『ユウキ・ストリンガー暗殺任務』
◇ 界機暦三〇三一年 五月十日 ◇
■ 帝国軍統合作戦本部 最高司令室 ■
サザン・ハーンズが所属しているのは、『元帥直下精鋭部隊』という名の、軍の諜報員。
彼は元帥から直々に密命を受け、軍内部の者にも悟られることなく、その任を全うする。
今日もいつも通り、彼はノーマン・ゲルセルク元帥に呼び出されてその指令を聞いていた。
「……『反戦軍』……?」
「そうだ。インドラ海を航海する戦艦を拠点に、各所で連合軍と帝国軍の両方の邪魔をしている、ゲリラ組織だ」
「……『反戦』のため……ですか?」
ノーマンはコクリと頷いた。
「事実として、連中は両軍の衝突を何度か食い止めた実績がある。サザンよ、『ハヌマニアの慟哭』は知っているな?」
「え、ええ。確か……指揮を失った連合軍と、通信手段を破壊された我が軍が、規律を破ってハヌマニア島での戦いを始めた一件……でしたか。民間人の活躍で、両軍は島から撤退することになったと聞いていますが……」
サザンは気付いてないが、ここでノーマンは一瞬眉をひそめた。
ノイド至上主義で人間を見下すノーマンは、民間『人』という呼び方でノイドを形容することが許せない質なのだ。
だがまだ彼は、その強い思想を隠して過ごしている。
「その民間ノイド……それこそが〝ハヌマニアの英雄〟と呼ばれている男、ユウキ・ストリンガーだ。奴は……反戦軍の一員だ」
「!?」
「民衆における反戦軍の評価は賛否両論だ。今までの活躍は平和を望む民衆に希望を与えたが、客観的な事実として、最終的に連中が戦争を止めることなど不可能。目的を見失った力を持つ組織が、当初の大義を忘れて暴走する例は幾度となく観測されてきた。……分かるな? 危険な芽は……早くに摘んでおかなければ、収拾の余地をなくす恐れがある」
「…………閣下の仰ることは、もちろん正しいです。ですが、介入する手段も道理も、我が軍にはありません。ゲリラは体制に従わないからこそ、ゲリラなのです」
「その通りだ。解体を促すことに意味は無い。話を聞いてやる義理もない。しかし、『力』を削ぐ必要性だけは、急を要している」
「え……?」
「〝ハヌマニアの英雄〟の活躍は、両軍にとって驚天動地でしかなかった。一個大隊レベルの実力を持つ存在の危険性は、貴様自身が最も理解しているはずだ。そうであろう? 〝顎鋏〟サザン・ハーンズ」
「……!」
サザンが恐るべき速度で『大尉』となり今の立場にいる理由は、彼を前線に出し続けるリスクを、このノーマンが考慮したからだ。
失うわけにはいかない強大過ぎる力を持つ彼は、当然だが味方にも脅威と思われている。
仮に敵に回すとしたなら、即刻対処しなければならない存在であるとして──
「サザン大尉。これより任務を与える」
「か、閣下……それは……」
「ユウキ・ストリンガーを暗殺せよ。反戦軍の脅威は、この男だけだ」
サザンにこれを拒絶する権利は無い。
ノーマンからの指令は、皇帝からの勅命と同義。
しかし、ゲリラとはいえ民間人は民間人。そもそも『ゲリラ』と呼称しているのは帝国軍だけだ。
彼らはどちらの軍にも所属していない、完全な民間武装勢力であり、片方の勝利を目的としていない。
違法行為を続けているとはいえ、そもそも両軍の方にも何度か戦争法規を逸脱している事実がある。
正義はどこにもなく、彼らを裁く権利はサザンには無い。
頷くことは出来なかったが、彼は心を殺し、自分の意志をひた隠しにして、肯定の言葉を吐いた。
*
■ ワーベルン領 ■
帝国軍は、サザンに下されたユウキ・ストリンガーの暗殺任務のことを誰一人知らないまま、彼と接触することにした。
先に交渉のアプローチをしてきたのは反戦軍の方であり、暗殺任務はそれを利用して決定されたもの。
ワーベルン領で帝国軍と彼が交渉を終えたのち、帰路に就いた彼の隙を突いて殺す。それが任務の内容。
だがここでサザンは、暗黙の了解としてわざわざ説明することを省いた、暗殺の『手段』の部分で自分の意志を出す。
本来暗殺なのだから、正面から向かっていくなど論外。ましてや、軍の制服を着たままなど、あり得ない。
説明が無かったからなどという言い訳は無意味なほどだが、それでもサザンは、身を隠しながら殺す気にはなれなかった。
「キィー……」
サザンは、目を閉じて口を半開きにして息を吐く。
集中する時、彼はこうして心を落ち着かせるのだ。
そして──カッと目を開く。
一気に走り出した彼は、目の前の森林の中に入っていく。
ワーベルン基地から出たハチマキを捲いた男ノイド──ユウキ・ストリンガーを、サザンは上空から見ていた。
そして、彼が何やら近辺にある森林の中に入っていくところを確認している。あとは任務を果たすだけだ。
任務の成功が第一だが、背後から気付かれないように不意打ちするやり方はサザンの性に合わない。
故に、正面から姿を晒しての不意打ちを仕掛けることにした。
「ッ!」
眼前に、ユウキと共に基地に来ていた人間の女が見えた。彼女には用が無いので、高くジャンプしてその先の標的を捉える。
そのままサザンは右腕を変形させ、己のオリジナルギアを発動させた。
巨大な鰐の顎のような形をした『鋏』。彼の右腕は完全にその『鋏』に変形し、人と握手することも出来ないような状態に変わる。
──「お兄様」
その時、エルシーの顔が浮かんでしまった。
目の前の軍人ではない者を殺すことに対する躊躇いの所為か、一瞬の間では判別のしようがない。
ギィィィィィィィンッ
「……あ?」
「……!?」
気付いたら、彼はその鋏で挟み切るのではなく、殴ろうとしていた。
ユウキ・ストリンガーの持つオリジナルギアのことは知っている。
彼は鉄よりも強靭な糸を自由自在に操ることができる。
それでも、刹那の防御で繰り出す糸くらいなら、巻き込んでそのまま彼の首を挟み切ることが出来ると彼は考えていたのだが──出来なかった。
「……何だァお前は。帝国軍……みてェだが……」
「……」
自分が殺しに躊躇すること自体は、そこまで驚くことではない。
それよりも、サザンは打撃を完全に防がれた事実に驚いていた。
それは、糸の強靭さだけでは説明の出来ないこと。詰まるところユウキは、強靭な糸で防いだことによる衝撃を、耐えられる筋力があるということだ。
自分と同じくらい、ギアの練度を高めている可能性があるということなのだ。
「……ッ!」
決着を急がなければ、厳しくなる可能性がある。ユウキが一緒にいた女性を下がらせたのを見てから、サザンはもう一度向かっていく。
「!?」
今度は確実に鋏で糸を挟む。糸と共に、そのまま彼のことも狙った。
しかしユウキは糸でこの鋏を防げないと瞬時に見抜き、挟まれたそれを捨てて近くの木の枝の上に飛び乗り、躱してみせた。
「……鋏で断ち切れん糸など無い。貴様のギア……私とは相性が悪いようだ」
「……そうか?」
「!?」
挟んだ糸は切れていない。前情報以上に、ユウキの糸は強靭だった。
「ハッ! どうだいどうだい俺の糸はよォ! 頑丈だろう! 切れねェだろう!? 相性なんざ、関係ねェのさ! 俺の糸はなァ! 何もかんも貫き通すのよッ!」
「……キィッ!」
「!」
これは、完全に挑発に乗ってしまった形。
そもそも糸が想定より強靭だったとしても、切る手段は持ってここに来ている。
「デスロール」
足で糸の先端部分を踏み、鋏を高速で回転させる。この勢いで、糸を断ち切ってみせた。
これは、何の意味も無いデモンストレーション。
何故かは分からないが、サザンはユウキと戦う中で、熱くなり始めていた。
「……ハッ! 張り合いやがって馬鹿がよッ! あァ!? 糸が切れたら偉いのかァ!? ああムカつくぜ……ムカついて来たなァオイ!」
もう一度ユウキに向かっていく。ムカついているのは、どうやらサザンも同じこと。
初撃の判断をミスした自身の怠慢と、もう一つ。ユウキのことが、何となく気に入らなかった。
「くッ……!」
やはりユウキの反応は良い。攻撃は簡単に避けられ、傍にあった木を挟んで切り落としてしまった。
「……面白れェ。お前は俺と同じだろ? そんなギアは見たことも聞いたこともねェ。同類なんだろ? なァオイッ!」
ユウキは全身から糸を繰り出し、それを攻撃に使ってくる。
サザンはここで、周囲の木々に彼の糸がまとわりついていることに気付く。
あらかじめユウキが張り巡らせていた糸のようで、逃げ道は限られていたのだ。
サザンは仕方なく、その右腕の鋏でユウキの糸を防ぐことにした。
「そうなんだろッ!?」
ガッシャァァァァァン
想定通りではあるが、サザンの鋏は完全に糸によって締め付けられて圧迫され、破壊される。
だが、これは問題ではない。
オリジナルギアは胸に取り付ける物。それが体から外れない限り、彼の鋏……もといそれに変形する右腕は、何度でも再生する。
補足すると、再生するのはオリジナルギアによって完全に元の状態から変化した右腕だけで、他の部位は失ったら血が出るし、再生しない。
「……キッ!」
サザンはすぐに腕を元に戻す。
ユウキは糸を平手から伸ばして発射攻撃してきていたが、サザンは治した右腕ですぐに挟み、デスロールで断ち切った。
「……やっぱりそうだ。右腕にギアが仕込まれてるわけじゃねェ。そうだ! なにせ『オリジナルギア』は、『ここ』に仕込むもんだからなァ!」
同じようにオリジナルギアを持つ彼は、自身の胸を指している。早くもサザンの手の内を理解し始めているようだった。
「……」
一旦の小休止。サザンは先程から内心、激しく動揺していた。
(迂闊だった。周囲に糸を張り巡らせていたとは……。殺すのなら森林に入る前にするべきだった。コイツはギアの鍛錬をしていたんだ。私はもっとコイツが油断している時を、狙えたはずだというのに……! ギアと連動した右腕ではなく、左腕を破壊されていたら、元には戻せなかった……ッ!)
その時。ユウキが突然指を二本、天に指す。
「馬鹿と鋏は使いようッ! 断ち切られたなら糸二本ッ! 大馬鹿二条、ユウキ・ストリンガーとは俺のことだァ!」
「……ッ!?」
突然過ぎて、サザンは唖然としてしまった。
「紡げよ俺の名……お前の魂と共になァ!」
「……………………?」
おまけにピースサインを向けられ、困惑が過ぎて思考が停止した。
「お前も名乗れよ!」
「……貴様に名乗る名など無い」
「あんだとコラァッ!」
「これから殺す相手に、名を名乗る理由は無い」
「……! ……ハッ。良いぜオイ。要するにこういうこったろ? お前の名前は、これから死ぬ相手にすら名乗れねェ、退屈な名前ってこった!」
「!?」
やはり容易く挑発に乗ってしまうのが、サザンをクールな男と言い表せない理由。
暗殺に来た男が名乗るなど、あってはならない大馬鹿な行為。
「……帝国軍大尉、サザン・ハーンズだ。挟んでおけ、貴様の魂とやらに」
「そうかサザンかッ! 良い名じゃねェか馬鹿野郎ッ!」
「……貴様もなッ!」
その時──
「────────音?」
最初に気付いたのは、ユウキと共にいたブロンドヘアに宝石のアクセサリーを付けた女だった。
サザンもすぐに気付く。上空に、鉄の飛行音が聞こえてきたのだ。
『聞こえるか? サザン・ハーンズ大尉』
同じタイミングで、サザンの耳に取り付けられたCギアに、通信が入った。
ユウキの方も誰かと通信しているようなので、状況を瞬時に把握したサザンはこれに応対する。
「……シュドルク中将……ですか?」
『ああ。任務中か?』
「……色々と、問題が発生しています。ユウキ・ストリンガーの暗殺は……困難です」
この通信相手の男は、サザンと同じ元帥直下精鋭部隊の一人。彼もサザンの任務のことは知っている。
『貴様の問題ではなく……か?』
「……ッ! ……はい」
手段を選ばなければ殺せることは分かっている。だが、サザンは自分に問題があるとは認めない。
「……どうやらワーベルンに、鉄部隊が来ています。ステルスによる領域侵犯……。まさか、捕虜の居住区の上で戦闘をする気ではないと思いますが……」
『……何だと? ……そうか。どの鉄が率いている? それとも鉄紛だけか? 新進気鋭の鉄部隊は、編制がまだ流動的な状況だ。把握する必要がある』
サザンは上空を見上げた。
ステルスを解いた鉄が多勢見られるが、そのほとんどは生命体ではないロボット兵器、鉄紛。
だが一体、明らかに他と別種の本物の鉄がいる。
「……赤、黒、それに……青色も混ざった装甲の鉄。恐らくそれが、鉄紛を率いています。あの鉄は……私も知っています。間違いない。アレは……〝幻影の悪魔〟、イビルだ」
『何だとッ!? 馬鹿な……。バッカス……血迷ったか……ッ!』
「クロウ大佐のもとに向かいます」
『!? 待てッ! どうする気だ!?』
「……撤退を、要求します」
『……奴は、話の通じる男ではない』
「それでも……行くしかない」
『…………了解した。元帥には私から報告しておく。こちらから貴様に命じるのはただ一つ。……「生還せよ」……だ』
通信を終えてユウキに視線を戻すと、彼は鉄部隊の方へ向かおうとしていた。
「邪魔をするな」
思わず彼を止めるため、鋏で寸止めを食らわせようとする。
しかしユウキは、寸止めの必要もないくらい華麗に避けた。
「私が行く」
「俺も行くってんだよ!」
「邪魔になるだけだ」
「邪魔はお前だろッ!」
「二人ともッ!」
ユウキと共にいた女性の声で、二人は振り返った。
「……争ってる場合じゃないでしょ? 貴方たちも……あの連中も……!」




