『fate:サザン・ハーンズ』
◇ 界機暦三〇二六年 十月十三日 ◇
■ ノイド帝国 央帝省 ■
温かい陽気な日差しが、広々とした公園の木々を照らしている。
ここはノイド帝国の首都、央帝省内にある、国立公園。
彼は今、助走をつけて高くジャンプしようとしていた。
「キィ……ッ!」
ジャンプして手を伸ばす先は、一つの木の枝に引っ掛かっている風船の紐。
常人でないジャンプ力でそれを掴むと、そのまま地面に着地する。
そうして木の枝に絡まってしまっていた風船を、彼はその持ち主に返そうとした。
「パチパチパチ。流石です、お兄様」
茶髪でバンダナを首に巻いた彼──サザン・ハーンズは、風船を渡しながら優しげな笑みを見せる。
拍手しながら受け取るのは、車椅子に乗っている、ロングレイヤーの茶髪に透き通るような肌を持つ少女。
それが、サザンの妹──エルシー・ハーンズだった。
「何のことはない。エルシー、今度は手を放さないように頼む」
「お兄様の活躍を見たいので、また手を放そうかと思います」
「勘弁……してくれ」
その時、エルシーは突然自分の胸を抑え始めた。
「うッ……!」
「エルシー!?」
彼女は明らかに苦しんでいる。そして、その原因をサザンは知っていた。
当然風船は掴んでいられない。サザンはすぐに彼女に寄り添い、その具合を窺う。
「だ……大丈夫です……お兄様」
「エルシー……」
一旦落ち着いた様子だが、別に治ったわけではない。
サザンは苦虫を噛むような表情のまま、妹の運命を呪う。
発作の所為でまた手を放してしまった風船は、もう空高くに上って見えなくなっていた。
*
■ 央帝国立病院 ■
サザンは、エルシーの主治医から彼女の病気について話を聞いていた。
「……何度も仰いますが、『失核病』は治らない病気です。人間で言う心臓……『核』の機能が不全になってしまう病。エルシーさんは……」
「何年ですか?」
「……ッ!」
サザンは自分でも分かっていた。エルシーは長く生きられない。だからこそ、短い残りの彼女の人生をしっかり把握し、彼女のために出来ることをしたいと考えていた。
「……エルシーは……あとどのくらい生きられますか?」
「……ここで措置を受け続けるのなら、『五年近く』と言いたいところですが……それでも何が起きるかは分かりません。最大五年の生存率が、五十パーセントだと思っておいた方が良いかもしれません……」
「五年……」
握る拳を震わせながら、サザンは自分のするべきことを思索する。
彼の家族はもうエルシーしかいない。彼にとって大事な存在は、エルシーだけだ。
彼女の為なら何でもする。何だって。たとえ、誰に何を言われようとも。
「……一つだけ、彼女をもう少し長く延命させる手段があります」
それを聞いて、サザンは目を見開いた。
「!? そ、それは一体……」
「……軍の特殊医療施設を利用すれば、あるいは……という話です。今この国で最も医療技術が発達しているのは……皮肉にもあそこですから……」
主治医はどこか悔しげな表情を見せている。
この国で最も命を粗末にしている場が、この国で最も命を救っている場になっているという事実が、彼にとって愉快とは言えなかった。
だが、彼が悔しそうな表情を見せている理由は、それだけではない。
その時、主治医の背後から、一人のノイドが現れる。
そのノイドは、本来この場にいないはずで、いること自体が大変な問題で、主治医がますます不愉快な気分に陥る原因──
「……?」
「…………サザン・ハーンズ……。貴様が、オリジナルギアを持つという青年か」
サザンが不審に思ったのは、この場にいきなり現れたそのノイドが未知だったからではない。
むしろ、彼はそのノイドが何者かよく知っていた。
いや、この国でこのノイドの男を知らない者はいない。
「……の、ノーマン・ゲルセルク……元帥……閣下……!?」
鉄のように固い表情で、生気の欠けた四角い瞳を持つノイドの男。
室内でもその白い元帥用制帽を被り、勲章に塗れた軍服を着た姿は、他に類を見ない。
見間違うはずはない。この男は間違いなく、ノイド帝国軍における最高総司令官。
帝国軍元帥、ノーマン・ゲルセルク。
「軍の特殊医療施設を利用できるのは、軍関係者のみだ。サザン・ハーンズ……これは、私からの提案だ」
「げ、元帥閣下殿からの……? ど、どうして、わざわざ……」
「全ては偶然による結果。『失核病』に関する医療技術発展に尽力していた結果、貴様の妹のことを知るに至ったのだ。私は皇室庁に所属する貴様の能力を見込んだうえで、貴様の妹の延命処置に協力しようと目論んだ」
「な……ま、まさか……元帥閣下殿が、直々に……?」
サザンはあまりの動揺と、突如見えた希望の光の所為で、上手く頭が回っていない。
だが、主治医の方は気付いていた。ノーマンゲルセルクは、医療技術の発展などに尽力するような質ではない。
「特殊医療施設を利用させたいのは山々だが、軍関係者でないエルシー・ハーンズは受け入れることが出来ん。そこで提案だ。サザン・ハーンズよ」
「それは……一体……」
「……帝国軍に入るのだ」
「!?」
「貴様が軍卒となれば、親類縁者であるエルシー・ハーンズの施設利用は看過される。そうすれば……彼女を最新の医療技術によって、延命させることが出来る」
「……ッ! ならば入らせて頂きたい! 私は……私は帝国軍に所属することを望みます! 妹の……エルシーの為ならば、何の躊躇の余地もない!」
そうして、サザン・ハーンズは帝国軍に入隊した。
その裏にある元帥の思惑など、彼は考えようともしなかった──
*
◇ 同年 十月二十六日 ◇
■ 央帝省 皇室庁 ■
帝国の首都・央帝省には、当然だが皇室、帝国議会、行政内閣、最高裁判所の全てが存在している。
中でもこの皇室庁は、皇帝とその一族全体で構成される皇室の、全体事務を行っている行政機関。
サザンは元々、ここに所属していた政府の人物だった。
「サザンさん!」
庁舎の廊下を歩いていると、背後から女性に呼び止められる。
基本表に出ない機関であるからなのか、ここにいる者は皆その服装を自由にすることが許されている。
サザンを呼び止めたその女性も、自分好みの衣服を身に纏っていた。
彼女は何故か、両目の周りと間だけを隠す仮面を付けている。
加えて腹や脇、胸の谷間や太ももなどを隠さず目立たせるような、身軽かつ劣情を煽らせる、ドレスに似た赤い服を着ていた。
「……エヴリン……」
しかしサザンには、劣情を抱く心の余裕が存在しない。
エヴリンというこの女ノイドのことも、ただの同僚としか見ていなかった。
「……異動……されるんですよね? サザンさんも……」
彼女は心底暗いトーンで話す。
しかしその恰好と仮面を付けている所為で、普通の者なら、仮面舞踏会にでも出るつもりなのか気掛かりで仕方なくなることだろう。
やはりサザンは、そんなことを気にする余裕が無い。
「少し違うが……お前もなのか? どこに異動するんだ?」
「それは…………ごめんなさい。秘匿事項ですので」
「そうか。それでは」
「ま、待って下さい!」
「? 何だ?」
エヴリンはいじらしく短いスカートを握り、体を少し揺らしながら、言葉を絞り出す。
「……その……えっと……」
「何だ?」
「…………私は、サザンさんの事情をよく知りませんが…………えっと……む、無理は……しないで……くださいね?」
普通の者なら、まずその仮面を取ってから別れの挨拶をしてもらいたいところだろう。
だがやはり、サザンはその辺りを気にしていない。
「……それはお互いにだ。秘匿事項となる異動先なのだろう? お前も危険な立場に就くはずだ。……またいつか、私が飲める年になったら飲みに行こう。オイルでも」
「え……オイル……? というか、さ、サザンさん……年下だったんですか……?」
「十八だ」
「……」
「どうした?」
「いえ。サザンさんは……やっぱり面白い人ですね!」
エヴリンが諦めたツッコミどころを羅列する。
まず、本来ノイド帝国の国家公務員には十八歳未満はなれないが、サザンは二年前から皇室庁に所属している。
そして、この国では十八から『酒』を飲むことが出来る。
ちなみに『酒』を『オイル』と表現したのは、彼が洒落を利かせたつもりだ。
サザンは別に頭が悪いわけではない。
彼はむしろその優秀さから若くして特別待遇で国家公務員となっていて、酒は単に苦手で飲めないだけだ。年を取れば飲めるようになると思っているだけだ。
もちろん冗談の得意不得意と頭の良し悪しに、相関は無い。
エヴリンもそのことは分かっている。彼女は何も勘違いしていない。
何故なら彼女もサザンと同じ様に若くして特別に今の役職に就いており、彼と同じく酒は飲めない。
自分と似ていた存在だったからこそ、彼女はサザンを気に掛けていた。
気に掛けていたからこそ、彼女の心はいつしか動かされていた。
だが、もしかしたらこれが、最後の彼との楽しい会話になるのではないかと思うと、彼女は胸を刺す痛みを誤魔化せなくなっていた。




