『クリシュナ侵攻戦線』
◇ 界機暦三〇三一年 六月二日 ◇
■ 帝国軍統合作戦本部 ■
N・Nの一件を経て、サザンのノーマン元帥に対する信頼は失せた。
だがこの日、サザンはノーマンから呼び出しを受け、素直に応じていた。
いや、信頼など無くとも素直に応じるのが、彼という男だ。
「……元帥……」
「……何か、言いたげだな」
「……」
ノーマンはまるで、サザンの抱えている不信感を見通しているようだった。
「皇帝陛下は、軍政を存じていらっしゃらない。六戦機は戦場でこそ猛威を振るう」
「……六戦機を閣下の手駒にするために、戦争を『起こさせた』のですか?」
初めてノーマンは、サザンに目を合わせた。
「……プラス……いや、N・Nは、利用しただけだ。戦争がなければ、勝利はない」
「元帥……!」
「ノイドの誇りを、取り戻すためにだ」
「!?」
その言葉を発した時だけ、ノーマンの声色は鉄のように硬く重くなっていた。
「貴様は世界のことをどれだけ知っている? サザン大尉」
「私は……」
「何故この国が生まれたと思う? 『ノイド帝国』……いささか誇大な名だ。ノイドの為だけの国であることを示す、多様性に欠けた名。だが今では、この世界の大半のノイドは、実際にこの国で生きている。だが、『人間』と名の付いた国はない。何故か? ……この国を作ったのは、『人間』だ」
「……」
それは、歴史を習っている者ならば知る事実だ。どの国のどの教科書でも、そう記載されている。
「ノイドを差別した人間が、ノイドと人間を共存させまいとして作った国だ。だが今の国家連合はどうだ? ノイド帝国が人間の居住を拒んでいる? まるで、ノイドの方が人間と距離を置いたのだと言わんばかりの論調だ。迫害の歴史を……無かったことにしようとするばかりの姿勢だ。傲慢で他責思考。この世界は……人間が支配するべきではないのだ」
「……それが世界の流れでした。共存は……ノイドが過去に目を瞑っていれば、実現していたかもしれない。……国家連合は、そう主張しています」
「全くもって遺憾な話だ。悍ましき無恥だ。我々から誇りを奪い、存在意義を奪い、これ以上何を奪うのか。人間は……許すべきでない、唾棄すべき怨敵だ」
「……私は、国家連合にも、帝国軍にも、正義は無いと考えています」
「その通りだ。これは聖戦ではない。……報復だ」
「貴方の……ですか?」
「……いいや。誇りを失い死んでいった、過去のノイドたちのための、報復だ」
サザンは、ノーマンに対して冷たい目を向けた。
他責思考なのは、この男も同じだ。歪んだ思想を掲げているだけで、もたらす結果は混沌に限る。
サザンには『誇り』というものが分からない。
「……異動を願います。私は、貴方の下では戦えない。しかし妹のため、軍からは離れられない。戦うのならば、何も知らず前線に出ている者達と同じ場所だ。一人でも多くの、貴方によって生まれる犠牲者に……力を貸したい」
「……そうか。では、その覚悟が本当か……試してみるが良い」
「何……?」
ノーマンは自身の席を立ちあがり、サザンに背を向けた。
「……クリシュナだ」
「は?」
「帝国軍第一師団は、クリシュナへの侵攻を開始する」
「ッ!? ま、まさか……何を馬鹿な! クリシュナを落としたところで! 国家連合は崩れない!」
「では、名もなき兵たちが命を無駄に落とすだけになる……か?」
「!? 元帥……貴方という人は……ッ!」
「私の前で、ノイドを『ヒト』と呼ぶな。人間と同種だという事実が……私は何よりも許せんのだ」
今まではずっと堪えてきていたが、ノーマンはずっと、ノイドが当たり前のように自分たちを『人』として形容する世の道理を、道理として見ることが出来ていなかった。
もうそれを、彼は隠そうともしていない。
「何の為ですか!? 一体何の為に……」
「……六戦機を投入する。今回の作戦は……奴らの試運転だ」
「馬鹿な……そんな……そんなことの為だけに……」
「それだけではない。連合の永代の七子を誘き出し、これが真価を発揮する前に討つ」
「……彼らは子どもだと聞きました」
「だから何だ? 鉄は脅威だ。責められるべきは連合軍にある」
「……ッ」
「……貴様はどうする? サザン・ハーンズ大尉」
「私は……ッ」
答えは一つしか存在しない。そこに、選択の余地はない。
いや、選択の話をするのなら、もっと以前にサザンの選択の機会はあった。
この道を選んで進んでいたのは──初めから、サザンの意志だ。
*
◇ 界機暦三〇三一年 六月九日 ◇
■ 帝国軍特殊巨大格納庫 ■
格納庫の巨大な壁が、箱を開けるかのようにゆっくりと開いていく。
この格納庫は高台の上にあり、壁が開くとその先には空が広がっている。
では何故壁が開く構造なのか。それは単純な話。『それ』を出すだけの巨大な扉を作るくらいならば、壁そのものを開閉可能にした方が良いと考えられたからだ。
「……これが……」
サザンは『それ』を前にして、思わず息を飲んだ。
向かっていくのは、彼と同じ元帥直下精鋭部隊の、シュドルク・バルバンセン中将。
銀髪で隻眼のその男は、静かに『それ』に手を触れる。
「スタンバイ。ハッブル」
すると『それ』────鉄・ハッブルは目を覚ます。
「うわ! シュ、シュドルクさん!? 出番ですか!?」
「……出るぞ」
「は、はいッ!」
シュドルクは、その鉄のコックピットに乗り込んだ。
「……ノイドを乗せる……鉄……」
「ハッブルは古代の鉄だ。私には……そうは見えんがな」
ハッブルは黒と銀の装甲で、ズタズタに破れた布を纏い、大きな一本角のようなものが頭に生えていた。それでももちろん、機械仕掛けのドラゴンだ。
「シュドルクさん。僕はノイドの皆さんが好きです。だから力を貸してきた。これからもそうです。ずっと長く生きてきた僕には分かります。ノイドの皆さんが勝利するまでは……まだもう少し掛かるかと思われます」
「……然もありなん、だな」
シュドルクがコックピットを閉めると、ハッブルは『ギア』を起動する。
それはアクセル・ギアという、シュドルクが身に着けているギアだ。
エンジン音が鳴り響き、出撃態勢が整う。
「シュドルク中将……」
「行くぞ、サザン大尉」
「私は……」
「……貴様は、本当に元帥の下を離れる気か?」
「……!」
その話はシュドルクにはしていない。だが、この男はサザンの心持ちを看破していた。
「何も知らぬ愚者を救いたくば、共に戦うのではなく、愚者を統治する立場にならねばならん。貴様が欲するべきは……より高みの立場だ」
「それは……」
「何を捨て、何を救う? 妹だけを救いたくば……初めから、戦う必要など無かった」
そしてシュドルクとハッブルは出撃した。
アクセル・ギアは足を変形させ、陸上での高速移動を可能にする。
ジェット・ギアのジェット噴射の向きが、下方ではなく後方になったものだ。
そのまま開いた壁の外に出ると、加速したハッブルは翼を広げて飛び立った。
「……中将……」
シュドルクはサザンがここにいる経緯を知っていた。
そしてサザンには彼の言っている言葉の意味が分かっている。
エルシーのことを想うのならば、一日でも長く、彼女の傍に居てやるべきなのだ。
それが妹の望みであることを、分からない兄ではない。
サザンは確かに、エルシーを長生きさせたいという自分の意志で、ここに来ていた。
それが何かに縛られているように見えるのは、彼のことを理解していないためか、あるいは彼に別の選択をしてほしかったためだ。
レーガが前者なら、クロウは後者だろう。二人は共に彼が縛られているように見えていた。
彼を縛っている者は、誰もいない。強いて挙げるのならそれは、彼自身──
「行かれないのですか? サザン大尉」
名も知らぬ鉄整備士の女ノイドが、声を掛けてきた。
「……いや」
急かされたような気がして、サザンは空に飛び立つ準備をする。
今サザンに出来ることは、戦場に出た無知な兵たちを守ること。
──「私は大丈夫ですよ。お兄様」
そう言いながら、エルシーは一言も本心を言わなかった。
意志をひた隠しにしていたのは、彼女の方かもしれない。
「……私は、お前の傍に居るべきだったのか? だが……今更自身の選択を、無かったことにはできない。……エルシー……」
*
■ 帝国軍北四五号基地 ■
帝国内で最大の戦火が広がっている郭岳省から、北東におよそ八百キロ。
この帝国軍北四五号基地は、クリシュナ共和国のすぐ近くにある基地の一つだが、帝国軍は現在ほぼ存在していない。
周囲を山に囲われており、ここを落としても先に繋がらないため、連合軍も攻めてこないからだ。
しかし理由はもう一つ。それは、ここにいた軍隊のほとんどが、既にクリシュナに侵攻を開始しているから。
そして──『彼ら』はここに集っていた。
「スー……ハー……」
露出が多く煽情的で、ドレスに近い服を着た、目の周りと間を隠すだけの仮面を付ける、女のノイド。
深呼吸を終えた彼女は、次に心の準備を整える。
「エヴリン」
「…………」
「エヴリン」
「…………」
「エブリン・レイスターッ」
「ひゃッ! び、ビックリした……。驚かさないでくださいよ……ガランさん」
顎髭の巨漢ノイド──ガラン・アルバインは、無骨な顔のまま、少しだけ頭を下げた。
「……聞いたか? サザンが……クリシュナ戦線に出撃すると」
「ッ!? えッ!? ちょ、ちょっと待って下さい! そんなの知りません! 何でですか!? 私にも何も言わずにそんな──」
「何でテメェに言う必要があんだよ」
激しく動揺していたエヴリンを、後ろから来た空色の長髪に鋭い八重歯が目立つ男──シドウ・シャー・クラスタが落ち着かせようと声を掛ける。
「それはッ! …………そう……ですね……」
「シャハハハハ! 全然進んでねェのなッ! シャーハッハッハ!」
「シドウさん……」
必死に睨み付けるエヴリンだが、シドウは笑うのに忙しくて認識していない。
そしてもう一人。貴族服を着た老人の男ノイドも、シドウの後ろから現れる。
「彼は諜報部隊だったはずではないか?」
貴族服の彼──ヴェルイン・ノイマンは、ガランに対して質問を投げた。
「……それを言うなら、我々もだ」
「……それもそうだな! ガッハッハッハッハ!」
一瞬返答になっていない気がしたが、面倒に感じたのか笑って終わらせた。
「……それなら早く行きましょう。サザンさんのもとに……!」
「待てエヴリン。元帥の指令を聞いていないのか?」
ガランが宥めると、エヴリンではなくシドウの方が苦々しい表情を見せた。
「……チッ! なあにが『元帥の指令』だ畜生め。俺たちゃ皇帝陛下の為に存在するんだぜ?」
「その皇帝陛下の命でもある」
「シャハハハハ! ガラン! 良いなテメェは! いい風見鶏だぜ!? デカい癖に器用に立ち回れるなァ! シャハハハハ!」
「シドウさん!」
「シャハハ……」
シドウの笑みは崩れない。それでも確かに、彼はノーマンのやり方を面白くは思えていなかった。
「……ガランさん。でもギギリーさんはどこに……」
この質問に答えるのはヴェルインだった。
「アレは別行動だそうだ。何故かは知らんが……」
「ハッ! 元帥に尻尾振ったクソブストカゲ野郎のことなんざァどうでもいだろッ! 尻尾切られちまえば良いんだよ、マッドサイエンティストが!」
「し、シドウさん、そこまで言わなくても……」
「ああ……テメェ知らねェのか? あのド腐れ下種ノイドもどきは、テメェの実験のためならどんな手も使う、クズゴミ畜生なんだよッ! シャッハッハッハ!」
「……ま、まさか……」
「……マジで何も知らねぇのか? シャハハハハハハ! 単独任務ばっかやってた弊害が出たな!」
「……」
シドウは笑っているが、それが事実なら笑っていられる状況ではない。
ギギリー・ジラチダヌという男は、六戦機の中でも異端の存在だった。
彼が今回のクリシュナ侵攻で何をするつもりなのかは、実はシドウも分かっていない。
いや、仮に分かっていたとしても──結果は変わらない。
「……サザンさん……」
エヴリンは、まだ戦争がどういうものか理解できていない。
この期に及んで心配する相手はただ一人だけ。だが、彼女もすぐに知ることになる。
己のいる場所が、どういう場所か。




