『クリシュナ侵攻戦線』⑥
■ スーリヤシティ 南西部 ■
炎を切り裂く大鎌が一振り。
〝死神〟は、飢えに耐えかねた黄色い光を、まだ地獄に連れて行くことが出来ずにいる。
「……撤退指示が出ているが……」
「逃げられる状況じゃない! 炎が町全体を覆っている!」
消火の手段は考えられているが、炎を無限に出す存在が目の前にいる以上、まずはそれをどうにかせねば解決の余地はない。
だが、ハッブルは炎に塗れたレッド・レッドに攻撃を当てられずにいた。
元々機械の体を炎で包んでいたレッドだが、今の状態のレッドをいくら切り裂いても、体を傷つける前に鎌が溶けてしまう。
鎌自体はギアによる産物なので何度も出現させられるが、攻撃が届かない以上、どうしようもない。
「「燃えろォォォォォォォ!」」
そして攻撃が当てられなければ、向こうの炎を食らうしかない。
「うわァァァ!」
「……長すぎる。ハッブル、この小僧はいつ死ぬ?」
「うぐ……ッ! わ、分かりません……。『完全同化』の継続時間は……個体によって差があるので……」
「……日暮れまではまだ時間が掛かる。いや、仮に『夜』が来ようとも……同じ、か」
「ぐ……ど、どうしますか!? シュドルクさん!」
「潮時かもしれぬな」
「シュドルクさん!?」
シュドルクは、自身がここで死んでも良いと考えていた。
(……いつまでも続く戦いに……意味は無い。ノイドの誇りはどこにもない。私達の役を終えるには、ここが最大の好機。……そうなのか……? バッカス……)
かつての宿敵を思い浮かべながら、シュドルクは死期を悟る。
「「燃やしてやるァァァァァァァァァッ!」」
だが運命は、彼の虚無に塗れた選択の放棄を許さない。
「……あ」
シュドルクとハッブルを巨大な炎が包み込む前に、その勢いが急速に止まった。
まるで、時間が止まったのかというように、レッド・レッドの動きは静止してしまったのだ。
「……!?」
「……これは……!」
(……神よ。まだ我々に……楽をさせまいとするか……ッ!)
『完全同化』の副作用が、ようやく表れた。
ライド・ラル・ロードとレッド・レッドは、ここで完全に命運を絶たれる。
何も言わず、ただただ静かにその巨体は炎を失い、地上へと落下していった。
「……シャーハッハッハッハッハ! 終わったな! それじゃ後掃除…………ハイドロ・ギア」
シドウはその右手を高々と掲げ、自身のオーバートップギアをようやく使用する。
すると、彼の上空に段々と『渦潮』が生まれ始めた。確かに空中に浮かぶ、巨大な『渦潮』だ。
「な、何よこれ……」
メイシンは彼と戦っていたが、それは『戦う』と言えるものではなく、ただこちらの攻撃を避けられ続けていただけ。
彼の『些細な』力を前にして、目を見開いていた。
「ピンッ! ポンッ! パンッ! ってなァ! 消火だ消火ァァァァァ!」
シドウの生み出した渦潮は、南西部の町を丸ごと包み込むほどの巨大なもの。
それはつまり、先程ライドが放った炎全てを、消火しきるだけの水だということ。
「……これが……六戦機……」
霧は構えるが、水は全てを包み込む。
「! クロロ!」
幽葉は急いで影の中に隠れようとした。近くにいたマスクドも共に連れて行けたが、霧は少し遠かったため間に合わない。
「シャーハッハッハッハッハッハッハッハッハ! シャーハッハッハッハッハッハッハ!」
シドウの高笑いと共に、消火作業は一瞬ののちに済まされた。
そして──
「………………え?」
水に飲み込まれて流されると思ったメイシンは、自身と霧が無事でいることに気付く。
霧は、周囲を『枝』によって囲まれていた。
「御影……さん……?」
「…………」
返事は無いが、確かに目の前にはピースメイカーがいた。
赤紫色の光を発しているが、そのマントと錆が見え隠れした装甲は間違いない。
渦潮を枝によって防いだのは、ショウとピースメイカーだ。
「あ、ありが──」
礼を言う間もなく、ピースメイカーは一瞬で移動する。
向かう先は、今の渦潮に巻き込まれて地上に倒れているハッブル。
「……ぐぅ。む、無茶苦茶しすぎだ……!」
「ハッブル!」
「!?」
ピースメイカーは既に、ハッブルの腹を捉えていた。
手の平をこちらに向け、枝を出そうとしているようだったが、ハッブルは動けそうにない。
だがそれでも、シュドルクの運命に変わりはない。
「デスロール」
「ッ!?」
ピースメイカーのマントを、『何か』が挟んでいた。
いや、挟む道具など一つしか考えられない。
それは当然────────『鋏』だ。
「サザン・ハーンズ……!」
シュドルクはそこで、自身がここで死ぬ定めでないことを理解した。
マントを挟んだサザンの右腕の鋏は、そのまま回転し、その勢いでピースメイカーはバランスを崩して地上に投げられる。
だがダメージが入ったわけではない。それでもサザンは、どこか憐れむような視線を彼らに向けてしまった。
「…………」
「……随分と、冷静さを欠いているようだな」
「…………」
「我々は撤退する。勝者は貴様らだ」
「………………勝者? …………分かっていない」
「…………そう……だな」
サザンの言葉を聞き入れる道理はない。敵が背を向けるのなら、その背中を狙うのが戦争だ。
ショウは、見えもしない目を開く。
「……ライトレイ……」
「帰還指令だ。御影・ショウ」
突如空中に現れたのは、ハッブルやピースメイカーと同じ様に、機械でありながら布を纏った鉄。
口元を始め、ほぼ全身を布で覆いながらも、両肩に背負った巨大な銃は隠せていない。
「……α……」
反応を見せたのは、ショウでもサザンでもなくハッブルだった。
彼はこの鉄・αのことを知っていたのだ。
「……まだ敵は生きている。全員……殺さなければならない」
ショウを言葉で止めたのは、そのαの搭乗者である鼠色の髪で全身に傷のある少年──灰蝋だ。
「馬鹿が。防衛戦で何故逃げる敵を追う?」
「戦闘継続可能」
「黙って従え。平和主義者」
「……」
機械のように言葉を発するピースメイカーにも、きちんとした意志がある。彼の抱いている感情は、ショウとほぼ同じ。
「…………灰蝋。君は何の為に戦う?」
「俺の力を誇示するためだ」
「それに何の意味がある?」
「お前には関係ない」
「……愛されたことが、ないんだね」
「…………」
言葉を受け入れたのはショウだ。彼らは上の指示に従い、ここで帰還することに決める。
ただ、そもそもこの指示は、帝国軍の方で撤退命令が出ていることに上が気付いたために出たもの。
一触即発のこの場では、この場にいるものの判断だけが、状況を生み出す。
ショウが帰還することを決めても、相手方がそうとは限らないはずだった。
だが──
「シャハハ! 俺らも帰るぞ。ヴェルイン。ガラン」
「……うむ」
「……」
六戦機の彼らは本来、永代の七子の討伐を指示されている。
しかしながら冷静な彼らは、今ここでショウとピースメイカーを相手にすれば、誰かが死ぬことになると予想した。
そうでなくとも、サンライズシティの先程の爆発の件で、彼らは相当に戦意を揺らがされている状態だったのだ。
「サザンさん!」
飛び入りでやって来たのは、この場にそぐわないドレスに仮面の女ノイド──エヴリン・レイスター。
彼女は、サザンが再び倒れるのをすんでのところで支えてみせた。彼はもう、気力を使い果たして意識を失っている。
「……やっぱり回復してないじゃないですか。無茶しないでって……何度も言ってるのに……」
サザンは最初のピースメイカーとの戦闘で、実はもうとっくのとうに倒れていてもおかしくはなかった。
六戦機は完全に永代の七子を圧倒して戦いを続けていたが、それでも永代の七子の実力が弱かったことを示してはいない。
サザン・ハーンズにはまだ、永代の七子と戦う実力が備わっていなかった──




