『クリシュナ侵攻戦線』⑦
◇ 数時間後 ◇
■ ノイド帝国 帝国軍北四五号基地 ■
六戦機の五名は、出撃時に集合していたこの北四五号基地に帰還していた。
……ただ一人、ギギリー・ジラチダヌに限っては、出撃時に集合していなかったが。
「サンライズシティを……消滅させた……!?」
エヴリンはその情報を聞き、愕然としている。
だが目を見開いているのは彼女とヴェルインだけで、シドウとガランはその予想自体は出来ていた。
そして深緑色のコートを着た、長身で爪が長く醜悪な見た目の男ノイド──ギギリー・ジラチダヌは、この結果を得て下卑た笑みを見せる。
「クヒヒヒヒッ! ああそうさねぇ。私の研究の成果が、出たというわけだ」
「何……言ってるんですか……? サンライズシティには……まだ、避難していない民間人が……」
「うーむ。まあ、別の町に避難している者の方が多かったからねぇ。想定より死ななかったと思われるよ」
「……な……」
エヴリンは思わず言葉を失った。何よりも、まるで自分のしたことを気にしていないギギリーに恐怖を覚えた。
「シャハハハハハハ! ギギリー! 元帥の言うこと聞くのがそんなに楽しいかァ!?」
「シドウ。おたくは見た目の割に皇帝陛下殿への忠誠心が高いねぇ。私はね、自分の能力を評価してくれる者に尽くす質だよ。良いかい? 大事なのは適応さ。これから先の世は……『抑止力』がものを言う世界になる」
「シャハハ! そのタクトを握んのは、陛下の役割のはずだぜ!?」
「クヒヒヒッ! さあどうなるかねぇ」
二人とも笑みを見せているが、それは全く同質とは言えない笑みだ。
空っぽの笑みであるシドウに対し、ギギリーの笑みは邪悪で満ち満ちている。
「待って下さい!」
エヴリンは真っ白だった頭を、今ようやく真っ赤な怒気で染めることに成功した。
「何かね?」
「……上空からの爆弾投下なら、スーリヤシティの一部にも被害は届きます。貴方は……『それ』を、地上で爆破させたんですか?」
「……ああそうさぁ。帝国軍を巻き込むと事だからねぇ。第一、味方が死んだら意味が無いだろう?」
「……何故そんな嘘を、平気で言えるんですか? あれだけの威力を誇る爆弾は……今の科学力では、明らかにエネルギーが足りなくて作れない。でも、ノイドの『核』を利用すれば話は変わる」
ノイドの『核』は、機械である身体を動かす重要なエネルギー変換装置であり、人間で言う心臓にあたる。
ギアというのは全てこの核に連動されるもので、未だにこの機能がどういう仕組みになっているかは判明されていない。
故に、『失核病』という機能不全を起こした場合、治す手段は見つけようがないのだ。
……逆に言えば、この核の特殊なエネルギー変換機能を利用することは、『生きている』ノイドにしか出来ない──
「あの爆弾は……生きたノイドを利用した爆弾だったんではないんですか……ッ!?」
ギギリーは嬲るような視線を彼女に向けたのち、舌を出して醜くその笑みを膨らませた。
「クヒ……クヒヒヒヒッ! 鋭いじゃないか小娘ッ! だが軍人を使ったわけじゃあないよ!? 帝国軍を巻き込みたくなかったのは本当さ! 元帥に叱られるからねぇ! クヒヒヒヒヒッ!」
「ッ!? ……クズ……ッ!」
エヴリンは、このギギリーという男のことをよく知らなかった自分自身に、腹が立っていた。
震える拳を振り上げる資格が、自分にあるとも思えなかった。
「……抑えろエヴリン」
「……ガランさん……!」
言われなくても、彼女は行動を起こそうとはしていなかった。
むしろ、何も出来ない自分を恥じている。
(これが……これが帝国のやり方……? これが……こんな場所で私達は……ッ!)
下を向いてしまったエヴリンに代わり、ヴェルインは前に出て、ギギリーに侮蔑の視線を向ける。
「……貴公だけの責任ではない。我々全員が、皇帝の勅命により、元帥殿に従っておる。だがなギギリー、これだけは聞いておきたい」
「……何だろうね? お爺さん」
「……ノイド至上主義の元帥殿が、何故ノイドを犠牲にする? 吾輩にはどうも、その意味が分からんのだ」
ヴェルインは、怒りを抑えながら理性的に質問をする。
それを受けたギギリーは、やはりニタリとした表情のままだ。
「……クヒヒ。簡単な話さね。『誇りを失ったノイドは、最早ノイドではない』。あのお方は……クヒッ! クヒヒヒッ! そんな尊いお考えをお持ちなのさ」
*
◇ 界機暦三〇三一年 六月十日 ◇
■ 帝国軍統合作戦本部 最高司令室 ■
ノーマン・ゲルセルクは、部下から昨日に終了したクリシュナ戦線の報告を受けていた。
結果はもちろん帝国軍の惨敗。だが、別角度からの目的は達していた。
「……ギギリー・ジラチダヌ氏によると、『ニュークリア・ギア』の今後の使用は、憚られるべきとのことです」
「……国家連合は、早くも我が国に圧力を掛けてきた。仮に再び使用すれば、今度はこちらが隠蔽する前に『証拠』を掴まれる恐れもある。そうなれば……国内からの反感も増すことだろう」
ノイドを犠牲にした兵器だという証拠が明らかになれば、国内の中で帝国軍の立場は悪くなる。そうなれば戦争を続けることは困難だ。
だがしかし──これで『切り札』は確保できた。
「……一度脅威を見せた以上、失うことを恐れた連合は、一つの戦線に総力を注げなくなる。連合が永代の七子を同時に複数出撃させる機会が減れば……六戦機を同時に複数出撃させられるこちらの優位性が保たれる」
「しかし元帥閣下。六戦機は従順に応じるでしょうか? 『彼』はともかく他五人は……。いや、ギギリー氏が反逆することもないでしょうが……」
「……従わなければ、処分するのみ。少なくとも……アレがいる限り、束になっても無意味だ」
「……たとえ『彼』でも、他の六戦機が束になればあるいはという可能性も……」
「あり得ん」
ノーマンは、六戦機最強のノイド……いや、ノイドの中で『最強』の男のことを想起させる。
彼が敗北を喫する状況は、全く微塵も想像できない。
「……帝国は必ず最後に勝利する。ノイドの誇りを取り戻す。行く手を阻む愚か者どもは……たとえ同胞だろうと、容赦はしない」
ノーマンの四角い瞳には、光がない。
彼が見ている景色は──周りには暗がりとしか思えない。
*
■ 迷亭省 レーガの工房 ■
この日、ギア製造技師レーガのもとに軍の兵がやって来ていた。
「だからぁ、儂は知らんといっておるじゃろうが」
小さな少女の容姿にいつもの黒いつなぎを着て、彼女は机の上に肘をついて溜息を吐いた。
「貴様……自分が疑われている立場だということを忘れたか?」
「知らんのう」
「き、貴様ァ……!」
「邪魔をする」
そこで店の中に入ったのは、銀色の髪に隻眼の男。
「シュ、シュドルク中将……!?」
「シュドルクちゃんッ!? 儂に会いに来てくれたんじゃな!?」
「……何をしている?」
シュドルクがここに来た目的は、ここにいる兵たちとは違う。無論、レーガに会いたかったからでもない。
「あ、あの……実はこの者に、軍の交易施設を介した密貿易の嫌疑が、かけられておりまして……」
「何だと?」
「帝国警察からは、証拠不十分で解放されたようですが……」
「……ならば、我々帝国軍がわざわざ動く必要はない。去れ」
「で、ですが……」
「去れ」
「は、はい……」
兵たちは中将という立場のシュドルクの言うことには逆らうことが出来ず、この場を立ち去った。
「助けてくれたんじゃな! シュドルクちゃん! 流石儂のシュドルクちゃんじゃな!」
「……何を誰に流した?」
「ガッツリ疑っとるし……」
「貴様は貴様自身の欲にのみ従って生きる存在だ。そのリジュビネーション・ギアによる《《若返り》》が……貴様の欲の表れだ」
「フン」
レーガは少女の姿をしているが、実年齢はシュドルクの倍はある。
彼女自身が開発した特殊なギアによって、その若さを保ち続けているのだ。
「……正確には、盗まれた」
「何?」
「……儂がオリジナルギアを与えた者で今生きておるのは……シュドルクちゃんと、サザンちゃんだけじゃ。もう一人あげちゃいたい良い男がおったんじゃが……フラれてしもうてな。その男にあげようとしていたオリジナルギアが……盗まれたのじゃ」
「……そして、そのオリジナルギアが軍の交易施設を通じて、他所に運ばれた……」
「その通りじゃ。帝国軍は儂がオリジナルギアを造れると知って、儂を犯罪者扱いすることで何とか利用したかったみたいじゃがのう……。そんな暇があるのなら、盗まれた物の行方を調べろという話じゃな」
「……あの下っ端兵たちは、何も聞かされておらん」
「分かっておるよ。優しいのうシュドルクちゃんは」
「……」
「それで? 今日は何用じゃ? やっぱり儂に会いたかったからか!?」
シュドルクは目を逸らし、遠くを見つめた。
「…………何故、サザン・ハーンズにオリジナルギアを与えた」
愚痴をこぼすような言い方に、レーガは鼻で笑って返した。
「悪いがのう。儂は技術者じゃから。愛情表現がこれしか出来んのじゃよ」
紛うことないまっさらな本心。オリジナルギアの性能を戦闘方面に伸ばしたのは、シュドルクとサザンの偏った修練の賜物だ。
彼女自身は、それを使って戦ってほしいと望んだことは一度もないのだ。だから逆にシュドルクは、少しだけ虚しさと罪悪感を抱いた。
なので仕方なく、彼は話を変える。
「……盗まれたオリジナルギアの名は何だ?」
レーガは机から肘をつくのをやめ、軽く伸びをした。
そして──
*
■ 帝国軍特殊医療施設 ■
一晩を経て回復したサザンは、妹・エルシーのもとに訪れていた。
「こんにちは。少し……痩せました? お兄様」
痩せているのは明らかにエルシーの方だった。茶色の髪はセットされておらず、透き通るような肌は青白さを見せている。
だがしかし、サザンも心労を隠しきれていない。
「……そうだな。オイルを、もっと飲まないといけない」
「お兄様。ノイドだからってオイルは飲めませんよ?」
「……分かっている」
エルシーは、彼が冗談を言っていることを理解して正論を投げた。
自分の前でくらい、繕わないでほしいという本音の表れだ。
そしてサザンは、そんな彼女の前でもまだ強がりを止められない。
「ガランは来たか?」
「……いえ。もう随分と……見えていません」
「そうか……」
ガランは六戦機として多忙な身。いくら親しい間柄でも、文句を言う気にはなれない。
誰かが悪いわけではないが、サザンはエルシーに寂しい思いをさせている事実から、目を逸らせない。
彼は、何かが許せずにいた。何かを責めたくなっていた。
「……エルシー。私は、お前の意見を聞かな過ぎた。だから今一度教えてくれ。エルシー……お前の……お前の望みなら、私は何でも聞いてみせる」
「お兄様は自由です」
エルシーは、ニッコリと笑みを見せた。
作り笑いではない心からの笑顔だと、分からない兄ではない。
「お兄様は、お兄様の好きに生きていいんです。お兄様は、お兄様の自由に生きて下さい。それが……私の、唯一の望みです」
妹の笑顔を見ている間だけ、彼は自分が闇の中にいることを忘れられた。
夜の闇の中では何が正しく、何が誇るべきかなどは分からない。
照らしてくれる月の明かりを恐ろしいと感じたこの国は、必死に身を隠して何も食らわず、痩せ細り続けるだけだ。
それでも、この国の在り方に疑問を抱いた彼は、もうここから逃げる気にはなれなかった。
そして、確かにそれは妹の為ではなく、己の自由意思に則った、己の為の歩みに他ならない。
エルシーの望みは、既に叶っていたのだ──




