋がる世界の流れに風を押し、私という存在を挟み込んで廻しただけのこと。君は事実を受け入れるべきだった。……私がいなくとも、世界は初めから……間違いで出来ているという事実を」


 そうだ。

 世界は確かに間違いだらけで出来ている。

 だがそれが何だ?

 だからこそ私達は、せめて私達が生まれてから死ぬ間に生み出す間違いを、最低限で済ませるようにと命を張って生きている。

 貴方はどうだ? 

 この世界を混沌に陥れ、その先に何を望む? 

 既に間違っているこの世界に……何をしようとしている? 

 一体何の為に……。

 …………いや、恐らく貴方には、何も無い。

 私がこれまで見てきた貴方の感情のように見える『それ』は、空っぽの衣だったのだ。


 貴方には感情がない。何も無い。貴方はただの虚しい……『ゼロ』なんだ。


     *

     *

     *

     *

     *


 シャフ・ザフマンを殺したのち、ゼロは後を部下に任せてフロアに降りてくる。

 そこで待つのは、一人のノイド。


「……(エヌ)(エヌ)か。今はあの、口に傷を付けた男の顔をしているはずではなかったか?」


 (エヌ)(エヌ)の顔は、皮が完全に剥がれ切っており、機械部分が露わになっていた。

 変装をしやすくするために、彼は自らその顔の皮を剥いでいたのだ。


「……あの顔でここに来たらリスクでしょう? ゼロ」

「フフ……それならばそもそも、ここに来ること自体がリスクだ。私と君の関係は隠しておくべきだと、君が言ったのではなかったか?」

「それをどうでもいいと返したのはそちらだ。ハッハー…… you(ユー) are(アー) really(リアリー) oppotunist(オポチュニスト)

「……そうかもな」

「人間一人殺すだけで、随分時間をかけましたな」

「……私を初見で怪しむ者がいても、大抵の者は話しているうちに打ち解けてくれる。彼は本当に優秀な男だった。この私の下に置いても、完全に信頼されるまで一年と掛かった。加えて上から彼を引き抜こうとする者が後を絶たなくてね。そして何より……視野が広く、警戒心が強すぎた。今日だって、ナイフを出す前にガスを充満させた部屋に彼を入れていなければ、恐らくナイフを取り出す瞬間を見逃さなかっただろう。それと秘書官になって以来、彼が単独で夜中に出歩いたのは、今日が最初で最後だ」

That(ザット) was(ワズ) fucking(ファッキン) good(グッド)! そんな有能を殺して良かったので?」

「……残念に思っているよ。どうして彼が、彼ほど優秀な男が、死ななければならないのだろうね……」


 笑みを見せたり悲しげな目をしたり。だがその実彼は今、全く感情を動かしてはいない。

 彼の心にあるのはただ、ただ、一つの衝動だけ。

 そしてすぐに楽しそうな表情になると、もう秘書官だった男に対する関心は一瞬で削いだ。


「……彼女はまだ泳がせておこう。どうせ何も出来やしない。だがいずれ、必ず彼女に伝えよう。ああそうだ。彼女に言わなければならないのだ。…………『諦めろ』、と」


 そして彼は、歩き出す。

 その足元には何もない。向かう先にも何も無い。

 そして彼の後ろには、彼を必死に追い続ける、無数の怨念だけが存在する。

 何の根拠も道理もない彼の破壊衝動の、犠牲となった者達の怨念だ。


「さあ……世界を解れさせにいこう」

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