『外患容疑者監察任務』
◇ 界機暦三〇三一年 五月十三日 ◇
■ 帝国情報局 ■
皇室庁で通信を受けたサザンは、そのままの足で帝国情報局に向かった。
ここはノイド帝国の情報機関。主に外国政府や反政府組織による諜報や破壊活動を無力化し、帝国政府の情報システムを守るために存在している。
サザンは任務を受けてここに訪れ、局員の男と共にある場所へ向かっていた。
「まったく……何故身内の膿を出すのに、他所の手を借りねばならんのか……」
「……」
「ああ失敬。君や帝国軍に文句があるわけじゃあない。嗅覚の鈍っている当方の人事に対し、愚痴をこぼしているだけさ」
歩きながらその男は、細長いネジを口に咥えている。
そこに対して言及することはなく、サザンは彼に付いて行った。
「……なあに。君にはただ、傍から見ていてもらいたいだけだ。昨今は最早、我々帝国情報局よりも、君ら帝国軍の情報機関の方が、海外の諜報活動一帯に詳しいからね。……せんないことに」
「はあ……」
そうして案内された場所は、三つのモニターだけがある部屋。
しかもモニターは全て隣の部屋を映している。三方向からの視点だ。
「……これは……」
モニターに映っているのは、部屋の風景だけではない。二人のノイドの男が、机を挟んで向かい合って座っていた。
片方の男は、あまりやる気の見えない局員と見られる男。
もう一人の男も局員なのだろうが、口元に大きな切り傷があり、尖った刺すような目つきをしてる所為か、威圧感がある。
「間者の疑いがあるのは、この男だ」
サザンを案内してくれた局員の男は、威圧感のある口傷のノイドを指してそう言った。
「……取り調べですか?」
「いやぁ? ただの周辺調査だ。三ヶ月前に北三〇号基地の情報管制塔が破壊されたため、うちの資料の一部が失われた。復元に協力してもらうため、些細ないくつかの質問を一部の局員に投げかけて回っている。……と、いう体でね」
「なるほど……」
要するに、取り調べで間違いない。この口傷の男は、情報局内に潜り込んだ、連合のスパイの容疑が掛かっているのだ。
「私は何をすれば良いですか?」
「……先ほども言ったが、見ているだけでいい」
「しかし……私には、この男が連合のスパイかどうかを判別する手段がないのですが……」
そう言うと、局員の男は右手の人差し指を立てて、その先から小さな火を出してみせた。
これはイグナイト・ギアと言って、ライターほどの火しか出すことはできない。
そして実際彼は、この火を咥えていたネジの先端に、タバコのようにして付けた。
「勘違いしないでくれ。君にそこまでは望まない。……悪いがね、上はただ元帥閣下殿に色目を使いたいだけなのだよ。故に、この男の言葉の中で些細な気掛かりを見つけたら、それを教えてくれるだけでいい。この男が間者と判明したなら、その功績の半分は君に譲ろう」
「……」
サザンは任務の内容を詳しく元帥から聞けていない。それはつまり、元帥もまた詳しく聞いていないうえ、そこまで重要視していないということ。
今回の任務は、帝国情報局の帝国軍に対する媚び諂いに、元帥が仕方なく応じただけの話。
サザンはここにいるだけで、敵のスパイを見つけた功績を与えられる。つまり、何もしなくていいと言われているに等しい。
「……何かな?」
局員は、下を向いて黙ってしまったサザンの様子を窺う。
「……いや……申し訳ないなと」
「……君は素直だな」
「?」
窓の無い部屋なので、二人の声とモニターの音声しか聞こえない。
どうやら隣の部屋では会話が始まったらしい。二人はそちらに注意を向ける。
「……普通の会話をしているようですが」
「まあ、周辺調査を名目にしているからね」
局員の咥えているネジから、煙が出ている。果たしてタバコと同じ様な代物なのかは、サザンには分からない。
「……何が根拠で、彼に疑いが?」
「……サザン大尉。君は知らなくていい」
「……。では、彼の所属は?」
「サザン大尉」
「ではそのネジは何ですか?」
「何?」
「いや……気になったもので」
「…………君は、素直過ぎるな」
初めて局員の表情に笑みが生まれた。苦笑いだが。
*
数刻を経て、隣の部屋にいた男の一人がこちらの部屋に入って来る。
調査と称して尋問していた方の男だ。
「……駄目だ。話にならん」
やる気がないのか、この局員は気だるそうで猫背の姿勢だ。
「だろうね」
「私が話にいっても?」
「サザン大尉……。気持ちはありがたいが、大丈夫だ」
ネジを咥えた方の局員は、少しだけ彼に呆れてしまった。
サザンはキョトンとしていて、純粋に力になりたいと思っているだけらしい。
話を聞いてなかったわけでも、我が強すぎるわけでもない。
「何だ?」
隣の部屋にいた男は、サザンが何者か理解していない。
「いや……私が行く」
説明を放棄し、煙の出ているネジを口から外してから、その男は隣の部屋に行った。
*
だが、ネジの男はすぐに戻ってくることになる。
「どうした?」
気だるげな男は、ここでようやく猫背を解いた。
しかしネジの男は、そんな彼の変化に目を向けていない。
「……サザン大尉。ご指名だ」
「え?」
局員は再びネジをポケットから取り出し、また口に咥えた。
「……『あの〝顎鋏〟がこちらに来ていると聞いた。帰ってしまう前に話をしたい』。……だそうだ」
「おいおい受けたのか?」
「質問を受けてもらってる体なんだ。断る理由がない」
「何で知ってる?」
「知らんよ」
サザンがここに来ているという情報は、気だるげな男が知らなかったように、この局のほとんどのノイドが知らないはずのもの。
二人の局員は、ますますこの口傷の男を怪しみ始める。
「……では行ってきます」
「サザン大尉……」
「何か?」
「……素直なのは、長所でもあり短所でもある」
「確かに」
まったく戸惑っていない様子のサザンを見て、ネジの男は逆に困らされている。
だが、サザンは表情に出ていないだけで、内心ではしっかりと当惑させられていた。
(……どういうわけだ……? 何故私が来ていると……)
*
隣の部屋に入ってすぐ、サザンは口傷の男から漂う威圧感を、その全身に浴びせられた。
尖った彼の目と視線が合うと、サザンは心臓を鷲掴みにされたような錯覚に陥る。
「Nice to meet you. 〝顎鋏〟」
サザンは威圧感に耐えつつ、机を挟んで彼の前に座った。
「私に何の用ですか?」
あくまでサザンは、たまたまここに来ていた体を装う。
「Uh … No, not like that. むしろ、そちらが俺に用がある。そうだろう? 〝顎鋏〟」
「……ッ!」
「ハッ! 気になるかい? 俺がどちらか……! 帝国の敵か、味方か。『It's up to you』……ってね」
「……申し訳ありませんが、何を言っているのか分からない」
「『そちら次第』と言ったんだ。ハッキリ言おう。俺は……確かに連合と繋がっている」
「!? 何ッ!?」
唐突かつ自然に、口傷の男は自らの正体を明かした。
傷を広げようかというほどに口を開け、笑みを見せている。
「ハッハー……確かにそちらは危険な臭いがする。さて、どうするかい? 俺を帝国警察に連れて行くか? Cool it! まだ早い。愛する妹が健在だろう?」
「……ッ!? 貴様……ッ」
エルシーのことを話題に出すということは、彼女を人質に取るも同じ。
サザンは思わず、ガタッと机を叩いて立ち上がった。
「Hush! ……ジョークだ。分かるだろう?」
「貴様……! エルシーに手を出してみろ……殺すだけでは済まさんぞ……ッ!」
「ハッ! 磔にでもするかい? Jesus!」
冷静ではいられないが、サザンは怒りを抑えながらもう一度座った。
「……ッ」
「利口だ。安心しろ、サザン・ハーンズ。ジョークだと言っただろう? 俺はただ、確認したかっただけだ。そちらが妹を取るのか、それとも国益を取るのかを」
「貴様ァ……!」
普段はまるで石のように仏頂面のサザンだが、今日ばかりは感情を表に出すことに成功している。
隣の部屋の局員も、憤る彼の顔を見て驚いていることだろう。
「結果は前者のようだ。Be proud of yourself. 仕事よりも家族を大事にするのが、良い男の条件だ。そう思わないか?」
「……私に何の用だ?」
今サザンに出来ることといえば、ただ強く相手を睨み付けるだけ。
思慮深い彼は、目の前の男に仲間がいる可能性を疑ってかかっている。
つまり、脅し文句を冗談だとは思っていない。
「……用は今ので済んだ。こんなのはただの暇潰し。Ah … そうだな、茶番と言うべきか」
「どういう意味だ?」
「そろそろ……」
口傷の男がそう言うと、部屋の扉が突然開いた。
入って来たのは、ネジの方の局員。
「…………時間だ」
*
「これで終わり……!? 何故ですか? あの男は、間違いなく連合のスパイだ」
口傷の男を解放することになって、サザンは局員の男に食って掛かっていた。
「……私も何が何だか分からない。どうかしている。上は一体何を考えているんだ……」
「奴は確かに認めました。自分と連合の繋がりを」
「……大尉。済まないが……君の役目は、もう終わりだ」
「……」
これ以上首を突っ込む方法はない。
しかしサザンは、こんなにあっさりとあの男を逃がす『上』の魂胆を、どうしても知りたくなっていた。
明らかに、ここで敵のスパイと思われる男を見逃す道理はない。
そう。敵ならば不合理だ。
逆に言えば、見逃す理由があるとすればそれは一つ。
連合のスパイが『上』にとって、敵ではない場合だけ──




