『extra:再起』②
◇ 界機暦三〇三一年 九月六日 ◇
■ エデニア特例学校 ■
真っ暗な目をしたリードは、ほとんど自分の意志はないままでこの学校に入ることになった。
「……」
「リード。僕は別のクラスだけど……心配しないで。何かあったら、すぐにそっちに行くから……」
「……」
「……リード……」
リードはずっと俯いている。
太陽の家をなくし、ショウも先立ち、彼女にとって残されたのはアウラだけだった。
だからこそ、彼の提案をないがしろには出来なかった。
ここに来たのは、それだけの理由。
それを理解しているからこそ、アウラも表情が明るくなることはない。
一瞬だけ裾を握られた気がしたが、アウラはそのまま自分のクラスに向かって行った。
一人になった彼女は、すぐに孤独感に襲われることになる。
つらいが、アウラが戦場に行っている間はもっとつらく苦しかった。
そして、今回はアウラが自分のために頑張っているのだと認識している。
頭の中はグチャグチャでも、彼女は本能でこの孤独感に抗おうとしていた。
「あの」
席に着き、机に伏せようとしたところ、隣の少女から声を掛けられる。
「……」
「こんにちは。私……ハート・パシフィスト。よろしくね」
その少女は枝毛の多い癖の付いた髪型で、隈だらけの目をしていた。
「……」
「……き、聞こえてますかー……?」
「……リード」
「リード! よろしくね!」
「……」
「仲良くしようね! ここでは争う必要なんて……ないんだから」
少しだけ、無理に明るく振る舞っているように見えた。
リードは小さく頷き、それから会話を続けようとはしなかった。
*
リードから見たハートという少女は、ここでの生活に馴染もうと、明るい空気をもたらそうとしているようだった。
元々この学校に通う生徒は、全員が戦争によって教育を受ける機会を失った子ども。
沈んだ雰囲気になるのが自然で、だからこそ彼女のように空元気を出す者もいたのだ。
「リード! お昼ご飯。一緒にどうかな?」
「……」
黙ったまま、首を振って拒絶する。
もちろんリードのように、まだ他人と交流したくはないという者も多くいた。
「……そっか」
たまたま隣の席になったからか、ハートはリードのことを特別気に掛けていた。
この最初の日もずっと声を掛けてくれて、少しだけリードの暗い瞳にも、彼女から光が与えられていた……かもしれない。
*
最初なので授業は少なく、処々の説明などに多くの時間が割かれることになった。
短い時間の中で、リードはハート・パシフィストいう少女に若干の興味を抱く。
説明や授業の間、リードはずっと目線を下げているので、何度かハートから『聞いてるー?』と囁かれた。
聞いてなかったと思われ、『私が説明するね!』という風に、勝手に同じ説明を繰り返された。
授業終わりにも、他の生徒と共に『どこかに遊びに行こう!』と誘われた。
しかし、彼女はまだ彼女の厚意に応えることは出来ない。
その準備が、整えられていない。
一日が終わると、生徒たちは寮に帰ることになる。
これも連合が用意したもので、一人一部屋を利用できる。
アウラと共に寮の方に向かっていたリードだが、この後彼とは別の部屋で眠らなければならない。
病室での日々と変わらないので、彼女は切なさを覚えていた。
「リード。そっちはどうだった?」
「……別に……」
「……」
反応は鈍い。
だが、太陽の家を無くしてからこれまで、外に出る機会自体がずっと少なかった。
こうして流動的な環境に身を置けている時点で、前進はしているはず。
アウラはそう信じていた。
*
◇ 界機暦三〇三一年 九月十三日 ◇
■ エデニア特例学校 ■
ハート・パシフィストという少女について、リードは理解を深めていた。
完全に聞き耳を立てていただけだが、彼女は自分のことを多く周りに話していたのだ。
(……浅慮。浅薄。お人好し……。この子はどうして……そんなに明るく振る舞うことが出来るの……?)
(ここいいる全員が、戦争で居場所を奪われた子ども……。なのに……何で貴方は前を向こうとすることが……)
(……分からない……分からないよ…………ショウ……)
彼女は、御影・ショウの口癖を思い出す。
──「分かっていない」
ずっと気にもしていなかったその言葉が、今は自分を責めているように聞こえる。
絶望と悲哀だけではない。後悔と罪悪感が、彼女をずっと襲っていた。
「じゃあハーちゃんは、改造手術を受けたわけじゃないの?」
「あ、ああうん」
何もここにいるのは、全員が永代の七子の候補というわけではない。
むしろ、オールレンジ民主国における戦争被害者の子どもの方が多くを占めている。
ただこのクラスに限っては、永代の七子の候補だった子どもが多かった。
(……改造手術……。ここのみんなは、私と違ってゼロから生み出された存在じゃない……。予備として待機して、鉄戦闘の訓練をしていただけ……。帰る場所がある……)
羨むような考えが過ったところで、彼女は首を振って机に突っ伏した。
(……自己憐憫。不幸自慢。構ってほしがり……。私は……私はいつもそれだけ……)
リードが前に進めないのは、希望が見えないからという理由だけではなかった。
彼女は、自分という人間が幸せになることを、許せなかったのだ。
それでもアウラのことを拒絶できずにいて、そんな自分が更に嫌になる。
悪循環の中で、ずっとさ迷い続けているのだ。
「そっかぁ。ハーちゃんはどこから来たの?」
「まあ近くだよ」
「……!」
その時、リードは人知れず気付きを得ていた。
(……おかしい。変。妙)
(この子は……自分のことを誰よりもよく話す。このクラスの他の誰よりも)
(でもよく聞くと……深く尋ねられた時、細かく聞かれた時、微妙な言い方で誤魔化してる……)
(……つまり……)
導き出される結論は至って単純だ。
やはり、彼女は強がっている。
触れられたくない過去があるにもかかわらず、自分を出して明るく振る舞っている。
いや、だからこそむしろ、彼女はとても──
(…………強い子なんだ…………)
少しすると、ハートは教室を出て行った。
リードは普段、休み時間はずっと机に突っ伏しているだけだが、今日に限っては何となく気になって彼女のことを追いかけていた。
追いかけながら、先程思い出してしまったショウとの最後のやり取りが、頭の中で反芻される。
*
◇ 界機暦三〇三一年 五月二十日 ◇
■ クリシュナ共和国 サンライズシティ ■
▪ 太陽の家 ▪
「……ごめん。アウラを戦わせないようにすることは……出来なかった」
ショウは戦場に向かわされる合間に、太陽の家を訪れていた。
そこで言葉を交わす相手は、当然ながらリード。
「……不毛。不可解。意味不明……。何で……何でショウが謝るの? 私は……」
「アウラが生きていれば、リードもここのみんなも……きっと大丈夫だから」
「……」
もしアウラが聞いていれば、ここで疑問を抱いていたことだろう。
しかしリードにはショウの気持ちが分かっている。分かってしまう。
二人にとってアウラ・エイドレスという人物は、あまりにも大きな存在だった。
「……あの日から、ずっと考えていたことがある」
「『あの日』……?」
「……アウラが、鳥の巣を木の上に戻した日のことだよ」
「……?」
ショウは盲目のため、常に目を閉じている。
だから見えないはずなのに、彼はどこかを見ようとして上を向いた。
「……どうしてあの時、何もしなかったのか。どうしてアウラのように……動けなかったのか」
「ショウ……?」
「どうして太陽の家を守ろうとしたんだろう。どうして自分だけが戦うと言い出したんだろう。どうしてアウラを焚きつけるようなことを言ったんだろう。どうして君に報告しに来たんだろう。…………いくら考えても……自分が何を考えているのかが……分からない……」
「……」
「人間でもノイドでもない体になって……もう自分が何者なのか分からない。もうずっと前から…………駄目なんだ」
世界から戦いをなくすことなど、彼の望みではなかったのかもしれない。
彼の望みはもっと単純で、もっと純粋で、もっと矮小なものだったのかもしれない。
今となってはもう、分からないことだが。
「……大丈夫……なの……?」
「……大丈夫。アウラは強いから……必ず生きて、君のもとに帰ってくるよ」
「ショウのことも心配してる」
「……………………本当に?」
*
◇ 現在 ◇
■ エデニア特例学校 ■
本当だったのだろうか。
本心でそう言っていたのだろうか。
もしかしたらと思うと……やはりリードは、前に進めない。
「アウラ・エイドレス君……だよね?」
追いかけていたハートが、廊下でアウラに声を掛けた。
驚いたリードは角に隠れ、様子を窺うことにする。
「? 君は?」
「私は……ハート。ハート・パシフィスト」
枝毛の多いクシャクシャの髪を弄りながら、隈だらけの目でアウラを見つめている。
リードからは、彼女が複雑な感情を抱いているように思えた。
「ハート……さん? 何かな?」
「……小耳に挟んだの。貴方が……その……」
「?」
「…………御影・ショウと、幼馴染だったって」
「「!?」」
リードの体が、震え始めた。
「……ああ。そうだよ」
「そう……本当に……。……そう……」
どうやら震えているのは、リードだけではない。
明らかに、ハートの様子も少しおかしく見える。
「なら…………教えてほしい」
「……何を?」
「……『何を』? 『何を』? 何を……ッ! どうして……だって……どうして……ッ!」
一瞬で瞳孔が開き、ハートはどうにか自分の感情を制御しようとする。
「……どうして……」
「ハートさん……?」
「……どうして────
────────お父さんは殺されたの?」
「……ッ!」
「ねぇ……どうして?」
「そ……れは……」
リードはまだ分かっていないが、アウラはその質問の意味を理解している。
「……どうしてなの……? 味方だったんじゃ……ないの……?」
「……」
アウラは覚悟を決めて、彼女に対して頭を下げた。
「………………ごめん」
だが、順序が悪かった。
それよりも先に、質問に答えていれば──
「……何で、貴方が謝るの?」
「……僕にも、責任はあるから」
「……は?」
「ショウがあんなことをしたのは、僕がショウのことを分かってやれなかったからで──」
それを聞いたハートは、アウラの胸倉を掴みにかかる。
(え……)
リードは話に付いて行けず、ここで思わず姿を晒した。
「だから許せっていうのッ!? お父さんは……御影・ショウとピースメイカーに殺されたのにッ!」
目撃者が多数いる中で起きたショウたちの暴走は、『関係者』にハッキリと知らされている。
連合軍も帝国軍も関係なく虐殺を行った二人が、殺した者の遺族にどう思われているかは明白だった。
「………………え?」
そしてアウラとハートの二人は、ここでリードの方に目を向かされた。
「リード……!?」
「リード……?」
どちらも困惑しているが、特にアウラの方は『しまった』という表情を見せている。
(まずい……! リードにはまだ……)
「……ショウが……殺した……? ハートの……お父さんを……?」
「え……?」
その時リードは、自分の本心に気付いてしまった。
──「……………………本当に?」
混迷とした思考の中で、彼女はもっともらしい事実を形成する。
(……ショウは……あの時はまだ……)
(なら……私の所為……?)
(だって……私はあの時……本当は────)
【アウラさえ生きていればいいと、思っていた】
そのことに気付いた時、最早リードは前が見えなくなっていた。
(私の所為だ……)
(ショウは私の本心に気付いてた……)
(ショウが壊れてしまったのは私の所為……)
(この子のお父さんが死んだのも…………私の………………)
「リードッ!」
そして彼女は、更に奥深い暗闇の中に沈んでいく──




