『外患容疑者監察任務』②
◇ 翌日 ◇
■ 帝国軍統合作戦本部 ■
サザンはノーマン元帥に直接、先日の任務の件について話を伺いに向かった。
すると、ノーマンの口から驚くべき事実が語られた。
「二重スパイ……!?」
驚くサザンに視線を向けることもなく、ノーマンは続ける。
「……そうだ。こちらの偽の情報を連合に与え、連合の情報をこちらに流す。それが、奴の役割」
「な……」
「帝国情報局の中でも複雑に情報が錯綜しているようで、奴を間者だと疑う者が現れてしまった。今回の任務はただの手違いだ」
「……待って下さい。それは…………妙だ。外患の容疑がかかった者を調査するのに、帝国情報局の上層部が把握していないはずがない。しかし、それでは矛盾します。彼を連合に送り込んでいるのが帝国情報局の上層部ならば、そもそも彼を疑い、調査するはずがないのですから」
「…………」
「元帥」
サザンは既に、そこから紡がれる可能性に辿り着いている。
ノーマンはやはりサザンに目を合わせようとしないが、やがて諦めたように立ち上がった。
「……貴様の言うことは正しい。……ならば、何故帝国情報局が、件の二重スパイの存在に猜疑心を抱いたと考える?」
「……それは単純な話です。彼を遣わした者が、もっと『上』の立場だった場合しかあり得ません。錯綜するのも止む無し。敵を騙すにはまず味方から……という道理だったからなのでは?」
「……そうだ。その通りだ。サザン・ハーンズ大尉」
「まさか、彼は六戦機の……」
「それは違う」
サザンが想定していた口傷の男の正体は、皇帝直属の諜報部隊『六戦機』。
しかし、ノーマンは当然のようにそれを否定した。
だがこうなると、サザンにはもう推測が及ばない。それより上の諜報部隊など、この帝国には存在しないからだ。
「違う……? で、では彼は一体……」
「……貴様の同僚だ」
「………………え?」
「奴の名はプラス。我が精鋭部隊の一ノイドだ」
「ッ!? な……ッ!?」
それはつまり、元帥直下精鋭部隊所属ということ。何ならサザンにとっては先達にあたる。
「ま、待って下さい。そんなわけが……。それだとなおのこと矛盾する。そうです。矛盾が生まれる。帝国情報局が把握していないのは当然だとして……そこまではいい。では何故昨日、向こうは元帥閣下からのお達しを受け入れ、あの男を解放したのですか? 百歩譲っても、情報局が彼の存在を受け入れる意味が分からない。リスクが大きすぎる。そもそも拒絶されると考えたから、閣下は彼の存在を秘匿したまま、帝国情報局に潜らせたのでしょう? いや、そもそも何故帝国情報局に入れる必要が……」
唐突な真実に触れ、サザンは固まったまま動揺している。
「……先程貴様が述べたように、『敵を騙すにはまず味方から』……だ。実際に帝国情報局にスパイとして送り込めば、局の連中は奴を疑うようになり、逆にその事実から、連合は奴を疑わなくなる」
「……!?」
「……しかし、疑いをかけられるように動かし過ぎた。懐疑の証拠が粗方揃えば、いずれ帝国情報局を騙し続けることは困難になると分かっていた。故に、今回は……文字通り、引き際が来ただけのこと。貴様が気にすることは何もない」
ノーマンはそれで終わらせようとしていたが、サザンからしたらまだ終われない。
質問の全てに、答えを貰えてはいない。
「……やはり、分かりません。帝国情報局は、元帥閣下のお言葉を本当に信じられたのですか? むしろ、元帥閣下のことを疑い始めるのではないでしょうか。何故……彼らは昨日、素直に尋問を終わらせたのですか……?」
「……味方同士で、対立する意味は無い。それを、賢明な彼らが理解していただけのことであろう」
「……果たして本当にそうなのですか?」
「何が言いたい」
サザンは眉間に皺を寄せた。強い視線をノーマンにぶつけているが、彼は背を向けてしまっていた。
「元帥閣下。本件は皇帝陛下の命による謀ではありませんね? 皇帝陛下の命ならば、動くのは六戦機だ。本件に皇帝陛下は絡んでいない」
「……それが何だ?」
「高度に政治的判断が必要な謀において、皇帝陛下が関与していないなどという事例は、あってはならない。あってはならないはずではありませんか。もしこれが、閣下の独断であるのなあらばそれは──」
「優秀な男だ。サザン大尉」
ノーマンの声は、低く冷静なものだった。
まるで、もう誰に何を言われても、自身の立場が揺るぎないとでも言っているかのよう。
「…………ッ」
「……回りくどい言い方をする必要はない。貴様の想像は……想像の域に留まっていない」
その時サザンは、本来ならばあり得ない可能性を思い描いていた。
それと同時に、胸騒ぎがその激しさを増し始める。
(……数年前まで、軍人が皇帝陛下を平気で無視できるはずがなかった。戦争が長引くにつれ、ノーマン・ゲルセルク元帥の権益は増え続けている……。まさか……元帥は既に……)
「……これだけは言っておく。私の言葉は、皇帝陛下の御言葉だと思え」
*
◇ 同日午後 ◇
■ 央帝省 郊外 ■
央帝省は帝都として栄えているが、その東部より先に広がる郊外は荒野が広がっている。
現在は海外渡航が制限されているが、帝国最大の空港も、この広大な平地の一部を占有していた。
そしてサザン・ハーンズは、この見渡す限り何もない場所に足を運ぶ。
「…………見つけた」
彼の視線の先には──口傷の男。
「No way. よくここが分かったな。サザン・ハーンズ」
「……」
空港から飛行機は一機も飛んでいない。昨今は国内線すら制限されている。
誰も近付かないこんな場所でノイドが二人、顔を合わせることなどまずない。
サザンがここに来たのには、理由がある。
「……元帥閣下は疑っておられないようだったが、私は貴様を疑うに十分な理由がある。エルシーのことを引き合いに出され、無視できるはずがない」
「違うな。それは……少し違う。ハッハー……。On what grounds? 何を疑ってここに来たわけだ?」
「……調べさせてもらった。『プラス』という名を頼りに。軍に所属する以上、諜報部隊に入ることになっても、正規の情報は残すことになる。……入隊は十三年前。階級は特務少佐。だが二年前以降……情報が完全に途絶えている」
「そうだ。その頃から俺は名を変え、今はイン……『イン・テジャー』と名乗っている。二重スパイとなるためだ」
「……」
「どうした?」
「…………『イン・テジャー』の、帝国情報局への入局直前の非公式写真を入手した。だがその男には……口傷が無かった」
「…………」
「一方で、『プラス』という男の入隊当時の証明写真には、口元に傷があった。なるほど身分を隠すためならば、戦場で負った目立つ特徴を消すのは自然な話だ。整形でもしたのだろう。……だが不自然だ。入局以降の公的な証明写真から始まって、今の貴様の顔には……傷がある」
「……ハッハー……」
「……こういうことじゃないか? 貴様は自身が『イン・テジャー』に……いや『プラス』に成り代わるため、帝国軍の証明写真から奴の顔を知り、己の顔を整形した。そもそも連合が表向きノイド差別をしていないからといって、今の時代に素性の知れないノイドを信頼するはずがない。貴様は元々連合加盟国出身のノイドで、プラスを殺し、自らが代わりにイン・テジャーを名乗って帝国情報局に入り込んだ。だが、顔を見ずに殺したのか知らんが、本物のプラスが行った口傷の修正を、貴様は見逃してしまったんだ」
「……」
男は笑っている。その口は傷が裂けんばかりに、大きく歪んでいた。
「貴様は…………何者だ?」
「ハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハ!」
顔を手で抑え、笑いが込み上げてくるのを防ごうとしたが、意味は無い。
この男は、これほどまでの愉快な状況に、耐えられそうにない。
「私がここに来たのは『保険』だ。正体が怪しまれた貴様は、姿を眩ませる必要がある。ジェット・ギアでの移動は目立つ。仮に逃亡先が国外なら体力も持たない。何か別の……レーダーをも逃れる航空移動手段があるのならば、それを隠せる場所は限られる」
「ハッハッハ! Can't see the forest for the trees. 航空手段を隠すのなら、空港内。そちらの発想は悪くない。だがこうは考えなかったのか? むしろ……そう考えるように、誘導されたのではないか、と」
「!?」
地面が揺れている。少しずつ、だが確かに揺れている。
「困った話さ。だが想定内でもある。背後から頭を潰して殺した俺が無能だった! しかし結局何にも気付けなかった情報局の奴らも無能だろう!? 優秀なのはそちらさんだけだ! Hey! そう思わないか!? サザン・ハーンズッ!」
地面が、ボコボコと崩壊していく。
地中から何かが出てこようとしているのだ。そしてそれを出しているのは、目の前の正体不明の男。
サザンは右腕を変形させ、いつもの巨大な鋏を出現させた。
「言い逃れは出来た……。写真は合成だと……今も国外に出るつもりなどなかったと……そう私に言えば良かった……! 違うか……ッ!?」
「ハッハッハ! いいやその通りだ! いくらでも誤魔化しようはある! では何故俺は今! こうしてそちらを殺そうとしているか! 分かるか!? サザン・ハーンズッ!」
地面から生えるように出現したのは、一体の鉄……いや、鉄紛。
サザンは危険を察知して距離を取る。そして、その鋏を構えた。
「……俺はそちらをどうしても殺したかったのさ。あぁ……これは、俺の独断専行。だがな……サザン・ハーンズ。名前からして危険としか思えないのさ、そちらは。Now or never. 危険分子は早めに排除ッ! 俺は間違いなく正しいことをしている!」
口傷の男は、そのまま地中から呼び出した鉄紛に乗った。
逃げるためではなく、目の前の標的を殺すために。
「私を殺すだと……!? そのためだけに逃亡を諦めたのか……!?」
「ハッハッハ! 『諦めた』!? それは俺に勝てると思っている奴の言葉だな! サザン・ハーンズッ!」
サザンは、自身が敵方に脅威だと捉えられている事実を知っている。
しかしそれ以上の脅威である六戦機の存在を知った今では、スパイの身分であるこの男がわざわざリスクを冒し、自分を殺そうとする意味が分からない。
六戦機の存在は、連合の上層部にも知られているはずなのだ。
「……何だその鉄紛は……」
口傷の男が乗る鉄紛は、通常の青緑色の装甲ではない。色は紫色で、明らかに、他のそれよりも巨大だ。
「これは特別製でな! さあ見ろこの重装備ッ!」
鉄紛の背や脇、そして腕が変形し、そこから巨大な小銃が出てくる。
三ヶ所の部位から左右両方。総じて六丁の小銃だ。
武器を出すと、鉄紛は空に飛び上がった。
「……その程度で、この私を倒せると?」
「Be my guest! やり合えばわかるさ!」




